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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第七章

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躍進期⑫ 織田の正体 前編

2009年(平成21年)4月


リーマン・ブラザーズの全面的な破綻は回避され、世界を覆うはずだったリーマンショックは回避された。


正確には「ウォール街危機」と呼ばれる混乱は起きたものの、私の知るほどの落ち込みは見せなかった。あの当時に多くのエコノミストや学者、経営者が感じた「まるで崖から落ちるような経済的失速」という状況ではない。


それでも一時的には不景気に陥った。

日本ではそれに対する民自党・真駒内太郎政権の対応が稚拙だとの、野党・主民党からの攻勢が激しさを増していて、今後もその勢いは強まっていくだろう。


このままだと、やっぱり政権交代へと至るのだろうが、この要因は一つではない。


消えた年金問題。

積み残した郵政問題。

党内の混乱と頻繁な首相交代。

史実ほどではないにしても急速な円高。

横須賀政権が推し進めた構造改革と非正規雇用拡大。

そして真駒内政権に対する「庶民感覚からの乖離」という印象。


このように理由を並べたらいくつかあるだろうが、要するに主民党が国民によって積極的に支持されたわけではなく、「敵失」によるものだったというのがポイントだろう。そして、その敵失の象徴として語られるのが、広尾財務大臣のいわゆる「酩酊会見」だった。


だが、この世界で改めて見ても、あの会見は明らかに異様だった。まず、会見場には、まるで「酔っていた」と印象付けるために置かれたかのように、ワインボトルのようなものが2本並べられていたが、中身がもしも本当にワインであるならば、随行した財務省職員の誰かが撤去すべきだった。


もっと異様だったのは、記者会見に同席していた財務官僚と日銀総裁の態度だった。官僚たちは広尾大臣と目を合わせようとせず、日銀総裁も終始、手元の原稿に視線を落としたままだった。


画面越しに見ていても、その様子は不自然なほどだった。まるで他人のふりをしているかのように、大臣を制止しようとする素振りもなければ、発言を補おうとする仕草すら見せない。


そこにいた全員が異変に気付いているはずなのに、誰一人としてそれに触れようとしない。その不自然な光景は、広尾大臣の意識朦朧ぶり以上に私の記憶に残っていた。


広尾大臣は現代の政治家としては珍しく気骨のある人物で、財務省との対決姿勢を鮮明にしていたと私は評価している。だからこそ私には、あれが単なる失態の放置には見えなかった。誰かが、広尾大臣を潰そうとしていた。


後で聞いた話だと、本来はあの時間に記者会見をする予定は組まれていなかったそうだから、ますます意図を感じる。あれがエスカレートした先にあったのが、経済財政包括大臣だった私に対するやり方だったのだろうか。


まったく彼ららしい、陰湿な所業だと思った。


いずれにせよ、このままでは政権交代となり、主民党の毛呂山、武蔵野、そして最後の船橋へと続く時代が始まる。


私に言わせればまさに暗黒時代だった。


党内結束が一枚岩には程遠く、有力議員がポジショントークに走って方針が定まらなかった。

結果、内政では足踏みするばかりで何も決められず、外交では支離滅裂な状態に陥って世界から呆れられた。


彼らの外交方針を一言で表せば、脱アメリカを志向したバランス外交だ。

私は別に「脱米」が一方的に悪いとは言わない。明確な戦略と国家としての長期構想があるならそれも一つの手段だろう。


だがその試みは成功しなかった。日米関係はぎくしゃくしただけに終わり、中国との距離も思うようには縮まらないどころか、中国漁船による領海侵犯問題で一触即発に陥る。その一方で、ロシア大統領による北方領土視察や、韓国大統領による竹島上陸といった異変が続く。


私には、こういった一連の出来事は、日本が弱体化したと見透かされた結果に思えてしまう。


しかし、未来を知るはずもない現在の国内世論は、政権交代に対する危機感よりも、むしろ期待の方を強く抱いているように見える。


「一度は主民党にやらせてみるべきだ」


そんな空気が日本中を覆っているのは間違いないだろう。

だが、それは本当に国民自身が生み出した「風」だったのだろうか。現在の私の視点ではメディアがそれを無理やり作り出そうとしているように見えてならない。


そんな民意に押されて政権を奪取するまではいいが、肝心の政権運営能力がなかったという事実が短期間で明らかになるだろう。


このように、アメリカ発の金融問題は様々な国に影響を与えた。もっとも、その混乱を利用して相対的に地位を高めた国も存在する。


それが中華人民共和国だ。


英語ではChina、日本では一般に「中国」と呼ばれている。


もっとも、私はこの中国という呼称をあまり好まない。


元来「中国」とは、中華思想と深く結び付いた言葉であり、「世界の中心」や「中央の国土」という意味合いを帯びながら、当初は黄河中下流の平原地帯である中原(ちゅうげん)を中心とする地域、あるいはその文明圏を指す歴史的名称だった。


