日本復活④ 本社移転 後編
1999年(平成11年)6月初旬
私たちは五條に来ていた。
そこで小二郎が編成した開発プロジェクトの主要メンバーと打ち合わせを行った。彼らは大手建設会社や設計事務所などから選抜されたエース級の人物たちで、各社が現在の建設不況の中にあって、いかにこのプロジェクトに期待しているかが窺い知れた。
私たちが提示したのは、日本の全ての建設会社が参加する国家プロジェクト級の開発計画だったのだから、これは当然かもしれない。
奈良県五條市。そこにはまだ、小二郎が買い占めた休耕地と、深い緑が広がっているだけだった。
だが、私の脳裏には、ここに建つべき豊臣グループの、あるべき中枢の姿が鮮明に浮かんでいた。
ここは紀伊山地が始まる場所で、南に行くにつれて山は深く、高くなっていき、標高2000メートルクラスの山々が屏風のように連なる紀伊山地本体へとつながる。
現在、この街の人口は3万5000人強。
何もしなければ漸減していくのは、少子高齢化の声が聞こえ始めた現在では日本全国共通の現象だろう。現実問題として空き家が増えてきており、地価も安く、買収は比較的容易だったらしい。
ここに私は新たな街を築く。
この吉野川の南側にある、狭いながらも貴重な土地を整備して、そこにリニアと地下鉄の駅を建設する予定だ。リニアは名古屋と亀山、名張、五條、和歌山、紀淡海峡を超えた先の徳島、伊予三島、東温、更に豊予海峡を越えて九州へと至り、大分、宮崎、都城、終着駅の鹿児島までを結ぶ予定で、五條から西は中央構造線を一回も超えない想定だ。
一方で関空~五條間のアクセスリニアも別途建設する。これが完成したら、関空までは15分以内に結ばれることになるだろう。
まあとにかく、私は、私を含めてスティーブやジェンスンなど、主なメンバーが住まいとする場所を見つけなくてはいけないのだが、特にスティーブを繋ぎ止める口実となり得る場所にしなくてはいけなかった。そして私の希望としては、とにかく静かな環境に住みたかった。
だが同時にそれは寧音の承認が絶対に必要だとも感じた。彼女に承諾してもらわねば移住できない。
「俺たちが住む場所を決めたいんだが、できれば修験道の聖地が見えたほうが、スティーブにアピールしやすいんだけどね」
「そうよねえ……藤一郎はそれと同じくらい、それ以上かしら?静かな場所に住みたいんでしょ?」
私の気持ちなんて、とっくの昔にお見通しらしい。私は寧音に解決策を提示しつつ懇願した。
「うん。俺が静かな場所に住みたいというのは本音だ。交通アクセスだったら、何とか対応するから許してほしい。それに、スティーブに気に入ってもらうためにも、とても大切なんだ」
「私は問題ないわよ。もっとも……東京以外に住んだことがないから自信はないけれど、これもいい経験になるでしょうね」
良かった。なんとか寧音の承認が得られたので、地図を見て確認すると同時に情報収集をしつつ、適切な場所を探していたのだが。
偶然とは恐ろしいと改めて感じた。
2年ほど前に寧音と一緒に見た映画。カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した作品のロケ地が、五條市のすぐ南側の西吉野村という場所に存在していたのだ。しかも大峰の聖地が遠望できる可能性があった。
「寧音。あの映画を覚えているだろう?
俺はあれから何度も夢で見たんだけど、あの場所が五條の近くにあるんだ」
「本当に?……もしかしたら何かのお導きかもしれないわね。下見に行くんでしょ?」
「もちろんだ」
早速、私は寧音と一緒に現地に向かったのだが、映画では紹介されていない部分も多く、全体的にとんでもない山奥で、急斜面に張り付くように40軒ほどの民家が点在する集落だった。
しかも映画の中でも感じたが、過疎化と高齢化が同時に進行しており、民家の大半は空き家だった。
中腹にある集会所を過ぎたあたりで、道は二手に分かれていた。
一方はお寺の方向へ、もう一方はなおも山の上へと続いている。
私たちはそこでクルマを降りて雰囲気を確認した。谷を挟んだ正面にはお寺が見えているが、この場所からは大峰の聖地は見えなかった。それでも。
「……静かだね。予想通り、とても落ち着く場所だ。それに空気がきれいだ」
「そうよね。でも大丈夫かしら?アメリカ人って、こんな環境を見たら卒倒するんじゃないの?」
東京の喧騒が嘘のような、静寂に満ちた世界。いや、静かすぎる環境と表現できるだろう。聞こえてくるのは風の音と鳥のさえずり、そしてはるか下を流れる川の音だけだった。
こんな環境に身を置けば感性が研ぎ澄まされるのではないだろうかと、実のところ私はすでに住む気になっていた。後ろを振り返るとすぐ上には明らかに空き家と分かる大きな家が建っていた。
「この家は趣があっていいんじゃない?
