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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ。   作者: 織田雪村
第五章

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覇王への道⑤ AT&T買収 後編

1998年(平成10年)3月 ニューヨーク


私たちは宿泊するホテルに到着し、今後の打ち合わせを行った。


現時点でのAT&Tは、巨大さゆえの機能不全に陥っている。長距離電話の収益は落ち込み、インターネットという新興勢力への対応に遅れ、株価は低迷中だ。肥大化した組織と、過去の成功体験に縛られた経営。その歪みが、あらゆる意思決定を鈍らせている。

たとえるなら絶滅寸前の恐竜のような存在。


「いいか、寧音、小二郎。これから世界は『データ』の時代になる。検索が情報を整理し、半導体が計算を処理し、ソフトウェアが思考を補助する。その器が端末だ。だが、それらすべてを繋ぐ神経がなければ意味がない」


携帯電話の可能性について理解を深めている小二郎は、それでも私に質問してきた。


「それは何となく分かるつもりですが、なぜ今なんですか?」


そう疑問を口にした。まあ、当然の疑問だろうし、前世の記憶を持つ私にしかできない判断だ。

私はできるだけ簡単な言葉で説明した。


「今しか買えないからだ。おそらくは数年以内に皆が気付く。彼らが本当の価値に気付いてからでは、とても手が出せなくなる」


「でも兄さん。AT&Tなんて、一企業の資本でどうこうできる規模じゃないでしょう?」


小二郎の言葉に、私は首を振った。


「誤解するな。AT&T本体そのものを買うつもりは最初からない。そもそも全部買おうと思えば天文学的な資金が必要になるし、アメリカ政府は絶対に許可しない」


私はテーブルに広げた全米の通信網図を指でなぞる。


「俺が欲しいのは通り道の一部だけだ。東西を結ぶ幹線、主要なインターネット接続点、そして海底ケーブルとの接続拠点。そこだけを押さえられたら今は十分だ」


そこにソフトバンクが味方に加わってくれていたら良かったのだが。だがまあ悔やんでも仕方ない。

そんな私の後悔を知ってか知らずか、寧音が静かに問いかけてきた。


「……設備はどうするつもりなの?」


「設備は買わない。出資と特許を通じて間接的に参入するからね。保守も従業員も負債も、すべて相手に残した方がいいだろう。映画館で言えば、映画館そのものは買わない代わりに、年間契約の特等席だけを買うようなものだと思ってくれていい」


