拾漆之拾肆
ビール園でジンギスカンを堪能した、平櫻佳音と五百旗頭灯凪の二人は、空になった鍋と皿とグラスを眺め、食べ残しがないことを確認した。残していると、追加料金を取られる可能性があるらしいので、チェックには余念がない。
「よう食べたな。」
少し赤ら顔の灯凪が感心したように言う。
「そうだね。もうちょっと何か食べたいけど。なんか、物足りないから、この後、どっかでパフェでも食べない?」
まだ食べ足りないのか、佳音が提案する。
「まだ、食べんの。」
灯凪が呆れかえる。
「うん、だって、札幌ではパフェを締めにするっていうじゃない。それなら、味わってみたいでしょ。」
佳音が応える。
「いや、百歩譲って、締めを食べるっていうのはええけど、パフェはないやろ。」
「そうかな。パフェ美味しいけどなぁ。」
「美味しい美味しくないの話やないねん。美味しいのはウチも知っとる。そやけど、あんた、さっき健康のこと誓ったばっかりやろ。」
「そうだっけ。」
「そうだっけやあらへんねん。ホンマにあんたと旅行行ったら、10㎏増量は覚悟せなあかんからな。澪君に嫌われたらあんたのせいやからね。」
「大丈夫だよ。澪君はあんたに甘々なんだから、パフェの一つや二つでその甘さはたいして変わらないから。」
「誰が上手いこと言え言うた。」
「ん?あんた。」
「ウチはそないなこと言わへんって。……ホンマにあんたレベル上げよったな。」
「そう?ありがとう。」
「誰も褒めてへんから。」
灯凪は溜息を吐くように呆れかえる。
「疲れたの?じゃ、パフェでも食べて回復しようか。」
「あんなぁ。更にレベル上げんといてや。」
灯凪のツッコミに佳音は声を上げて笑った。
灯凪は大分酔いが回っているのか、佳音のボケ倒しに疲れたのか、椅子から立ち上がるのが少し覚束ない。佳音の手を借りて、漸くしっかりと立ち上がると、精算を済ませてから建物を出る。
「ホンマに美味かったな。」
灯凪は覚束ない足取りながらも、お腹をさすりながら、佳音の後ろから付いてくる。
「そうだね。ここは外れないからね。」
佳音はそう言いながら、目の前の建物へと足を向ける。
「ところで、どこ行くん。」
灯凪が酔いを覚ますかのように、深呼吸をしながら尋ねる。
「そこのお土産物屋さん覗いていこうと思って。行くでしょ。」
「お土産物かぁ、行く、行くで。」
灯凪は大きく頷くと、佳音の後に付いて、土産物屋の建物に足を踏み入れた。
店内には、ビール会社のグッズを始め、ビール園で使用していた調味料や北海道型の鍋、もちろん、様々なビールやおつまみなども販売していた。
「なあ、この鍋買うていかへんか。」
「行かないよ。持って歩けないし。」
「宅配出来るやろ。」
「それなら、買えば。」
「なんや、つれないなぁ。あんたも買いや。」
「買わないよ。置いとくとこないし、家に殆どいないのに勿体ないでしょ。」
「そうかぁ。絶対に買うたら楽しいやんか。」
「私は買わないけど、あんたは買ったら良いんじゃない。子供たちも喜ぶだろうし。」
「そやろ、あの子たちなら喜んでくれるよな。」
「そうだね。」
「ほな、これ買うてく。」
灯凪は、結構な重量の鍋を手に取った。
「これや、これ。さっきのタレ。」
「ああ、つけダレね。……ほら、やっぱりレモン使ってた。」
ポップを見るとタマネギをベースにレモンが絞り込まれていると書いてあった。
「ホンマや。あんたよう分かったな。」
「まあね。色んなもの食べてると、自然と分かるようになるのよ。」
佳音がドヤ顔を返す。
「ホンマ、あんたは食のことになると隙がないな。」
「ありがとう。」
「誰も褒めてへん、……って、褒めてることになんのか。とにかく、あんたは食に拘りすぎなんや。少しは自重しぃ。」
佳音を詰ると、灯凪はケタケタと笑い出す。完全に酔っ払いである。
