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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第六章

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日本復活⑦ 10億の光子と太陽の女神

1999年(平成11年)9月


東北新幹線「なすの」が小山駅のホームに滑るように停車した。駅東口からタクシーに乗って国道50号沿いにある目的地を目指す。車窓から見えていた関東平野の稲穂が現実味を帯びたような気がした。どこか遠くで何かを燃やしている煙が見えたが、栃木の空は東京よりも高く感じた。


私が小松製作所のエキシマレーザー事業部を初めて訪ねたのは、そういう日だった。

いつもなら寧音と小二郎が同行しているが、今日は一人だった。二人に私の詳しい狙いを説明しても、今の段階では理解が得られないと思ったからだ。


だが、この会社こそ、2020年以降の世界の覇権を握る最重要企業として成長するはずで、豊臣グループの集大成ともいえる企業として是非とも必要な企業だった。


事業部長の浅野は、建設機械畑の経営陣の中で珍しく半導体の言葉を話せる男だった。初対面の挨拶が終わらないうちに、彼は会議室の白板に数式を書き始めた。KrFの発振波長、248ナノメートル。私が持参した資料を一瞥してから、彼は言った。


「現在はそうですが、次はArF、193ナノメートルを目指す予定です」


そして一拍おいて、こう続けた。


「木下さんが今日ここへ来た理由は、うちの技術が埋もれていると思っているからでしょう?」


否定しなかった。

コマツが世界初のリソグラフィー用KrFエキシマレーザーを開発したのは、1987年のことだ。12年が経った。その間、インテルの工場ではコマツのレーザーが使われ、韓国のDRAMメーカーの露光ラインにも納入実績がある。だが社内では、それはあくまでも傍流だった。決算説明会の資料に「エキシマレーザー」という文字が登場したことは、私の知る限り一度もない。


「企業全体の売上が1兆円規模になれば、どんな優秀な事業でも数字の桁が違いすぎて見えなくなる。そこが問題だと考えています」


そう私は言った。


「ただ見えなくなるだけならまだいいのですが、意思決定のスピードまで建機に合わせてしまうのは看過できません。半導体の市場は、御社のショベルカーとは時間の単位がまるで違うものだからです」


浅野はしばらく白板の数式を眺めていた。窓の外では、工場棟の屋根に夕暮れの光が斜めに当たっていた。


「では木下さんが本社へ提案なさるのは小松製作所本体からの分離、ということですか?」


「はい。独立した会社を作るのがベストだと考えています。コマツさんが技術と人を出し、私が資金を出す。それだけではありません。豊臣グループ傘下のワイドギャップ、ミノルタ、浜松ホトニクス、オハラと共に、新たな半導体装置メーカーになっていただきます」


浅野の表情が、わずかに変わった。提案の輪郭が見えた瞬間の、あの顔だ。


「豊臣グループが新たな企業を興す、というお話ですか?」


「そうです」


「小松製作所から分離させた会社が、いきなり消えるのですか?」


「……いいえ。説明不足で申し訳ありませんね。会社は存続したまま、人員の一部を新会社に移動していただこうと考えているんです」


さらに付け加えた。


「私は会社だけを買うつもりはありません。各社の持つ技術を束ねたいのです。光源、光学、材料、検出器。日本のフォトニクスを一つの装置にするんです」


それ以上の説明は必要ないと思った。数字は別の機会に話せばいい。この場で伝えるべきことは、私が本気だということだけだった。


この技術に他人の判断を挟みたくなかった。


半導体リソグラフィー向けのエキシマレーザーを量産できる会社は、当時すでに世界で数えるほどしかなかった。米国のサイマー社が市場を押さえ、日本勢は後塵を拝していた。だがコマツのエンジニアたちが積み上げてきたものは、本物だった。


1987年の開発から12年、彼らは建設機械の会社の片隅で、誰にも大きく注目されることなく、レーザーの研究を続けていた。その蓄積を、私は正しく評価できると思った。


ただし問題が一つあった。

当時、エキシマレーザーの市場でコマツの最大の弱点として語られていたのは、サービス体制だった。サイマー社は世界の主要な半導体メーカーの工場近くにサービスセンターを設け、問題が起きれば2時間以内に技術者が駆けつける体制を整えていた。