内外装ともに手入れは必要となるけど住みやすそうだ」
寧音も外から家を眺めて言った。
「二人で住むには広すぎるくらいね。藤一郎がいいのなら私はここで構わないわよ」
よし、ここに住むことにしよう。
そして、そこからさらに登っていくと、期待通りに大峰の聖地が見える場所があった。
烏帽子に似た特徴的な山容の稲村ケ岳。その隣が聖地・山上ヶ岳だ。これはスティーブが気に入ってくれるのではないだろうかと期待した。
同時に、以前の記憶が突然蘇った。ミノルタカメラの井伊さんの自宅があった場所に少し似ていたからだ。いや、こっちのほうが傾斜はキツいし圧倒的に不便な場所だ。あの時、井伊さんは「山奥で暮らすと悟りが開ける気がする」と言っていたが、ここに実際に住んだらどう思うのだろうか。
その後、途中まで降りて、集落の最も奥にあったお寺の境内から、集落全体を眺めたのだが。
「全体的に日当たりが素晴らしいね。しかも外界から閉ざされた隠れ里の趣すらある」
「確かにそうよね。でも、いくら聖地が見えるからといっても、不便すぎるんじゃないかしら?」
そう寧音は疑問を口にしたが、確かにそこが問題だった。
「……まあね。だけど最後はスティーブに決めてもらおうと思う」
とにかく、スティーブの承認が得られ次第、ここに豊臣グループのCEOたちが住む場所を作ろう。
五條に戻り、開発メンバーと今後の計画を立てた。
まずはあの場所までの交通手段だ。
このままというわけにはいかないから、西吉野村の村役場の近くから、あの集落までのトンネルを掘って直結する計画を立てた。そのトンネルの長さは2.5km。
川沿いの道を利用すると20分以上かかったはずだが意外に近い。
その分、トンネル内部の傾斜はややきついが、車両通行は可能と判断された。工事の難易度は高いと想定して建設費用は300億円。これは同時に計画されている紀伊半島縦断道と排水トンネルをセットで建設するついでに工事することになった。
これでアクセスは格段に向上するし、セキュリティ面でも万全だ。辿り着くのが難しい場所とは防衛に適しているからだ。
研究所の場所も決めた。それはあの集落のすぐそばにそびえる「柚野山」という名の山の頂上だった。使用目的もまだ公表できないが決めている。リーマンショックの頃には、世界が壊れていくのを横目で見ながら、日本の山中で新しい産業が完成していたという状態になるだろう。
7月初旬。
関西国際空港のプライベート機専用スポットに、一機のガルフストリームが降り立った。 タラップを降りてきたのは、スティーブ・ジョナス。
トレードマークのイッセイ・ミヤケの黒いタートルネックではない。現在の彼はまだ、少しサイズの合わないジーンズにシャツという、復活途上の経営者の装いだった。
彼の隣には夫人のロリーンと子供たちも一緒だった。
スティーブは私の顔を見るなり、私を射抜くような視線で見つめた。
「トイチロウ、私たちが住む場所を見つけたって?いいところなんだろうね?」
いきなりの本題だった。せっかちな彼らしいが、私も負けず劣らずだから他人のことをどうこう言えない。
「そうだなスティーブ。まずは五條市の本社建築予定地へ行こう。君が追い求めている『禅』の真髄がそこにあると思うぞ?」
私は彼を、用意していたヘリに乗せ、一気に金剛山地を越えた。 五條の予定地に降り立ったスティーブは、周囲に何もない風景を見て鼻で笑った。
「こんな田舎で、世界を変えるだと? 冗談はやめろ。ここに未来なんてないだろう?」
「そうじゃないんだ。1400年以上昔、ここから20キロほど北に行った場所で、日本の国家としての形が決まった。歴史は繰り返すんだよ、スティーブ」
彼は黙った。彼は地面にしゃがみ込み、五條の土を指先でいじりながら、何かを必死に計算しているようにも見えた。
「……ジェンスンやラリーたちも来るのか?」
「ああ。彼らはすでに、この場所を『中枢』とすることに同意し始めている。ただし、条件がある。君がここの『クリエイティブ・ディレクター』として、全製品の統合デザインを統括することだ。Appleの製品管理者でありながら、五條の主にもなってもらう」
「クレイジーだ」 スティーブは笑った。
だが、その瞳には、彼がNeXTを創業した時を上回る狂気が宿っていた。
その後、私と寧音はスティーブ一家と共にワンボックスカーに乗り込み、目的の集落へ向かったのだが、彼らの表情は次第に曇っていった。それは彼らが想像していた以上に辺鄙だったからだろう。
