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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第七章

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躍進期⑩ リーマンショック 結

2008年(平成20年)8月末


東京都千代田区霞が関1丁目 経済産業省。


その一室で、数名の官僚が会議を行っていた。


「木下藤一郎が、リーマン・ブラザーズの買収に動いているらしい」


統括官が資料を机に置いた。


この頃にはリーマン・ブラザーズの経営危機は世界的な話題となっており、各国当局もその動向を注視していた。


「しかも豊臣グループが直接ではない。新たに設立した投資会社を使って交渉しているとの情報だ」


「本気なのか?」


別の官僚が眉をひそめた。


「リーマンだぞ。日本企業による買収など前例がない」


「そもそも交渉が成立するとも思えん。アメリカ政府や金融当局が簡単に認めるとは考えにくい」


「私もそう思う」


統括官は頷いた。


「ただ、相手が木下だという点が気になる」


部屋の空気が少しだけ重くなった。


木下藤一郎という男は、これまでにも常識では考えられないような案件を次々と実現してきた。普通なら不可能だと片付けられる話でも、彼が関わると途端に無視できなくなる。


「もし成立した場合、影響は小さくないな」


若い官僚が資料をめくりながら言った。


「リーマン・ブラザーズは単なる企業ではありません。世界の金融市場そのものに深く組み込まれている」


「そうだ」


統括官は腕を組んだ。


「成功しても問題、失敗しても問題だ」


「失敗すれば巨額損失ですか」


「それだけではない。成功した場合も厄介だ」


統括官は窓の外を見た。


「日本資本がウォール街の大手投資銀行を取得する。そんな前例はほとんどない」


「日米の金融関係にも影響が出るでしょうね」


「当然だ。場合によっては政府間の案件になる」


部屋は静まり返った。


官僚たちが恐れているのは木下本人ではない。もし話が本当に進んでいるなら、その影響が一企業の範囲を超えてしまうことだった。


「財務省と金融庁には連絡したのですか?」


「既に情報共有している。向こうも事実確認を進めているそうだ」


統括官は資料を閉じた。


「現時点では噂の域を出ない。まずは情報収集だ」


そう言ってから、少しだけ苦笑した。


「だが、これが本当に木下の仕掛けた話なら、念のため本人にも確認しておいた方がいいかもしれんな」


「以前はほとんど強制連行のように出頭させたそうですが」


「今回はそんな手段を取れない。大騒ぎになるだろうからな」


リーマン・ブラザーズの行方は、すでに世界経済そのものを左右する問題になっていた。


「いずれにせよ、この件は経産省だけで抱える話ではない」


統括官は立ち上がった。


「財務省、金融庁とも連携する。場合によっては外務省も巻き込むことになるだろう」


誰も異論を唱えなかった。


もし木下藤一郎が本気でリーマン・ブラザーズを狙っているのなら、それは一企業の買収話ではなく、日本政府全体が無視できない案件になりつつあった。


数日後。


私は、財務省の一室に呼び出されていた。

懐かしい古巣ではあるが、今日の私はあくまでも初めて財務省に来た、という芝居をしなくてはいけない。


応対したのは、財務省の審議官だった。

私がこれまで対峙してきた経産省ではなく、財務省が動いてきたということは、彼らが財務政策の観点から私を止めようとしているということだ。


「木下さん。お久しぶりですね……」


審議官が硬い表情で口を開いたが、相手は黒田鉄雄だった。

私の前世における敵、クロテツだ。またの名を「腹黒田」といったか。


クロテツは重々しい口調で言った。


「リーマン・ブラザーズの件、聞いていますよ」


「何のことでしょうか?」


そう私は、とぼけた。何も馬鹿正直に応対する必要性も必然性もないのだ。

少し口の端が笑っていたかもしれないが、落ち着いて言った。


「弟の会社の話は聞いていますが、私自身は経営には関与しておりません」と。


クロテツの目が、鋭くなった。こいつは自分の立身出世に関係のない民間人に対しては、常に横柄な態度で接してきたのは何度も目撃してきたが、今のこいつの態度はまさにそれだった。

ただし、その本領を発揮する前段階のものだと判断した。


「とぼけないでくださいよ。あなたの実弟が作った会社が、あなたと無関係であるはずがないし、そんな与太話を信じる人間なんていない」


その言葉を受けて、私は敢えて笑顔を作って言った。


「彼は個人として投資活動をしているだけです。私は関係ありませんよ」


「木下……さん」


クロテツは、さらに低い声になっていった。五條市の計画が持ち上がって以降、明智は豊臣グループへの干渉を中止した。明智の後ろ盾を期待できなくなったこの男は、本来の弱者に向ける凶暴性を発揮できないのが悔しいらしく、苛立たしげに言った。


