日本復活⑲ 怪物登場
2003年(平成15年)11月
東京都江東区有明3丁目 東京ビッグサイトにて
今日はこの場所で、多くの若い男女が集まるイベントが開催されている。ただし、イベントといっても音楽フェスや展示会の類ではなく、就職説明会だ。
ここは株式会社ヤタガラスと、紀伊半島電源開発株式会社、そして日輪温水器株式会社の合同会社説明会を行う会場となっているのだ。
この三社が豊臣グループの完全子会社であることは既に広く知られており、事前の告知も功を奏して会場は大盛況となっていた。
募集する仕事内容は紀伊山地全域での現場作業がメインとなる。
山での仕事なんてしたことのない若者ばかりだし、体力的な不安もあるかもしれない。
何よりも、都会の生活しか知らない若者が、紀伊山地の労働に耐えられるのか、そこが一番の心配事でもあった。
それでも会場は大盛況で、会場の外にまで長蛇の列ができていて、テレビ局の中継車まで出ているらしい。
この騒ぎの背景としてあるのが、現在の就職氷河期と、フリーターの増加という異様な社会状況だった。
会場の一角では、スーツ姿がどこかぎこちない学生が、真剣な表情で資料を読み込んでおり、その近くでは20代半ばと思われる若者が数名、「既卒者・第二新卒者歓迎」の看板を指差し、信じられないと言いたげな表情で固まっていた。
「正社員、月給制、賞与年2回、残業代全額支給、僻地手当・山岳手当・季節手当あり、退職金制度・企業年金あり、各種社会保険完備、完全週休二日制、食事付きで無償の個室社員寮完備、保養所あり、年3回の帰省費用全額支給、適性に応じて豊臣グループ各社への転属可能……」
募集要項を見た彼らは一様に驚いた顔を見せる。それが、この時代の切実な現実だった。大企業ですら新卒採用を絞り、派遣社員や契約社員ばかりが増え始めていた。
せっかく有名な大学を卒業しても、まともな仕事があるかはわからない。派遣や契約だと、いつ切られるかわからないし、働いても食べていけないかもしれない。
そんな社会状況だからこそ意味があるのだ。
途中報告によれば「寮費も食費も無料って本当ですか?」、「なぜそこまで優遇するんですか?」、「悪天候でも作業を行うのですか」などといった質問があったらしい。
私としては紀伊山地を本気で宝の山に変えたいと考えているから、若者には生活費の心配なく仕事に集中してほしいのだ。ようやくここまで来たという実感があった。失われた30年の患部にメスを入れたような気分だった。これが何とか軌道に乗れば……
そんなことを考えながら、私は会場二階のガラス張り通路から会場の様子を眺めていた。
「思った以上に人が集まってくれたわよね」
会場の様子を見てきた寧音が、少し驚いたように言った。
「それだけ皆、安定した仕事を求めているんだよ」
この時代の空気を、すでに一度経験済みの私はそう答えたが、彼女にとっては信じられないのかもしれない。考えてみたら彼女は久しぶりに戻って来た東京の現実を目の当たりにしたのだ。ショックも大きいだろう。
「普通に働き、普通に暮らしたい。ただそれだけの願いすら、この国では贅沢になり始めているんだ。バブルを知っている俺たちから見たら、あり得ない光景だろう?」
複雑な表情で彼女は頷いた。
「ところで……募集要項に『適性に応じて豊臣グループ各社への転属可能』って書いてあったけど、狙いは何なの?」
「ああそれね。優秀な若者が埋もれている確率が高いだろ?だから他社に取られる前に、根こそぎ全部頂戴しようと思ってね。だから裏では理系を重視するように指示してるんだ」
「確かに……さすがね。でもちょっと気になったのが新卒の応募人数がとても多いのよね。全体の半分近くになるんじゃないかしら?もう11月よ?どうなってるの?」
「それだけ就職難なのさ」
そんな現状だからこそ、私は紀伊山地に人を集める。
若者が家庭を持てる環境を地方に作る。それも、この計画の重要な目的だった。
寧音が少し表情を変えて言った。
「今日は女性が多い印象よね。『女性大歓迎』の文字を見て驚いている人が多かったけど、『これって本当なのかな?』って半分疑っている感じだったわ」
