その後、それから (前)
最終話:本日2話更新 1/2
その日、レオのアパートの扉は大分長いこと呼び鈴とノックの餌食になっていた。
「おーい、レオー。さっきから呼んでるんだけど……はっ、まさか死んでる?」
「ご挨拶だな、マクシム」
「あっ、生きてた。いや、その顔色、やっぱ死んでる」
ようやく出てきたレオは、どう見ても徹夜明けの容貌をしていた。
「もしかして寝てない?」
「誰かさんが余計な仕事まで取ってくるおかげで、明け方まで現像作業をしていたからな」
ソフィアがいなくなればモデル撮影の仕事も暇になる――そう思っていたレオの予想は当たらなかった。
一風変わったレオの抽象的な撮影技法はなぜか広く一般に受け入れられ、今やレオの写真を真似て撮る者もでてくるほど。
それを追い風にガゼット社の季節の風景写真カードは好調に売れているし、いつも通りの撮影依頼も途切れることなく入ってくる。
その一因は、スキャンダル撮影をますます嫌がるようになったレオをどうにか使おうとする、無駄に顔の広いマクシムという相棒が勝手に取ってくる仕事にあるのだが。
「ははっ、ほら僕、マネージャーとしても有能だからさ。やっぱりレオに撮ってほしいっていう人がいるとね、つい」
「お前だって自分のことで忙しいくせに」
「それはそれ、これはこれ」
フォルジュ家のスクープは一般市民の間でも大きく取り上げられ、雑誌だけでなく記事を書いたマクシムも一躍有名になった。
大きめの雑誌社から引き抜きがあったそうだが、今もガゼット社に籍を置いて好きに取材をしている。
「勝手にしろよ……で、今日はなんの用だ」
「ん? 顔見に寄っただけ。実はねえ、今からジャンヌとデートなんだ!」
「へえ。ようやくか」
「本当にもう、苦労した! っていうか、流行のクルーズランチをものすごーくプレゼンして、どうにかこうにかOKをもらってさあ」
「なんだ、ただの食事か。今までと同じじゃないか」
「そう言わない!」
やいやいと騒ぎ立てるマクシムだが、本当はただ適当に寄ったのではなく、レオの安否確認に来てくれたのは分かっている。
――ソフィアと過ごした怒濤のようなひと月が過ぎて、しばらく。ようやく平穏を取り戻したはずのレオの毎日は、自分でも妙に思うほど単調だった。
仕事は忙しくとも、私生活では慣れない二人暮らしをした反動か、様々なことに対して驚くほど空虚感を感じるのだ。
放っておくと食事も忘れるレオを、マクシムなりに心配してくれて。こうして様子を見にマメに立ち寄っている……らしい。
(半分以上は単なる興味だろうけどな)
前と違うのは、そんなマクシムのお節介を余計な世話だと思わなくなったことだ。
「あとこれ、大通りのアトリエの鍵。渡しておく」
「ああ、助かる」
「昨日まで前のイベントの搬出作業をしていたから、今は清掃が入ってる。レオが使えるのは今日の夕方からだよ」
「分かった」
「ふっふー、いよいよレオも個展かあ。明日の設営は僕も手伝うからね。今度は何人の信者を作るのか、楽しみだな!」
「信者って言い方がアレだぞ」
「だって、どうせ弟子志望って子がまたいっぱいできるんだろ」
「弟子なんて柄じゃない。そもそも他人の面倒なんて見切れないから断っているし」
「えー、レオは面倒見いいじゃん」
当て擦られて、レオは大きく息を吐く。ソフィアの面倒は見たかもしれないが、彼女は弟子ではなく同居人だ。だから同じではない、と断っているのだが、実際は弟子より同居人のほうが手間が掛かる。
意味が通らない理由で断るレオが面白いらしく、マクシムはにやにやと笑っている。
「……なんだよ」
「なんでも? ああ、これは独り言なんだけど、フォルジュ家の遠い縁戚のところにもソフィアちゃんは来てないって」
久し振りに聞いたフォルジュの名に、レオの肩がぴくりと揺れる。
フォルジュ家の当主として認知されるために王城のパーティーに向かったはずのソフィアが貴族位の返上をしたことは、その晩遅くに聞いた。
(あいつ、なんだってそんな馬鹿な真似を……)
黙って伯爵令嬢に戻ればいいのに、教育の機会も取り上げられた自分に当主は勤まらないし、嫡子令嬢を亡き者にしようとした叔父がそのまま伯爵に納まるのも正しくないと訴え、辞退したらしい。
理屈と気持ちは分かるが、それなら自分がそれなりの配偶者を迎えればよかったのだ。何代も続いた伯爵位を手放す必要はなかった。
それなのにソフィアは身分を返して平民になって、そのまま姿を消した。
以来、誰もソフィアの居所を知らない。
最初は、叔父たちの報復を恐れて一時的に隠れているのかと思ったが、彼らに処分が下っても、ソフィアの消息は杳として絶えたままだ。
「……別に聞いてない」
「うん、僕も調べてくれって頼まれてない。どうしてるかなーっていう、ただの好奇心の結果を独り言で呟いているだけだから!」
味方が一人もいない中、ソフィアは国王の前で堂々と振る舞った。その姿に驚いたし、自分の助けなど必要なかったかとも思ったが、叔父の暴行を止められたのだから王城に行った甲斐はあったと思っている。