そんな酔っ払いでも、家族のことは頭から離れないのか、結局灯凪は北海道型の鍋と、家族全員のTシャツ、それから、家でも出来るようにジンギスカンのセットを色々と購入し、宅配の手続きをした。
一方、佳音はと言うと、北海道型のジンギスカン鍋を模したキーホルダーを購入しただけである。
「なんや、結局鍋を買うてるやんか。」
佳音が、購入したキーホルダーをリュックに付けていると、灯凪が覗き込む。
「まあね。あんな大きいのはいらないけど、これなら、持ち運べるし。」
取り付けたキーホルダーを佳音は揺らす。隣に並んでいる東京スカイツリーのマスコットとシマエナガ、それに神戸ポートタワーも一緒に揺れる。
「そやな。それで、焼き肉でもしたらええやん。」
「そうだね、こうやって肉載せて、ジュウジュウ焼いてね。って、そんなん出来る訳ないでしょ。腹の足しにもならないよ。」
「おっ、佳音がボケ、ツッコミをしよった。これは明日大雪やな。」
「あのね。あんたといると、こんぐらい出来るようになるの。馬鹿なこと言ってないで、ホテルに行くよ。」
「分かった、分かった。ところでホテルはどこ。」
「札幌の駅前だよ。明日も早いし、すすきのの方とかで取っても良かったけど、朝少しでもゆっくりしたいでしょ。」
「そやね。ゆっくり出来るのはありがたいわ。」
二人は、そんなことを言いながら、時折酔ってふらつく180㎝を超える長身の灯凪を佳音が支えながら、バス停へと向かう。ビール園の敷地内にある、北海道中央バスの188番系統のバス停だ。この路線は、ビール園と札幌駅北口を直通で結ぶ路線で、実質、乗車時間7分のノンストップで走るシャトルバスである。
「次は20時45分。……あと3分だね」
佳音が時刻表を見て、スマホで時刻を確認する。待機客は然程おらず、二人の他に5人ほどが並んでいた。
「すぐやね。」
佳音は、今にも座り込みそうな灯凪を支えてバスを待つ。
灯凪は、バスを待っている間も、ずっと何かを喋っていた。話題は相変わらずあっちこっちに飛んで、話題と言うよりも、思いついたことをひたすら言葉にしているような状態だった。佳音は、それでも灯凪の話に耳を傾け、相槌を打ち、必要があれば応えた。
そうこうしているうちに、白地にオレンジの線が入ったバスが到着した。
待っている間に後ろに3名程並んだが、二人とも席に座ることは出来た。
あれだけ、喋っていた灯凪は、席に着くと佳音の肩にもたれて、すぐに寝息を立ててしまい、佳音はその頭を受け止めて、夜の札幌市街を眺めながら、バスの揺れに身を任せた。
道は然程混んではいないが、右折待ちの車や、左折待ちの車を縫うように避けて行くため、真っ直ぐの道を走っているはずなのに、右へ左へとバスが揺れていく。そんな揺れを心地よく感じながら、佳音はふと浅草で旅寝駅夫が酔い潰れ、星路羅針と二人でタクシーに乗せたことを思い出した。
旅寝は星路に酒呑みで負けてばかりなので、虚勢を張っているんだなんて星路が分析していたが、よく考えたら、灯凪も旅寝と同じように、佳音に対して負けず嫌いを発揮しているのかとも思った。
だが、旅寝にしろ、灯凪にしろ、負け戦に挑んでいることは自覚しているようで、旅寝は星路に、灯凪は佳音に身を任せられる安心感から酔い潰れられるのだろうと、佳音は考えたりもした。
実際、酒の強い星路に対し、佳音が勝負を挑んだらどうだろうか。佳音はそんなことに考えが及ぶ。状況的には灯凪が佳音に、旅寝が星路に勝負を挑むのと同じだ。もちろん、星路は佳音よりも酒豪だ。食事の量では負けないが、酒の量ではおそらく星路の方に軍配が上がるだろう。そんな気がするのだ。
もし、勝負を挑んで、星路に負けたとして、旅寝や灯凪の二人と同じような気持ちを味わえるのか、それは分からない。だけど、そんな風に負けたところで、星路とは甘えられるような関係ではないので、旅寝や灯凪のような気持ちを味わえることはないだろうと、思い直した。