露光ラインが止まれば損失は時間単位で積み上がる。どれだけレーザー本体の性能が優れていても、止まったときに誰も来なければ、メーカーは採用しない。

コマツの技術者たちもそれを理解していた。だが建設機械の会社の論理では、半導体工場の緊急対応に特化したサービス拠点を世界中に展開することは、発想の射程の外にあった。独立した会社を作る理由は、そこにもあった。


最後の障壁は、コマツ本体の経営判断だった。傍流の事業を切り出して外部資本と組むことに、経営陣が首を縦に振るかどうか。私は浅野を通じて、何度か本社と小山に足を運んだ。秋の間中、新幹線の車内で資料を読み、電話をかけ、相手の言葉の裏を読んだ。



1999年11月


浅野から連絡があった。


「上が、話を聞く用意があると言っています」


東京都港区。小松製作所本社での会議は、12月に入ってから設定された。相手は経営企画の担当役員と、浅野を含むエキシマレーザー事業部の上長数名。私は一人で出向いた。


提案の骨格はシンプルだった。コマツがこれまで積み上げた技術と人材を新会社に移す。私が資本を入れ、経営の自由度を確保する。コマツは株式を持ちながら、半導体市場への本格参入を実質的にリスクなく果たせる。

役員の一人が言った。


「我々のブランドと技術を、豊臣グループという外部に委ねることになる。その点をどう考えますか?」


「御社が我々に委ねるのではありません」


と、私は慎重に答えた。


「一緒に作るんです。ただし、建機の論理で動く組織では間に合わない。半導体の市場は、意思決定の遅さが命取りになる世界なのですから」


沈黙があった。長い沈黙だったが、私は我慢して余計な言葉を何も足さなかった。

役員たちは互いに視線を交わした。反対意見が出るとすれば今のはずだった。だが誰も口を開かなかった。おそらく彼らの中にも、薄々わかっていた者がいたのだろう。このままでは技術だけが残り、事業として生きていけなくなると。


特に初期は赤字を垂れ流すはずだから、自前の体制ではリスクになると判断しただろう。


交渉はその後も数度続いたが、予想通り大きな抵抗はなかった。交渉が進む中、私はある夜、小山のホテルの窓から夜景を眺めながらメモ帳に名前を書いた。


新しい企業名だ。


『ギガフォトン』と書いた。


10億の光子という意味で、前世でも小松製作所とウシオ電機の合弁企業として採用された会社名だが、やはり、この世界においても、新しい会社の名前はギガフォトンが相応しいだろう。


社名を書いたとき、これ以外にはないと思った。


レーザーとはそもそも、揃った光の束だ。一つひとつの光子は微弱でも、位相を揃えて重ねれば、鉄をも切り裂くパワーを得られる。コマツの片隅で蓄積されてきた技術も、今はまだ傍流に見えるかもしれない。だが正しく束ねれば、世界を切り開く刃になる。そういう意味も込めていた。


翌朝、浅野にその名を見せた。彼はしばらく黙ってから、静かに言った。


「光の会社ですね」


「そうです。御社の看板は借りない。この名前で世界と戦うのです」


浅野は一度だけ頷いた。それきり何も言わなかったが、その沈黙には迷いがなかった。



1999年(平成11年)12月


浅野を社長とするギガフォトン株式会社の設立が決定した。本社は栃木県小山市に設立予定だ。出資比率は豊臣が51%。本社機能と研究開発と製造を、すべてこの土地に集める。前世では世界でサイマーとギガフォトンにしか作れないと言われたレーザー技術だ。それをもっと強くする。


私はその日、設立の書類に目を通しながら、ふと浅野が最初に白板に書いた数式を思い出した。KrFの発振波長、248ナノメートル。人の目には見えない深紫外線の領域だ。見えないからといって、存在しないわけではない。見えないものを見えるようにするのが、私のやるべきことだった。


