拾漆之拾
札幌時計台から移動してきた平櫻佳音と五百旗頭灯凪は、札幌市営地下鉄東西線の円山公園駅に降り立っていた。
3番出口へ向かうように佳音が灯凪に言うと、灯凪は佳音が指差した方向へと歩き出し、その後に付いて佳音も歩き出した。
平日の昼間というのに、やはり一大観光地である札幌の地下鉄駅なのか、降車客はもちろん、乗車客もそれなりにいた。駅は混雑というほどではなかったが、観光客と思しき人々が出口へと向かっていた。
「なあ、そろそろどこへ行くか教えてくれてもいいんとちゃうの。」
灯凪が後ろを歩く佳音に言う。
「だから着いてからのお楽しみだって。でも、ここまで来たらもう分かるでしょ。」
佳音はあくまでももったいぶる。
「まあ、あらかた予想はついとるけどな。」
灯凪はにやつく。
「じゃ、それが当たってるかどうか、楽しみにしてて。」
「なんや、正解はCMの後で、みたいに焦らしよってからに、ホンマいけずやなぁ。」
「それが、良いんじゃない。」
佳音はニコニコと笑顔で言いつつ、脳裏では星路羅針と旅寝駅夫との旅を浮かべていた。星路と立てた旅程を、ミステリー感を楽しみにしている旅寝へ小出しにするあの感覚に、佳音は味を占めていたのかも知れない。一人旅では味わえないミステリー旅行を企画、運営しているような、旅行会社のスタッフにでもなったかのようなワクワクした楽しさが、佳音を魅了していたのかも知れなかった。
まあ、そのせいで、旅寝を困らせて、怒らせることに成ってはしまったので、何事も程々でなければいけないと学んだのだが、灯凪に対して、佳音はその轍をもう一度踏もうとしているかのように焦らし続けていた。
もちろん、怒られたのは佳音ではなく、星路の方だったので、佳音自身は心から懲りていなかったのかも知れないが。
改札を抜け、3番出口から地上に出ると、すぐ目の前にバスターミナルが現れた。
「こっからバスに乗って行くんか。」
「行かないよ。そのまま通りに沿って歩いて良いよ。取り敢えず次の交差点を目指して。」
「あの、かしわの店があるとこかいな。」
「そう、有名なおじさんがいるとこね。そこを超えて更に行くと目的地の入り口だから。」
「分かった。」
灯凪はそう言うと吹き出し始めた額の汗をハンカチで拭い、そのハンカチでパタパタと顔を扇ぎながら歩き始めた。その後を、佳音はいつものようにカメラを回しながら付いていく。
交差点に着くと、信号に捕まった。
左を向くと、通りの上にある行き先表示の青看板には、円山動物園の文字が見えた。
「日本らしいとこって、動物園やないよな。」
青看板を見た灯凪が振り返って横に立つ佳音に聞く。
「そうだね。動物園も寄りたいけど、今日は行かないよ。」
佳音は首を横に振りながら応える。
「そうなん。」
「そう。この交差点を渡ったら、そのまま真っ直ぐね。その先が動物園の入り口兼今回の目的地だから。」
「なんや、森が広がってるだけやけど。円山公園が目的地ってことかいな。」
「まあ、そうだね。」
「ふ~ん。」
そんな会話を続けている二人の頭上に広がる空は、時折陽射しが射し込むことはあっても、ほぼ曇りの状態だった。それでも、気温は高く、二人とも額に薄らと汗を掻くほどで、灯凪は手に持ったハンカチで時折汗を拭っていた。佳音はというと、長年慣れ親しんだ鹿児島の気候で、そこまで暑さを感じてはいなかったが、それでも額は汗で濡れていた。だが、鹿児島と違って、然程湿度も高くないので、ベトベトしたイヤな感じはなく、佳音は汗を拭うことはなかった。
「それにしても、ホンマ暑いな。北海道に来た意味ホンマあらへんやん。」
「ホントにね。」
「ところでさ、佳音、一つ聞いても良いか。」
「何?」
「札幌の交差点て、なんで、交差点名が全部違うん。」
「どういうこと。」
「ほら、さっきの交差点もそやったけど、交差点の角にそれぞれ信号機が立っとるやろ。その信号機ごとに掲げられとる名前が違うてんねんやんか、あれどういうことなん。」
「ああ、確かにね。これは、それぞれ信号機が立ってる場所の住所が違うからだね。」
「そんなん、分かってんねん。札幌やなくても、交差点の名前は立ってるところの住所ってことは、他のとこでも同じやんか。あんな、ウチが言うてるのは、そこの信号機に付いているのが大通西28で、そっちが南1西28、こっちが南1西27、で、この上にあるのが大通西27やろ。同じ交差点で、なんで付いてる名前が違うんかって話や。」
