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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第七章

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躍進期⑭ 織田の正体 後編

2008年(平成20年)11月


五條市 豊臣グループ仮本社にて


織田雪村との会話は佳境に入りつつあった。


さあ、いよいよ私の知らない未来が語られる段階に入った。この人は何を私に語ってくれるだろうか。


織田は言った。


「歴史は繰り返す。この言葉がこれからも当てはまりますやろ。あの国の崩壊は近い。総帥は上手に立ち回らなあかん」


「ただ……」と織田は続けた。


「それがいつ起こるかは、誰にも読めまへん。2020年代か、それとも2030年代か。その時期は正直、ワシにも読めまへん。方向だけは見えとる。だが、点火のタイミングは神のみぞ知るというわけです」


うん?2026年から先の未来を読めないというのか?

また、カマでも掛けられているのだろうか。

ここは次を促すためにも水を向けてみようか。


「神のみぞ知る?何だか急に話し方が変わりましたね?そこまで見えているのならば、あの国がいつ、どんな形で崩壊していくのかも話せるんじゃないんですか?」


「これはまた手厳しいお言葉で……せやけど、ワシは占い師でも予言者でもないんですわ。単なる特別秘書やということは、お忘れなきよう願いたいもんですな」


……急にはぐらかされたような、あるいはハシゴを外されたような強烈な違和感を感じて、私はしばらく黙り込んだ。


織田の言葉は、あまりにも周到に整えられていた。未来を知る者の断言でもなく、何も知らぬ者の無知でもない。あらかじめ引いた一線の上で、わざと足踏みしているような語り口だ。


「方向は見えるが、結果は見えないというんですか?」


それは逃げにも聞こえるし、警告にも聞こえる。だが、私の胸に残ったのは別の疑念だった。

彼は、本当に“その先”を知らないのではないのか。


もし彼が2026年以降の時代から来ているのなら、台湾海峡の緊張がどの段階で臨界に達するのか、人民元の信用不安がどの瞬間に表面化するのか、あるいは共産党内の権力闘争がどの事件を契機に爆発するのか、指導者の健康問題は……具体的な兆しを一つや二つ示せるはずだ。日付までは言わずとも、せめて順番くらいは。


中国共産党による一党独裁体制。


党が国家の上に立ち、政府すらその下部組織に過ぎないという構造は、二十世紀に何度も現れてきた。

第二次世界大戦時のイタリアやドイツもそうだったし、ソビエト連邦もまたそうだった。


私に言わせれば、ファシズムの必要条件を備えた歪んだ王朝だ。その体制がどのような末路を辿ったのか。未来を知る者なら、その輪郭くらいは語れるはずだった。


民衆暴動か軍部の暴走か。弾圧している周辺国の武装蜂起か。あるいはその全てか。もしくは宗教問題か。


だが彼は、それを言わない。


未来を語らぬのは、歴史改変を恐れているからか。

それとも彼もまた、私と同じ程度の視界しか持たぬ存在なのか。


私は視線を窓外へ向けた。吉野川の水面は穏やかに光を返している。だが、穏やかであることと、安全であることは同義ではない。水は、堰き止められれば必ず溢れる。


「あの国は、内需を膨らませることで外圧を相殺しようとするでしょうね」


私が沈黙を破ると、織田は小さく頷いた。


「そうでんな。外に敵を作るか、中で借金を積むか。どちらも時間稼ぎですわ。問題は、その時間を何に使うかや」


「時間を使うのは、向こうだけじゃない。我々にも同じだけ与えられています」


そう言った瞬間、自分の中で何かが定まった。未来の日時など、実はどうでもいいのかもしれない。重要なのは構造だ。構造が歪めば、いつか必ず音を立てて壊れる。その音が聞こえた時では遅い。歪みが生まれる前に、別の軸を立てておくこと。それこそが戦略だ。


織田は私の表情を読み取ったのか、薄く笑った。


「総帥。未来を当てることに意味はありまへん。未来が来たときに生き残っとることに意味があるんですわ」


その言葉は、予言の代わりに置かれた答えだった。

未来を知る者同士の対話は、結局のところ未来の答え合わせにはならない。むしろ、互いの限界を探る駆け引きに近い。特にリーマンショックが回避され、未来が変更されたこの世界では。


