告白
「――で、その叔父が出席する王宮の夜会にソフィアも行くんだな?」
「うん。そうするつもり」
賑やかに誕生日を祝ってくれたマクシムとジャンヌが帰った後。狭いキッチンに二人並んで茶器を片付けながら、これからの話をする。
この部屋に来たときは皿洗い一つもぎこちなかったソフィアだが、今では慣れたもの。食器をしまう場所に迷うこともない。
「その場で止めないと私は死んだことにされちゃうし、目撃者は多いほうがいいってマクシムさんに言われたもの」
「それはそうだけどな」
と、レオは面白くなさそうに視線を手元に戻す。
(……心配してくれているんだ)
これまでろくに社交をしてこなかったソフィアに貴族の知り合いはいない。不本意な評判だけが一人歩きしている状態で行方不明になり、川に転落死したようだと広められている。
そんな状況で大勢の前に一人で現れるなど、成人したての令嬢として正気の沙汰ではないだろう。
「……貴族の知り合いでもいりゃあ、少しは助けてやれたのに」
「レオは十分助けてくれたよ! 匿ってくれたし、なにより私を見つけてくれたもの。それに、写真のお仕事ができたのはレオのおかげ」
「あれはソフィアの力だろう」
「ううん、レオがいてくれたからだよ。……ふふ、ヴァネッサさんのときは初めて過ぎて良く分かってなかったけれど、その後の依頼を受けた時はすごく緊張して。たぶん、今度の王宮に乗り込むのよりもドキドキしたと思う」
「撮影のほうが城より上なのか」
「私にとっては、そうみたい」
(だから本当は、戻らないでここにいたい……けど)
皿を洗う水音が、別れを前に泣き出しそうになる声をごまかしてくれる。
拭き上げたカップを棚にしまって、またシンク前に戻った。
「まあ、決めたならいい。ただ、無理はするなよ」
「うん。ありがとう、レオ。それでね、ひとつお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「……マクシムさんって、私の――フォルジュ家のことを記事にしようとしているでしょ」
「っ!?」
レオの手からケーキ皿が滑り落ちて、シンクに当たる。あらら、と覗き込めば割れてはいなくてほっとする。
「大丈夫? レオ、怪我しなかった?」
「怪我なんてどうでもいい。ソフィア、どこからその話を――」
「んっと、なんとなく」
「なんとなく……」
「私が記者なら、きっと気になって調べて書きたくなるだろうなって思うから」
「……」
ものすごく気まずい顔をされてしまった。
「あの、レオ?」
「……すまない。ずっと止めるように言ってるけど、マクシム(あいつ)が妙に乗り気でちっとも人の話を聞きやしない。力ずくでも記事にはしないようにするから」
「そうじゃなくて逆でね、記事にしてほしいの」
「は?」
「ほら、さっきレオが言ったように私には貴族の味方がいないでしょ。だから、記事に味方をしてほしいんだ」
叔父一家がソフィアに長年してきた仕打ちや、殺害未遂、隠蔽工作。それらをあますところなく書いてほしいと頼むと、レオも納得がいった顔をする。
「記事に味方……ああ、なるほどな」
マクシムは言わなかったが、単身夜会に乗り込んだソフィアを黙らせるなど、あの叔父にはたやすいことだろう。ソフィアの訴えを皆が信じる前に、場を騒がせたと強制退場させられるに違いない。
それなら、力のない令嬢の声に誰もが耳を傾けるしかない事態にすればいい。そして雑誌記事はうってつけだ。
「でもガゼットは、しがない三流ゴシップ誌だぞ」
「それが良いの。新聞だと、貴族の醜聞は記事になる前に止められちゃうって聞いたよ」
「それは……そうだな」
実際にマクシムは、とある大物政治家貴族のスクープを書いて新聞社をクビになった。大手であればあるほど、そういった妨害は多い。
どれだけ信頼度が低くても、貴族の息が掛かってない三流紙だからこそ発信できるのだ。
「私のことはどう書いても構わない。レオやマクシムさんが見た事実を、そのまま記事にしてくれたら――」
「『どう書いてもいい』なんて言うな。お前はもっと自分のことを大事にしろよ」