考えてみたら、負け戦に挑んだことなんて、自分の35年間の人生を振り返ってみても、殆ど記憶がない。そんな佳音だからこそ、そう言う気持ちが分かるようでいて、本当のところは分からないんだろうな、と自己分析を窓の外に流れる灯りを目で追いながら、考えていた。
それにしても、星路に勝負を挑むなんてことを考えているなんて、無謀にも程があるなと、佳音は自分が彼を色んな意味で意識していることに、少し照れくささを感じ、頬が熱くなるのを覚えた。
バスは7分もかからずに札幌駅北口に到着した。寝息を立てている灯凪を揺り起こし、慌てるようにバスを降りた。夜が始まったばかりの札幌駅からは、大量の人々が溢れ出てきていて、帰宅する社会人や学生たちが、バスロータリーに長蛇の待機列を作っていた。
「ほら、ホテルはすぐそこだから、しっかり歩いて。」
佳音はややもすれば座り込みそうになる灯凪を支える。
「う~ん。分かった。」
灯凪はそう言いながら、自分で頭をブルンと振って、深呼吸をし、閉じそうになる目を瞬いて、歩き出した。
「そこの路地を入っていくからね。」
佳音はそう言って、後ろから手を添えながら、灯凪の覚束ない足取りに注意を払いながら、ホテルへと向かう。
今夜泊まるホテルは全国チェーンのビジネスホテルである。寝るだけなので、別段部屋が豪華とか、朝食が美味しいとか、そんなことには頓着せず、立地だけで選んだようなホテルである。これまでも、佳音は何度か利用しているチェーン店で、一応会員証も持っているし、他の場所でもお世話にはなったことがあるホテルだ。
ホテルに入ると、予約してあることを伝え、無事にチェックインを済ませる。
部屋はツインで、部屋に入ると、まず灯凪にシャワーを浴びさせる。眠そうな顔で、面倒くさそうにしていたが、無理矢理浴室に押し込んだ。
シャワーの音が聞こえてくるのを確認した佳音は、リュックが食い込んでいた肩を解しながら、今日撮った撮影データをパソコンのHDDに移す。これをしておかないと、メモリーカードの容量不足で、慌てふためくことになるので、これだけは欠かせない。
佳音がペットボトルの水を飲みながら、パソコンで作業をしていると、すっきりした顔で灯凪が浴室から出てきた。
「お先。」
「ごゆっくり。」
「お陰で、ずいぶんすっきりしたわ。」
「そう、それは良かった。……それじゃ、私も浴びてくるね。」
「ゆっくりしてき。」
「ありがとう。」
佳音はそう言うと、パソコンの電源を落として、用意しておいた着替えを持って、浴室へと向かう。
今日一日、歩き回って掻いた汗と、しっかり施しておいた化粧を、頭の天辺から、足の先まで、綺麗さっぱり洗い流した。
身体を洗い終わると、髪の毛を乾かしながら、歯を磨いて、浴室を出る。
「なあ、パフェ食べに行かんでええの。」
佳音が浴室から出てくると、開口一番灯凪が聞く。
「えっ、パフェ?……ああ、パフェね。良いよ、良いよ。今日はもう辞めとこ。あんた疲れたでしょ。」
佳音は首を横に振って、言う。
「そうなん、それならええけど。どうしてもって言うなら、付き合おうと思とったんやけど。」
「ありがとう。でも、良いよ。ゆっくり休んで、明日また美味しいもの食べよ。」
「そんならええけど。で、明日は、何時に出るん?」
「8時52分発の特急おおぞらに乗るから、遅くても8時30分にはホテルを出たいわね。」
「分かった。朝食はどうすんの。」
「朝食は一応込みだから、食べていくよ。7時頃で良いんじゃないかな。」
「7時やね。了解。」
二人は、明日の予定を確認し合い、その後も、暫くたわいもない話をして、日付が変わる前には消灯した。




