自覚した気持ち
唐突に気づいてしまった事実に戸惑う。
レオは川に落ちていたソフィアを見つけて、助けてくれた命の恩人だ。今もソフィアが迷子にならないようにこうして手を繋いでくれるし、歩く速さも合わせてくれる。
言葉はぶっきらぼうだが、行動は常にソフィアを優先してくれる――そういったことに対する恩や感謝を、恋と勘違いしているのかもしれない、と考えてみるが。
(……違う。勘違いじゃない)
手を当てた胸を占めるのは、婚約者だったクロードにも持ったことのない感情だ。
それに、レオと同じ時期に出会ったマクシムにも親切にしてもらっているが、彼に対しては感謝以上の気持ちはない。
こんなふうに思うのは、レオだけだ。
(……そっか)
ソフィアにとってレオが特別なのだ。そう認めたら、すとんと胸に落ちた。
(でも、レオには迷惑……だよね)
レオにとってソフィアは、突然現れて、ひたすら面倒を掛けられている相手だ。負担にしかならない自分に好かれても迷惑でしかないだろう。
でも――ふと昔、小さなソフィアに、人を好きになることは恥ずかしいことではない、と教えてくれた母の言葉が思い出される。
貴族の令嬢は望んだ人との縁が持てない場合もある。けれど報われなくても、好きになった気持ちを否定しなくていいのだと、クロードとの婚約が決まる少し前に話してくれた。
(お母様……)
屋敷の奥で蹲るだけだったソフィアが、こうして広い空の下で自由に動き、恋まで知った。
それが既に奇跡ではないか。
(それで十分。レオだって、告白されたら困るわ)
この想いをレオに告げることはないだろう。でも、宝物のように持っているだけなら、誰にも咎められないはずだ。
来月の誕生日が来たら、ソフィアはフォルジュの家に戻る。こうしてレオと一緒にいられるのもあとしばらくだけ。
別れの日を思えば今から寂しいが……今日はせっかくの花祭りだ。一日笑顔で過ごそう、そうすればいい思い出になるから。
そんなふうに思っていると、オレンジが山盛りになったジューススタンドの前でレオが立ち止まった。手早くジュースを買い、カップを渡してくる。
「ほら」
「レオ?」
その瞳が少し心配そうで、体調を気にしてくれているのだと分かる。
(あ、さっき私が顔を赤くしたから……)
こんなことをされると、ますます好きになってしまいそうだ。
照れた顔をごまかすように礼を言って受け取れば、なみなみと注がれたジュースからは爽やかな甘い匂いがしている。
促されるまま口に含むと、冷えて濃厚なオレンジがすっと喉を通っていった。
「……おいしい!」
「そっか」
「え、すっごく美味しい……これ本当に私の知ってるオレンジと同じなの?」
「ははっ、お嬢ちゃん、うまそうに飲んでくれるね! ウチの農園で今朝採ったばかりのオレンジだよ」
気を良くしたジューススタンドの店主がレオにも一杯ご馳走してくれて、ソフィアたちのやりとりを聞いた周囲の客も寄ってくる。
「ここも混んできたな。向こうに行くか」
「うん!」
(……全部、覚えておこう)
今までのことも今日のことも。
賑わい始めたスタンドを後にして、また二人で祭りの喧噪に戻っていった。
眺めるだけで十分、と言ったものの、一か所だけ必ず行くと決めていたところがある。それは、レオの撮った写真をカードにして売っているラ・ガゼットの屋台だ。
「わあ、こっちにもお客さんがいっぱい!」
「嘘だろ……?」
雑誌社のある場所からほど近い大通り、オーニングがついた屋台の前には人だかりができていた。その光景にレオは目を丸くして立ち止まる。
「レオ、どうしたの?」
「あ、いや……去年までこんなに客がいるのを見たことがなかったから、ちょっと驚いた」
「そうなの?」
「祭りに来て、わざわざゴシップ誌のバックナンバーを買う奴はいないだろ」
「それは……そうかも」
言われてみれば頷ける。祭りを見るのがほぼ初めてのソフィアはどこも混んでいるから当然だとしか思わなかったが、たしかに祭りの記念に買うなら古い雑誌ではなく小物や特産品だろう。
