表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第七章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/117

躍進期④ それでも変えられる未来 後編

2006年(平成18年)9月10日


寧音と話をしつつ、私はイーロンとの会話を思い出していた。


「おい、トイチロウ。マーク・サッカーベルクが動いているぞ」


イーロンがそう言ったのは、8月末。柚野山の頂上での打ち合わせの席だった。窓の外には夕闇が迫り、ヒグラシの鳴き声があちこちから聞こえてくる、そんな夏の終わりごろの日だった。

どこまでも紀伊山地の山並みが続き、都会の喧噪が届かない静けさの中で、その一言だけが鋭く空気を切った。


「ああ、知っている」と私は言った。


「知ってて放置していたのか?」


「いや、放置じゃなくて観察していたんだ」


そう私は答えた。彼がどんなふうに成長していくのか興味があった。


「ハーバードで始まったサービスが、今や全米の大学ネットワークを飲み込んでいる。中退してシリコンバレーに移った。もう子供じゃない。22歳になっている」


イーロンは腕を組んだ。顎を引き、考える時の癖が出ている。


「最初に気配を感じた時も怖いと思ったが、あのスピードは異常だ。これに投資しようとするベンチャーキャピタルたちも群がり始めている。アクセルが踏まれたら、彼はもう止まらないぞ」


「だから動くのは今だろうな」


私は立ち上がった。


「一応は鎖につなぎ留めてはいるが、今、動かなければ、彼は別の誰かに囲われる」


そう言ってイーロンと頷きあった。



2006年(平成18年)9月15日


というわけで、私たちはシリコンバレーのマークに会いに来ていた。


Facebookのオフィスはまだ手狭で、若い社員たちが肩を寄せ合うように机を並べていた。壁に貼られた一枚の紙に、マジックで乱雑に書かれた文字がある。


Done is better than perfect.(終わらせることは、完璧であることよりも優れている)


もう少しわかりやすい言葉で表現すると、「完璧なものを提供するのではなく、60点の仕上がりでもいいから早く提供しろ」ということになるだろうか。

ビジネスの世界ではスピードが命だ。日本のことわざでも「先んずれば人を制す」という言葉があるし、孫子の兵法にも「兵は拙速を尊ぶ」という言葉がある。


実にせっかちな彼らしい言葉だろう。


あの冬のカフェから3年が経っていた。

マーク・サッカーベルクは相変わらずジーンズにサンダルで、カーリーヘアを無造作にしたまま、私を見ると迷いなく名前を言った。


「久しぶりだねミスター・キノシタ」


「私のことをちゃんと覚えていてくれたか」


「1998年のサーバー実験以来、ずっと気になっていたからね。忘れるわけがないよ」


目は変わっていなかった。人を見ているようで、人の行動パターンを見ている目。だがその奥に、あの冬にはなかったものが加わっていた。自分が何者であるかを、すでに知っている人間の目だ。


小さな会議室に入った。彼はコーヒーを出してくれたが、自分では飲まなかった。


「率直に聞くよ」と彼は言った。


「投資の話を持ってきたのかい?」


「いや違う。投資の話じゃない」


「そう。では買収?トヨトミの莫大な財力を使って無理やり囲うつもりなのかい?」


「それも違うな」


間があった。彼は私を静かに観察した。


「では、何をしに来たんだい?」


「君との対等なパートナーシップを結びたいんだ」と私は言った。


「君のサービスを世界に届けるためのインフラを、私は既に持っている。通信網、決済システム、各国の規制を抜けるためのルート。君に足りないのは、アメリカの外だ。違うかい?」


彼はすぐには答えなかった。品定めするような沈黙が部屋に満ちた。


「いろんな投資銀行からも似たような話は来ているよ」


それだけを言った。言外に警戒が滲んでいたのは間違いないだろう。


「彼らは金を出す代わりに口を出す。だが私は違う」


私がそう言うと彼は冷たい笑顔を見せた。まさに冷笑という表現がぴったりだと思った。


「どう違うんだい?」


「今までもそうだったはずだがな。設計思想には一切触れない。イーロンに対しても同じようにしている。経営判断も君に委ねる。ただし、一つだけ条件がある」


「聞くよ。言ってみて。どうせ次の言葉は想像できるけど」


「プラットフォームの設計の中に、倫理の軸を入れろ」


彼の眉が、わずかに動いた。想像していた言葉ではなかったらしい。


「人を繋げるインフラを作るなら、同時に人を傷つけるインフラにもなり得ることを、設計の段階から織り込め」


「……それは、スケールの邪魔になる」


「もちろん知っている」


「人間の欲望に素直に乗っかる方が、数字は伸びる」


「もちろんそれも知っている」


「それでも、やれと、あんたは言うのか?」


私は答える前に、一度だけ窓の外を見た。乾いた青空が広がっていた。シリコンバレーの空はどこまでも澄んでいた。


「君ならできると思っているから、私はここに来た」


長い沈黙だった。


やがて彼は右手を差し出した。


「あなたの言うことを聞くには一つ条件がある」


「そうかい。聞こう」


「僕はアメリカを離れない。拠点はここだ」


「それで構わない。日本に来る必要性はない」


「それと、サービスの設計と意思決定は、すべて私に委ねること。ミスター・キノシタは口を出さない」


「それも当然だな。問題ないぞ」


「あなたは裏方に徹する。決して表には出ない」


「……それも構わない」


「では、よろしくお願いする」


私はその手を握った。細い手だった。だが、握り返す力は強かった。



その夜、ホテルに戻ると寧音が待っていた。


「彼、どうだった?」


「ああ無事に話がついたよ」


「……あっさりしてるのね。相手は22歳でしょ?」


「22歳だから話が早い。若さゆえかな。それとも彼の性格かな。決断の速さは特筆ものだと思う」


「それって」と寧音は静かに言った。


「相手の若さにつけ込んでるんじゃないの?」


私は少し考えた。本気で考えた。


「そんなつもりはないし彼は賢い。自分に必要なものを正確に把握している。今の彼に足りないのはアメリカの外への出口だ。それを俺が持っているからね。これは対等な取引だ」


