その後、それから(後)
最終話:本日2話更新 2/2(こちらから入った方は、ひとつ前からお読みください)
幸いなことに、個展は盛況だった。
一週間の会期中にレオは何人もの顧客と話をし、新しいクライアントも見つかった。個展の支援をしてくれた好事家も満足そうで、次はいつやるなどと勇ましいことを言う。
初日から出たプレスリリースや批評も押し並べて好評で、あれだけコンテストに縁がなかったレオに審査員の依頼が舞い込むほどである。
そんな手のひら返しにおもねる気はないが、学生が対象の品評会には顔を出す約束をした。自分のように、作品ではなく身分で足切りをされるカメラマンがひとりでもいなくなればいい。
「レオ、お疲れ!」
「マクシム」
最終日、客も去り後は閉めるだけになったアトリエでマクシムと片手を鳴らし合わせる。
「いやー、大成功だったね」
「なんとかな」
「これでレオも僕と同じ超一流の仲間入りかと思うと感慨深いよ」
「また言ってやがる」
「編集長は先に打ち上げの店に行ってるってさ」
軽口を叩いて労い合う。マクシムやクレマンも陰に日向に協力してくれたことは間違いなかった。
「マクシムも先に行っていいぞ」
「レオは?」
「最後に一回りしてから向かう」
「なるほどね、了解」
余韻を楽しむのだと理解して、マクシムはさらりと出ていった。とうとう一人きりになった室内に、深い静けさが戻る。
(……来なかったな)
会期中の一週間、ほとんどの時間レオは在廊していた。
似た髪色や背格好の女性は何人もいたが、後ろ姿だけで別人と分かるから声を掛けもしなかった。
個展に気づかなかったのか、もうレオに興味は失せたのか。
無事で、元気でいるならそれでいいと思ったのは本心のはずなのに、割り切れていないのを嫌でも自覚させられてしまう。
出そうになる乾いた笑いを寸前で止める。アトリエいっぱいに並ぶのは、ソフィアと過ごしたあのひと月があったから撮れるようになった写真ばかりだ。
レオの写真のバックグラウンドには、間違いなく弟がいる。そしてこれから撮る写真のどこかには、必ずソフィアの欠片が映り込むのだろう。
(……それでいいか)
昔憧れた「写真家」とは別の形での成功だが、違いを楽しめるくらいには悪くないと思う。
細い鍵を放り投げ、受け止める。そうして扉に近付いたとき、同時に表側の取っ手に誰かの手が掛かった。
「あー、すみません。もうお終いで――」
「……レオ」
顔も見ずに引っ込もうとして、掛けられた声に動きが止まる。
信じられない気持ちで視線を上げると、上がった息を押さえてエバーグリーンの瞳が嬉しそうに緩い弧を描いていた。
「ソフィア」
「レオ、個展すごいね! おめでとう! あの、私、走って来たんだけど間に合わなかった……?」
「走って来たって、どこから」
「ええとね、お隣の国」
「は?」
「アシスタントスタッフにならないか、って誘ってくれたモデル事務所の人がいたでしょう。平民になったから『お仕事ありませんか』って行ったら、ちょうどお隣の国で新しく事務所を開くところで、せっかくだからそっちにって」
「はあ?」
「ほかにやれることも思いつかなかったし……レオにもマクシムさんにもジャンヌさんにも、いっぱい心配かけたよね。私が近くにいたらいつまでも騒ぎが収まらなくて迷惑になるだろうから、丁度いいって思ったんだ」
あの衝撃的なスクープで、世話になったブティックやジャンヌの診療所も注目を浴びたのは事実だ。
それぞれ、客が増えたとか、支援者が増えたとか喜んでいたが、もしそこにソフィアがいたら決して良いことばかりではなかったに違いない。
ソフィアはソフィアで、スキャンダルのほとぼりが完全に冷めるか、自分がしっかり独り立ちできるまでは帰国しないと決めていたそうだ。
「でもレオが個展を開くって聞いてね、頑張って調整して今日の午後に帰国して、一生懸命走ってきたの。なのに私、道を間違えちゃって」
「覚えるほど歩いてないもんな、仕方ないだろ――って待て。そこ、俺が納得するところか?」
「ふふっ」