五條から川沿いに国道168号線を南へ進むと、すぐに平地は終わり、山が左右から迫ってくるような風景となる。山は徐々に高くなっていき、トンネルを五つ過ぎて、国道から県道49号線へと入ると道はさらに狭く、センターラインの存在がなくなる。そしてカーブの角度も鋭角となっていく。
当然だが車体は左右に大きく揺れ動き、カーブのたびに車体が振り回され、シートに押し付けられるような横揺れが続くと、スティーブ一家の表情はさらに曇っていった。
最後は県道を左折して村道へと分け入るのだが、ここからは急斜面を登ることになる。しかもガードレールが設置されていない場所が多く、スティーブの顔は引きつり、家族は悲鳴を上げ続けた。
アメリカ西海岸にこのような場所は存在しないだろうし、これほど細く、曲がりくねった山道など初めての体験だろう。日本人の私ですら、最初に来たときには命の危険を感じたほどなのだから。
そんな彼らの悲鳴など聞いていないとばかりに、クルマはさらに細い道を蛇行しながら登っていく。
一瞬でもハンドル操作を誤ると谷底へ転落する恐怖に加えて、木立に囲まれ薄暗く湿った周囲の雰囲気はどこまでも陰鬱だ。
そんな景色は、やがて突然開ける。最初に来たときには天空の隠れ里に来た感覚だった。相変わらず急こう配で道も狭く、対向車が来たら絶対にすれ違いできないような道幅であっても、景色が綺麗に見えるだけで彼らの表情は緩んできた。
そんな道をしばらく進むと、ようやく登りから平坦路へと変わり、昔は小学校だったらしい集会所を過ぎると、私の住む予定の空き家が左手に見えてきた。スティーブに用意した家はここから分岐した道路をさらに登ったところにあるが、一旦ここでクルマを降りて深呼吸してもらった。
クルマには相当な負荷が掛かっているらしく、普段あまり嗅いだことのない異臭が漂ってくる。
「なんて場所を選んだんだ」
それが彼の第一声だった。
彼の家族はというと……山と緑しかない周囲の景色に言葉を失って呆然としている。少々、刺激が強すぎたみたいだが、果たして気に入ってくれるかどうかが心配だった。
私は家の入り口近くの斜面を指さしながら言った。
「この家の横からトンネルを掘って、五條の近くまで直通で行けるようにしようと思っているから、その間は我慢してほしい」
スティーブは呆れたような表情で言った。
「……ここをわざわざ選んだ理由はなんだ?トイチロウには明確な狙いがあるはずだ」
「そうだな。それを説明するには、君の住む予定の家まで行く必要がある」
そう言って私は彼らをさらに標高の高い、とある一軒家まで案内した。もちろん、ここも空き家となっている。
私はクルマを停めて一家を案内した。
「ここだ。そして、あそこを見てくれ」
私はクルマを降り、空き家の庭から遠くに見える山々を指さした。
「あの向こうに先端が尖った山が見えるだろう?以前に言ったと思うが、あの山の隣が『修験道』という日本古来の山岳宗教の聖地なんだ」
「……禅との関りが深いと言っていた場所が……あそこなのか?」
「そうだ。この家の縁側からよく見える。私もたまにここから見て、心を落ち着かせているんだ」
私がそう言うと、彼の表情は明らかに肯定的なものへと変わり、周囲を見渡しながら言った。
「そうか。なるほど……そういう目で見ると、ここはノイズのない環境だな」
どうやら気に入ってくれたらしい。今すぐというわけではないだろうが、近い将来、彼は奥さんを説得してここに住むだろう。彼女は「とんでもない」と言いたそうな顔をしているし、子供たちはどうだかわからないが……
その後、私たちは今後の計画を話し合った。
「トイチロウのマスタープランを聞かせてくれ」
スティーブは縁側に腰を下ろし、稲村ヶ岳を眺めながらそう言った。
「まず五條に本社を建てる。それと並行して、あの山の上で研究所を建ててプロジェクトを進める。目的はまだ言えないが世界が驚くものが完成するはずだ」
「なるほどな……世界の誰も想像すらしないことが、この山奥で生まれるというのだな?」
私は思わず苦笑した。彼は私の計画の全貌など知らないはずだが、勘が鋭い。
「人類が想像していないような画期的なものが、日本の山奥で生まれる。それがどれほど劇的な絵になるか、君なら分かるだろう?」
スティーブはしばらく黙っていた。
「……スタート地点として、悪くない」
それだけ言って、また山を見た。
彼の横顔には、かつてのNeXT時代の、あの飢えた表情が戻りつつあった。




