躍進期③ それでも変えられる未来 前編
2005年(平成17年)1月
長崎県長崎市 三菱重工業 長崎造船所
豊臣グループの主な事業は順調で、これからは様々な新製品やイノベーションによって世の中を変え続けていくだろう。
だが、日本には資源がない。そう言われて久しいし、多くの日本人はそれを信じて疑わない。
本当にそうなのか、私は大いに疑問に感じていた。
その答えを確かめる手段を得るため、そして日本を資源大国へと生まれ変わらせる第一歩を踏み出すために、私は長崎へ来ていた。
応接室の窓からは巨大な建造ドックと、間もなく完成する特殊な船が見える。
「海洋探査船の建造をお願いしたいのです」
私の言葉に、三菱重工の幹部が興味深そうな表情を浮かべ、窓から見える船を指さして言った。
「それは現在、我々が艤装中の『ちきゅう』と同じ目的ですか?」
幹部の視線の先には、地球深部探査船「ちきゅう」が見えた。この船は船体は岡山県玉野市の三井造船玉野事業所で建造され、その後、ここ三菱重工長崎造船所で掘削設備などの艤装工事が行われているのだ。
「目的の一部は同じです。しかし、私が欲しいのはもう少し実用的な船です」
私は用意していた資料を机の上に広げた。
「南鳥島周辺のレアアース資源、熊野灘沖のメタンハイドレート。将来的には各地の海底熱水鉱床の探査も視野に入れています」
幹部たちの表情が引き締まる。
『ちきゅう』は地球深部の科学調査を目的とした世界最高水準の研究船だ。だが、私が必要としているのはそういった学術研究を行う船ではない。
「つまり、資源探査に特化した船ということですか?」
「その通りです。日本は資源に乏しい国だと言われています。しかし実際には調査が足りないだけかもしれない。私はそれを確かめたいのです。ですから船の構造的には、『ちきゅう』ほど高いやぐら構造は必要ありません」
資料には日本周辺海域の地図が描かれている。
南鳥島周辺には世界有数のレアアース泥が眠っている可能性がある。熊野灘や東部南海トラフには莫大なメタンハイドレートが存在すると考えられている。沖縄舟状海盆や伊豆・小笠原海域などでは「深海の温泉」が作った鉱山が眠っている。
もしそれらを開発できれば、日本はエネルギーや資源の一部を自給できるようになる。
「なるほど……」
年配の技術者が腕を組んだ。
「探査能力だけでなく、海底地形の精密測量や試料採取能力も必要になりますな?」
「ええ。ですので遠隔操作が可能な無人潜水機を、最低でも3基は同時に運用できる能力が欲しいですね。それに将来的な商業開発を見据えています。単なる探査で終わらせるつもりはありません」
部屋の空気が変わった。
研究ではなく産業。国家プロジェクトではなく、利益を生み出す事業。
当然、国の認可は必要とするものの、それが私の目指すものだった。
「自律航行可能な無人探査艇も、同時に複数台を運用したいと考えています。海底の地形や組成を知るのは開発の第一歩ですから」
私は窓の外に見える巨大な白い船体へ視線を向けた。
「海の底には、まだ誰も手を付けていない資源が眠っていると確信しています。ですから、その可能性を証明するためにも必要な船なのです」
しばらく沈黙が流れた後、三菱重工の幹部がゆっくりとうなずいた。
「面白い話ですね。非常に大きな夢だ」
「夢で終わらせるつもりはありません」
私は即座に答えた。
「これは日本の生存戦略です。そしてそれを国民に広くアピールするため、象徴的なデザインを希望しています」
私はそう言いながら、鞄の中から一枚の古い写真を取り出してテーブルの上へ乗せた。
「もちろん用途は全く違いますが、外観を見た人がまず最初にこれを連想するような、そんな形状の船にしてほしいのです」
私がそう言うと、幹部たちの表情は引き締まった。
誰も言葉を発しない。
だが応接室には、先ほどまでとは違う興奮と熱気が満ちていた。
今から建造したのでは、2010年に発生するはずの、中国によるレアアース禁輸には間に合わないだろう。それでもその先を見据えると、実行する意味があるのだ。
2006年(平成18年)9月10日
サンフランシスコの空はいつも通り白く霞んでいた。ホテルの部屋からそんな空を眺めつつ、私はこの街に来るのはこれで何回目になるのだろうかなどと考えていた。
何とかここまでやってこれた。
この世界に来て23年目。脇目もふらず突進してきた気分だったが、思い描いてきた企業群はあらかた手に入れることに成功し、日本経済の失われた30年は若干だが緩和できつつある。
この勢いで国内の産業を強化し、国家の税収を上げていけば、好循環とすることができるのではないかと試算している。
そんなことを考えていると、私の背後でソファに座っていた寧音が声を掛けてきた。
「ねえ藤一郎。ずっと前から感じていた疑問があるんだけど、聞いてもいい?」
声に少しだけ緊張が含まれているような気がした。
「どうしたんだい?なんだか急に改まって」
「藤一郎って、夢で見た予言に従ってここまで来たんでしょ?だったら……もし、その夢を無視するような行動を取ったとしたら、世の中はどうなっていたか考えたことある?」
それは今まで聞かれたことのない言葉だった。
私は自分の心臓が一瞬鷲掴みされたような気がした。
「えっ?そ、……そうだねえ。いや詳しく考えたことないけど、どうなっていたんだろうね?どうして急にそんなことを言うの?」
彼女は天井をぼんやりと見上げながら言った。これは……気づいてはいないのか?
