拾漆之拾壱
北海道神宮の神門を潜ると、平櫻佳音と五百旗頭灯凪は、神域へと入ったことを実感した。
凜と澄んだような、とても心地よい空気に包まれ、厳かな雰囲気が目の前に広がっていたからだ。いや、もしかしたら広がっているだろうと錯覚していたのかも知れない。
神域に入ったことは確かだったが、そこは神域とは名ばかりの、俗世に塗れた外国人たちに穢されていた。
「いややなぁ、ここにも外国人かいな。」
灯凪が場違いな大声を上げる中国人や欧米人に眉を潜める。
「もう、どこ行ってもこれよ。迷惑外国人が居ない場所なんて無いんじゃないかな。」
佳音も呆れ声で灯凪に同意する。
「そやろな。まあ、道頓堀なんかは、迷惑日本人も大勢おるから、五十歩百歩なんやろうけど、神社では流石に勘弁して欲しいわ。」
灯凪は声を潜めて、佳音に呟く。
「そうよね。自分たちが閉め出されることになるかも知れないなんて、想像も出来ないんでしょうね。あんな風にマナーも守れないようだと、外国人の入場が禁止されちゃうことだってあり得る話なのに。」
「そやね。それこそ、京都はもうパンクしとるさかい、外国人を閉め出しとるって話やし。ある店やと、外国語では満席って書いとるのに、日本語では空席ありって張り紙してるんやって。流石京都人、外国人に対しても容赦ないなって笑てしもうたけど、彼らからしたら深刻な問題やからな。」
「そうだよね。日本語は通じないわ、マナーは知らないわ、マナーどころか、システムすら知らないんだから、追い出したくなるのは分かるよ。学ぼうともしないしね。」
「そやろな。彼らはあれやろ、毛沢東とかキリストしか信仰せいへんのやから、こんなとこ来たらあかんて。」
「まあ、それはそうなんだけど、神道自体が来る者拒まず、毛沢東もキリストも八百万の神の一柱だからね。拒否は出来ないでしょ。」
「なんや、その理論。それやったら、神道は世界中の宗教の頂点やないか。」
「そうかもね。知らんけど。」
「なにが知らんけどや。大阪人みたいなこと言いよってからに。」
「あんたがよく使うからね。」
佳音はクスクスと笑ってしまうが、さすがに境内で声を出しては笑えないので、声は押し殺した。
神門を潜ったその奥には、大きな白い垂れ幕が下がった神明造の拝殿が鎮座していた。垂れ幕には菊の御紋が描かれており、日本人なら誰もが襟を正し、居住まいを正したくなるようなものだが、外国人たちにとっては、ただの意匠、意味の分からないマークにしか過ぎないのだろう。大声で騒ぎながら、写真をバチバチと撮影しまくっている。
「でもさ、私たちだってヨーロッパ行って、教会とか見学してて、写真撮るだけで、参拝する訳でもなんでもないからね。お互い様じゃないかな。まあ、あそこまで五月蠅く、迷惑行為はしないけどね。」
「確かにそやねんけど。同じこと、教会とかでやられたら、あいつらどないな気持ちになるんかな。それこそ、怒りだしたりせえへんのかな。最近はマナーのなってない日本人もようけいるから、あってもおかしくはないけど。」
「そうだね。まあ、あんまり目くじら立てないでおこ。君子危うきに近寄らずってね。」
「そうやね。でも、それを言うなら淑女危うきに近寄らずやな。」
「淑女って、誰が淑女だって?」
「細かいことはええねん。ほら、参拝せな。」
外国人の騒がしい集団を横目に見ながら、二人は参道を真っ直ぐ拝殿へと向かって進む。
「そういえば、ここにはどんな神様が祀られとるん?」
歩きながら灯凪が尋ねる。
「この神社に祀られている神様は、大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、そして明治天皇の全部で四柱だね。」
「明治天皇まで祀られとるんかいな。」
灯凪が佳音の説明に驚く。
「そうだね。増祀されたのは戦後になってからだけどね。」
「へぇ、そうなんや。理由は?」
「えっ、理由?まあ、詳しくは知らないけど、明治天皇は北海道開拓を命じた中心人物だからね、その功績を讃えてってこともあるし、北海道の繁栄を見守って欲しいという願いも込められているんじゃないかな。」
「なるほどね。」
そんな話をしながら、二人は向拝に掲げられた白い布を潜り、賽銭箱に小銭を投げ入れて、二拝二拍手一拝で、旅の無事と御縁を願う。もちろん無事は言うまでもないが、御縁は美味いもの、美しい景色、そして楽しい体験である。