「ああ、そういうこと。何でだろうね。まあ、理由は分からないけど、分かりやすくするためじゃないかな。」
「なんで、そうなんねん。ややこしいやろ。」
「まあ、私たちからしたらね。でも、考えてもみてよ。碁盤の目に張り巡らされた、同じような見た目の通りを真っ直ぐ走っていたとして、自分が今何本目の通りにいるか、信号機の表示を見れば一発で分かるでしょ。」
「どういうこと。」
「たとえば、この交差点、大通西28、南1西28、南1西27、大通西27の四つがあるじゃない。で、どれか一つを選択すると、それはそれで分かりやすくはなるけど、方角が分からなくなっちゃうでしょ。」
灯凪は、佳音の言葉を頭の中で反復しながら想像するが、どうもピンとこないようだ。
「言うてる意味がよう分からんわ。なんで、一つにすると方向が分からんくなるん。そんなん先行ったらすぐに分かるやろ。」
「そうか。じゃ、簡単に説明するね。たとえば、この交差点名を南1西28と決めたとすると、あっちの交差点は南1西27になるよね。」
佳音は振り返って、遠くにある交差点を指差す。
「そうやな。このブロックがそういう住所やからな。それは分かる。」
「で、もし、今大雪が降って、視界も悪い、そんな中で南1西27に向かうためにはどうしたら良い。」
灯凪は再び考えている。そして、今度はピンときたようだ。
「つまり、この信号機がこの番地やから、この立ってる場所がその住所になるってことか。そやから、方角も、位置も全部分かるんか。」
「そう。視界の悪い冬なんかは特に重宝するんじゃないかな。自分がどっちを向いていて、行きたい方向はどっちで、どれだけ目的地から離れているかって、他の場所だったら地図を開かないと分からないけど、ここなら、交差点の信号機を見ればすぐに分かっちゃうっていう訳。」
「そういうことかいな。そんなん早よ言うてぇな。」
「だから、最初からそう言ってるでしょ。」
佳音が困ったような顔をしていると、灯凪はケタケタと笑い出した。
「ありがとな。でも、そやったら、京都も碁盤の目なんやから、同じようにしたらええのにな。」
「京都かぁ。確かに、京都は分かりづらいよね。覚えれば楽なんだろうけど、あんな長い通り名とか覚えきれないしね。」
「そやろ。京都ってなんやそういう所があんねん。ウチらだけ分かればええやろみたいなな。」
「またそんなこと言って。京都人に後ろから刺されても知らないんだからね。」
「おお怖っ。まあ、京都人ならさもありなんやな。彼らは言葉でも刺してきよるさかい、京都行ったら、心はいつも血塗れやもんな。」
「まったくもう、そんなこと言ってるとホントに刺されるよ。」
「そやな。気いつけなあかんな。京都ん人はえらい刺すのんが好きでいらはりますからなぁ。」
「そうじゃなくてぇ、……、もう。」
佳音は、そんなことを言わなければ良いだけなのにと思いながら、灯凪の京都弁を真似した言葉に呆れる。
「でも、京都は札幌ほど視界が悪なったりしないだろうし、通り名さえ覚えたら、方角だって、位置だって、分かるんでしょ。」
「まあ、そうなんやけど。覚えられへんから、言うとるんやないの。」
「まあ、そうか。ガイドブックに通り名の童歌とか載ってたけど、確かに覚えらんないもんね。」
「そやろ。だから京都人はいけずなんやって。」
「だから、そんな風に結論づけなくても……。」
佳音は灯凪の言葉に呆れ果てた。
その時、漸く信号が青になる。
「ほら、行くよ。」
「ハイ、ハイ。」
灯凪の促す声に、佳音は呆れた声で応えた。
交差点を渡り、そのまま真っ直ぐ進むと、通りは行き止まりになっていた。
車道はUターンできるようになってはいるものの、その先へと進むことは出来ないようになっていた。二人は、車止めのある公園の入り口を抜け、一歩敷地へと足を踏み入れると、周囲は森林が広がっていた。
散歩を楽しむ市民や、散策を楽しむ観光客が行き交ってはいたが、先程まで車が行き交う都会の喧噪が、嘘のように無くなっていた。
静かに広がる森林の中を、二人は奥へ奥へと歩を進める。
灯凪が、どっちに向かうのか確認する度に、頭の中にある地図を思い浮かべながら、佳音が指示をする。灯凪は言われるままにそちらへと向かって歩を進める。まるで子供が母親に行き先を確認しながら歩くようである。
