王宮夜会
ソフィアのその言葉に、エクトルの口から声にならない呻きが漏れる。
姿も装いも、先月の夜会とは打って変わったソフィアに周囲はざわめくが、実は着ているドレスはあの晩のものと同じだ。
診療費の代わりにジャンヌに渡した時代遅れの野暮ったいドレスは今風にリメイクされて「必要になると思ったのよ」とウインク付きで戻された。
陛下への挨拶の仕方も、一から叩き込まれた。おかげで一月前とは見違えるほどに令嬢らしくなっているだろう。
「そんなはずないわっ」
「ソフィア……? まさか」
まるで死人を見るかのような目付きでコリンヌとクロードもこちらを見てくるが、ソフィアは彼らに対しても一切動じる様子がなく堂々としたものだ。
人が変わったかのようなソフィアに目を丸くしているのは、叔父一家だけではない。
今まさに死亡を伝えられた令嬢が現れたことに国王夫妻も驚きを隠せなかったが、先に王妃が冷静さを取り戻して語りかける。
「……その瞳の色、前伯爵と一緒だわ。先月とかなり印象が違うけれど、本当にソフィアなのね?」
「はい、王妃陛下。先日は体調不良のためご挨拶にも不備がありましたのに優しくお声がけいただき、感謝に耐えません。そして爵位継承と婚姻につきまして、このような形でお心を煩わせてしまいましたことを先にお詫びいたします」
引きこもりの虚弱令嬢とは思えない仕草と堂々とした口上に、感心の声が囁かれる。
センスのよいドレスの着こなしや楚々としたヘアアレンジは、人気モデルたちとの仕事のたまものだ。そして、ジャンヌに鍛えられた淑女らしくも華のある所作は、母である故伯爵夫人を思い起こさせるのに十分だった。
両親、祖父母、フォルジュ家の代々当主を諳んじ、来歴までしっかりと述べてみせれば、ソフィアの出自を疑う者はもういなかった。
「叔父が言うように、私は先月川に落ちました。それに、ベルトラン伯爵令息の間で結ばれております婚約の破棄に、異存はございません……ですが、理由につきましては事実と異なりますゆえ訂正を強くお願いしたく」
「ひ、控えろソフィア!」
「よい、申してみよ」
どうにかやめさせようとした叔父が国王に遮られて歯を食いしばる。
殺気立った視線を横顔に感じつつ、ソフィアはまた一度深く礼をした。
「まず、ご覧の通り、私の死亡は全くの虚偽でございます」
「ふむ、生きておるな」
「はい。そして川に落ちたことも、私の意志だったとは申し上げられません。なぜならその時、仮面を被った男に刃物で襲われ、乗っている馬車から逃げ出したら橋の上だったのですから」
「殺されそうになったと申すのか?」
「ば、馬鹿な妄想で陛下のお耳を汚すんじゃない!」
「いいえ叔父様、妄想ではございません。刺されはしませんでしたが、川に落ちて気を失ったまま流された私は早晩、亡くなるはずでした――親切な方が見つけてくださらなければ」
焦る叔父を見ることなく胸の前で手を合わせ、国王夫妻にだけ向けてソフィアは話し続ける。レオと、ジャンヌたちを思い浮かべて。
「では、すぐに家に戻らなかったのはどうしてだ。探されていると分かっていただろう?」
「私を襲った男は、我が家の馭者と通じていました。水に沈む寸前に、私の殺害を依頼されたと話す声が聞こえまして、帰宅するのは危険だと判断したためです」
「な、なにを言うの……ほほほ、この子ってば。また夢と現実が分からなくなったのね」
「そ、そうよ、ソフィアお姉様。無事だったならいいのよ、もう家に戻りましょう?」
ここまで茫然としているだけだった叔母とコリンヌが、口元を引きつらせながらソフィアを下がらせようとしてくる。血の気が引いた青い顔で俯くだけのクロードと伯父一家をようやくちらりと見て、またソフィアは視線を前に戻す。
「そして、叔父が『貞淑さに欠ける』と訴えました婚約解消の理由も、まったくの虚偽でございます。真実、不義がありましたのは伯爵令息と、従姉妹コリンヌ嬢の間でのこと。そしてそれは、叔父によるフォルジュ伯爵家奪取という謀略の一端でございます」
「お前っ、なにを!」
「そ、そんなの嘘よ!」
叔父たちが必死に黙らせようとしてくるが、王の御前で観衆も大勢いるため力ずくで口を塞ぐのは不可能だ。ソフィアの言葉は物騒だが、行動事態はどこまでも礼儀に則っているため、衛兵も動けない。
