拾漆之拾参
ビール園の資料館を見学し、復刻札幌製麦酒を堪能した二人は、予約していた建物へと移動した。
ビール園には、開拓使館、ライラック、ポプラ館、そしてガーデングリルの四種類があって、それぞれ、目的に合わせて選べるようになっている。
もちろん、二人はジンギスカンとビールを堪能しに来たので、予約の段階から開拓使館の二階、ケッセルホールに狙いを定めていた。
開拓使館の一階はトロンメルホールと言って、蟹や寿司なんかも提供されているようだが、二人は迷うことがなかった。
「ちなみに、トロンメルは回転選別器、ケッセルは薬缶っていう意味のドイツ語なんだよ。」
佳音が聞かれもしないのに、灯凪に説明する。
「へぇ、じゃぁ、ウチらは選別されんと、いきなり煮炊きされるっちゅうわけか。」
灯凪が巫山戯たように言う。
「煮られたいならどうぞ。私は止めないから。」
「ホンマにあんたいけずに拍車が掛かっとらへんか。」
「そんなことないよ。拍車が掛かってるんじゃなくて、レベルアップしただけだから。」
「なんやそれ、もっと質悪いやんか。」
「そう?」
そう言うと佳音は声を上げて笑う。
「あんたも言うようになったな。これは、本気で男の影を追求せなあかんな。」
「ごあんどん。な~いもでっこんじゃっどん。(お好きにどうぞ。なぁ~んも出てことないけど。)」
「はあ?なんて、なんて?鹿児島弁やろそれ。」
「そうだよ。」
「なんて言いよったんや。」
「何でもないよ。大した意味はないから。」
「ホンマにあんたいけずのレベル上げよったな。かなわんわ。」
「ありがとう。」
「誰も褒めてへんって。」
そう言うと、灯凪はケタケタと笑い出し、やられたという表情をしていた。
佳音もそれに釣られてケタケタと笑い出した。
総合受付と資料館の入った赤煉瓦の建物に隣接した、こちらも同じ赤煉瓦造りの建物へと、二人は足を踏み入れ、二階へと上がっていく。
建物の中はジンギスカンの匂いが充満していて、否が応でも食欲を刺激してくる。
時刻は丁度18時。ほぼ時間ぴったりに入り口へと到着した。
係の女性に受付で貰ったチケットを見せると、予約席へと案内してくれた。
中へ入ると、開拓時代を感じられるような、重厚な造りのホールが広がっていた。其処此処から、肉を焼く音が聞こえ、芳ばしい香りが漂うが、殆どの席が埋まっているのにも関わらず、計算された排煙設備のためかまったく煙たくないのも、ポイントが高い。
二人が席に着くと、120分一本勝負のジンギスカン開始のゴングが鳴った。
メニューはもう既に決まっている。ラムづくしの食べ放題コースだ。値段は張るが、その分様々なラム肉を楽しめるのだ。そして、飲み物もプレミアムの飲み放題を頼む。折角なら色んなビールを楽しみたい。二人とも呑んで食べて、満喫しようと意気揚々である。
慌てるなんとかは貰いが少ないと言うように、時間が限られているからと言って、ガツガツしてはいけない。まずは、一人前のセットが届くので、それを平らげた上で、おかわりへと移行するのだ。それに、一遍に頼むと焼いてる間に、待機している肉が悪くなってしまう。これはジンギスカンに限らず、焼き肉食べ放題の常識なのだ。
佳音はそんなことを灯凪に宣いながら、このビール園の目玉である王道のクラッシックなビールを注文することも忘れない。
「ホンマにあんたは食となると妥協せいへんからな。」
「もちろん。食事で妥協したら、何のために旅に出てるか分からなくなるじゃない。」
「ハイハイ。」
「何?あんたは妥協したいの?」
「いいや、全面的にあんたに従うよ。」
「さあ、お肉が来たから、焼こうか。」
「御奉行様、よろしくお願いしますぅ。」
「まったくもう。」
最初のお肉が到着すると、早速北海道の形をしたジンギスカン鍋に、まずは脂を塗り込んでから、野菜を敷き詰める。
ジンギスカン鍋のやり方として、大きく分けて二つのやり方がある。一つが直焼きで、もう一つが蒸し焼きである。直焼きとは、まず野菜を鍋に並べるとその中央部を空けて、鉄板に直接肉を置いて焼く方法であり、蒸し焼きとは、中央部を空けずに、野菜の上で肉を蒸し焼きにする方法である。
もちろん、好みにも依るので、どちらが良いとは一概に言えないが、直焼きは肉の香ばしさを味わい、蒸し焼きは肉本来の旨味を堪能出来るという話である。
ここは、何度か来ている上、食にも五月蠅い佳音が鍋奉行を務め、まずは肉本来の旨味を堪能出来る蒸し焼き方式で、鍋を準備していく。
