誕生日
なりゆきで始めたモデル撮影指導が最終日を迎えた。
短期間の実働にもかかわらず、ソフィアのアドバイスでポートレートを撮ったモデルは、最終的に十人を軽く超えた。
ヴァネッサのように大手のモデル事務所に採用になった者もいれば、第一志望は叶わなかったものの別の仕事を得たり、費用免除で養成スクールに入れた者もいる。
総じて、支払った指導料金以上の結果を得ていて満足度はかなり高く、口コミもとどまるところを知らなかった。
ソフィアが「観光のために上京した」ことになっており、あくまで期間限定だと最初から決まっていなければ、ひっきりなしに舞い込む依頼を断るのはもっと難しかっただろう。
驚いたことに、評判を聞いたモデル事務所から専属コーチとして働かないか、という勧誘まで受けた。未成年を理由に断ったのだが、大分粘られて、最終的にはレオに追い返されていた。
それでも、と強引に渡された名刺を、ソフィアは現実感が薄い気持ちで眺める。
(私はなにもできないと思っていたのに)
叔父たちからは「役立たずの穀潰し」だとよく言われた。
実際、外出も情報も制限されて、屋敷の奥に押し込められて生きてきたソフィアが接してきたのは、家にある古い本や絵画、それに両親との記憶だけ。
叔父たちの言うとおり、そんなものでは貴族の社交にもたいして活かせないだろう。
(でも……)
「今」の最先端ではない、古くから残るそれらは普遍的な美をふんだんに備えている。
もしかしたら、そうして育まれたソフィアの美意識が、流行の先頭にいるモデルたちのそれとうまい具合に重なって、各人の魅力を引き出せたのかもしれない。
けれど今でも、ソフィアはただその人が一番綺麗に見えるようなスタイルを探して伝えているだけで、特別なことをしたとは思っていない。
ファッションにはまったく素人の自分の拙いアドバイスに文句を言わずに従い、着たことのない色の服や髪型に果敢に挑戦するモデルたちのほうが、自分より何倍も素晴らしいはずだ。
(レオの写真がいいのも大きいし)
ポートレートは苦手だと散々言っていたレオだが、ソフィアがコーディネートしたモデルたちを撮るときは違ったらしい。
たとえ他のモデルと似たようなポーズや衣装で撮っても絶対に同じように見えないのは、レオの撮影のおかげだ。
モデルたちも仕上がりに満足そうだし、レオも、好きな風景写真と同じくらいとまではいかないまでも、ソフィアと組んでする人物撮影は嫌いじゃないと言ってくれる。
ソフィアがいない通常の撮影現場では、相変わらず背景や小物のほうが見栄えがする写真に戻ってしまい、編集長のクレマンに文句を言われているらしいが。
ただ、今のレオに来る依頼は、偶然撮れた例の写真――ソフィアの後ろ姿――のような、やや抽象的な写真の撮影が多く、そちらはかなり好評だ。
「どれも同じに撮っているのに」とレオは首を傾げるが、ソフィアにはレオがどうして分からないのかが分からない。
レオは風景を撮るときに被写体だけでなく、そこに流れる空気も取り込んで写し撮る。
その風景写真と同じ印象が、この不鮮明な人物写真からは感じ取れる。ディテールを空気に溶かし込んだ写真なのだ。
きっと、見たままの写像が必要となる今までのポートレートは、レオの持ち味を十分に活かせなかったに違いない。
(私のコーディネート撮影は「プロの撮影現場」の雰囲気じゃないそうだから、たぶん、それが合っていたのかも?)