唖然とするレオと二人で盛況ぶりを眺めていると、売り台の奥にいた恰幅のよい中年男性がこちらに気づいて片手を上げる。
「レオ!」
「チッ、いたのか」
名前を呼ばれて軽く舌打ちをしたレオとは反対に、ぱっと表情を明るくしたその男性は人並みを押し分けてソフィアたちに近付いて来ようとする。
「編集長のクレマンだ。ソフィア、話を合わせろよ」
「あの人が……う、うん。気を付ける」
これまで何度も話題に上がったことのあるラ・ガゼットの編集長で、レオとマクシムの上司にあたる人だ。ソフィアの貴族としての身元はクレマンにも内緒なので、あくまで従姉妹として振る舞うよう小声で念を押される。
祭りの雰囲気に流されて、余計な口を滑らさないよう気合いを入れているうちに、とうとう眼前まで来たクレマンは挨拶とばかりにレオの背中を力一杯叩いた。
「やってくれたな! お前のカード、大当たりだ!」
「痛っ!? なんだよ、いきなり」
「ははっ、悪い悪い」
ご機嫌なクレマンが言うには、午前中だけで初日分として予定していたカードは完売し、今は明日以降用の在庫を並べているそうだ。
急遽、追加で印刷を依頼したと胸を張られて、レオの口がぽかんと開く。
「……本当か?」
「ああ。見ての通りさ。お前が自費で刷った分も同じくらい売れてるぞ」
クレマンに示されて、また屋台へ視線を向ける。ずっとひっきりなしに訪れる客は皆、楽しげにカードを選び、一枚だけでなく二枚三枚と求めているようだ。
相手をする売り子も休む暇なく立ち働いていて、忙しそうである。
(レオのカードがたくさん売れているのね!)
皆がレオの写真を見て、目を細めている。ソフィアはカードの選定を手伝っただけだが、まるで自分のことのように誇らしくて嬉しくて、胸がいっぱいになった。
思わず隣を見上げると、写真を撮った当人のレオは、まだ信じられないような表情で屋台を眺めている。
「しかもカードに引っ張られて、雑誌や写真集も動いてる。この調子だと予定の三倍の売上が見込めるな。もっと早くこうすれば良かったなあ、惜しいことをした……ん? そっちの子は――」
バックナンバーを並べただけの去年までの無策が悔やまれると悔しがるクレマンは、ようやくそこでソフィアに目をとめた。
「あ、あの」
「ああ、マクシムが言ってたレオの従姉妹か! どうだ、王都を楽しんでるかい?」
「はい! ソフィアといいます、楽しいです!」
「そうか、それは何より……あれ? 君、どこかで見た気が――」
慌ててぺこりと頭を下げたソフィアの前に、クレマンの視線を遮るようにさっとレオが出る。と、その流れでくるりと背を向けさせられた。
「コイツは王都に来たばかりだから、見たのは別人だな。行くぞ、ソフィア」
「えっ?」
「もう行くのか?」
「顔を出しただけだ。まだ祭りの見物も途中だし」
そう言って別れの挨拶もさせてもらえないまま手を引かれ、慌てて足を進めようとしたところにクレマンが声をかけてきた。
「レオ、待て。もうひとつ、あの例の後ろ姿の写真だけどな」
そのひと言に、レオの足がぴたりと止まる。
(「後ろ姿」の……って、私の写真?)
先日の広告写真の撮影時、余ったフィルムで撮ったソフィアの写真のことだろう。クレマンが気に入って持って行ったが、モデルも商品も曖昧に写ったそれが広告になるのかと、レオはかなり不審そうだった。
「はあ……どうせクライアントに断られて没になったんだろ? だから俺は、最初から無理だって言っ――」
気まずそうな顔をするレオの背中を、クレマンはもう一度力強く叩く。
「なに言ってる、逆だ」
「逆?」
「評判いいぜ。載った雑誌は出たばかりだが、店には早々に注文が入っているそうだ」
「……は?」
「いや、さすが俺。あの写真を選んだ目に狂いはなかったな!」
クレマンに得意げに胸を張られて、レオの眉間の皺がいっそう深くなる。
「あのな、冗談もいい加減に――」
「品物を買いたい客からだけでなく、出版(俺たち)側からの反応も大きい。あの写真を撮ったのは誰だ? って、問い合わせが何本も来た」
「そんなわけ――」
「カードも好評だし、花祭りが終わったらお前、忙しくなるぞ」