彼が語らなかったこと。私が問い詰めなかったこと。その隙間にこそ、真実が潜んでいる。


私は椅子にもたれ、ゆっくりと息を吐いた。


「……ならば、我々が先に盤面を整えるしかない、ということか。であれば、今のうちに動く必要があるな」


その呟きは、ほとんど独白に近かった。だが織田は、確かにそれを拾った。


「そうですわ」と織田は言い、初めて背筋を少しだけ伸ばした。


「いつの時代でも、日本は大陸に深入りしたら痛い目に遭いますねん。せやから海へ出なあきまへん。

せっかくの海洋国家なんやから強みを活かすべきですわ」


織田は確信があるらしく胸を張り続けた。


「台湾が嵐の前の凪なら、フィリピンや東南アジアはその嵐が来た時の避難港になる。避難港は、嵐が来る前に作らなあかん。来てからでは遅い」


そしてこれがまとめだと言いたげな表情で続けた。


「史上最も優れた戦略というのは、敵を倒すことやない。敵が自分で転ぶような地形を見極めて、そこに誘導することですわ」


私は窓の外を流れる雲を追いかけながら、喉の奥まで出かかった問いを飲み込んだ。


「……避難港、か。確かにその通りだ。織田さん、あなたの言う『南へのシフト』を、豊臣グループの次期中期経営計画の柱に据えよう」


織田は満足そうに口角を上げた。その皺だらけの顔には、冷徹な軍師のそれと、息子を見守るような慈父のそれが奇妙に同居している。


「それがよろしい。向こうが『海』へ出ようとするなら、我々は先にその『海』の要所に杭を打っておく。戦わずして勝つ、っちゅうやつですな」


織田との話はここで終わった。

彼が退室した後、私は一人、執務室で考え続けた。


机の上に置かれた世界地図を広げる。2026年以前までの史実を知る私にとって、織田の予測は驚くほど正確だった。だが、彼が「具体的な時期は読めない」と言ったことが、妙に心に引っかかっている。


もし彼が私よりも「未来」から来た存在であれば、台湾有事や中国バブル崩壊の決定打ともなるXデー、あるいは中国共産党の崩壊する日付を口にしてもおかしくはない。


それをしないのは、彼なりの「歴史への不干渉」なのか、あるいは彼もまた、私と同じか、それ以前の時代から来た「同類」に過ぎないのか。


「……ふふ、馬鹿げているな」


私は自嘲気味に笑った。

誰がどの時代から来たかなど、この変質しつつある世界ではもはや些細な問題だ。

リーマンショックが回避された「新しい2008年」において、中華人民共和国という巨人は史実よりもさらに傲慢に、そしてより強固な資金力を背景に肥大化しようとしている。


「4兆元の公共投資……。いや、この世界ではさらに上積みされる可能性すらあるか」


史実では「毒薬」となったその過剰な刺激策が、この世界ではより洗練された形で、あるいはより破壊的な形で牙を剥く。


私は受話器を取り、第一秘書の寧音を呼んだ。


「寧音、入ってくれ。急ぎで進めたい案件がある」


1分後、音もなく入室してきた寧音は、いつものように私の前に立った。


「織田さんとの話は有益だったみたいね?」


「ああ。それでだ。フィリピンのクラーク経済特別区、およびベトナムのダナン周辺の用地買収を加速させる。それから、台湾の半導体メーカー各社との技術提携、および日本国内への工場誘致の準備だ。これは『豊臣2010プロジェクト』の裏ミッションとして極秘に進めようと思う」