「そこは大事なポイントだ。採用する男女比は50対50が理想だし、むしろ女性が多いほうが歓迎なんだよ。能力があっても輝ける場所がない彼女たちにとって、豊臣グループは貴重な受け皿になるはずだ。それに、発電所や道路だけ作っても意味がないんだ。家族が暮らし、子どもが育つ街にしなければならない。そのためには女性の力が必要なんだよ」
「それが藤一郎の目指す地域再生の姿ってわけね。でも……虫もいっぱいいるし、蛇だって出るわ。トイレも問題になるはずだし、本当に大丈夫かしら?」
「確かに心配だと思うよ。でも、山仕事以外でも働く場所は作るし、都会の大企業が吸収できない人材を地方に分散する。少しでも少子化を防ぐ。結果として地域がよみがえるかもしれない。俺にとっては今の就職難は逆に人材確保のチャンスなんだ」
「……『大学は出たけれど』……ね」
彼女がなんとも言えない表情でつぶやいた。
「それは小津安二郎監督の作品かい?時代は確か……」
「昭和初期よ。金融恐慌で銀行や企業が次々と行き詰まって、その後に世界恐慌まで重なった。昭和恐慌が深刻化して、日本全体が閉塞感に包まれていた時代ね。その果てに満州移民へと進んでいった。今は、あの頃に少し似ている気がするわ」
世界恐慌か。
それが原因で、当時の日本は大陸へと活路を求め、さらに事態は深刻化した。
だが、あと数年で、それに匹敵するようなリーマンショックという異常事態が起きるだろう。
若者が未来を諦めなくて済む場所を作る。まずは、それが必要なんだと思った。
「来週は大阪でやるんだったわね?」
「そう。インテックス大阪で5日間だね。紀伊山地に近いから、募集人数はこっちよりも多くしているんだ」
大阪では就職博みたいな感じでやる予定だ。寮紹介、女性向け相談ブース、技術展示、吉野・熊野の物産紹介、社員食堂体験、ミニ講演会などで、講演会には私やスティーブ、イーロンや孫社長、ついでに竹中と石田も登壇予定だ。理系の人たちが興味を持ってくれたらいいんだが。
いや……この時代、イーロンはそれほど知られてはいないが、Appleのスティーブといえば若者が神格化し始めている存在だし、青色LEDの開発者として有名な石田や、伝説的なゲームを数多く世に送り出している竹中が登場したら大騒ぎになるかもしれない。
私の場合は……メディアのせいで世間での評判が悪いから、若者に好かれているとは思わないが、見物人だけは山ほど来るだろう。
それはともかく、女性向けには特に手厚くする。女性専用相談エリアを設け、女性社員による説明会、保育制度説明、社宅説明、キャリア形成説明などを行う。
西日本全域から広く募集もしたいから、面接にまで進んだ若者には交通費を全額支給しよう。
ただし、今年の募集枠は全体でたったの2000人だ。もっと多く採用したいが、肝心の受け入れ態勢がまだ整っていないから無理と判断した。
これから道路、発電所、送電網、通信網、住宅地整備まで同時に進めなくてはいけない。
私は文字通り「街そのもの」を作るための人材を必要としていた。だから来年以降は順次募集人員を増やしていくつもりだ。
2003年12月 アメリカ合衆国ニューヨーク州
私は、とうとう一人の男と接触を持った。
6年前、私はイーロンと共に、アメリカで小さな財団を作った。その名は『次世代コンピューティング・プログラム』と名付けた実験的プロジェクトだった。
応募条件は一つだけ。
年齢・学歴不問。指定サーバーに存在する欠陥を発見し、それを修正した上で、より良い構造を提示せ、というものだ。
報酬は一切明示しなかったし、奨学金も、肩書きも、未来の保証もない。
ただ一文だけ広告に添えた。「このシステムは、未完成だ。だが、もし君がそれに耐えられないなら、最初から触れない方がいい」それを全米のネットコミュニティに、ささやかなノイズとして流した。
その結果、私の目論見に引っ掛かった人物が現れた。
私は今、とうとう彼と面談をしていた。
名前はマーク・エリオット・サッカーベルク。