国王はざわつく貴族たちを片手で黙らせ、ソフィアを見つめる。
「ソフィア・フォルジュ。ならば根拠を示せ」
「はい、陛下のお言葉のままに。ですが……今すべてをここでお話しするには時間がいくらあっても足りません。ですので、こちらをご覧ください」
今度は何を言い出すのかと、わなわなと震える叔父たちには構わず、ソフィアはドレスのスカートに作った大きな隠しポケットから取り出した雑誌を差し出す。
王に促されて下に降りた侍従にそれを手渡した。
「本日さきほど、王都で売り出された雑誌に、私のこの一カ月が正しく載っております……私不在のフォルジュ家で何が行われていたかも、ともに」
「なっ!?」
「叔父様、どうして驚かれますの? 私を探していたのですよね? 知られて困ることなどないではありませんか」
「ソフィア、お前……!」
――マクシムの徹底的な取材で、叔父たちの所業は丸裸にされた。
まさか過去に遡ってソフィアの両親の死因まで調べられるとは思わなかったが、それに関しては叔父の関与はなく、本当に純粋な事故だったことが分かったのは良かった。
家督簒奪のためにソフィアを殺そうとした叔父だが、実の兄夫婦まで手を掛けていたらそれこそやりきれない。
手元に渡った雑誌を王が捲り、王妃も覗き込む。
ハラハラと見守るしかない叔父の耳にだけ届くよう、声を潜める。
「大丈夫です。本当のことしか、書いていません。証拠の写真もたくさん載っていますから、間違いようがないです。叔父様もご覧になりますか?」
もう一冊あるんです、と差し出した雑誌を、叔父はひったくるように受け取って鬼気迫った様子で捲っていく。
雑誌にはフォルジュ家の兄弟の確執に端を発した今回の一蓮の騒動が順序立てて、分かりやすく載っていた。
どこからか手に入れた、ありし日の両親と小さなソフィアを写した家族写真もある。マクシムが……いや、レオが忍び込んで撮ったであろうソフィアが押し込められていた殺風景な私室を屋敷の外側から盗み撮りした写真や、睦まじすぎるコリンヌとクロードの様子も写っていた。
叔父に辞めさせられた使用人たちの証言、家庭教師や出入り業者の談から見え隠れする『隠され、虐げられた令嬢』の存在。
極めつけは、顔を隠してフォルジュ家に出入りする男の写真だ。叔父と話し、金品を受け取る様子がしっかりと盗撮されている。
尾行したマクシムは、その男が別の指名手配犯と行動を共にしているところまですっぱ抜いていた。
「……なんと」
「ご、誤解だっ! 陛下、こんな三流紙の戯言を真に受けないでください!」
喚く叔父に向ける王と王妃の顔に侮蔑の色が乗ったのを確認して、ソフィアはまた目を伏せる。
「三流だろうと、真実を追究する意志に嘘はありません。これが間違いだと言うのなら、私を含めた証言者全員のその言質を取って、あなたも証拠を出されたらいいのです」
「貴様……っ」
(できないでしょう? だってどれも「本当のこと」だもの)
ソフィアの声にならない言葉が伝わったらしい。激昂した叔父に掴みかかられそうになる。警備兵は遠く、片腕で頭を守るように庇い、僅かに後退る。殴られてもよかった。それでこの真実が曲げられずに伝えられるなら。
しかし、待っても衝撃は来なかった。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、叔父の腕を掴みあげたレオがいた。
「……見るだけで、出てくるつもりはなかったのに。殴られそうになってるんじゃねーよ」
「やあやあ、危なかったね!」
「マ、マクシムさん?」
さらに、レオの陰からマクシムがぬっと出てきて、夜会服を身に着けた二人にソフィアはさらに目を丸くする。
「ど、どうして……」
「顛末を写真付きで続報記事にしようと、こっそり潜り込んでいたんだ。なのにレオが飛び出すから」
「仕方ないだろう」
「レオ……」
気まずそうに、でもソフィアが殴られなかったことに安心したとその瞳が言っている。
――夜会では一人でやりきると心を決めていた。
もう会えないと思っていた。