寧音は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに手元のタブレットにペンを走らせた。


「……中国市場へのリソースを削る、ということなのね?」


「いや、違うんだよ寧音。削るのではなくて、最初から数に入れないんだ。これまでだってそうだっただろう?」


ビジネスで関わりを持たず、人的交流もしない。人事面でも同様に扱う。

もちろんスマホの生産拠点も、日本国内と台湾・東南アジアで完結させるよう、AppleとGoogleには改めて指示しておこう。


私の冷徹な断言に、寧音は短く「分かったわ」とだけ答えた。


彼女はもちろん、多くの政治家や経済界の人々にとっても、経済成長著しいあの大陸国家は、内在する矛盾を差し引いても、なお余りある魅力を持つ市場と映っているだろう。


それはまた、大多数の日本国民から見ても同じように見えているのは間違いない。だが、私はその先の実態をある程度知っている。


あの国はいったん足を踏み入れれば、容易には抜け出せない沼のようなものだ。

それだけではない。合弁を求められ、企業秘密やノウハウまで流出しかねない。

そんな国への進出や投資など絶対に避けねばならない。


「嵐が来る前に、傘を売る準備ではなく、頑丈なシェルターを建てる。それが俺の仕事だ」


私はそう独りごちて、2009年のカレンダーに目をやった。

そこには、かつての歴史では日本の政界を揺るがす主民党政権の誕生や、iPadの発売が予定されていた時間が、全く新しい白紙のページとして私を待っていた。



2010年(平成22年)2月


奈良県五條市野原町 豊臣グループ新本社にて


新たな豊臣グループの拠点の竣工と、リニア新幹線などの五條駅の開業を来月に控え、私は本社ビルの内覧会に参加していた。


「立派なビルよね……」


寧音が新本社ビルを見上げてため息を漏らした。

地上400メートル、90階建ての本社ビルは、日本一の威容を誇り、周囲を圧倒していた。


「地方都市に建つビルの規模をはるかに超えている。尋常じゃないわ」


そう言って再びため息を漏らした。


しかもこのビルだけではない。駅を挟んだ南側には超高層ビルが4棟建設されていて、まるで新宿副都心がそのまま五條へ移ってきたかのような様相になっている。


「……『新・平城京計画』。最初に聞いた時には大げさだと思ったけれど、今になるとそんなことはないと思えるわ。まさに(いにしえ)の大和の都の復活って感じね」


今まで何気なく使っていたが、改めて彼女の口から出た『大和の都』という言葉を聞き、確かに適切な表現だと思った。


「そうだね。とんでもなく立派だと思う。あとは……このビルに負けない仕事をしなくちゃね」


私は寧音にそう言った。想像以上に立派なビルで、日本中の話題をさらうことになるだろう。頑張らなくてはいけないと改めて思った。


「グループ企業の社員たちも、そろそろ引っ越しを始めるタイミングかしら?」


それがあったなと思い出した。


「そうだね。今までは全国に散らばっていた企業をここに集約させるからね。五條の人口は一気に増えるだろう」


私たちがこの地に来た当時の人口は3万5000人程度だった。

それが徐々に増加し、今ではもうすぐ10万人に届こうとしている。

この本社ビルが落成して本格的に稼働を始めると、関連企業の社員とその家族が何回かに分けて引っ越してくるから、だいたい20万人近くになると予想している。


それだけではない。

人口が増えると、それを見越してあらゆる業種・サービス関連企業が進出してくるだろう。そういった企業の社員や家族もまた五條周辺に住むようになるだろうから、更に人口は増えていくはずだ。


それとヤタガラスや紀伊半島電源開発の若い男女の採用数だが、当初の計画通り累計で10万人に達した。

これらの社員は主に西吉野村以南に住んでいるが、彼らの子供が成長すると、やがては緩やかに五條に移住してくるだろう。


私は十分な受け入れ態勢を整えてきたつもりだから大丈夫だとは思うが、最近になって賃貸住宅の家賃が高騰し始めているのが気がかりだった。


「職住一体の大きな建物が、また必要になるね」と私は言った。


「あら?あの計画は完成したんでしょ?あれでもまだ足りないの?」


寧音が指摘したのは、かつて大手建設会社が提案した『スカイシティ1000』。それの縮小版のことだ。


バブル末期に持ち上がった計画で、お椀のような形状の街を14段重ねるという発想だった。

当初のプランでは高さ1000メートル、人口14万人の立体都市を想定しており、要するに「街を丸ごと一つの高層建築物に詰め込もう」という計画だったわけで、計画書だけ見れば未来都市だが、現実には建設費だけで天文学的な数字になるため、絵に描いた餅として終わった。


とはいえ、平野部が狭く、バブルで地価が高騰した当時の日本において、構想そのものは合理性があったのだろう。あの時代は同じような動機で複数の巨大建築物が提案され、高さ2000メートルや4000メートルといった数値を掲げた計画も存在した。


これらの計画の問題は大きすぎたことで、私はスカイシティ1000を現実的な3段形式のプランに落とし込み各地に建設していた。


1000メートルが大げさなら200メートルで。14万人が無理なら3万人で。


技術は夢を否定しない。否定するのは資金と採算だけだ。

豊臣グループでは、この規模の街を西吉野村、十津川村、天川村、そして和歌山県富貴町に完成させており、来月に営業運転を開始する各鉄道に合せて街開きの予定だ。


「そうだね。あんな感じの街が新宮にも欲しいね」


今度はもう少し段数を増やして可住人口を増やしてみよう。


ともかく人口の増え方が急激すぎる。贅沢な悩みだと分かっていても、何とか対応させないと計画が狂ってしまう。


計画は順調だった。順調過ぎると言った方が正しいかもしれない。


だからこそ私は焦っていた。


お読みいただきありがとうございます。

次回からは3話にわたって、竣工した大和の都を取り上げます。


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