さて次は、5社の人材を合わせてASMLに負けない新しい会社を作る。

問題はその社名をどうするかで、一人で悩んだ末に結局は寧音に相談を持ち掛けたのは1999年が終わろうとするタイミングだった。


「世界で2社目となる、半導体製造装置の最上流となる会社を五條に作るんだけど、社名をどうしようか悩んでいるんだ。一緒に考えてほしいんだけどね」


「藤一郎がこだわっている光の最先端企業よね。私に分かるように、どんな特徴があるか教えてくれない?」


私は少し考えてから、できるだけ簡単な言葉で説明することにした。


「半導体っていうのは、ものすごく小さな回路をシリコンの板の上に作っていくんだ。携帯電話やパソコンの頭脳になる部分だね」


寧音は頷いた。


「その回路を作るときに、光で焼き付けるんだ。写真みたいなものだと思えばいい」


「写真?」


「そう。昔のフィルム写真と同じだよ。フィルムに光を当てると、像が写るだろう?半導体も似たようなことをしている。回路の形を光でシリコンに写していくんだ」


「へえ……」


寧音は少し驚いた様子だった。


「でも回路はものすごく小さい。これから先は髪の毛よりもずっと細くなっていく。だから普通の光じゃだめなんだ。とても強くて、特別な光が必要になる時代が来る」


「それがさっき言ってたレーザー?」


「そう。エキシマレーザーっていう特別な光で、ナノメートルっていう単位の、とても短い波長の光を使う。今はまだ300とか200ナノメートルだけどね」


寧音は首をかしげた。


「ナノメートルって?」


私は笑った。


「1メートルの10億分の1が、1ナノメートルなんだよ。やがて5ナノ、3ナノって回路の世界が訪れるだろうね」


「……想像できないわね」


「普通はそうだよ。でもそのくらい小さくないとダメな時代が来る。手のひらサイズの板に魔法のような機能を持たせるにはそれが必要になるんだ」


私は結論を言った。


「その光を作る会社が、さっきのギガフォトン。でもそれだけじゃ半導体は作れない」


寧音は呆れたような顔をして言った。


「まだ何かいるの?」


「たくさんいる。例えば」


私は指を折りながら説明した。


「光をレンズで集める会社。光を通す特別なガラスを作る会社。闇を切り裂くレーザーの会社。

そして全部をまとめて制御する会社と巨大な装置にする会社」


寧音は少し無言になり、何かを考えているみたいだった。


「話を聞いていると、レンズは鏡、ガラスは玉、レーザーは剣みたいに感じるわね。『三種の神器』というか。つまり……光の専門家を全部集めるのね?」


私は大きく頷いた。三種の神器という表現は正しいかもしれないとも思った。


「そう。今はオランダの会社がアメリカ企業と共にそれをやっている。これから回路はもっと小さく、複雑になっていくから、将来的に世界中の半導体工場は、その会社の装置がないと動かなくなるだろうね」


寧音は目を丸くした。


「そんなに大事なの?」


「ものすごく大事だ。もしその会社が止まったら、世界中の半導体工場が止まるようになると思うよ。大袈裟に言えば国家が従わざるを得なくなる存在になるんだよ」


私は少し間を置いて言った。


「だから国家の安全保障を高める意味でも、日本であと一つ作る」


寧音はしばらく黙ってから笑った。


「なるほど。なんだかやっぱり藤一郎らしいわね」


「どういう意味だい?」


「いつもそうじゃない。誰も気づいていない一番大事な場所を取る」


私は苦笑した。


「まあ、そうかもしれない」


寧音は腕を組んで少し考えてから言った。


「新しい会社の名前は、世界の闇を照らす光……そんな感じがいいんじゃない?もう一社はオランダのASMLよね?」


「そう。Advanced Semiconductor Materials Lithographyの頭文字を取った会社なんだ」


「……そっか。じゃあ、思い切って、ASMLと似たような名前にしない?ちょっと考えてみるね」



翌日、寧音は意味ありげな笑顔で、彼女が一晩考えた案を言った。


「三種の神器で思いついたんだけど、社名は『Advanced Materials and Technology for Extreme Radiation Applications』の頭文字から採用するのはどう?」


「長い社名だねえ……ええと、その頭文字を並べるとどうなるのかな?」


「A・M・A・T・E・R・Aよ。並べて読むと『アマテラ』ね」


「……三種の神器が関係すると言ったね?外国人には理解できないだろうけど……最後に『ス』が加わったら、日本の最高神の名前になるのか……皇室の祖先神から命名するなんて、とっても危険な匂いがしてヤバいんじゃないのか?」


