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遭遇

 否定しようとするレオを何度も遮って言いたいだけ言ったクレマンは、ははは、と豪快に笑いながら屋台のほうへ戻っていった。大きな後ろ姿を茫然と眺めるレオの手を、ソフィアはぎゅっと握る。


「レオ。えっと、レオの写真が人気っていうことだよね?」

「……クレマンが冗談を言っているんじゃなければ、そういうこと……なのか?」


 レオは怪訝な顔だが、ソフィアにとっては疑問もなにもない。だって初めて見たときから、レオの写真が好きだったから。


「あんなにお客さんがいて、みんなレオのカードを買っているのに冗談なわけないよ」

「いや、でも」


 ずっと低評価で冷遇されてきたレオがすぐに信じられないのは、仕方ないかもしれない。

 仕事で撮った写真は没になることも多いし、自分が好きな被写体は撮ったところで金にならないと零す独り言を聞いたこともある。

 写真も芸術も門外漢のソフィアには、世間の評価は分からない。けれどレオの写真に惹かれるものを感じたし、そのレオの写真が他の人々に認められたのだ。

 喜びが込み上げて、勝手に口角が上がる。


「すごいね、レオ! 私も嬉しい! レオの写真、素敵だもの!」

「よせよ。まだ本当かどうか――」

「だって編集長さんが『評判いい』って! 『忙しくなる』って!」

「お、おい、声が大きい」


 すごい、やった、嬉しい、とはしゃぐ声が高くなったせいで、周囲の注目を浴びてしまった。慌てて手を引かれてその場を後にし、人が少ない路地裏に入ったところでようやく落ち着く。


「はしゃぎすぎだ」

「ご、ごめんなさい。でも嬉しくて」


「広告に使われた写真は、ソフィアが写ってるんだぞ。評判になったはいいが、誰かがお前に気づいたらどうする」

「後ろ姿のよね? 大丈夫、私が見ても自分だって気づかなかったもの」

「危機感が薄い」

「それは……ごめんなさい」


 見つかる可能性は低くても、逃亡中の身である。これだけ人目が多ければ、なにか感付く者がいないとは限らない。注目を浴びないほうが安全だ――と分かっていても、押さえられなかった。

 謝りながらもにやけてしまうソフィアに、レオは額を押さえる。


「反省していないな?」

「ちゃんと気を付ける。けどやっぱり……ふふ、嬉しい。レオは? 嬉しくない?」

「……本当なら嬉しいけどさ」


 肩に担いだカメラバッグを誤魔化すように背負い直して、信じたいけれど信じられない、と言いたげな表情でそっぽを向くレオの耳が少し赤い。


「お祝いしようね」

「本当だって分かってからな」

「あのカード、全部大好きな写真だったけど、どれが一番人気かなあ」

「ソフィア、聞いてるか?」

「ふふっ、今日はいいことがいっぱい!」


 祭りの華やかな雰囲気と嬉しい知らせで、ソフィアは自分で分かるほどにすっかり舞い上がっている。レオの手を引いて大通りに戻ろうとすると、レオもようやく微笑んでくれた。


「浮かれて転ぶなよ」

「レオが手を繋いでくれているから平気!」

「まったく、世話の焼ける……」


 口では文句を言いながらも、レオの手は優しい。器用にカメラのピントを合わせ、タイミング良くシャッターを切る自分より二回りも大きいその手を、確かめるように握り直した。


(……今だけだから)


 こうして手を引いてもらえるのも、そばにいられるのも今だけだ。ソフィアの記憶に残る初めての花祭りが、明るい思い出でいっぱいになってくれたらいい。

 そう思って歩き始めてすぐ――レオの肩越しに知った顔を見つけた。


「……!」

「ソフィア、どうした?」


 唐突に足を止めたソフィアに、道行く人がぶつかる。庇うように回されたレオの腕に隠れて、隙間からそっとその人たちを窺った。

 人並みの向こうにいたのは、よく知った二人だった。


(コリンヌと、クロード……)


 普段と違って地味な色合いの服を着て目立たないようにしているが、長年顔を合わせ続けた相手を見間違えるわけがない。


 ――虐げられていた日々の記憶が一気に押し寄せる。


 ソフィアをどこまでも蔑む目、揶揄いを隠さない物言い。好きな服も、母のアクセサリーも奪われ、両親の肖像画は燃やされた。すべてを奪われて、代わりに寄こされるのは否定と中傷ばかり。