運良く咎められる前に脱出できたし、クレマンやガゼット社にも文句などは来ていないから、目を瞑ってもらえたのだと判断している。
「今後は南のほうも調べてみるつもりだよ。フォルジュの先々代の二番目の妻がそっちの出身だって聞いたから」
「それ、ほとんど他人じゃないか?」
「ついでになにかと話題を拾えるから問題ない!」
「暇なんだな」
「ふふん、フォルジュ家のスクープで雑誌が売れに売れたからね」
懐は温かいし知名度も上がったおかげで取材が捗る、とマクシムは満足そうだ。
容赦なくエクトルの悪事を暴いたことは、一般の平民が抱く貴族への反発心を発散させるのに丁度良かったし、虐げられたのがうら若き令嬢だったことは同情を買いやすかった。
自分たちが用意した記事は「国王に直訴する」ところで幕を引いたのだが、その後に「貴族の地位を捨てて平民になった」なんて結末がついてきたものだから、ますます市民は熱中した。
だが、その令嬢が、レオと一緒にモデル撮影をしていたソフィアと同一人物だと知っている者は自分たちくらい。
ブティックのオーナーやヴァネッサはなんとなく気づいているようだが、知らないままでいればまた会えるときが来るとでも言いたげに、あえて口にはしていない。
だからレオも、なにも言わず「従姉妹は田舎に帰った」ことにしている。
「じゃあ、まあ、そんなわけで。明日な」
「ああ」
去っていくマクシムを見送って扉を閉めるよ、溜め息が口から溢れた。
――売れる写真は撮れるようになったが、なぜか満足できない。
それがどうしてかなんて分かっている。
シャッターを切るたび、この家のドアを開けるたび。レオの目は、そこにいるはずのないソフィアを探しているから。
「……馬鹿なのは俺か」
ソフィアが自分に抱いた気持ちは恋じゃない。世間知らずな令嬢が、異性に感じた恩を勘違いしただけだ。
それなのに、レオまでが勘違いの罠に掛かってしまった。
(あいつが姿をくらましたままってのが、答えだって分かってるのにな)
もっと広い部屋に住めるようになった今も、レオはソフィアと二人で暮らした狭いアパートにいる。ガゼット社の事務所や、撮影をしたブティックも変わらず営業している。
そのどこにも現れないということは、ソフィアはレオたちに会いたくないということだろう。
繊細そうに見えて、なかなか図太いところがあったソフィアの気性を、ジャンヌはレオよりも理解しているようで「心配ないでしょ」と軽く言っている。
(別に、心配してるわけじゃ……)
きっと今頃は、レオが知らない場所で前を向いているに違いない。そうであってほしいと思う。
ようやくベッドで眠れるようになったのに、毎晩眠りが浅い。
頼まれもしないのに二人分の料理を作ってしまっている。
そんな自分がおかしくて無駄に仕事に精を出していたら、好事家の目に止まり、個展を開くことになった。
(……個展のポスターを見たら、ソフィアは気づくか……?)
そんなことを考えてしまっている自分が、笑えるくらいらしくない。自嘲しながら暗室へ戻る。
「そんなことより、さっさと終わらせないと」
忙しくしたおかげで、個展に出す写真の現像が今日まで押してしまっていた。明日搬入して、個展は明後日からという余裕の無さだ。
「まあ、もうほとんど並べる写真は決めてるし問題ない……っと、しまった」
次のネガを取ろうとして、棚に伸ばした手が当たって、写真が一枚落ちた。
完成した写真は暗室には置かないことにしている。きっとなにかの拍子に紛れたか、持ち出し忘れたかして一枚だけ残っていたのだろう。
現像の手を休め、屈んで拾う。何の写真だろうと裏返して息が止まった。
「……ソフィア」
(あいつの写真は残ってないはずなのに)
花祭りの二日目に花摘みをしたときに撮った写真だった。色とりどりの花に囲まれて、遠くからこちらに手を振っている。
手が勝手にシャッターを切った一枚で、現像したことさえ忘れていた……いや、思い出さないようにしていた。
ソフィアが写った写真はアドバイスをしたモデルと記念に撮った物が多い。ネガはモデルが買い取ったし、現像したものはソフィアに渡した。
レオの手元にあるのは、あの後ろ姿の一枚きりで、顔もはっきり写っていないそれしかないはずだった。
「……ははっ、いい顔で笑ってやがる」
遠目でも分かる笑顔が、レオだけに向けられている。
写真を撮るときは被写体をレンズ越しにしか見ていないはずなのに、そういえば自分はあのとき、ファインダーを覗かずにソフィアを直接見てシャッターを切った。
「……もう会えないけどな」
ほんのひと月暮らしただけのレオのことなど、すぐに忘れるだろう。
けれどできれば、幸せになっていてほしいと思う。あの晩、川に沈みかけたソフィアを見てオフィーリアを思い浮かべたが、彼女には晴れた花畑のほうが似合う。
軽く息を吐いて、写真を胸ポケットにしまうと、レオは現像の続きを再開した。