1984年5月生まれの20歳になったばかりの青年だった。かつてあのイーロンが、名前も顔も知らないサッカーベルクを評してこう言っていた。
「我々のプロジェクトに侵入者がいる。いや、侵入じゃないな。こちらが用意したバックドアを全部塞いだ上で、通信経路を書き換えていやがる」
イーロンは当時、そのように評価して恐れていた。
しかも続けてこう言っていた。
「構造美に異様な執着がある。既存プロトコルを壊さずに、再定義している」
そう評したのだ。まあマークは異次元の天才だから、イーロンがそう評価するのも当然か。
彼はニューヨーク州ウェストチェスター郡ホワイト・プレインズで、歯科医の父親と精神科医の母親の家庭に生まれた。高校に入学して2年を過ごすが、退屈な環境だったらしい。
友人のアダム・ダンジョンとともに、昨年、音楽再生用自由ソフトウェア「Synapse Media Player」のサービスを開始した。これは利用者が以前に選択した曲をベースに、聞く曲目を予測してくれる機能が高い称賛を受けたソフトウェアだった。
現時点でマークは、ハーバードの学生で、SNSサイト「Facebook」を立ち上げようと準備をしているはずだった。
真に世界を塗り替えるのは、その先だ。人と人をどう繋げるか。知能そのものを、どう拡張するか。
そこに手を伸ばすなら、今この瞬間、まだ誰にも見向きもされていない、未完成の頭脳に賭けるしかない。
私が滞在するマンハッタンのホテルの窓からは、テロの傷跡がまだ生々しく残る街並みが見える。世界は形を変えようとしていた。前例のないテロ攻撃によって人々が不安に震える中で、私は「次なる壁」を壊すための準備を整えていた。
「藤一郎、マーク君が到着したよ」
寧音の声に振り返ると、そこにはパーカーのフードを被り、少し猫背気味に歩く青年が立っていた。まだあどけなさが残る顔立ちだが、その瞳だけは異様に冷徹で、周囲の情報を瞬時にスキャンしているような鋭さがある。
「座ってくれ、マーク。わざわざ呼び出してすまない」
彼は無言で椅子の端に腰掛けた。挨拶もそこそこに、彼は私の前に置かれたラップトップを指差した。
「……6年前のあの悪だくみ、あなたの仕業だったんだね。世界の統治者、ミスターキノシタ」
開口一番、それだった。やはり彼は、あの時の『監獄』の主を探っていたらしい。
「驚いたな。6年も前のことを覚えているとは」
「忘れるわけがない。あんなに贅沢で、あんなに攻撃的なバックドアが仕掛けられたサーバーは他になかったから。あれは実験だったんだろう? 僕たち若者がどこまで壊せるかの」
「そうだ。そして君は、壊すだけでなく、より美しく作り替えた。それが私の興味を引いたんだ」
私は、彼が今まさに抱えている悩みに踏み込むことにした。
「それで、最近はどうしているんだい?どこかの有力企業から誘いはあったのか?」
「ああ。Microsoftから100万ドルで僕のアイデアを買いたいと言ってきた」
「そうか。そのオファーはどうするつもりだ? 100万ドル。20歳にしては悪くない数字だと思うが」
マークは鼻で笑った。
「彼らは僕のソフトを買いたいんじゃない。僕という才能を、ライバルに渡さないために閉じ込めておきたいだけだ。あそこに行けば、僕は巨大な歯車の一部として、Windowsのバグ修正でもさせられることになる。退屈すぎて死んでしまうよ」
「なるほどね。それには同意する。君は誰かに飼われる器ではないだろうな」
私は立ち上がり、窓の外を指差した。
「君が見ているのは、音楽のプレイリストじゃない。君が見ているのは、人と人がどう繋がり、どう影響し合うかという『社会の構造そのもの』だろう? Synapseは、そのためのプロトタイプに過ぎない」
マークの目が、初めて私を真っ直ぐに捉えた。このタイミングを逃さず提案した。
「君に提案がある。Microsoftのように君を買うつもりはない。私は、君という才能を加速させたいんだ」
私はテーブルに、一枚の簡潔な書面を置いた。
「ハーバードでの学業は自由だ。学費も生活費も私が全額負担する。だが、条件がある。君の大学生活を、ただの勉強の時間にするな。私の用意したラボに在籍し、そこで君の理想とするOSを書き続けてほしい」