 肉体的には直接危害を加えられなかったものの、酷く心を傷つけられたことは簡単に忘れられるものではない。


 レオの服を掴む指が震え、目が霞む。顔色をなくしたソフィアに気づいたレオが、倒れないように深く抱え込んでくれて、少しだけ息が楽になる。


「おい、大丈夫か」

「……あの、従姉妹と……元婚約者が」


 本当に心配していると分かる声に、ごく小さな声で告げると、レオはソフィアをよりしっかり隠すようにして、口に耳を寄せてくれる。


「今は向こうの、果物の屋台の前に……あ、移動して」

「ああ、あいつらか」


 前に伝えてあった風貌に一致した二人連れをレオはなんなく見つけ、ソフィアを隠しながら注視する。


「気づかれたか?」

「ううん、大丈夫」


 ソフィアだけが気づいて、目も合わなかった。それは間違いない。


(大丈夫、絶対に見つからないわ)


 叔父もコリンヌも、ソフィアをただの邪魔な同居人としてしか扱わなかった。クロードは婚約者だったが、ちゃんと顔を合わせた回数は数えるほどだ。

 そんな彼らが、髪型も服装も面差しも変わった今の自分を簡単に見つけられるはずがない。

 レオの腕の中で何度も言いきかせるうちにどうにか息も整った。

 彼らはソフィアたちがいる横道には目もくれず、屋台や出し物を楽しんでいる。


「普通に祭りを見に来たみたいだな」

「うん。ここにいたのも偶然だと思う。コリンヌは、パーティーとか賑やかなのが好きだから」


 マクシムから、ソフィアが行方不明になって以来、叔父たちとクロードは社交を控えていると聞いていた。けれど、花祭りの時期を家に閉じこもって過ごすのは我慢ならなかったのだろう。

 そのまま、二人は広場のほう――ソフィアが最初にいた方向――へ足を進めた。


「……行ったな」

「行ったね」


 すっかり姿が見えなくなって、二人して深く息を吐いた。と、しっかり抱え込まれていたことに後れて気づいて、慌てて離れる。


「あっ、ご、ごめんなさい、私がふらついたから――」

「一人で立てるか?」

「うん、もう平気」

「……まだ顔色悪いぞ」


 そう言って、レオはソフィアの前に手を差し出す。あまりに自然に与えられたその手を取るときに、泣きそうになった。


(同情でも……嬉しい)


 こういうさりげない気遣いに胸が詰まる。コリンヌたちを見かけて昔を思い出して、たしかにショックを受けたけれど、こんなふうに大事にしてくれるからソフィアの心に残りそうなダメージは消えてしまう。

 やっぱり好きだなあ、と改めて自覚しながら、はっとレオの顔を見る。


「レオ、どうしよう。もう帰ったほうがいい?」


 見つからなかったとはいえ、コリンヌたちも祭りを見に来ていることが確認できてしまった以上、アパートに戻ったほうがいいかもしれない。

 しかし、不安がるソフィアにレオは少し考えて「いや」と首を横に振る。


「家はあいつらが行った方向だ。今戻ると鉢合わせになるかもしれない」

「そんな――」


 服装も髪型も、フォルジュ家にいた頃とはかなり変わった。叔父たちが探している「ソフィア」だと簡単に見破られるはずはない。

 そうだとしても、さすがに何度も遭遇するのは避けたいし、コリンヌたちだけでなく叔父夫婦も出歩いているかもしれない。接触はしないほうがいいに決まっている。


「じゃ、じゃあ、ここからはレオとは別行動で――」

「は? なに言ってる」

「だって、私と一緒にいたら危ないから……」


 万が一だが、見つかった場合、ソフィアだけでなく自分を匿ってくれたレオたちにも叔父は報復をするだろう。

 身内であるはずのソフィアに対してでさえあれほど高圧的に振る舞うのだ。レオのような平民を相手に容赦などするはずがない。


(それだけは避けなくちゃ)


 レオがソフィアを匿い続けてくれているのは、まったくの善意からではないことは分かっている。マクシムもレオもゴシップ誌の記者だし、特にマクシムの視線には「取材対象」に向ける好奇心が浮かんでいる。


 けれどそれがなんだというのだろう。

 まだ何者かも分からない、川に沈む直前のソフィアをレオが損得無しで救ってくれたのは、間違いようのない事実だ。

 あのときに掬い上げてもらえなければ、こうして生きて、祭りを楽しむ事すらできなかったに違いない。

 だから、自分を匿うことでレオたちがなにか得になるならそれでいいし、反対に被害を受けるのはどうしても嫌だった。なのにレオは、ソフィアの申し出を一蹴する。


「あのなあ、妙なところに気を回すな」

「でも」


 粘るソフィアに「仕方ないな」と言いたげな顔をして、レオは少し思案した。


「そんなに心配なら、ガゼット社の事務所にでもしばらく隠れて――あ、いや、そういえば」


 言いながら、なにかを思い出したらしい。レオは今日も持っていたカメラバッグのポケットから、皺になったチケットを取り出した。


「……お芝居?」

「ああ。クレマンから貰っていたのを忘れてた。避難ついでにこれでも観るか?」



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