AT&Tへの権利がここでも活きたということなのだろう。

寧音はしばらく黙っていた。


「それで……彼、笑った?」


「最後に少しだけね。感情で動かない人間は、信頼できる。約束を感情で破らない」


「それって冷たい言い方に聞こえるけど大丈夫なの?」


「褒め言葉のつもりなんだけどね」


寧音は溜息をついた。長い溜息だった。


「ねえ、一つだけ聞いていい?」


「なんだい?」


「あの子が作るもの、本当に世界を変えると思う?」


「変えるね。間違いなく変える。人間の持つ本能の一つ『承認欲求』という感情に訴えているからね」


と私はすぐに答えた。


彼のサービスは従来のモノとは一線を画している。


顔写真付きで本名での登録、学歴、勤務先、交友関係が公開される。


それと「友達申請」、「いいね」、「プロフィールページ」、「ニュースフィード」など、今後のSNSをリードするアイデアが盛り込まれる。


「最も画期的なのは、効率的な広告展開が可能になることだろうね」


「効率的?今まではそうじゃなかったってことね?」


「そう。出稿側は五月雨式にバナー広告や検索連動広告を打つしかないんだけど、これが劇的に変わるんじゃないかな」


「たとえば?」


「そうだね。年齢、性別、居住地、趣味、学歴などの膨大なデータを活用して、たとえば『30代男性で野球好き』みたいな層に精密なターゲティング広告を打つことが可能になるんだ」


「……そうなのね」


「以上が一般的な特徴だけど、俺にとっては新たな武器を手に入れたことが最も大きな成果なんだよ」


「武器?あっそうか、新聞やテレビに代わる情報源ね?」


「その通り!ニュースはテレビ新聞雑誌からだけじゃなく、『友達がシェアしたニュース』が重要な情報源になり得るんだ」


「逆に考えると、メディア企業の影響は小さくなって個人の発信力が上がるってことよね?」


「そういうことなんだ。俺は今までみたいに一方的に叩かれるだけじゃない。メディアに反撃する手段を得られることになったんだ」


だが彼女は別の懸念点を指摘した。


「それが良い方向に変わるのかしら?」


それが本質で一番の問題になることを聡い彼女は感覚的に掴んだのだろう。


今度は、すぐに答えられなかった。

窓の外には、夜のシリコンバレーが静かに横たわっていた。無数の光が、まるで回路図のように道路に沿って伸びている。美しかった。そして、どこか不気味だった。


「……それは、彼次第だね」


寧音は何も言わなかった。それ以上は聞かなかった。私も、それ以上は答えられなかった。

二人とも、知っていたのかもしれない。答えが、そう単純ではないことを。



2006年秋


Facebookが一般公開された日、私は五條の仮本社でその数字を眺めていた。

最初の48時間。登録者数が、まるで堤防を越えた水のように膨れ上がっていく。数万、数十万。画面の中の数字は、もはや人の顔ではなく波の高さに見えた。

寧音が隣に立って、画面を覗き込んだ。


「すごいわね。本当に世界が変わりそう」


「ああ」


「……あら、あまり嬉しそうじゃないのね?」


「嬉しいんだけどね」


そう私は言った。


「同時に、少し怖いんだ」


「怖い?」


私は彼ともう一人の怪物を思い出しながら言った。


「これは火だ。正しく使えば人を温める。だが制御を誤ればどうなると思う?」


やっぱりマークはプロメテウスだ。

人類に火を与えた。火は文明を生む。だが、同じ火が都市も焼く。


「燃える。火事になる。そして……人生を狂わせるでしょうね。火は暖炉にもなるけど、放火にも使えるもの」


と寧音が静かに続けた。


「そうなんだよ。使い方を間違うととんでもないことになるし、プライバシーまで侵害してしまう」


彼女はしばらく画面を見ていた。数字は、私たちが話している間にも膨らみ続けていた。


「あの子に、ちゃんと伝えたの?倫理の話」


「それは伝えたんだけどね」


「信じてる?」


「信じている。でも、ちょっと怖い」


寧音は少し笑った。珍しいものを見るような笑い方だった。


「あなたらしくないわねえ?」


「俺も人間だってことだよ」


「知ってるわ」


彼女はそっと、私の隣に腰を下ろした。

画面の中では、世界中の見知らぬ人々が互いを見つけながら、繋がり始めていた。それは美しくも見えたし、少し不気味にも見えた。


「ねえ」と寧音が言った。


「なんだい?」


「10年後、20年後、これはどうなってると思う?」


「……」


私は答えなかった。

知っているから、答えられなかったのかもしれない。

パソコン画面の中で、世界は静かに、確実に動き始めていた。


やがてこれが大きなうねりになることだけは間違いなかった。


豊臣グループ 新たな傘下企業一覧


①株式会社ヤタガラス


②ネクサス・セミコンダクタ・マニュファクチュアリング・カンパニー(NSMC)


③株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)


④株式会社ギガフォトン


⑤株式会社AMATERA


⑥株式会社PARASOL


⑦三洋電機


⑧テスラモーターズ


⑨YGN


⑩紀伊半島電源開発株式会社


⑪日輪温水器株式会社


⑫Facebook



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