本当に走ったのだろう。まだ弾ませた息のまま取り出したハンカチで額に浮いた汗を拭くソフィアを、ひとまずアトリエの中に入れる。
スタッフ用の椅子しかないが、と勧めるが、それよりもソフィアの目は写真に釘付けだ。
「わあ……!」
「……こんな感じだ」
無言で瞳をきらめかせて、一枚一枚をじっくり見ていくソフィアを現実感なく眺める。
適当にレオが揃えた髪は、今はもっと短く、鎖骨あたりの長さになっていた。服も、ブティックの棚卸しのお下がりではなく、きちんと季節とソフィアに似合った流行の物だ。
マクシムが見れば、見違えたと言うだろう。けれどどこまでも雰囲気はあの頃のままだ。
やがて展示を一周し終わったソフィアが満足そうに息を吐く。
「私やっぱり、レオの写真が好き」
「……ありがとな」
「本当だよ?」
「別に疑ってないし」
「それとね、今もまだレオが好き」
「……は」
「レオには勘違いだって言われたけど、勘違いじゃなかった」
少し眉を下げて困ったように笑う。そのソフィアから目が離せない。
「レオが言うとおり、私は、私を助けてくれたレオに恩を感じたし、匿ってくれたレオから安心を分けてもらったのは本当。でもね、その後に……ファインダーを覗くレオに、レンズ越しに恋をしたの」
ほら見て、とソフィアは鞄から写真を取り出して、受付用に設置しているカウンターに並べ出す。
二人で暮らした一カ月の間に撮った写真――最初の一枚から最後まで、写真の中のソフィアはただ一点、シャッターを切るレオだけを見ていた。
撮っているときは見えないふりをしていたその視線から意識を逸らすことは、もうできそうにない。
「ね、勘違いじゃないでしょう?」
首を傾げてこちらを見上げるソフィアに困り切って、額を押さえる。それを拒絶と受け取ったらしいソフィアが慌てて両手を振る。
「で、でもっ、レオに気持ちを押しつけるつもりはないの。ただ、勘違いじゃないって分かってもらえたらそれで――」
「奇遇だな。俺もソフィアが好きだよ」
「…………えっ?」
「いなくなって、相当堪えた」
「レオ……本当?」
「嘘吐いて悪かった。でもあの時はああ言うしかなかったし、もう一度あの時に戻ってもやっぱりそう言うと思う」
そもそも自覚したのはソフィアが去ってからだ。そこまで教える気はないが、目の前で真っ赤になってふるふると震えだしたソフィアに笑いが込み上げる。
「あれだけ『好きだ』って自分から啖呵切っておいて、なんで今さら照れるんだ?」
「だ、だって、まさか……ええ、夢? これ、夢じゃない?」
「夢でもいいけどな」
なんとなく腕を広げるとソフィアの体がふらりと揺れて、吸い込まれるように胸に納まった。
相変わらず細い肩から躊躇うように伸ばされた腕が、レオの背中に回る。
「……どうしよう、嬉しい」
隠しきれない涙声に、レオの胸までいっぱいになる。
「これから打ち上げだ。マクシムたちもいるけど、行くだろ?」
「行きたい! でも、もうちょっとだけこのままでいたいなって――レオ?」
腕の中で顔を上げたソフィアの額に唇を落とす。また色を染めるのが面白くて頬にも口付けたらやりすぎだと怒られた。
「レ、レオの写真も、レオのことも、私のほうが好きなんだから!」
「そうか。じゃあ問題ないな」
唇を重ねようとして、手のひらに拒まれる。至近距離で目が合って、どちらともなく笑みが咲いた。
「ま、ゆっくり進めるか」
ぽかりと胸を叩かれて、ポケットに入っていた写真を思い出す。
(これを見せるのは後でいいか)
時間はこれからたっぷりある。
アトリエに鍵を掛けカメラバッグを担ぎ、いつかのように手を繋いで皆が待つ店へ向かった。
お読みいただきありがとうございます!
『レンズ越し、たった一度の恋をする~失踪令嬢とカメラマン~』完結となります。
途中、長くお休みしてしまいましたが、ソフィアとレオのお話をこうして最後まで書けてとても嬉しいです。更新をお待ちくださった皆様が、一緒に楽しんでいただけたことを願っています。
連載中の颯壱幸先生のコミカライズ(ライドコミックスより①~③発売中)もあわせてお楽しみいただけたら嬉しいです!
2026/07 小鳩子鈴