二人の表情が変わった。小二郎が息を呑む。


「つまり……通り道の一部を、長く借りるってことですか?」


「そうだ。ただし普通の利用者より少しだけ優先される条件付きでな」


完全な支配ではない。だが、流れの中で有利な位置を取ることはできる。


「すべてをコントロールすることはできない。でも、一部の重要な流れに関しては、こちらが有利になる。そういう形だ」


寧音が小さく頷いた。


「無理のないやり方ね」


「その代わり、相手にもメリットがある。使われていない部分を収益に変えられるし、設備投資の負担も軽くなる」


小二郎が納得したように息を吐いた。


「なるほど……だから今なら話に乗る可能性がある、と」


「そういうことだ」


それは私が前世で見聞きした事実だった。

タイミングは今しかない。


「それでも豊臣が単独で契約すれば、目立つし反発も買うだろう。しかも規制当局の承認は必須になるから非常にまずい」


「だから表に出ないように気を配るというわけですか」


「そう。その通りだ。今はまだ大人しくしておいた方が利口だろう」


そう言いながら私は電話を手に取り、ニューヨークの投資銀行へ指示を飛ばした。


豊臣グループの資金は、株式ではなく、権利と契約へと流し込まれる。表には出ないが、確実に優位へと繋がる場所へ。



1998年3月 ニューヨーク・ウォール街 投資銀行会議室


重厚な石造りのビルの会議室。

テーブルを囲むのは、AT&Tの幹部だけではない。


投資銀行、インフラファンド、そして規制当局への説明を前提とした法務担当者たち。

今回の案件は、単なる企業間取引ではなく、“承認されること”を前提に設計されたパッケージだった。


私は資料を開いた。


「我々は全体を買うつもりはない。対象は限定的だ」


そう宣言すると、AT&Tの役員たちの表情が一気に曇った。期待外れだったのだろうが、私は気にせずページをめくる。


・特定の回線区間への共同投資

・使われていない光ファイバーの長期利用契約

・海底ケーブル接続点への資金提供と引き換えの優先利用権


「これらに対して資本を入れる。その代わり、20年規模の使用権をいただきたい」


AT&Tの役員の一人が眉をひそめた。


「設備ごと買うのではないのか?」


「その必要はない」


私は即答した。


「設備はあなたたちが保有し、維持すればいい。我々はその上を流れる“トラフィックの一部”に対する、契約上の優先枠を求めているだけだ」


別の役員が口を開く。


「優先枠、とは何を指している?妙な契約内容は、通信の公平性を担保できなくなるから認められない」


「企業向けの通信など、品質が重要なものに限る。一般利用者に影響を与えるものではない」


『検閲ではない』と、あえて言葉には出さない。

だが、この場にいる全員がその違いを理解していた。


数秒の沈黙。


やがて投資銀行側の担当者が口を挟んだ。


「つまり今回のスキームは、我々にとって遊休資産の収益化と設備投資負担の軽減を同時に実現するもの、という理解でよろしいか?」


「その通りだ」


私は頷いた。


「あなたたちは負担を軽くする。我々は将来の流れに対するポジションを得る」


AT&T側の空気が変わる。

最初に漂っていた『期待外れだ』との色は消え、代わりに計算の色が浮かび始めていた。


「……なるほど」


先ほどの役員が腕を組む。


「全体を売る必要はない。だが、使われていない部分は収益化できるわけか」


「そういうことだ」


私は続けた。


「なお、本件は単独では行わない。複数の投資主体を組み合わせることで、規制上の問題はクリアする前提で設計している」


法務担当が小さく頷いた。

この時点で、もはや無理な提案ではなく、検討可能な案件へと変わっているのだろう。


「……いいだろう」


やがてAT&T側の責任者が口を開いた。


「詳細条件は詰める必要があるが、その方向で進めよう」


私は軽く息を吐いた。第一関門は越えた。



1998年3月末


契約は段階的に成立した。

総額は約10億ドル規模。だがそれは単一契約ではなく、複数案件の積み上げだった。すべては分散され、表には出ない。だが確実に情報の通り道の一部へと繋がっている。


「兄さん……これ、本当にこの金額で済んでるんですか?」


小二郎が震える声で言う。


「済んでいるさ」


私は窓の外、マンハッタンの街を見下ろした。


「彼らは重さを売り、我々は流れを買った。それだけの話だ」


寧音がぽつりと呟く。


「……大事な神経だけ確実に抜き取った、ってことね」


私は小さく笑った。


「そうだ。恐竜の身体はまだ生きている。だが、そこを流れる信号の一部はこちらを通る」



1998年3月が終わろうとする頃。


東京では、孫勝利が「いつか日本をひっくり返してやる」と野心を燃やし、街中でモデムを配る準備を始めているだろう。彼は日本という土壌を耕す道を選んだ。


一方、ニューヨークの私は、世界を繋ぐ海底ケーブルと、全米を網羅する通信網への影響力を、音もなく高めつつあった。


「兄さん……。結局、ソフトバンクより大きな買い物になっちゃいましたね」


小二郎が、手元の成約リストを見て呆然としている。


「小二郎、これが歴史のレバレッジだ。ソフトバンクは買えなかったが、我々は世界最強の『神経系』を手に入れるチャンスを得た。我々は、いずれソフトバンクを上回る地球全体の情報を流通させる主役になって見せる」


寧音が窓の外、自由の女神の方角を見つめながら言った。


「日本じゃ今頃、また不景気なニュースを流してるでしょうね……ねえ藤一郎。あなたの希望が達成されたとき、世界はどう変わるの?」


「情報を湯水のように使える時代になる。そして……携帯電話の世界でも革命が起きるだろうから、次はそこに挑戦してみよう。そうなれば社会は我々の作ったアルゴリズムの中で思考するようになる。100万ドルで買ったGoogleが脳になり、AT&Tが神経になり、NVIDIAが筋肉になるんだ」


ただし、問題が全くないわけではない。

私の今回の動きをアメリカ政府、特に情報を司る部門の人間たちはこれをどう見てどう動くか。彼らを刺激しないよう細心の注意を払ったつもりでも、彼らはそれをどう判断するだろうかという点だ。

このあたりはさすがに分からないが、この問題を見過ごすとも思われないから、そろそろ何らかの動きがあっても不思議ではない。



1998年4月初旬


私たちはまだニューヨークにいた。

様々な情報の整理が必要だったし、詰めの交渉も残っていたからだ。その一環でAT&T主催のパーティーが行われたので3人で参加した。


パーティーの雰囲気は概ね友好的なものだったが、その奥には、自らの設備には一切手を触れさせずに豊臣から資金を引き出したという、彼らの勝利の余韻が漂っていたのを私は見逃さなかった。

まあ今はそんな気持ちに浸っておけばいいだろう。私と彼らとでは見ているものも価値観も違う。そう思った次の瞬間、危機はすぐそこまで来ていた。私の狙いを正確に察知したと思われる人物が静かに近づいてきたのだ。


その人物は身のこなしから見て軍人で、明らかに政府側の人間だった。

目つきや言葉遣いから、軍に属する国家安全保障局の高官だろうと当たりをつけた。


「通信インフラへの外国資本の関与は、慎重に見ている」


やはり彼はそう言った。


「理解している。我々は支配を求めていない。あくまで投資家だ」


私は即座に返す。ここは協力の意思を示す必要がある。


「ただし、合法的な要請に対しては全面的に協力する」


ここでいう合法的要請とは裁判所命令か、既存の通信傍受法の範囲内での協力を意味する。

そう言うと、しばらく私の目をじっと見ていた男は短く頷いた。


「とりあえずはそれで問題ない。我々は無秩序を嫌う」


男は満足したように頷き、パーティ会場の喧騒へと消えていった。


「国家機密の統制に関する法律も、スパイを防ぐ法律も持ち合わせていない日本が、身の丈に合っていない情報を握ることは危険だ」


彼が最後に残した言葉がそれだった。それは……否定できない現実だった。


何とかアメリカからの干渉は最低限で済んだが、これが数年後だと資本参加も不可能だっただろう。911テロによって通信傍受の必要性が飛躍的に高まるからで、我々の介入など、到底認められなかったはずだ。


ともかくこうして私は、アメリカのインフラを押さえる立ち位置を、この1998年の春に固めた。

アメリカ政府や情報機関からの干渉は何とか回避できたと安堵したが、私にとっての災厄はここから始まる。


豊臣グループ関連企業


『株式会社ピクセルジョイトロン』

『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』

『ミノルタカメラ株式会社』

『浜松ホトニクス株式会社』

『株式会社オハラ』

『日亜化学工業株式会社』

『Apple』

『Google』

『NVIDIA』

『株式会社ジャストシステム』


その他

『AT&T 海底ケーブル・無線通信利用権の一部』

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