焼けるまでに多少時間が掛かるので、その間、到着したビールで乾杯をする。
「北海道旅行の成功を祈って、乾杯!」
「乾杯!」
灯凪の音頭で、二人はグラスを掲げ、ビールを喉に流し込む。
先程呑んだ復刻札幌製麦酒で既にエンジンが掛かっていた二人は、一気にグラスの半分を空けてしまう。
佳音はともかく、灯凪も相当の飲兵衛だ。
「あんた、相変わらず良い呑みっぷりやね。」
灯凪が佳音のグラスを見て笑う。
「そう言うあんただって、人のこと言えないんじゃない?」
佳音も灯凪のグラスを見て笑う。
「あんた程やないと思うけどな。」
「何言ってんの、ウワバミみたいに呑むくせに。」
「ザルに言われたくはないわ。」
「言うわね。じゃ、呑み比べする?」
「イヤ、辞めとく。あんたに勝てる訳ないやろ。」
「そうか。敵前逃亡するんだ。」
「煽ったって、乗らへんからな。」
「なんだ、つまんないの。」
二人の呑む量は五十歩百歩だが、呑み比べをすれば確実に佳音に軍配が上がるので、灯凪は勝てない勝負には手を出さない。
若い時はそれでも、酒に強いと自負していた灯凪は佳音に挑んだものだが、どんなに頑張っても、佳音には遠く及ばず、ケロリとしている佳音の前で、酔い潰れたものだった。
佳音は時折肉の状態を見ながら、グラスを既に空けており、次の注文、黒いラベルの付いたビールをタブレットでしていた。
「その次は、ハーフアンドハーフかな。それとも五つ星が良いかな。」
佳音はタブレットを戻しながら、ブツブツと更に次のビールの算段を建てている。
流石に佳音のペースは速い。灯凪は相変わらずの呑みっぷりの佳音に呆れた。しかし、目の前で焼き上がっていく肉を見て、灯凪も今か今かと待ち侘びていた。
そうこうしているうちに、肉も漸く良い具合に焼けてきた。
「そろそろ良い頃合いだね。」
佳音が言うと、
「いっただきまぁす。」
と灯凪は、早速箸を延ばす。
「どう、焼けてる?」
「う~ん、美味い。」
「そう、それは良かった。」
「ドンドン焼いてな。」
灯凪がそう言うので、佳音は焼き上がった肉をどかして、次を焼き始める。そして、最初の一口を頬張ると、
「やっばりこれよこれ。」
久々に食べるラム肉の旨味に、佳音も笑顔になる。
ラムは独特の風味があるので、好き嫌いが分かれるところだが、ここのラムは食べ慣れない観光客向けであるためなのか、臭みはもちろんなく、独特の風味もイヤな感じではないので、二人とも箸は止まらなかった。
「やっぱ、ジンギスカンはええね。」
灯凪がラムロースを頬張りながら言う。
「だよね。ここのラムは食べ慣れない私たちでも美味しくいただけるからね。」
そう言う佳音はラムチョップを頬張っていた。
エンジンの掛かった佳音は速い。焼き上がった先から、ドンドン胃袋の中へと消えていく。灯凪からは、目の前の肉が次元の彼方へでも消えていくように見えるのだ。呑みでは佳音に付いていこうとすることは出来ても、食べるとなると足元にも及ばないので、灯凪は自分のペースでゆっくりと食事を楽しむ。
みるみるうちに空いた皿が積み上がっていく。殆どが佳音の胃袋の中に消えたラム肉が載っていた皿である。佳音は器用にも焼き具合を見ながら、自分の口へと運び、皿が空く前に次の皿を注文する。まさに職人技である。
「このタレ、美味ない?」
灯凪が箸の止まらない佳音に話し掛ける。
「そうだね。タマネギをベースに柑橘系の、多分レモンかなんかが入ってるんじゃないかな。このさっぱりとしたフルーティーな味わいが良いよね。」
佳音はそう言いながらも、手は止まらない。
「この塩胡椒も美味いやんね。」
灯凪はテーブルに備え付けだった塩胡椒にも言及する。
「そうだね。味変にはもってこいの調味料だよね。」
やはり、佳音の手は止まらない。
「あんた、ホンマに手が止まらへんな。」
「そう?ビールを呑む時は止まるよ。」
そう言って、もう何杯目か分からないビールのグラスを佳音は呷り、空にすると次のを注文しながら、すぐに箸を取って肉へと伸ばす。
「いや、止まってへんから。箸は止まってるか知らんけど、手は止まってへんから。」
灯凪は呆れたように言う。
「そう?」
「そうや。まあ、好きなだけ食べたらええけど。」
灯凪に呆れられながらも、佳音はどこ吹く風で、再び焼き上がったラム肉を口へと放り込んでいく。だが、佳音が放り込んでいくのは肉だけではない。ラム肉の肉汁をたっぷりと吸い込んだ野菜も、佳音の胃袋へと消えていく。