その中で勃興し滅亡していった様々な王朝があり、我々日本人はこの国をその時々の王朝名で呼んでいたのだ。


一方で、日本において「中国」といえば、古くから畿内から見て近国と遠国の中間に位置する地域、すなわち現在の中国地方を指す言葉だった。名古屋周辺を「中京」と呼ぶのも、都との位置関係によって地域を名付けるという発想に基づくものであり、どこか通じるものがある。


現代においては、あの国を表現する言葉として中国の呼称が定着しているが、私はあまり使いたくない。なぜなら、その名称自体が先ほど触れたように「世界の中心」を自認する中華思想に由来するからだ。


相手がそう名乗るのは自由だ。しかし、その歴史的背景を知らないまま日本人が当然のように受け入れることには、どうしても違和感を覚えてしまう。


もっとも、これはあくまで私個人の考えだ。


現代において「中国」という呼称が広く定着していることもまた事実で、気がつけば多くの人々はその言葉の成り立ちを知ることなく使っている。


事実として、日本においてあの国を「中国」と呼ぶのが一般化したのは、近代以降、とりわけ日清戦争後に清朝との外交文書や報道で「支那」、「清国」と並んで使用頻度が増してからだ。


前世の政治家時代、私は幾度となく自問した。「支那」あるいは「中共」と呼んでは駄目なのだろうかと。


それに対して、支那という表現を使えば、相手が嫌がるし、差別につながるから使うなという人がいる。

だが、本当にそうなのだろうか。なぜ彼らはその呼称を嫌がるのか。


相手の主張を無条件に受け入れ、条件反射でタブー視してよいのだろうか。


たしかに、現代の中国では「支那」は侮辱的な呼称と受け止められることが多い。しかし、それなら「倭」はどうなのだろう。


「倭」という字には、本来「小さい」「従順」といった意味合いが含まれ、日本人を蔑視する文脈で用いられた歴史もある。それでも日本人は、その呼称を歴史の一部として受け止め、古代史や史料の中では今日でも普通に用いている。


だが、ビジネスや外交のテーブルは、正義を競う場ではない。利益を奪い合う戦場なのだから、相手の自尊心を理解することも重要となる。


中国という国名は英語で一般に「China」と表記されるが、中国文明や中華思想を説明する際に「Middle Kingdom」と表現されることがある。


もし中国人が「自分たちは世界の中心である」という歴史的な自己認識に心地よさを感じているのであれば、わざわざそれを否定する必要はない。契約をまとめることが目的なら、相手の気分を害するよりも、むしろ適度に尊重する方が得策な場合もある。


欧米のビジネスマンの中にも、そのような発想を時代遅れの傲慢さだと内心では感じている者は少なくないだろう。しかし、契約書にサインをもらうまでは相手を立てる。これもまた国際交渉の現実だ。


日本人が学ぶべきなのは、「相手の主張を信じること」と「相手にそう信じさせておくこと」は別だという点だ。国際社会では、理念よりも利益が優先される場面が少なくないのだから。


よって呼称一つ取っても、時には相手の都合に合わせる方が自分の利益になることもある。そこは私も同じで、個人的な思いは脇に置き、第三者の前では「中国」を用いている。


ともかく、史実においてはリーマン・ショックの影響を金融面では比較的軽微にとどめたこの国は、その後も成長速度を落とすことなく、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。

歴史は繰り返すというが、まさに1929年の世界恐慌の影響を受けなかったソ連の、その後の躍進・伸長を思い出すような現象と言えた。


もちろん、リーマンショックの影響は、多少なりともこの国に悪影響をもたらした。輸出は急減し、沿岸部では工場の閉鎖や失業の増加も発生している。だが、西側諸国のように金融システムそのものが揺らぎ、崩壊の瀬戸際に立たされる事態には至らなかったのも事実なのだ。


中国がリーマンショックの直撃を受けなかったのは、皮肉なことに、金融が未成熟だったからだ。発火点は米国の住宅金融市場で、投資銀行の破綻、証券化商品の崩壊、信用収縮、つまり「金融そのもの」の崩壊だ。


だがこの国は資本取引を厳格に管理し、国有銀行を中心とした金融構造を持っていた。市場原理が未徹底であることは平時には非効率だが、嵐のときには防波堤になる。自由でなかった代わりに、とりあえずは守られた。