「言いたいことは分かるわ。だから最後の一文字は敢えて付けない。それでも、理想の名前でしょ?」


そういえば、一文字違いの大手製薬会社とか、ちょっと似ているガス会社があったなと思い出した。もっとも……両社とも、神様にちなんで付けた名前じゃないとは思うが。

寧音は自信があるみたいで胸を張って言った。


「ぴったりな名前だと思うのよね。闇を照らす太陽の女神。一度は隠れるけれど、再び姿を現す……日本の復活を象徴する名前に相応しいでしょ?」


「いいとは思う。だけど、日本人にはぎりぎりセーフでも、外国人はどう受け止めるかな?シリコンバレーに半導体製造装置のアプライド・マテリアルズ(AMAT)があるからね。AMATの時代(ERA)を終わらせる、という宣戦布告に受け取られると厄介だけれど」


それだったら似たような発想で、「ヒミコ」はどうだろうかと一瞬、思った。中国人は「卑弥呼」なんて見下した文字を使ったけれど、そもそも、あれは人名じゃなくて役職名だろう。


現代の日本語で表現したら「日御子」あるいは「日巫女」だろうか。太陽を司るシャーマンで、西暦247年か248年の皆既日食の発生により、その権威を落としたとする説があったし、天照大御神の「岩戸隠れ」とは日食が神話化されたものだという説もあった。


同一人物がモデルかどうか、また、箸墓古墳に関係するかもわからない。つまりは……いずれにしても皇室と無関係とは思えないから、言わないほうがいいな。


まあ、既存企業との商標衝突や宗教的解釈については、小二郎の率いる法務に処理してもらおう。A-MATERAにすれば逃げられないこともない?かな。

せっかく寧音が考えてくれたんだから何とかしよう。


「よし。外国人には理解できないほうがいい。いずれ、世界がこの言葉に意味を与えるだろう」


そう言いながらも、天照大御神を連想させる名を掲げることに、私は畏れを感じていた。

だからこそ最後の一文字は加えない。神の名をそのまま名乗るのではなく、あくまでその光の末端に連なろうとしているだけだ。

それでも、この国の光を絶やしたくないという、その願いだけは、この社名に込めたかった。

当然、社内でも賛否は割れるだろうが、ともかく新しい社名は『AMATERA』にしよう。光の技術者たちが束になる。その名の意味を、世界がいずれ自分で学ぶだろう。



12月31日深夜


24時になり、日付が2000年に変わった。あと1年で21世紀だ。西吉野の自宅と地区全体は、柚野山の頂上と、集会所の近くにある古いお墓の、さらに上部にある平坦な場所に建てられた照明塔からの強烈なLEDサーチライトの光によって、東西から淡く照らされている。


「ところで藤一郎……」


寧音がいたずらっぽく微笑んだ。


「20世紀はあと1年で終わるけど、21世紀の目標は何なの?」


「そうだね。日本企業を再生して強くする。そのことによって中国に主導権を渡さない、というより、日本が先に失速しないようにすることだね」


それが今後、どのような作用と反作用を生むのか。私にも想像できなかった。だが寧音に言ったように技術の流れを制御できれば、その分、日本の未来と視界はクリアになっていくだろう。


「さあ、始めようか」


私は静かに言った。


「21世紀の『ものづくり』は、過剰な多機能ではない。圧倒的な信頼性と、戦略的な引き算だ」



豊臣グループ 新たな傘下企業一覧


①株式会社ヤタガラス


②ネクサス・セミコンダクタ・マニュファクチュアリング・カンパニー


③株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)


④株式会社ギガフォトン。

小松製作所と豊臣の合弁企業。半導体用エキシマレーザーを製造。


⑤AMATERA

ワイドギャップ・浜松ホトニクス・オハラ・ミノルタカメラ・ギガフォトンのそれぞれ一部を合体させて誕生した半導体フォトニクス企業。オランダのASMLを凌駕する売上を目指す。



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― 新着の感想 ―
すでにヤタガラスがあるのに、アマテラスはだめか? そもそも皇室とかどうでもいいと思うけどな
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