覇王への道④ AT&T買収 前編
1998年(平成10年)3月 東京
次の目標はソフトバンクだった。
この会社は本格的な通信事業へ進出する前の段階で、Yahoo!社とソフトバンクの合弁でYahoo! JAPANを設立している。
また、衛星放送にも進出しており、スカイパーフェクTV!(スカパー!)にも関わるようになるだろう。
ソフトバンクが本格的に通信事業に乗り出したのは、21世紀に入ってからだったと記憶している。家庭向けを含めたネット環境の整備に伴ってのADSL事業で、当時は街中で「ADSLモデムを無料で配る」という破天荒な戦略で話題になったのはよく覚えている。
その後は固定電話市場への参入と日本テレコムの買収を経て、さらにはボーダフォンを買収し、移動体通信事業に参入する。つまり「携帯のソフトバンク」になっていくのだ。
今日の東京は、乾いた風が吹き抜け、高層ビルの窓ガラスが初春の低い陽光を冷たく反射していた。街を行くサラリーマンたちの背中は、昨年末から続く金融不況の重圧で一様に丸まっている。日本全体が「次はどこが消えるのか」という見えない恐怖に怯え、守りに入っていた。実際に次に消えるのは、日本長期信用銀行(長銀)だろう。
私は赤坂にあるソフトバンクの本社ビルを見上げていた。ここには、私以外では日本で唯一といっていいほど、未来への飢餓感に突き動かされている男がいる。
孫 勝利。
ソフトバンクグループという巨大帝国の影はまだ薄く、世間からはよく分からない会社と冷ややかな目で見られることも少なくなかった時期だ。
私は寧音と小二郎を伴い、応接室で彼を待っていた。これから行うのは、21世紀のインフラを丸ごと飲み込むための「時間短縮」の交渉だ。
正直に言えば、私には自信があった。過剰なほどの自信が。
シリコンバレーでの成功が続いていた。スタンフォードの学生たちから技術を取得した件も、想定より遥かにスムーズにいった。私はいつしか、「正しい未来を知っている人間」という慢心を、鎧のように身につけていた。
それが、この交渉の最大の失敗だったと、後になって気づくことになる。
「木下さん、あなたの噂は聞いています。シリコンバレーで、今度はあのスタンフォードの学生たちの技術を買い取ったとか」
孫は独特のエネルギーを放ちながら部屋に入ってきた。その目は、現在の不況など見ていない。遥か数十年先のデジタル情報革命を見据えている目だ。同じような目をした人間と向き合うのは、久しぶりだった。
「孫さん。単刀直入に言います。あなたのソフトバンクを豊臣グループの傘下に収めたい。あなたの野心。それらすべてを私の資本で一気に加速させたいんです」
私は彼に負けないように、目に力を込めて言った。
それに対して孫の眉が動く。
「……驚きましたね。私も同じことを考えていましたよ」
私は、手応えを感じた。そこが間違いだった。
「だが、木下さん。それは私があなたを買収するという考えだったのです」
彼は不敵に笑った。
「私は、資本が欲しいんじゃない。私は『志』を成し遂げたいんだ。ソフトバンクというエンジンを動かすハンドルを、他人に渡すつもりはない。100%の支配権を譲れというなら、たとえ1兆円を積まれても、この話は受けられない」
「では、40%でどうですか」
私は畳みかけた。後から思えば、この一言が致命的だった。支配権ではなく「出資」という形に切り替えれば、あるいは違う展開になったかもしれない。だが私は、傘下に収めることだけを考えていた。未来を知っているがゆえの、恐ろしいほどの視野狭窄だった。
「40%でも20%でも同じです。ソフトバンクの意思決定に他人の声が入ること自体が、私には耐えられない」
彼は静かに、しかし明確に言い切った。その言葉には怒りも焦りもなく、ただ揺るぎない確信だけがあった。
交渉は数時間に及んだ。
小二郎が「兄さん、これ以上の条件提示はリスクが大きすぎます」と耳打ちし、寧音も「この人は、誰かの下につく器じゃないわ」と冷徹な評価を下した。
彼らの言う通りだった。私はそれを、交渉が始まる前から分かっていたはずだった。未来の記憶の中の孫は、誰の傘下にも入らず、自らの帝国を築き上げた男だ。なのに私は「資本力さえあれば、あるいは」という根拠のない楽観に引きずられた。
孫は、最後まで首を縦に振らなかった。
「残念です、孫さん。あなたとは最高のパートナーになれると思ったが……」
「木下さん」
席を立ちかけた私を、彼の声が引き留めた。
「あなたは、なぜこの世界の未来まで見通すような動きができるのですか?圧倒的多数は気付いてはいないだろうが、私にはあなたの野望が手に取るようにわかるんです」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
「……リサーチです。業界の構造を読めば、おのずと見えてくる」
「そうですか」
彼は、それ以上は追わなかった。だが彼の目は「信じていない」と言っていた。私が何者で、何を知っていて、なぜここに来たのか。彼はおそらく、正確には分からないまでも、何かを嗅ぎ取っていた。
それが、かえって怖かった。
ビルを出ると、冬の風が容赦なく頰を打った。
「兄さん、失敗しちゃいましたね。ソフトバンクを逃したのは痛手じゃないですか?」
小二郎が不安げに尋ねてきた。
「……痛手だ」
私は素直にそう言った。格好をつける気力が、少し萎んでいた。