「あなたは分かっていないのか?リーマンなんてアメリカを代表する金融会社に手を出せば、合衆国政府の逆鱗に触れかねない。あなたは日本国民を地獄に叩き落とすつもりなのか?」


この男は、いや財務省は、私や織田がアメリカでどのように財務長官やフォイトCEOと対峙してきたか知るはずもない。

ただ、いつものようにアメリカの顔色を窺うだけだ。

この男は単なる使い走りに過ぎないが、上司や政治家の言葉をそのまま伝えるだけなら、九官鳥かオウムで十分だ。こんな男に高い給料を払う必要などない。


「だから、私は関係ないと言っています。それよりも『地獄』と仰ったか。その地獄に私と共に身を投じる勇気など、あなたや財務省にあるのかな?」


私は、冷たく言い放った。


「大事なことは、仮に弟の投資会社が買収に成功したとしても、それは彼個人の判断だという事実です。あなたのような小役人が口を出すべきことではない」


「口を出さざるを得ないんだ!130億ドルだぞ?それだけのドル資金を海外へ移転した場合の影響を考えたのか?」


我慢の限界に達したクロテツは、デスクを叩いた。


「もっと言えば、貴様は日本を代表する企業グループのトップだ。その責任を理解していないのか!?」


私は堪えきれず笑った。


「はははクロテツさん。私は今あなたが言ったように民間企業の経営者です。先の見えない小役人の指示で動く立場ではありませんし、日本の未来は私のほうがよく見えているでしょうね」


「木下!」


「ついでに言っておくがね」


私も敬語を使わず、冷たく微笑んであげた。


「もし政府が私の活動を止めたいなら、法的根拠を示すべきだ。まあここは中国じゃないんだから強権発動なんて不可能だろうけどな。つまり、私は自由に動くしかないわけだ」


クロテツは悔しそうにしているが、現実を教えておこうか。

私は椅子にもたれて深く息を吸い込み、本来なら起きていた事象を並べた。


「逆に聞くがね。君たちはリーマンが完全に潰れたら、その後に何が起きると思っている?」


「何?……どうなるというのだ?」


分かっていないのか。


「金融市場が大混乱する。株価は暴落する。企業は資金調達できなくなる。景気は急激に悪化する。それも大問題だがそれだけでは済まない。日本の輸出企業は壊滅的打撃を受ける」


クロテツは顔をしかめた。


「何を言っているんだ?」


「おいおい。為替の問題を忘れてもらっては困る。急速な円高になるんだよ」


私は即答した。


「世界中の投資家がリスク資産を投げ売れば、安全資産と見なされる円に資金が殺到する」


そして現実に前世で到達したレートを匂わせてみた。


「1ドル100円では終わらない。90円を割り込むだろう。さらには欧州の信用不安が起きれば80円を割ることだって大いにあり得る」


「馬鹿な……80円を切るなんて」


「いや、起きるね」


私は冷たく言った。


「輸出産業は悲鳴を上げる。自動車も電機も苦しむ。失業者も増える」


クロテツは黙った。


「私はその危機を可能な限り小さくしようとしているんだが?」


織田が言った言葉が頭の中に響いた。

正義の力の発露。まさにそうなのだ。


「……」


「リーマンが完全消滅するのと、主要部門が存続するのでは世界経済への衝撃度が違う。それは理解できるな?」


私は立ち上がり、クロテツを見下ろして冷たく言った。


「財務省は本来、円高リスクや信用収縮の方を心配する立場だと思っていたがね。私の弟の買収話よりも、その後に起きる金融危機への備えを議論した方が有益ではないか?」


アメリカの逆鱗に触れる?お前のような小役人では、せいぜいそれくらいしか思い浮かばないのか?もっと頭を使って働くんだな。それが公僕としての義務だろうが。


話は終わった。私はクロテツに挨拶せずに部屋を出ようとした。そうだ。これだけでは足らないな。こいつらが一番嫌いな言葉を投げてやろう。


「君が順調に出世できることを祈っているよ。この場所では強いのだろうが、一歩外に出ればただのオジサンだ。いい天下り先が見つかるといいね」


”今の私は何でもできるということを、忘れてもらっては困るよ”という言葉を、敢えて呑み込んで私は部屋を出た。

廊下で待っていた織田が、満足げに笑った。


「総帥。ええ啖呵でしたな」


「だが、彼らは諦めないだろう」


「当たり前ですわ。せやから、こっちも次の手を打ちます」


「次の手?」


織田は、意味深に笑った。


「もうすぐ分かりますわ」



そして、9月9日(火)


