拾漆之拾陸
釧路行きの特急おおぞら3号に乗車している平櫻佳音と五百旗頭灯凪の二人は、ビール片手につまみを摘まみながら、たわいもない話に花を咲かせていた。
列車は南千歳駅を出ると、石勝線へと入っていく。夕張炭鉱の運炭路線として敷設された夕張線を元に、1981年に開業した、道東への短絡線として敷設された路線である。
沿線には、財政再生団体になった夕張市や、観光地として有名な占冠やトマムなどが点在する。
「この辺は観光地が続くんやろ。」
「そうだね。アウトドア系のアクティビティが結構充実してて、特にトマムは雲海テラスで一躍有名になったね。最近では海外からの移住者も多いらしいよ。」
「へえ、そうなんや。」
「それに、この石勝線には、在来線としては、日本で二番目に長い34.3㎞もある新夕張駅と占冠の駅間があったり、北海道内で最長の5,825mを誇る新登川トンネルがあったり、結構見所がある場所なんだよ。」
「そうなんや。だから、さっきから景色が楽しめへんのか。」
「そうだね。他にも、5,790mの新狩勝トンネルとか、5,700mの登川トンネルとか、長大トンネルが連続するからね。」
「山岳地やからって、それはないやろ。トンネルがありすぎなんとちゃうん。」
「そりゃぁしょうがないよ。なにせ北海道の背骨って言われる日高山脈を越えていくんだから。」
佳音の言うとおり、列車は暫く進んでは真っ暗なトンネルへと突入し、トンネルから出たと思うと、再びトンネルへと入っていく。徐々に標高も上がっていき、山岳地帯を走っているという実感を覚える。
「退屈な車窓って言えば、あんた、ホンマに色気ないなぁ。」
佳音の説明を聞いていた灯凪が、突然口傘もなく佳音を腐す。
「何よ、突然藪から棒に。もしかして、もう酔ったの?色気がないなんて、あんたに言われたくはないわよ。」
佳音が灯凪の顔色を見て、まだまだ酔ってないことを確認して、言い返す。
「なんや、こう、女の魅力っちゅうんか、匂い立つようなフェロモンみたいなもんが、あんたにはないねん。」
灯凪は、佳音の反撃をスルーして持論を展開する。
「すみませんね。フェロモンがなくて。」
佳音は拗ねたように言う。
「ええねん。女なんてのはな、好きな男の前だけでフェロモン出しときゃええねん。でもな、あんたは出さなすぎやねん。人間としての魅力だけじゃあかんねん。ええか、そないに鉄道の知識ばっかり身に着けたって、男は寄ってけぇへんねんで。」
「絡み酒するなら、ビール取り上げるよ。」
佳音が缶ビールを取り上げようとすると、スッとそれを躱して灯凪は話を続ける。
「あんな、あんた昔からそうやったやろ。大学ん時の、ほら、例のお兄さんの時も……。」
灯凪が言っているのは、佳音が当時親しくしていた男性だ。
佳音はとっくに名前も忘れてしまっていた。灯凪に言われる今の今まで思い出すこともなかった男性だが、バイト先で知り合った社員さんで、かなり仕事が出来る人で、当時佳音よりも10歳程歳が離れていたが、既にエリアマネージャーとして、地域統括の中心にいた人だ。
なぜ、そんな人が佳音と親しくしてくれたのかと言えば、共通の趣味というか、話題が旅行だったので、話が合ったのだ。学生だった佳音は旅行の経験はあまりなかったが、それでも、彼は佳音の話を聞いてくれたし、彼の話す旅行話はとても楽しかった。
なぜ、それを灯凪が知っているのかというと、同じ職場でバイトをしていたからだ。当時から良く灯凪に冷やかされたが、彼は歳の離れた敏腕サラリーマン、それに引き換え佳音は将来の展望も何もなく、当時始めたばかりの動画投稿を細々とやっているだけの、何の取り柄もない、ただのしがない学生であった。好意を持つことはあっても、告白するなんてあり得なかったし、告白して貰えるなんてことはもっとあり得なかった。