レオが怒気を含んだ声でソフィアの話を遮る。その真剣な眼差しが、ファインダーを覗くときのそれに似ていてソフィアの胸がきゅう、と苦しくなった。
頷いて、耐えきれずに笑い出す。
「……うん。ふふ」
「なんで笑うんだ」
「レオが本気で怒ってくれるのが嬉しくて」
「はあ?」
「ありがとう。気を付ける」
(……だって、こんなふうに怒ってくれる人もいなかったんだもの)
理不尽に罵倒してくる人には事欠かなかったけれど。
貴族が嫌いなレオに、堂々と貴族を貶められる機会を提供すると言っているのに、その「貴族」にソフィアも入れていることを怒られた。
本気で言ってくれていることが伝わってくるから、言うつもりのなかった言葉がソフィアの唇から溢れ出る。
「私、レオのことが好き」
「は?」
また、レオの手から皿がシンクに落ちた。
さっきとは違う「は?」の音で、レオは目を丸くしている。
「あのな、言っていい冗談と悪い冗談が――」
「冗談じゃないよ。私は、レオが、好き」
一言ずつ区切るようにはっきり言葉にして、ますます自分の気持ちを自覚する。
――伝えないで別れようと思っていた。けれどできなかった。
(言っても困らせるだけって、分かってたのに)
ほら、濡れたままの手で額を押さえてしまった。
見えない表情の下、レオの口だけがかろうじて動く。
「……ソフィア、お前のそれは勘違いだ。勘違いじゃなければ思い違いだ。助けられて面倒をみてもらったっていう恩を、恋愛と取り違えている」
「信じてくれないの?」
「どこに信じる要素がある? お前は貴族の令嬢だろう」
「名前だけね」
「その名前がすべてだ」
(こんなにはっきり言われると、さすがに泣きそう……)
明確な拒絶に奥歯を噛みしめた。これほどはっきり拒絶されると、さすがに堪える。
――最初から、叶うなんて思っていなかった。好きになっただけで十分だと思っていた。
ソフィアが一方的に恋をして、黙って去ればいいのに勝手に打ち明けたのだ。
傷つけられたなんて思っていない。
「お嬢様のお守りなんて、最初から面倒でしかなかったんだよ。さっさと自分の家に帰れ」
だって、レンズの向こうにいつも見た瞳が、ソフィアを拒む自分の言葉に傷ついている。
「うん。ごめんねレオ」
言わせてしまって。
「……分かったなら、いい。俺はお前のことなんかすぐ忘れる。お前も忘れろ」
体ごとソフィアから背けて、レオは洗い物を再開する。それきり会話はなく、誕生日の夜は更けていった。
次の日から、レオはあからさまにソフィアを避けた。
朝は早くからいなくなるし、帰ってくるのも遅い。そうなるだろうなあと思っていたとおりになった。
世話になったブティックに別れの挨拶に行くときだけは同行してくれたが、短いその道中もまったく会話は弾まなかった。
「……やっぱり言わないほうが良かったかも」
打ち明けなければ、最後の日々を近くで過ごせたはずだ。自分の心に嘘はないが、黙っていられなかったのは駄目だったかもしれない。
もう明後日は例の王宮夜会だ。
身支度などの準備をジャンヌが手伝ってくれることになっていて、今夜からは診療所に泊まることになっている。
最後に念入りに掃除をした部屋を見回して、ぽつりと独り言が溢れた。
「会いたかったなあ」
昨日からレオは帰ってきていない。このまま顔を合わせずに終わりにするつもりなのだろう。
ソフィアの誕生日に貰った花はまだ元気で窓辺を飾っている。すっきりと片付いた部屋は、足の踏み場もないほど散らかった状態を思い出しにくい。
「……私が居なくなったら、またあの部屋に戻るのかな」
そうして次第に、ソフィアがここにいた痕跡も消えていくのだろう。
寂しいが、きっと、仕方のないことだ。
(……写真とカードは、もらったままでいいよね)
ブティックの皆で撮った集合写真や、一緒に選んだガゼット社のカード。残されても困るだろうソフィアの服は、ひとまずジャンヌの所に置かせてもらおう。
ありがとうと書いたメモだけ残して、ソフィアはこの一カ月を過ごした部屋を後にした。