佳音は、灯凪は三人も子供が居るのに、いつまで経っても自分が子供なんだからと、呆れはするが、そんな灯凪だからこそ、こうして縁を切らずに友人でいられるんだと佳音は感じていた。
公園の草地には、ビニールシートを敷いて、この森林で午後のひとときを満喫しているグループが何組かいたが、平日の昼間にもかかわらず、これだけの人たちが思い思いに楽しんでいるのを羨ましく思い、更に、休日にはここに立錐の余地がない程のビニールシートが敷かれ、テントが建ち、屋台が所狭しと並び立ち、歩くのも大変なほどの賑わいを見せることを思い出し、佳音は短い夏を札幌市民はこうやって楽しんでいるんだなぁと、なんとなく羨ましく思ったり、冬がそれだけ辛いのだろうなと同情したり、色んな気持ちが湧き上がってきた。
「佳音、次はどっち。」
「そこは、左だよ。」
「了解。」
灯凪は巫山戯て敬礼している。それを見た佳音も敬礼を仕返してやると、嬉しそうな顔をして、灯凪は先へと歩き出した。
やがて、大きな石灯籠が二基両脇に鎮座している広場のような参道へと、二人は足を踏み入れた。真正面には千木や堅魚木を冠した神門があり、神域へと誘っていた。
「ここが目的地なん?」
「そう。ここが目的地の北海道神宮。元札幌神社だよ。」
「なんや、神社かいな。」
「なんやってことはないでしょ。罰が当たるよ。」
「そんなん言うたって、あんだけ焦らされよったら、期待も膨らむってもんやんか。」
「あれ、ハードル上がり過ぎちゃった?」
「上がり過ぎちゃった、やあらへんねん。爆上がりや。」
「あらそう、それはごめんね。でも、日本らしい良い場所でしょ。」
佳音はニコニコしている。
「それはそうやけど。なんや、もっと違うもんを想像しとったさかいに、あかん、この拳を振り下ろしとうなってきた。」
灯凪は拳を振り上げてワナワナと震えている。
「どう、どう、どう、ほらその拳はしまって、まずは心からお清めしようね。」
佳音は灯凪を回れ右させて、手水舎の方へ向かって背中を押す。
「分かった、分かったから、そないに押さんでも、ちゃんと歩くっちゅうねん。でもな、あんた札幌駅で答え言っとったさかい、ウチはとっくに知っとったんやけどな。」
そう言って灯凪はケタケタと笑った。
「なんだよ、もう。サプライズを楽しんでのは私だけだったのぉ。ホンマにいけずなんやから。」
佳音は灯凪の肩をパチンと叩く。
「おお痛っ。暴力はあかんで。イケオジに嫌われるで。」
灯凪は更に輪を掛けてケタケタと笑っている。
「だから、彼らは関係ないでしょ。もう。」
灯凪はケタケタ笑いながら、以前の佳音なら、こんなに巫山戯ることなんてあまりなかったと思っていた。もう、真面目一辺倒で、真面目が服着て歩いていると言っても過言では無かった。それが、どうだ。今は、冗談を冗談として捉え、冗談で返してくる。この半年で何があったのか、推して知るべしといったところだが、おそらく、例のおじさま二人の影響は大きいのかも知れない。そう灯凪は考えていた。
二人は砂利が敷き詰められた参道を進み、手水舎でお清めをした。冷たい手水が心地よく、全身が清められたようなそんな気持ちになる。
そして、正面の神門に相対すると、まず目に入るのが、門に掲げられている大きな注連縄である。
「この注連縄は、フラヌイ大注連縄と言って、およそ400㎏もあるんだって。四年に一回富良野で作られて奉納されるらしいよ。珍しいのは、ほら、あそこに米俵が載っていることかな。」
佳音が、注連縄を見上げている灯凪に説明する。
「ふらぬい大注連縄って言うんや。ところで、ふらぬいってどんな字を書くん?」
「フラヌイは片仮名だよ。アイヌ語で匂いのする所って意味らしいね。富良野の語源でもあるんだよ。」
「へえ、差し詰め匂いのする大注連縄ってことやな。」
「なんか、そういう言い方すると、別の臭いがしてきそうだね。」
「そうか?まあ、そうか。でも、そういうことやろ。」
「まあ、間違ってはないと思うけど、私は間違ってると思いたいね。」
「そんな固いこと言わんと、もう少し柔軟な思考をせんと、モテへんよ。」
「また、変な方向に話の舵を切るんだから。」
佳音は呆れかえりながら、一礼して、神門を潜る。灯凪もそれに続いた。