「よくそんな昔のこと覚えてるわね。ってか、なんで今更そんな話を持ち出すのよ。」
「あんな、あんた、あの人になんて言うたか覚えとるか。」
「私が彼に?名前も覚えてない人に、言った言葉なんて覚えてる訳ないじゃない。私何か言ったの?」
「酷いわぁ。これやから、おぼこは。あんたな、あの人はホントにあんたのこと好いとったんやで。でも、あんた、そんな彼に『あなたみたいなお兄さんが欲しかった』って言ったんや。」
「それの、どこがいけなかったの。彼の話は本当に楽しかったし、彼に好意も持っていたし、別に悪意なんて全然なかったよ。実際、四姉妹の中で育った私にとっては、お姉ちゃんよりちょっと上の彼は、良いお兄さんに見えたんだし。」
「あ~あ。ホンマに15年経っても、まだ分かっとらんかったよ、このおぼこは。」
「なによ、何が分かってないのよ。」
「あんな、彼はあんたのことが好きやった。告白まで考えとったんや。それがな、その相手にお兄さんになって欲しかったって言われてみぃ、どないな気持ちになるんや。」
「別に、どうもないでしょ。かわいい妹が出来たと思えば良いんじゃないの。」
「まだ分からんのかいな。じゃ、たとえばの話をしよか。あんたが好意を寄せてる男性がいるとしようや。その男性にあんたは告白しようと考えとる。せやけど、その彼から、『佳音さんみたいなお姉さんが欲しかった』とか、『佳音さんみたいな妹が欲しかった』とか言われてみぃや。どないな気持ちがする。想像してみぃ、告白する気になるか?」
「良く分からないけど、ならないの?」
ピンと来ない佳音は、首を傾げる。
「ならへん。絶対にならへん。なる訳ないやろ。どうやったら、そんな気が起きるねん。ましてや、『欲しかった』って過去形やで。まだ『欲しい』やったら、脈ありって感じるかもせいへんけど、どう考えたって無理やろ。」
灯凪の口調はヒートアップしていく。
「ふーん、そんなもんかなぁ。」
「そんなもんかなぁやあらへんねん。そんなもんやって言うとんねん。あんたは、あの人好きやったんやないの?」
「好きだったよ。素敵な人だったもん。でも、ほら、私とは釣り合わないし、優しくしてくれてるのだって、私だけじゃなくて、皆にも優しかったし、そんな負け戦みたいな告白する訳ないでしょ。だから、お兄さんみたいな人だなぁって思ったんだし。」
「はぁ~、あんたは、昔からそやったね。勝ち目のない勝負は絶対せいへん。そんなことやから、人生最大のチャンスを逃してしもうたんやで。」
灯凪は溜息交じりに嘆く。
「ふーん、そうなんだぁ。まさか、あの人が私のことを好きだったなんてねぇ。全然知らなかったよ。それなら、言って欲しかったなぁ。」
「あんな、そんなこと言うとるから、男が離れて行くんやで。」
「そうなの?だって、男の人って好きな女には、何を置いても猪突猛進でアタックしてくるもんじゃないの。逆に女が追いかけると男は皆逃げていくって言うじゃない。」
「あんた、どんなドラマ観とったら、そんな思考になんねん。」
「別に、そんなに変なのは観てないと思うけど。一応世間で流行ってたものは一通り観てきたけどね。」
「あんな、もののたとえや。ドラマのせいやあらへんってぇの。あんたの思考の問題やって言うとんねん。」
「私の思考ねぇ。別に普通だと思うけどな。」
「ピンときてへんようやから、ハッキリ言うとく。あんた、一般的で、常識的な恋愛脳をしっかりと作らんと、そのまま年取って、独り身のままで墓場に直行やで。」