「ごめん。俺の進め方が悪かった。最初から傘下という形ではなく、対等なパートナーシップを提案していれば、もしかしたら違う結果になっていたかもしれない」
寧音が意外そうな顔をした。私がそういう言い方をするのは、珍しかったのだろう。
「後悔してるの?」
「している。孫さんを見くびっていたわけじゃない。でも、これまで順調すぎた慢心が、逆に交渉の幅を狭めた。勝ちすぎることの弊害、というやつだ」
私は空を見上げた。凍てつく空だった。
「……まあしょうがない。ただ、あそこに乗れなかったという事実は、しばらく胸に刺さり続けるだろうな」
小二郎は黙っていた。慰めの言葉を探しているのかもしれなかったが、私は続けた。
「情報通信の真の主戦場は、日本じゃない。次はアメリカの心臓部を叩く。それは変わらない」
ただ、今日ほど「知っていること」と「できること」の間にある深い溝を、痛切に感じたことはなかった。
私たちはその足で成田へと向かい、ファーストクラスのシートで次なる買収リストを広げた。
そこにある名前は、ソフトバンクとは比較にならない、巨大な「恐竜」の名だった。
AT&T(American Telephone & Telegraph Company)。
恐竜という表現にふさわしい、絶滅寸前の会社。そして電話の発明者、グラハム・ベルが創設した世界最大の通信会社。
「電話のベルが鳴る」
私は何気なくそう呟いた。隣でシャンパンを傾けていた寧音が、不思議そうにこちらを見る。
「何よ、急に。それが普通じゃない?」
「普通じゃないよ、寧音。それはこのAT&Tの創業者、アレクサンダー・グラハム・ベルの名前に由来している。つまり、日本人は100年以上も、特定の一族の名前を動詞や名詞として使い続けているわけだ。これに似た事例だとワットとかテスラが挙げられるな」
小二郎が手元の資料から顔を上げた。
「『電話のキノシタが鳴る』『あの電球は60キノシタだ』……確かにそう言い換えると、とんでもない支配力ですね。名前そのものが、概念を上書きしてしまったわけですか」
私は頷き、ペンでリストに丸をつけた。
「そうだ。そして世界には、そういう『固有名詞が一般名詞に成り代わった事例』がいくつも存在する。それこそが、市場を支配した者だけが許される、究極の勝利の形なんだ」
「アメリカで『書類をコピーする』ことを何と言うか知っているか?彼らは『Xerox it』と言うんだ。複写機という機械の名称ではなく、ゼロックスという社名が、コピーという行為そのものになった。キヤノンやリコーがどれだけ高性能な機材を作っても、彼らの日常会話というOSの中では、ゼロックスが勝ち続けている」
「日本でホッチキスと表現される事務用品もそうだ。あの紙を綴じる道具、正式名称は『ステープラー』だが、誰もそんなふうには呼ばない。あれは機関銃の発明者でもある「ベンジャミン・ホッチキス」が作ったんだが、彼の名前がそのまま定着した。日本のすべてのオフィスで、ライバル企業の製品を使っている時ですら、人々は『ホッチキス』の名を口にしている」
「機関銃とホッチキス?」
寧音はポカンとした顔で私を見ているが、そんなふうに考えたことがないのだろう。
「それから……怪我をした時、きみたちは『救急絆創膏をください』と言うか?日本ではジョンソン・エンド・ジョンソンの商品名である『バンドエイド』と呼ぶ地域が多いだろう。市場の100%を握る必要はない。人々の意識の100%をその名前で塗りつぶせばいいんだ」
なるほど、と小二郎は言った。
「筋肉痛のときに貼る湿布を、昔はトクホンと言ったが、今ではサロンパスって言うだろう?あれも似たようなものだ」
「そして……」と私は続けた。
「俺たちが手に入れたGoogleも、きっとそうなる」
小二郎が怪訝な顔をする。
「あの、検索エンジンの学生ベンチャーがですか?」
「そうだ。きっとそうなると俺は予測しているんだ。確証は……ないけどな」
今日の失敗が、まだ胸の奥に残っていた。予測できることと、成し遂げられることは、別物だ。孫勝利との交渉が、それを改めて教えてくれた。確証のない予測を語るとき、以前より少しだけ声が低くなっている自分に気づく。
電話のベルが鳴る時代を創ったのがAT&Tなら、「ググる」時代を創るのは、我々豊臣グループだ。そうありたい。だが「ありたい」と「なれる」の間には、思い知ったばかりの深い溝がある。
「だがAT&Tは今、その巨大さゆえに、自らの名前の重みに耐えきれなくなっている。彼らが発明した『ベル』を、私たちが新時代の『デジタル・ベル』に交換してやるんだ」
窓の外には、雲海に沈む夕日が、かつての巨大帝国の黄昏を暗示するように赤く燃えていた。成田を飛び立ったジャンボジェット機は、すでに日付変更線を越えようとしている。
「木下のベルを鳴らす準備はできているか?」
私の問いに、寧音は緊張した面持ちで、小二郎は不敵な笑みで応えた。
ただ私の胸の中では、高揚感と苦さが、いびつに混じり合っていた。東京に一人、今頃も眠れずに次の一手を考えているだろう男の顔が、脳裏を離れなかった。
孫勝利。彼は世間が思い描く以上の帝国を築くだろう。そしてその帝国に乗れなかったことを、10年後の私はきっと、静かに悔やむことになる。
それでも、前に進むしかない。
1998年3月。私たちはアメリカという「名付け親」たちの心臓部、ニューヨークへ到着した。