しっかりと祈念すると、二人は深々とお辞儀をして、拝殿を後にしようと振り返ると、先程までガヤガヤと騒いでいた外国人たちが、二人に視線を向けていた。
どうやら、佳音の柏手の音が境内に響き渡ったことで、彼らにここが神聖な祈りの場所だというこを気付かせたようだったのだ。
柏手の打ち方は、旅寝駅夫と星見羅針の二人からレクチャーして貰い、非力な佳音でも大きな音を出せるようになったのだ。彼らが言うには、神様たちは音で呼び出さないと、願いを聞いてくれないらしく、賽銭のチャリンという音、鈴の音、柏手などは、大きければ大きいほど神様に注目して貰えるのだという。嘘か誠か真偽の程を佳音は判断出来ないが、信仰は往々にして、自分が信じるとおりに繰り返すことで、その恩恵を受益出来ると言う彼らの理論を、佳音は信じることにしたのだ。
その結果、佳音の打つ柏手は、隣にいる灯凪が二度見するぐらい、境内に響き渡るほどの大音量となったのだ。
「やっぱり、境内はこれぐらい静やないと、雰囲気出ぇへんもんな。」
灯凪がケタケタ笑い出したいのを堪えて、外国人たちに視線をくれる。
「奇しくも、静になっちゃったね。」
佳音が照れ笑いをする。
「にしても、あんたようあんな大きな音出せるな。」
「ちょっとしたコツがあるんだよ。左手をこうして、右手はこう、で、ちょっと窪ませて、思いっきり叩く。」
灯凪は言われたとおりに、叩いてみると、響き渡るほどではなかったが、かなり大きな音が鳴った。
「これはええなあ。ここまで大きい音やと、なんや心が晴れ渡るような、ええ気分や。」
「でしょ。大きな音は、神様に気付いて貰える確率が上がるらしいから、練習して出せるようになると良いよ。」
「ホンマかいな。まあ、鰯の頭も信心からって言いよるさかいな。」
「そういうこと。信じる者は救われるから。」
二人は、外国人たちの視線を尻目に、守札授与所に向かい、御朱印をいただく。
外国人たちは、既に二人に対する興味を失ったのか、再びガヤガヤとおしゃべりに興じていたが、先程よりは明らかにボリュームは落ちた。大音量柏手の御利益なのかも知れないと、佳音は内心ほくそ笑んでいた。
神門で、拝殿に向かって一礼をしてから外に出ると、こちらは様々な言葉が先程よりもボリュームアップで飛び交う、おしゃべりの広場と化していた。もちろん、外国語だけではなく、日本語もだ。
「ここは騒がしいなぁ。柏手打つか。」
灯凪が神門を潜ると聞こえてくるしゃべり声の喧噪に眉を潜める。
「そうだね。折角神聖な気持ちになれたのにね。まあ、柏手は止めとこ。」
佳音はそう言うものの、内心はそこまで気にはしていなかった。鳥居の中なので、一応ここも神聖な場所ではあるが、神門の外であり、特別に神聖な場所ではないので、そこまで気にも留めていなかったからだ。
「なんや、あんたは気にせぇへんのかいな。」
灯凪が佳音の内心を察して尋ねる。
「まあ、気にしてない訳じゃないけど、神門の外だからね。そこまで目くじら立てることはないんじゃないかなってね。」
「あんた、ずいぶん心が広うなったな。またあれか、例のイケオジの影響か。」
「また、その話に持っていくんだから。そんなんじゃないわよ。」
「いいや、絶対影響受けとる。あんたはそないな子やなかった。もっと杓子定規やったのにぃ。ウチの佳音はどこ行ってしもうたんや。」
灯凪は顔を両手で覆い、オイオイと泣く真似をする。
「どこにも行ってないから。まったく変なこと言ってないで、ほら次に行くよ。」
「次はどこ行くん?」
佳音が呆れ顔で促すと、灯凪は泣き真似を止めて、真顔で尋ねる。
「次は、夕食だよ。」
「もう、夕食なん。早ない?」
「まあね。でも、一応18時に予約してあるから、早いは早いけど、遅れるよりはマシだからね。」
「ふ~ん。で、どないやって行くん。地下鉄?」
「そうだね。地下鉄だね。さっきの地下鉄で大通駅まで戻って、東豊線に乗り換えて、東区役所前駅まで行くから。」
二人は来た道を円山公園駅へと向けて逆戻りする。
「で、夕飯は何にすんの。」
歩きながら灯凪が尋ねる。
「もちろん北海道と言ったら、ジンギスカンでしょ。」
佳音が当たり前というように応える。
「もしかして、ビール園じゃないやろね。」
「なんだ、知ってるんだ。そう、ビール園だよ。」
「以前澪君と来よったから。そん時にね。」
「そうか、行ったことあるんだ。まあ、北海道旅行の第一夜をたっぷり楽しもぅ。」