緊張感はあるにはあるが、どうも他の現場とは違うらしい。ほかの現場を知らないソフィアは比べようもないが、モデルもレオもそう言うからそうなのだろう。
そんなふうに、モデル撮影に関してはレオもソフィアもまだ自信満々とは言えない同士だが、文句ではなく感謝が返ってくる仕事はやりがいがあった。
自分のしたことで誰かが喜んで、その上一緒に働きたいとまで言ってもらえたことは、素直に嬉しいと思える。
両親が亡くなってから、肯定的な言葉を掛けてもらえたことなどなかったから、特に。
(……レオは最初から、何もできない私でも馬鹿にしなかったわ)
料理で大失敗をしたときも、持たせてくれたカメラで撮った写真のピントがちっとも合っていなかったときも、責められることはなかった。
包丁での怪我や、現像の溶液に触らないようにといった安全面での注意は厳しかったが、レオがソフィアの失敗を詰ることは決してなかった。
知らないことはやり方を教えてくれて、できたら褒める。そういった当たり前のことが、叔父たちから否定され続けてきたソフィアには新鮮で、本当に安心できた。
そんなレオが背中を押してくれたから、アシスタント業もやってみようと思えたのだ。
最初は不安しかなかった。たまたまヴァネッサが偶然上手くいっただけで、実際にそんな実力や適性が自分にあるとは思えなかったから。けれど。
(……私のアドバイスを喜んでくれた人がいたことは、事実だわ)
そう思えるようになった。
レオは川で冷たくなっていたソフィアを助けてくれただけでなく、本人にそのつもりはなくても、自分という個人を取り戻させてくれ、心も救ってくれた。
この短い日々は本当に、ソフィアに色々な経験を与え、知らなかった感情を教えてくれた――人を好きになる気持ちも。
ひと月前のソフィアなら、フォルジュ家に戻っても叔父の前で俯くことしかできなかっただろう。
けれど今は違う。モデルたちの笑顔やこの小さな名刺がソフィアを支えてくれる一部になって、もう虐げられるだけの自分ではないと、自信を持って立っていられるはずだ。
§
「そんなわけで、お誕生日おめでとう!」
いつものように突然やってきたマクシムが持ってきたケーキとシャンパンが、アパートのテーブルに並ぶ。
今日、ソフィアは二十歳になった。
「急に押しかけてきて、なにが『そんなわけで』なんだよ」
「はー、またそんな憎まれ口を。どうせレオ一人じゃ誕生日パーティーの支度もろくにできないだろうに」
「なんだと?」
図星を突かれて具体的な反論はできないレオと、そんなレオを面白がるマクシムの睨み合いに、呆れ顔のジャンヌが間に入る。
「二人とも喧嘩するなら外に行きなさいよ。はい、ソフィアこれ私から」
「わあ、ジャンヌさんありがとうございます!」
リボンの掛けられた小箱を差し出されて、ありがたく受け取る。ちなみにマクシムからは、快気祝いに貰ったものよりずっと大きな花束を渡されていた。
「嬉しいです……誕生日をお祝いしてもらえるなんて、何年ぶりだろう……」
深く考えずに出てしまった独り言に、あ、と気づいた時は遅かった。マクシムとの言い合いをぴたりと止めたレオが、気まずそうにする。
「……悪かった。水を差すつもりはなくて――」
「そ、そんな、あの、レオ」
ソフィアの発言のほうが、お祝いムードに水を差してしまった。慌てて取り繕おうとするが、聞こえなかったことにはできないようで、マクシムがうんうんと頷いている。
「だろうねえ。最近ずっとフォルジュ家に貼り付いてたけど、両親を亡くした姪っ子を可愛がるような殊勝な心なんて、カケラも持ってなさそうな奴らだもんな」
「えっと、まあ……」
その通りなのだが頷くのもなんとなく気が引けて、苦笑しつつ曖昧に相槌を打つ。
「話が出たからついでに教えちゃうけど、あいつらは予想通り、来週の王宮夜会でソフィアちゃんが亡くなったと発表して、自分の爵位継承を認めさせる流れに持っていくようだよ」
「……はい」
そうらしい、というのは前に聞いていた。
叔父が指揮したソフィアの捜索は、つい最近まで行われていた。見当違いの場所ばかりだったし、当然ながら遺体の発見には至らなかったものの、ひと月の間しっかり捜索した実績と、川の下流で見つけたソフィアの靴を証拠に死亡を宣言するらしい。
「普通ならもう半年くらいは継承を保留にするべきなんだろうけど、今までずっと当主代理をしてきたし、失踪時のソフィアちゃんは未成年だったからね。それを根拠に、あとは見返りも付けて、貴族院の承認委員たちを強引に丸め込……いや、言いくるめて……」
「買収したって素直に言え」
「レオ、人がせっかくマイルドに伝えようとしたのに」
「あ、私なら大丈夫です」
「そう? 案外強いねえ、ソフィアちゃん」
「ふふ、強くなりたいと思ったので」
俯いて唯々諾々と従うだけの自分はもう卒業したくて、そのためには自分の置かれた状況から目を逸らさずにいることが必要だと思ったのだ。
唯一の身内に疎まれるなど、快いことではない。
けれど、仕方ないと諦めるだけでなく、自分と自分の立場を守るためにできることはしたいと思う。
「そうね、だいぶしっかりしたと思うわよ」
「だと嬉しいです」
明るく言い切るソフィアに、ジャンヌは妹を見る様な眼差しで微笑んでくれる。
(それにしても、マクシムさん。フォルジュの家のことだけでなく、貴族院のほうまで調べてきちゃうなんてすごい……!)