「またアメリカに来て、改めて感じたのよね。Appleだって最近じゃ急速に業績が回復しているでしょ?それにGoogleも、最初に比べたら信じられないほど成長しているし、NVIDIAやAmazonも凄い利益を上げているから、株価だって……もう何が何だか分からないレベルだわ」
それに、と寧音は続けた。
「イーロンさんの会社だって世界での評価は高いわ。もし、電気自動車が本格的に発売されたら、世の中はもっと変わっていくと思うのよ」
いや、各社の株価の値上がりはこんなもんじゃない。まだまだ天井知らずで上昇していくんだよと言いそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
「……まあそうだね。偶然かもしれないけれど、どの企業も順調だ」
「日本の企業だってそうでしょ?ミノルタや浜松ホトニクスはAMATERAへと成長したでしょ?
それにジャストシステムとAPPLEの連携、日亜化学工業…どれもこれも凄い株価と業績で、日本の中で豊臣グループの独り勝ち状態だわ」
もちろん意識して時代を先取りしてきたからこその業績なのだが。
私は可能な限り曖昧に答えた。
「うん……なんだか上手くいきすぎているのがちょっと怖いけどね」
「そうでしょう?じゃあ、もしよ、もし、夢予言に従わなかった場合のことを想像できる?」
私は窓の外に目をやったまま、しばらく何も言えなかった。
夢予言に従わなかった場合。
それはつまり、私の前世そのものだ。私がこの世界に来なかった場合の日本。あるいは来ていても、何もしなかった場合の日本。
「……考えたことはあるよ」と私はゆっくり言った。
「ただ、あまり直視したくなかった」
「どうして?」
「直視すると、自分がやってきたことの意味を突きつけられる気がするから。それが怖かったのかもしれない」
寧音は何も言わずに私の言葉の続きを待った。彼女の沈黙はいつも、私に言葉を引き出す。
私はソファに腰を下ろし、天井を仰いだ。
「夢予言がなかった世界の日本は……おそらく、一言で表現すれば『複合疾患』に冒され続けた国になっていたと思う。バブルの崩壊とその後処理の失敗。デフレ心理の定着」
それは失われた10年、20年、30年。そのままの歴史だった。
「銀行が不良債権を抱えたまま延命し続け、本来死ぬべき企業が生き残り、本来生まれるべき産業が生まれない。その結果、少子化と高齢化が同時に加速し、内需は収縮し続け、企業は投資を恐れてひたすら内部留保を積み上げる。政治は決断できず、官僚は変化を嫌い、労働市場は硬直したまま若者を使い捨てにする」
言葉にすると、改めて重くなった。
「それが……バブル崩壊から30年は続くかもしれない」
寧音が静かに息を吐く音がした。
「30年って……この先まだ20年も続くの?」
「最悪はそうなるだろうね」
「じゃあ、藤一郎がやってきたことは救世主的な仕事だったん……」
「ただ、勘違いしてほしくないんだが」
と私は遮った。遮らなければならなかった。
「俺がしてきたことが、その未来を根こそぎ変えたとは思っていないんだ」
寧音が顔を上げた。
「どういう意味?」
「AppleもGoogleも手に入れた。イーロンもジェンスンも仲間だし、Amazonの筆頭株主にもなったから、シリコンバレーの果実を日本に還流させることも、ある程度はできている。デジタル産業での出遅れは、何もしなかった時よりずっと小さくなっているはずだ。その点は、確かに大きい。GDPに換算すれば年間数十兆円規模の話になるだろう」
「それって、十分すごいことじゃないの?」
「うん。だけどね」と私は続けた。
「動かせない岩盤があるんだ」
私は立ち上がり、再び窓の外に目をやった。白く霞んだサンフランシスコの空は、どこまでも均一で、光の在り処が分からない。
「人口動態は変えられないよ。1990年代に生まれなかった子どもたちは、もうどこにもいない。そして高齢化の波は俺が何をしようとも、しなくても来る。内需の天井は人の数で決まるんだ。それは俺の力の外にある」
「……」
「政治も官僚機構も、想像以上に硬い。バブル崩壊後の失策の後に来る緊縮財政のタイミング、金融機関の護送船団、土地税制の歪み。これらは政治の問題だ。俺たち一企業がどれだけ健全な利益を上げても、永田町と霞が関の論理は別のところで動いている」
「バブル崩壊も……防げなかったの?」
私は少し間を置いた。
「あの時に崩壊そのものを防ぐ力は俺にはなかっただろう?