マークは眉をひそめた。「OSだって?僕はOSなんて作ってない」
「いや、作っている。WindowsやMac OSのような、単に機械を動かすためのソフトじゃない。人間関係を動かすためのOSだよ。誰が誰と繋がり、何を共有し、何を信じるか。そのプラットフォームこそが、21世紀の基盤になる」
私は言葉を継いだ。
「君には、私の持っているGoogleのサーバーリソース、そしてイーロンが開発している決済インフラへの優先アクセス権を与える。君が何かを作りたいと思った瞬間、資金やインフラの心配をすることなく、即座に世界中へアクセスできる環境を保証しよう。君がやるべきことは、ただ一つ。世界を書き換えるコードを書くことだ」
「……イーロン?」
マークが反応した。
「そうだ。かつてZip2を立ち上げ、PayPalに関与した男だ。彼も既存のシステムに中指を立てて、新しいインフラを作ろうとしている。君と同じ側の人間なんだよ」
マークはしばらく沈黙した。彼の脳内では、膨大な変数が処理されているのだろう。20歳の若者が、100万ドルの現金を捨て、目に見えない「未来のインフラ」への賭けに乗るかどうか。
「どうして僕なんだい?あなたは僕に何を期待しているんだ」
「私は日本のメディアには嫌われている人間でね。だからメディアなんて信じていないし、彼らに対抗する力として君の協力が欲しいんだ。メディアが情報の角度を歪め、自分たちにとって都合の良い取捨選択をする時代を終わらせたいと思ってる」
マークはフッと口角を上げた。その表情には自信に満ちた、どこか傲慢なまでの天才の片鱗が宿っていた。
「それは理解した。メディアなんてくそくらえで、僕が新しいメディアになってやるんだ。いいだろう。Microsoftの連中には、暗号で書いた断りの手紙でも郵送しておくよ。中身を理解できるとは思わないけどな」
彼は私が差し出した手を、力強く握った。
「ただし、僕が作りたいものに口を出さないでほしい。僕は、誰かの指示で動くのは嫌いだ」
「もちろんだ。君が王様になれる庭を提供するのが、私の仕事だからな」
マークが部屋を出ていった後、控えていた寧音が大きな溜息をついた。
「……また一人、猛獣を飼い始めちゃったね。あの目、絶対に人の話を聞くタイプじゃないよ」
「分かっているさ。だが、彼のような男こそが、物理的な距離という概念をこの世から消し去るんだ」
小二郎が、心配そうに口を開く。
「兄さん、彼はまだ20歳です。いくら天才だと言っても、そんな強大な権限とリソースを今から与えて、道を踏み外したりはしないでしょうか?」
「道を踏み外す? 小二郎、彼は最初から道のない場所を歩く人間なんだ。踏み外す道なんて最初からないんだ。それに、彼が暴走しそうになったら、その時はまた別の天才をぶつければいい」
確かに彼はこの先問題を起こすのだが、この世界線でもそうなるかはわからない。
私は手元の端末に、次のターゲットの情報を表示させた。
次に会うのはサム・ムーブマン。生成AIの世界を切り拓く男。こちらも20歳の怪物だ。
だが、会うのは今じゃない。早すぎて意味がないのだ。彼に会うのは3年後の2006年、スタンフォード大学に彼が入学してからで十分だ。
怪物と表現したが、そう呼ぶに相応しい二人だろう。
神話にたとえるなら、ビヒモスとリヴァイアサンか。あるいはプロメテウスとパンドラか。
どちらにしても21世紀の世界を創り変える実力を持った人物たちだ。
「寧音、次の準備だ。マークにはボストンで自由にやらせる。その間に、我々は西海岸の牙城を固める。Googleと共に、我々が上流を押さえるんだ」
窓の外では、雪が激しさを増していた。 1998年から始まった私の孤独な賭けは、今ようやく具体的な形を伴って動き出そうとしていた。
イーロンという「翼」を得て、マークという「神経」を手に入れた。 あとは、この巨体に「魂」を吹き込む存在を見つけるだけだ。
「さあ、行こうか。未来が待っている」
私はコートを羽織り、雪のニューヨークへと踏み出した。