リーマン・ブラザーズが、第3四半期の損失結果を発表したが、第2四半期の28億ドルの赤字に続く39億ドルの赤字だった。


これを知った市場は、パニックに陥り、リーマンの株価は、一日で45%下落した。私たちは予定通りニューヨークへと向かった。



9月11日(木)


驚くべきニュースが飛び込んできた。

アメリカ政府の報道官がリーマン・ブラザーズの経営危機を公式に認めたのだが、対策として報道官が発表したのは、私にとって意外なものだったのだ。


「リーマン・ブラザーズについては、民間主導による解決が望ましいと考えている」


短い声明だった。


だが、その一文が持つ意味は重く、市場は即座に反応した。

アメリカ政府が救済に消極的であること。そして、民間企業による買収や資本注入を容認していること。


その二つを事実上認めたに等しかった。


数時間後。


今度はアメリカの有力紙が一斉に報じた。


『日本の投資家グループがリーマン救済案を検討』


『米政府高官、海外資本による救済に反対せず』


『市場安定のため民間主導案を歓迎か』


私はホテルの部屋で記事を読み終えると、静かに紙面を閉じた。


「なるほどな……」


私は、すぐに織田を呼んで訪ねた。


「これは……あなたの仕業ですか?」


「もちろんですわ」


織田は、満足そうに笑った。


「ボールマンに頼んで、政治家に根回ししてもらいましたんや。これで日本政府も、表立って反対できまへん。アメリカ政府が黙認しとる投資を、日本政府が止めるわけにはいきまへんからな」


私は、思わず笑った。あの時にそれを条件として告げていたのだ。だからボールマンはタイミングを合わせると言ったのだ。


「……あなたは、本当に一枚上手ですね」


「当然ですわ」


織田は、こんなのは朝飯前だと言わんばかりの態度で言った。


「さあ、これで邪魔者はおらんようになりました。あとは9月15日を待つだけや」



9月12日(金)


リーマンのフォイトCEOから、ホテルにいた私へ緊急の連絡が入った。


「ダメだ。もう、限界点を迎えてしまった。これ以上は無理だ」


彼の声は、震えていた。


「週明けには、間違いなく破綻するしかなくなってしまう」


私は、冷静さを失わないよう気をつけながら答えた。


「分かっている。予定通りだ」


「予定通り……?」


フォイトは、呆然とした声で言った。


「あなたたちは、本当に全てを知っていたのか……」


「だから何度も言ったはずだが?」


そう私は淡々と告げた。


「だから、心配しないでほしい。月曜日、9月15日。その日、私たちが動く」


電話を切った後、織田が私の前に姿を現した。


「総帥。準備は整いましたわ」


「資金は?」


「130億ドル。いつでも動かせます」


「小二郎の法務チームは?」


「ここニューヨークの別のホテルで待機してます」


「ボールマンとの最終調整は?」


「完了してます」


織田は、満足げに頷いた。


「あとは、運命の日を待つだけですわ」


では仕上げと行くか。



9月13日、土曜日


ニューヨーク連邦準備銀行に、ウォール街の主要金融機関のトップが集められた。

私と織田、そして小二郎もその場にいた。ボールマン財務長官が、重々しく口を開いた。


「諸君。リーマン・ブラザーズは、月曜日に破綻する」


部屋が、どよめいた。


「政府は救済しないことを大統領が決断した。これは最終決定だ」


ボールマンは、一拍置いた。


「ただし、民間による救済は歓迎する」


彼の視線が、私たちに向けられた。


「ミスター・オダ。あなたの提案を、もう一度説明してもらいたい」


織田が立ち上がり、淡々と説明を始めた。

リーマンの健全な部門を実質130億ドルで買収すること。

不良資産は、政府管理下の別会社に移管すること。

リーマンの名前とブランドは残すこと。


説明が終わると、部屋が静まり返った。

そして、一人の銀行CEOが口を開いた。


「それは……リーマンを解体するということか?」


「解体やのうて、再生ですわ」


織田は、冷たく言い放った。


「このままリーマンの破綻を指をくわえて見ていれば連鎖破綻が起きる。せやけど、うちが買えばそれを防げる」


別のCEOがボールマンに確認を取った。


「だが財務長官。日本企業がウォール街の中心に入り込むことになる。それで、いいのか?」


ボールマンが、即座に答えた。


「かまわない」


彼は、部屋を見渡した。


「そこまで言うなら誰かリーマンを買えるのか?