雑誌記者という者の技量なのか、マクシム個人がすごいのかは分からないが、大したものだと思う。
探られるほうには堪ったものではないだろうが、叔父の手の内が知れるのは非常に助かる。
「それじゃ続けるけど、ソフィアちゃんの婚約者君のベルトラン家も叔父さんの家督相続を支持する立場だ。ソフィアちゃんとの婚約は解消にして、正式にコリンヌ嬢と婚約する手はずになっている」
「はい」
元から名前だけの婚約者だった。両親が調えた縁組みではあるが、こんな状態になるとは父も母も思わなかったに違いないし、今のソフィアの状況を知ったら喜んで婚約解消をするだろう。
特に感慨もなく頷くと、レオが少し言い淀んで訊いてくる。
「それもいいのか?」
「いいのか、ってどういう意味、レオ?」
「いや……ソフィアは貴族に戻るんだろ。そうしたら誰かと結婚するだろうし――」
「あら、レオ。最近じゃ貴族だって、必ず結婚しなくちゃいけないなんてことはないわよ? 第一、政略結婚よりも面白いことっていっぱいあるしね」
「ジャンヌに言われてもな」
「はあ?」
ぽんぽんと行き交う気安い会話が心地よい。思えば、こういうふうに話せる相手すら、これまでのソフィアにはいなかった。
(もし、お父様たちが亡くならなければ違ったかしら)
普通の貴族令嬢として社交に顔を出し、友人を得ていただろうか。目の前の三人を憧れるように眺め、そんなことを考える。
(……駄目だわ、想像できない)
あの家ではどんな空想もソフィアの孤独を救ってくれなかった。
「いや、ジャンヌはそうでもソフィアは違うかもしれないじゃないか」
こんなふうに、意志を確認してくれることも。
――自分も平民に、それもレオたちを同じ歳くらいに生まれていたら、友達になれただろうか。
その想像は少し楽しく思い描くことができた。
「本当にいいの、レオ。そもそもクロード様と婚約者らしいことってしたことがないから、婚約している実感もなくて。それに多分、ベルトラン家もそのつもりだろうなあって思うし」
婚約者としての仲を深める前に両親が亡くなり、ソフィアは『病弱で我儘な令嬢』にされた。初めのうちは僅かにあった交流も妨害されて、すぐにクロードに手紙ひとつ届けることは叶わなくなった。
誕生日に贈られた品物はソフィアが「こんなものはいらない」と捨てたことにされ、コリンヌに奪われた。
(そんなことが続けば、クロード様が「蔑ろにされた」と思うのも仕方がないわ)
そうして、謝罪も謝辞もしないソフィアに代わって、コリンヌがクロードの隣にいるようになったのだ。
まだ幼いソフィアではその流れを止めることは不可能だった。
(でも……)
あの家に長年頻繁に出入りしているクロードが、ソフィアが虐げられていることにまったく気づかないはずがない。なのに、おかしいと思うのではなく、コリンヌと一緒になってソフィアを排除する側に立った。
つまりクロードもベルトラン家も、遺児のソフィアではなく、叔父が継ぐフォルジュ家と手を組むことを是としたのだろう。
「夜会で飲み物を勧めてきたのは、コリンヌとクロード様……もし婚約が継続できたとしても、そんな人と結婚はちょっと――」
「嫌よねえ。いつ寝首をかかれるか分かったものじゃないわ」
「ひい、物騒だねえ!」
「なによマクシム、柄になく怖がっちゃって」
馬車から落ちることになった夜会で、気分が悪くなる飲み物を強引にソフィアに飲ませたのはクロードだ。
叔父の計画ではあっただろうが、乗ったということは、死を望むほどソフィアは邪魔に思われていたということだ。
理由はそれだけではない。
「それに、私の両親は恋愛結婚だったの。いつも仲が良くて……私はお父様とお母様みたいな結婚がいいから、そうできそうにない婚約とか結婚を、無理にしたくないの」
ソフィアの返事にレオは少し目を見開いて、それから瞳をふっと緩めた。
「……そっか」
「うん!」
「そうよねえ、すっごく好きな人か、すっごくメリットがある人とでないと、結婚してもねえ」
「ジャンヌ。そのどっちかに僕は入っていると思うんだけど」
「レオ、そのケーキいただくわ。こっちにちょうだい」
「また流された!? ねえ僕、結構役に立つよね!? ジャンヌのこと大好きだし!」
「はいはい。いい子だから黙って食べなさい」
「くうっ、あしらわれている!」
「お前ら煩い。もう帰れ」
「レオも酷いっ!」
賑やかで楽しくて。こんな日もお終いなのだと思うと胸が苦しかったが、その日ソフィアは最後まで笑顔を崩さなかった。