ではこの世界ではどうなっているかと言えば、共産党指導部は、史実と同じく4兆元規模の公共投資を決定したと報じられた。ここまでは、私の知る歴史と変わらない。


国家が需要を創り出す手法は、世界恐慌期のドイツとも構造的に似ている。

敢えて名前は出さないが、21世紀でもタブー視される人物が実行した政策だ。皮肉なことに、その発想の一部は後に理論化されたケインズ経済学とも重なることになる。強い中央集権体制のもとでは、合意形成に時間を費やす必要がない。決めてしまえば実行は速い。


しかし私はここに、別の問いを重ねて読む。


史実においてこの刺激策は、地方政府債務の膨張、不動産価格の過熱、シャドーバンキングの拡大、国有企業の過剰投資を引き起こした。今回、世界は崖から落ちることなく緩やかな下り坂を選んだが、それでも中国は4兆元の公共投資を実行しつつある。揺れなかったこと自体が、未来の地震を孕んでいるわけで、歴史は必ず精算すべく動き出すだろうというのが私の見立てだ。


窓の外を見つめながら、私は考えを巡らせた。

そうであればあの国への不用意な進出は火傷のもとになる。もっとも、最初から進出するつもりはない。

得るものよりも、失うもののほうが多くなると計算したからだ。


今後の方針を立てるため、私は織田雪村を呼ぶことにした。


こういった場合は第一秘書の寧音であったり、顧問弁護士として活躍する弟の小二郎も心強い味方となる。あるいは平野だったり、スティーブやイーロンと相談するのも有効だろう。


だが、ここから先は「闇」を見つめ、「未来に起こることを過去として」語り合うことになる。こういった場合はどうしても、私の影としての立ち位置を心得ている、転生者としての織田雪村という存在が相談相手としては適切だった。


それと、リーマンとの交渉時にも感じた謎多きこの男が、果たしてどこまで知っているのか把握するには、絶好の題材でもあると感じたからだ。彼が何をどこまで知り、何を知らないのか。是非とも把握しておきたい。


可能ならばいつの時代からやってきた人物なのか。前世では何をしていたのか。その正体を知ることができればいいのだが。


約束の5分前、扉が静かに開き、織田が入ってきた。

この男はすでに80歳を超えているはずだ。トレードマークともいうべきスキンヘッドに太い眉毛。その眉毛の色は最初に出会った頃には黒かったが、既に真っ白になっている。


相変わらずスポーツでもしているのだろうか、浅黒い肌には深い皺が刻まれている。だが、その足取りに迷いはない。杖もなく、足を引きずることもなく、まるで己の体重を無視するような軽さで部屋を横切る。長年の鍛錬が肉体に刻み込んだ何かが、老いすら上から押さえつけているように見える。


「お呼びでっか?」


「忙しい時に申し訳ありませんでしたね。まあ座ってください」


忙しいのかどうかは知らないが。

ともかく私は執務室の椅子をすすめ、寧音にコーヒーを二つ用意してもらった。湯気の立つカップを前に、しばらく二人とも黙って窓の外を見ていた。五條の春の空はいつも通りに晴れ渡っている。


「北京の現在の様子は、どうなんでしょうね?」


先に口を開いたのは私だった。


「北京オリンピックが終わったところでっから、彼らとしては、これからの成長に期待したところとちゃいまっか?」


「これからの成長とは?」


知ってはいても確認を怠るわけにはいかない。

この辺りのことは腹の探り合いというか、いつものお約束のようなものだ。互いに同じ絵図を持っていながら、それでも声に出して確認する。口に出すことで、思考の輪郭が少しだけ鋭くなるからだ。


織田のほうも、そんなことは承知の上だと言わんばかりの態度で答えた。


「要するに日本の後追いですわ。日本は東京オリンピックと大阪万博の成功で高度経済成長を遂げたという評価が一般的でっしゃろ? せやから中国共産党も、北京オリンピックと上海万博をテコに一気に成長したいと考えているはずでっせ。その象徴が、また日本の後追いの新幹線ですわ。あり得ない規模とスピードで建設が進んでますわ」


和諧号か。彼らは独自の技術で完成させたと宣伝しているが、怪しいものだ。だが、それを声に出したところで意味はない。


「後追いというのは、別に恥でも何でもない。日本だって欧米に追いつけ追い越せで、明治から昭和初期にかけて猛然と工業化したんですから」


「そうでしたな」と織田は頷いた。


「問題はですね、後追いをしている本人が『俺たちは独自の道を歩んでいる』と信じ込んでいる場合ですわ。これが一番厄介なんですわ」


「自己像の更新、ですか」


「そうですわ。オリンピックの成功体験が、ある種の覚醒を促してしもうたんやと思います。『俺たちはもう追いかける側やない』という感覚ですな。だが実態は、技術の根っこも、金融の仕組みも、法の支配という概念すらも、まだ借り物のまま整理できてまへん。器だけが先に大きくなってしもうた」


織田が語る中国論は、今のところ私の見立てと驚くほど重なっていた。


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