買えないだろう。諸君。今は、国籍を問うている場合ではない。金融市場の崩壊を防ぐことが、最優先だ」


部屋が、再び静まり返った。

そして、誰も反対しなかった。いや反対できなかったというのが正確か。なぜなら、財務長官が言ったように他に選択肢がなかったからだ。



9月14日(日)深夜。


小二郎とリーマン側は最終契約に署名した。

ただし契約の発効条件は一つ。リーマン・ブラザーズが破産法第11章を申請することだった。



9月15日(月)午前1時45分。


リーマン・ブラザーズが破産申請。


午前2時。


事前契約に基づき健全部門の受け皿会社への移管を発表。


1844年、アラバマ州モンゴメリーで、ドイツ移民のヘンリー・リーマンが衣料品や雑貨を扱う商店を開業し、兄弟が経営に加わって大きくしていった。164年の歴史を持つ名門投資銀行が、事実上の破綻を迎えた瞬間だった。


だが、それと同時に木下小二郎名義の投資会社が、リーマンの健全な部門の買収を発表した。

買収額、130億ドル。新会社名は、「リーマン・グローバル・ホールディングス」。


本社はニューヨーク。

CEOには、リーマンの元副社長が就任。そして、筆頭株主は木下小二郎。


ニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡り、当然のように市場は混乱した。だが、完全な崩壊は免れた。

なぜなら、リーマンの「心臓部」は、生き残ったからだ。


午前9時30分。


ニューヨーク証券取引所が開場した。ダウ平均は、500ドル安で取引を開始した。

だが、予想されていた「大暴落」は、起きなかった。

なぜなら、市場は理解したからだ。リーマンは破綻したが、壊滅したわけではない。

日本の投資家が、その心臓を救い出したのだと。

ダウ平均はその後、反転して上昇へと向かい、結局前日比200ドル安で決着した。



午後3時。


私と織田は、リーマンの旧本社ビルの前に立っていた。このビルの多くのフロアは、もう私たちのものだ。


「総帥」


織田が、満足げに言った。


「やりましたな」


「ああ。やり切った感じだな?だが、これから立て直すのが大変だ」


織田は小二郎をちらりと見ながら言った。


「ほんまですな。ともかく、ほとぼりが冷めた頃に、小二郎はんが豊臣に新会社を転売すれば一丁上がりですわ。ここまでお膳立てしたんやから特別ボーナスくらい、総帥に要求してもバチは当たりまへんやろ?」


本当にそうだな。この男は金に執着していないが、それでも特別ボーナスは支給したい。

織田は、ビルを見上げた。


「ここから、世界を変えていくんですわ」


私は、空を見上げた。ニューヨークの空は、どこまでも青かった。

21年前、ブラックマンデーで私は投資家としての第一歩を踏み出した。

そして今日、リーマンショックで、私は世界の金融市場の中心に立った。


次は。「ITと金融が溶け合う時代」


織田の言葉が、脳裏に蘇る。

その時、私は単なる投資家ではなく、プラットフォームの所有者として君臨する。

豊臣グループの傘下にある企業の力を決定付けるために、この死にかけの巨人の心臓が、必要だったのだ。

私は、ビルの中へと歩き出した。

新しい戦いが、今、始まる。


2008年9月15日。


前世では世界を震撼させたリーマンショック。だが、私にとっては新たな帝国の、幕開けだった。


豊臣グループ 新たな傘下企業一覧


①株式会社ヤタガラス


②ネクサス・セミコンダクタ・マニュファクチュアリング・カンパニー(NSMC)


③株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)


④株式会社ギガフォトン


⑤株式会社AMATERA


⑥株式会社PARASOL


⑦三洋電機


⑧テスラモーターズ


⑨YGN


⑩紀伊半島電源開発株式会社


⑪日輪温水器株式会社


⑫Facebook


⑬リーマン・グローバル・ホールディングス


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― 新着の感想 ―
米中貿易戦争、レアアース問題に半導体やIT機器の安全保障、AI技術、ウクライナやイラン、トランプ関税と今後もグループ企業には数多課題も有りますが乗り越えていく様が楽しみです
他の方も書いてますが痛快なお話しでした。リーマン余話も期待したいです!
これでちょっとは日本のオールドメディアも主人公にポジティブな報道するんだろうか?
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