「それも仕方ないんじゃないの。そんなん、他人の常識は自分の非常識って言うし。」
「仕方ないやあらへんねん。あんたはな、悔しいかなウチより美人なんや。性格も悪うない、ええ子や。知識もあって、頭もええ。才色兼備を地でいくええ女や。それがな、男にほっとかれとるんわ、ウチが我慢ならんねん。」
「そんなの、あんたが気にしなくても良いよ。私の人生なんだし、ケセラセラって言うでしょ。人生なるようにしかならないって。」
「なにが、ケセラセラや。あかん、これはあかん。完全に終わっとる。ここまで酷いことになっとるとは……、決めた。ウチがあんたを改造しちゃる。男がいいひんとダメな女にしてやるさかい、覚悟しぃや。」
「良いって、変なこと決意しなくて良いから。そんなことより、旅を楽しもうって。ほら、そろそろ、十勝平野が見えてきたよ。」
狩勝峠を超えた列車の車窓には、広大な平野のパノラマが広がっていた。このあたりは大きなカーブが続くため、絶景を楽しめる区間となっているのだ。
「おお、凄いやんか。これは絶景やな……やあらへんねん。」
「まあまあ、ほら、弁当でも食べて。」
「ああ、これが美味いんや……って、あんなぁ。」
「まあ、私の恋愛話は良いのよ。今更、好きだ嫌いだなんて、どうでも良いし、あんたは幸せな結婚生活を送っているかも知れないけど、千紗姉ちゃんは旦那さんの文句ばっかり言ってるし、理沙も結婚して間もないのに、二言目には離婚するとか言ってるし。あんなの見てたら、結婚しない方が気が楽じゃない。
それにさ、あんたは私のこと美人だ、美人だって持ち上げるけど、鹿児島のド田舎から出てきたような薩摩おごじょが美人なわけないでしょ。私の容姿は私が良く分かってるから。旅行にしか興味のない、乗り鉄の鉄子なんて、誰も相手にしないって。」
佳音は、灯凪のあまりの剣幕に気圧されてはいたが、ここぞとばかりに反論する。
「それがあかんって言うとんねん。あんたの動画サイト、100万人に迫る勢いで登録者がおるんやろ。その全員があんたの動画内容が好きで観てると思ってんの。」
佳音の反論にも臆せず、灯凪は渡された弁当を広げながらも、憤りを辞めない。
「そうでしょ。それ以外に何があるのよ。こんなおばさんの容姿になんて需要ないでしょうよ。」
佳音も弁当を開けながら、反論は辞めないが、灯凪の剣幕には気圧されてしまう。
「それが間違いやって言うとんねん。あんな、こんなこと言うたらあかんとは思うけど、ハッキリ言うとく。あんたの顔と身体見たさに登録しとる男はごまんとおるはずなんやで。あんた時々、サービスショットとか言うて、入浴シーンを撮ったりしとるやろ。そんときのコメントは相当あかんで。」
「それは、あんたの想像でしょうよ。時々コメントで変なこと書いてくる人もいるけど、あれ全部冗談だからね。真に受けちゃダメだよ。」
「あかん、これは重傷や。いや重篤と言っても過言やあらへん。あんな、百歩譲って冗談やとしても、冗談でそんなこと言う男がおるか?冗談めかした、本気なんやで。それぐらい需要があんねんで。35歳なんて世間的にはまだまだ行ける口なんやからな。」
「あれが、冗談じゃないって?それこそ冗談でしょ。」
「誰が上手いこと言えって言うた。そんなに言うなら、ウチの澪君にでも聞いたらええし、なんやったら、あんたが信奉しとるイケオジ二人に聞いたってええ。」
「なんで、そこであの人たちが出てくるのよ。そんなくだらないこと聞ける訳ないでしょ。澪君にだってそうよ。そんなの一蹴されて終わりよ。」
「もう、あかんのか。これは処置なしなんか。こんなん、真夏に雪降らす方が楽な気がしてきたわ。」
「なにそれ。」