同情だろうとなんだろうと、来てくれて助けてくれたことがどうしようもなく嬉しくて、涙が込み上げる……よかった。最後にこの目に映したのが、拒絶のあの表情ではなくて。
マクシムが国王と居並ぶ貴族たちに向けて仰々しく礼をとる。
「お騒がせして大変申し訳ありません。本件の詳細はぜひ、ラ・ガゼットの最新号をご覧いただければ!」
いけしゃあしゃあと述べるマクシムに、つい笑みがこぼれてしまった。
叔母やコリンヌたちはまだ訳が分からないという雰囲気だが、叔父は「絶望」という文字を表情にしたらこうなるだろうか、という顔になっている。
「あっマズい、警備の人がこっちに来る! 捕まる前に行くぞ、レオ」
「……ソフィア、もう少しだ。頑張れよ」
「うん!」
去り際にレオの瞳がソフィアで止まる。
ありがとう、と言ったソフィアの声は届いただろうか。到着した警備兵に叔父を押しつけて躱しながら、二人は風のように去って行く。
やっと事態を把握した侍従が「と、捕らえろ」と号令を出した時には、とっくにレオもマクシムも見えなくなっていた。
最初は暴れて抵抗した叔父も、兵にがっちり取り押さえられてようやく静かになった。
「……いやはや、とんだ夜会になったな」
言葉とは裏腹に、どこか楽しそうにも見える国王の愚痴に深く陳謝する。
「重ねてお詫び申し上げます。陛下、先程の者たちが川に落ちた私を見つけて救ってくれたのです。どうか広いお心でご寛恕を」
「ああ、よい。問うべきはあの者たちよりも、我が城の警備態勢だと分かるからな」
「感謝いたします。最後にもうひとつだけ、よろしいでしょうか」
「ここまでしたなら最後まで申せ」
「ありがとうございます。では、フォルジュ伯爵家の正当な後継者ソフィア・フォルジュの名において、フォルジュ家はただいまをもって伯爵位……いえ、貴族位を返上いたします」
「なんだと、ソフィア!」
警備兵に押さえつけられながら叔父が叫ぶ。コリンヌやクロードまで口を開く前に、ソフィアはまっすぐ前を見た。
ソフィアがこうしようと思っていたことは、レオたちにも伝えていない。
「いくら能力があろうと、後継者を殺害しようとした者が爵位を継ぐなど、リュノール国の歴史にあってはなりません。ですが、私も当主として不十分です。臣下として父の代まではできたご報恩も今後は難しくなるでしょう。領民への責任も果たせそうにありません」
十歳で両親を亡くした。
伯爵家を背負うべきは自分だったのに、叔父の手中から取り返せなかった。
幼かったからなどという理由は、当主としての役割や領民に対して持つべき責任を放棄したことの言い訳にできない。爵位は軽い物ではないのだ。
「私には伯爵家を支え、共に歩む配偶者もおりません……望んでおりません」
視線を感じて向ければ、クロードと目があう。もしかしたら一生を共に歩いたかもしれない人。
けれど、人生は違えた。
たとえコリンヌとの婚約がどうなろうとも、ソフィアとまた手を取り合うことはない。
「なるほど」
「爵位も領地も陛下にお返しするために、死んだと言われた私はここに参りました。どうか、お許しを」
叔父はがっくりと膝をつき、叔母がふらりと倒れる。蒼白になったコリンナとクロードがソフィアに駆け寄ろうとして押さえられている。
手足をもがれ閉塞感に満ちた長い日々、朽ちるのを待つだけと思っていたけれど――レオに、皆に出会ってソフィアの人生は変わった。
こうして、国王に自分の言葉を伝えられるほどに。
『――ソフィア、こっちだ』
手を引いてくれたレオの声に胸の中で返事をする。
傷ついた身も心もあの日々が癒やしてくれたから、こうして晴れやかな気持ちでこの場に立っていられる。
(……レオ)
最初から最後まで、助けてくれた。
(『お前も忘れろ』なんて、無理よ)
ソフィアが覚えているだけならいいだろう。
初めて恋した人はぶっきらぼうでそっけなくて、誰よりも、ソフィア自身を見てくれる人だった。
「分かった。そなたの望み通りにしよう」
「……ありがとうございます」
深く礼をする。そのまま、国王夫妻が退出するまで動かずにいた。
お読みいただきありがとうございます!
次回7/31、前後編の2話更新にて完結となります。最後までお楽しみいただけますように…!