あれはすでに1980年代に種が撒かれていた。俺にできたのは、衝撃を和らげることだけだった。底を浅くすること。立ち直りを早めること。それは確かにできたけど。だけど、痛みをゼロにはできなかった。最近の若者の就職難も、もっと酷かったとは思うけど、ゼロにはできなかっただろう?」
寧音はしばらく黙っていた。膝の上で指を組んで、何かを考えているように見えた。
「じゃあ、結局どうなるの?この先、夢予言に従った世界の日本は」
「『失われた30年』が、15年か20年に縮まるんじゃないかな」と私は言った。
「暗黒期がゼロ成長から低成長に変わる。底が浅くなる。回復がより早く来る。デジタル産業に日本人エンジニアが育ち、海外から人が流れ込む下地ができる。それが、俺が30年かけてできることの、おそらく正直な上限だ」
「……それって」と寧音は静かに言った。
「すごいことなの?それとも、たったそれだけなの?」
私は答えなかった。
答えは分かっていたが、どちらの言葉を選ぶべきかが分からなかった。
「両方なんじゃないかな」と、やっと言った。
「どれだけ抗っても、一人の人間が歴史の重力に逆らえる範囲は限られている。それが現実なんだと思うよ。Appleも、Googleも、Amazonも。それらを持っていたとしてもね……それでも、底を浅くできるなら、やる意味はある。30年が15年になるなら、その15年分の時間の中で、誰かの人生が変わるはずだろ?」
寧音はしばらく私を見ていた。それから、小さく頷いた。
「うん」とだけ言った。
彼女はそれ以上、聞かなかったし、私もそれ以上は語らなかった。
サンフランシスコの白い空が、窓の向こうでゆっくりと夕暮れに変わり始めていた。
そこへ小二郎が部屋に入ってきたが、彼を見て寧音が言った。
「そういえば、今回ここに来たのは彼に会うためだったわよね?」
そうだ2年ぶりに彼に会う。
彼の名はマーク・エリオット・サッカーベルク。22歳。
「彼はプログラマーとして飛び抜けて優秀らしいけど……少し前に問題を起こしたみたいね」
寧音はそう言ったが、何だったっけ?ああそうだ。あの有名な事件か。
憶えてはいたが確認してみよう。
「どんな問題だったっけ?」
私がそう言うと、寧音は少し嫌悪を滲ませるような表情で言った。
「……自分の通っていたハーバード大学のサーバーに不正アクセスして、学生の顔写真を無断で引き出したの。しかも……それを使って女子学生の外見を比較投票するサイトを作ったのよ。『Face mash』って名前で」
寧音が言ったのは、マークが作った最悪のサービスについてだった。ハーバード大学の女子学生の顔写真を2枚並べて、「どちらが魅力的か?」を投票させるサイトだったのだ。
隣で資料を整理していた小二郎が、それを聞いて露骨に顔を歪めた。
「なんかそれって僕が中学生の時にも、誰かがクラスメイトの写真を使って面白半分に人気投票をやっていましたけど、サーバーに侵入してって……いろんな意味で完全にアウトじゃないですか」
まさに完全にアウトだ。しかも女子学生の外見を比較して投票させるなんて。ゲスだ。
「当たり前だけど停学処分を受けて謹慎してたわ。一時期は退学も検討されてるって話だった」
私は資料を伏せた。
「そのサイト、アクセスはどれくらいあった」
寧音はわずかに間を置いた。その間が、すでに答えを語っていた。
「公開から4時間で、ハーバードのネットワークをほぼダウンさせちゃった」
小二郎が呆れたように言った。
「……たったの4時間でですか?」
「そう。それも深夜に、口コミだけでよ?下世話な内容に対して2万2000票以上も集まったって話だわ。男ってホントに馬鹿よね?」
私は椅子の背に体を預け、天井を仰いだ。
倫理的に最悪のサービスだ。それは疑いようがない。だが数字が語るものは、倫理とは別の次元にある。告知ゼロ。深夜。口コミだけ。そんな悪条件のもとで大学のネットワークを落とした。これは単なるプログラマーの仕業ではない。人間の欲望の在り処を、本能で嗅ぎ取れる人間だけが持つ、ある種の天が与えた才能だ。
「面白いじゃないか」
「えっ?なに言っているの……藤一郎、あなた正気なの?」
寧音の声に、珍しく鋭さが混じった。
「そんなこと倫理的に許されると思ってるの?私は会いたくないわ」
「寧音。だからこそだよ。やったことはゲスの極みだ。だが、ゲスだったからこそ飛びつく『客』もいたって話だ。要するに使い方次第なんだよ」
そう言いながら、私はイーロンとの会話を思い出していた。