「それぐらい、あんたは終わってるって言うてんねん。」
「酷いなぁ。」
「酷いも何も、あんたはそれ位酷いことになっとんねん。少しは自覚しぃ。」
「そうか。それはごめんね。」
「謝って済む問題やないねん。こうなったら、徹底的にしごいたるから、覚悟しぃや。」
「ハイハイ。何を覚悟したら良いんだか。」
「まずは、その根性から叩き直さなあかんかぁ。」
灯凪は頭を抱えるようにして、缶ビールを呷る。
「ほら、そんなことに心砕いてないで、旅を楽しもうって。次は帯広だよ。帯広ってね、アイヌ語でオペㇾペㇾケㇷ゚って言って、川尻が幾重にも裂けているものって意味なんだよ。帯広川が分流している様を表しているんだって。おもしろいよね。」
佳音は恍けたように言う。
「へえ、そうなんや……ってならへんからな。」
「ならへんのかぁ。残念。」
「ならへんのかぁやないねん。まずは、色気について、それから恋愛についてもしっかりとレクチャーせなあんな。」
そう言うと、灯凪は景色そっちのけで、佳音に懇々と女とは、色気とは、フェロモンとは、恋愛とは、ああだこうだと、レクチャーを始めたのだった。
やがて、レクチャーをする灯凪の向こうには、農産物の集積地として発展してきた帯広の街が広がっていた。札幌程ではないが、山岳地帯を抜けてきて、最初の都会と言った様相で、ビルが建ち並ぶ地方都市の景色がそこにあった。
そんな、景色には目もくれず、灯凪は懇々と話を続けていた。
帯広駅を過ぎ、池田駅を抜け、列車は十勝平野を爆走し続けていたが、厚内駅を通過しようとする頃には、佳音の反応が暖簾に腕押しだったためか、灯凪のレクチャーがトーンダウンしてきた。
「ほら、そろそろ、海が見えてくる頃だよ。」
灯凪の説教が途切れたタイミングで、佳音が言う。
「まだ話は終わっとらへんねん、……って、ホンマや、海やんか。……綺麗やなぁ。……太平洋かいな。」
話を続けようとしていた灯凪が、ふと車窓に目を遣ると、一気にその景色に目を奪われてしまった。
「そうだね。太平洋だね。」
佳音はしてやったりという気持ちを、しっかりと隠しながら応えた。
「ホンマに水平線ってこんな風に見えるんやな。こんなん見たことないわ。凄いなぁ。」
そう言うと、灯凪はスマホで写真を撮り始めた。
「ねっ、凄いでしょ。山の中から十勝平野を眺めて、降りてくると目の前に海が広がるって、最高でしょ。」
「せやな。これは最高やわ。そこに道路が通ってるのもええなぁ。」
「その道路は、道道1038号線だね。ここから、何カ所か海が見える場所があるから、絶景が広がるよ。」
「どうどうって、北海道の道ってことかいな。」
「そう、県道とか府道みたいなもんだね。」
「ふーん。ええ感じやな。」
この疾走感を撮りたいのだろう。灯凪は写真から動画の撮影に切り替えた。
「次の、白糠駅を過ぎたら、終点の釧路だからね。」
佳音への説教を中断して、夢中で撮影している灯凪に予告をする。
「分かった。説教の続きはまた後でするからな。」
「ハイハイ。」
佳音は、まだ続くのかと残念に思ったが、取り敢えず灯凪の説教から解放されたことにホッとしつつ、大分ぬるくなった、残っていた缶ビールを飲み干した。
やがて、釧路到着の車内放送が掛かると、二人も降車の準備を始める。呑み散らかした缶や、おつまみの袋、それに駅弁の空き箱をビニール袋に詰め、テーブルを元に戻し、リクライニングを戻す。
列車は時刻表通り、13時20分に到着した。
釧路駅に降り立った二人は、根室本線の花咲線に乗り換えるため、駅の改札を抜けていく大勢の降車客の流れに逆らって、地下道を通って3番ホームへと向かうのだった。