「そやな。どうせあんたは100人前ぐらい平らげるつもりなんやろ。」
「そんなに食べないわよ。せいぜい99人前ぐらいよ。」
「なんや、そんなに変わらへんやないの。」
「そう?大きい違いだと思うけど。」
ここは既に神域ではない。二人は、周囲を気にせずケタケタと声を上げて笑った。
円山公園駅に戻ると、3番出入り口から地下へと降りていく。
灯凪は改札を抜ける時、今度はスマホを翳した。
「これ、便利やね。」
そう、先程神宮で御朱印を待つ間、灯凪は佳音に教えて貰いながら、モバイルICの手続きを済ませたのだ。これで、いちいち残高を気にしてチャージする必要もなく、そのままスマホ一つで改札が抜けられるのだ。
「でしょ、これで、全国大体どこでも使えるから。」
そう言って、佳音もスマホを改札に翳して、灯凪に続く。
ホームに降りた二人は、間もなく新さっぽろ行きが入線してくるというアナウンスを聞きながら、待機列に並ぶ。
やがて、8000形の車体は白、ドアはオレンジ色の列車が、轟音を伴って入線してきた。
順番に乗り込むと、やはり車内は少し混み合っていて、座席はほぼ埋まっていた。
「大通駅で降りるんやったな。」
「そう。大通駅で乗り換えだよ。」
灯凪の確認に、佳音が頷く。
佳音は、たった五分の乗車時間でも、旅寝なら先頭車両のかぶりつきに陣取るんだよな、なんてことがふと頭を過ぎり、思わずニコリとしてしまう。
「なんや、気持ち悪いな、何を思い出し笑いしてるん。」
「何でもないよ。」
「また、男のことやないの。」
図星だったので佳音は動揺したが、おくびには出さずに、
「またそんなこと言って。違うって言うの。」
「じゃ、なんなん。」
「ICカードをスマホに切り替えた時のことを思い出してたの。」
佳音は適当なことを言う。
「なんで、それで思い出し笑いせなならんの。」
「なんでって、切り替えが上手く行かなかったからよ。私の契約してたクレジットカードが対応してなくて、使えなかったから、わざわざ新しくカード作ったんだから。それを思い出してただけ。」
咄嗟の思い付きとは言え、佳音は実際にあったエピソードを語る。
「そうなんや。ウチのは対応しとったから、簡単に出来たんか。」
「そういうこと。良かったね。」
「まあな。」
灯凪は、佳音が誤魔化していることはどことなく分かってはいたが、それ以上追求はしなかった。
「さあ、今度は東豊線に乗るからね。」
大通駅到着のアナウンスが流れると、佳音は注意を促す。
「東豊線やね。分かった。」
灯凪は大きく頷いた。
列車が大通駅に到着すると、車内にいた殆どの乗客が降車していった。二人もその流れに乗って降車する。
案内板を確認して、東豊線へと向かって歩き始める。エスカレーターを上がり、コンコースを通って、東豊線のホームへと降りる。
東豊線のホームもそこそこ人がいた。沿線にはすすきのなど有名観光地が隣接するので、その影響もあるのだろう。
二人は、待機列に並んで待っていると、栄町行きの白地にブルーの9000形が程なくして入線してきた。
前の人に続いて乗り込むと、
「今度はどこで降りるん?」
灯凪が確認してくる。
「東区役所前駅だよ。乗車時間は6分位かな。」
佳音が応える。
「そう。ほな、すぐやね。」
灯凪は話題をコスメや、ファッションの話に切り替えた。どうやら、佳音が使っている化粧品や洋服が気になるようだ。
とは言っても、佳音自身、そんな大したものは使っていない。旅行へ全振りしているため、コスメやファッションはできるだけ安く済ませている。流石に高校時代のように百均やファストファッションだけで済ませることはなくなったが、多少見栄えさえ良ければ、値段なんかに拘りはなく、安物買いの銭失いにならない程度のものを使っていた。
「あんたは、ホンマに昔からそう言うとかこあるからな。」
灯凪が呆れたように言う。
「妹にもよく言われる。」
「美音ちゃんかいな。元気にしとるん?」
「ええ、元気にしてるよ。今度、一緒に旅行に出掛ける約束してるし。」
「あんたは、旅行にしか興味ないんやから、もう少し色気のある話はないん?」
「ないわよ。なんで、妹と出かけるのに、色気のある話が出てくるのよ。」
「それもそうやな。」
灯凪が呆れたところで、列車は目的地の東区役所前駅に到着した。二人は吐き出されるようにホームに降りると、ビール園へと向かって歩き始めた。