「この野菜も美味しいよね。」
野菜と言っても殆どモヤシで、一応カボチャやパプリカなんかも入っているが、肉を焼くためのクッション扱いではある。しかし、肉汁をたっぷりと吸わせると、ただの野菜がただの野菜ではなくなり、旨味の塊となってその存在感を前面に押し出してくるのだ。
「そやね。シャキシャキ感もええけど、この旨味がたまらんね。」
灯凪も、相変わらずの食べっぷりである佳音に圧倒されながらも、ジンギスカンを堪能する。
女性二人の席である。普通なら、然程おかわりもなく、すぐにお腹いっぱいになってしまうのだろうが、佳音と灯凪の席は違った。大飯喰らいの佳音に、佳音ほどではないが良く食べる灯凪の二人に掛かれば、ジンギスカンの皿など、ものの数にもならない。
周囲のお客さんも、二人の席に積み上がっていく皿の量に異様さを感じ、時折視線を送るほどだった。
「なあ、皆見とるよ。」
灯凪がその周囲の視線に気付いたのか、佳音に言う。
「良いじゃないの、見たい人には見せておけば。視線じゃお腹は膨れないんだし。」
佳音はどこ吹く風だ。
「そうか、そんならええんやけど。」
灯凪は佳音が気にしないことは織り込み済みだったが、一応聞いてみたのだ。
「周りが気になるってことは、あんたもうお腹いっぱいなの?」
佳音が相変わらず肉を頬張る手を止めずに聞く。
「う~ん、もう満腹かなぁ、充分堪能しよったし。」
灯凪が腹を擦りながら応える。
「そうか、そろそろラストオーダーの時間だし、じゃぁ、ラストスパートに掛かるね。」
佳音がそう言うと、再びタブレットに手を伸ばし、お肉をいくつか注文した。
「まだいくんかいな。あんたの腹どないなっとんの。」
灯凪は底なし沼のように食べ続ける佳音に呆れつつも、野菜を鍋から取って、口直しでもするかのように、塩胡椒を掛けて食べる。
「まあ、大分お腹に溜まったかな。」
「溜まったって、あれだけ食うて溜まったで済むなんて、おかしいやろ。」
「そう?まあ、いつものことじゃない。」
「そりゃぁ、そやけど、あんた健康診断はちゃんとしとるんやろうな。」
「してるよ。至って健康。お医者さんも、別に悪いとこないって、いつもお墨付きをくれてる。」
「その医者、藪やないだろうね。」
「失礼だなぁ。ちゃんとしたお医者さんだよ。諫早市指定の病院で受けてるんだし。」
「そう。そんならええんやけど。」
「何よ、歯にものが詰まったような言い方して。」
「あんたの健康を気にしてるのよ。そんだけ食うて、何もないなんておかしいやろ。ちゃんと身体だけは気い付けなあかんでって話や。」
「あら、あんたにしては、殊勝なこと言うじゃない。」
「当たり前やろ。親友の身体を心配せえへん人間がどこにおんねん。」
「そうか、ありがとう。心配してくれるんだ。」
灯凪の言葉に、佳音は少しジーンときた。どうやら、旅寝駅夫と星路羅針、二人の関係を羨んでいた自分にも、本当に心配してくれる親友というものが存在していたことに、嬉しくなった。
佳音にとっては、灯凪はただの友人であり、時折一緒に旅する仲であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。だから、気の置けない友人ではなく、気を少し置く友人だったのだ。それが、灯凪の方は本当に親友であると、佳音のことを考えてくれていたのだ。
長年の付き合いである。灯凪の言葉が、社交辞令では無いことぐらい、佳音にも分かったので、余計に、灯凪の言葉が重く響いた。
「ありがとうやのうて、いつまでも健康でいてくれたら、それでええねん。」
灯凪はそう言って、自分の言葉に恥ずかしくなったのか、グラスに残っていたビールを呷り、そっぽを向く。
「うん、肝に銘じとくよ。あんたに言われたとおり、健康診断もちゃんと受けてるから、なんかあったら、すぐに治療するし、節制もするから、安心して。」
「そやったらええけど、……ビールおかわりな。」
そう言って灯凪は次のビールをタブレットで注文した。
佳音が注文していたお肉が届いたところで、ラストオーダーの時間となり、時間いっぱいで食べ切るべく、すべてのお肉を鍋に載せ、焼き上がったものから片っ端に佳音が平らげていく。
「その食べっぷりは、見ていて気持ちがええねんけどな。」
「分かったって。健康には十分注意するから。心配しないで。」
「その言葉が心配なんや。」
そんなことを言いながら、二人のジンギスカン120分一本勝負はお開きの時間を迎えたのだった。




