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クレマンの提案

 

 その翌日、レオはラ・ガゼット社へ足を運んだ。花祭りに使うカード用写真の選定が終わったと連絡が来たことと、撮ったばかりの広告用素材写真の納品のためだ。

 久し振りにオフィスへ現れたレオに、編集長のクレマンが手招きをする。


「レオ。こっちだ」


 呼び付けながらクレマンはデスクを探り、採用となった写真を持ち上げて見せてくる。


「渡された写真、どれも良かったぞ。全部使いたいくらいだった」

「そりゃどーも」


 満足そうに笑みを浮かべるクレマンから手放しで褒められて、むずがゆい気持ちになるが。


「普段のモデル撮影でも、これくらい撮れればなぁ」

「……ほっとけ」


 同じ流れで揶揄い半分に当て擦られる。


(仕方ないだろ。人を撮りたいと思ったことなんて、今までなかったんだから)


 技術で誤魔化しても、隠しきれない意欲のなさは見抜かれる。

 ヴァネッサをモデルに使った広告写真が「なってない」と没にされたのは事実だし、そうでなくてもこれまでギリギリ及第点だったのは自分でも分かっている。

 だから、ソフィアと組んで撮る人物写真(ポートレート)が軒並み高評価なのが、自分でもまだ信じられない。


(あいつが支度すると、モデルが光るんだよな)


 内側から発光すると言えばいいか、人の目を引きつけるオーラを纏うようになるのだ。かといって、モデル自身が服より目立つのではなく、よりいっそうお互いを引き立たせているのだから、そんな被写体を前にすれば、自然とシャッターを切る指にも気合いが入る。


 レオはデザイナーでも評論家でもないから、服の良し悪しや流行には敏感ではない。けれど写真やモデルの魅力は分かる。

 ソフィアのアドバイスで姿勢や視線をほんの僅かに変えると、見違えるほどの違いが出て輝き出すのが眩しくて仕方ない。


(ソフィアのあれは、知識以前のものだ)


 両親が亡くなって以来、家に閉じ込められ外界との接触を断たれてきたソフィアは新聞も雑誌もろくに見たことがなかったという。当然、コマーシャルフォトのトレンドやポージングの技術など知っているわけがない。

 持って生まれたセンスとか、そういう天性のものだろう。


 貴族の血筋のせいだと前に言ったことがあるが、本当は違うだろう。だってそうならすべての貴族に芸術的素養があるはずで、彼らが優遇されるコンテストの結果にレオが自棄になるはずはない。


「これだけ撮れるなら問題ないな。マクシムと何かやっているようだが、そろそろ雑誌(こっち)の仕事にも戻ってこいよ?」

「……ああ。来月あたりには」


 ソフィアが身を隠しているのは、来月の二十歳の誕生日まで。

 成人してフォルジュ家の家督を自分で継げる身になれば、あからさまに叔父に狙われる心配もなくなるだろう。

 晴れて自由になったソフィアが去るのは決定事項で、その後もレオが今のように撮れるとは思えない。とはいえ、そんな事情は言えなくて適当に返事を濁した。


 今、ソフィアとやっているモデル撮影は、編集部を通していない仕事である。撮影自体は秘密にする必要はないが、ソフィアの存在を知られることは避けたい。

 マクシム以上に商機に目ざといゴシップ誌の編集長が、『家督争いで虐げられた令嬢』などという、()()()()ネタを逃すはずはなく、どこまで利用されるか分かったものではない。


「ま、それはそうと。採用しなかった三枚も別に悪くないんだ。お前、自費で祭りに出すつもりはないか」

「どういうことだ?」

「このまま捨てるには惜しくてな」


 実は、カードの枚数を絞ったのは単に編集部の花祭り予算の関係なのだという。

 だからレオが自分で印刷費用を払うのなら同じように並べて売ってもいい、とクレマンは言ってくる。


「場所代と売り子の手間賃として、少しは売上から引かせてもらうが、そこそこいい小遣い稼ぎになるだろうな」

「売れると思ってるのか?」

「ウチのいつもの客層とは違うんだ。売れるに決まってる」


 花祭りには、好んでゴシップ誌を読まない人も多く来る。むしろそっちのほうが主流だ。


(本気かよ)


 クレマンに見せたのは、ソフィアが「特に好き」と言った写真ばかりだ。その中には、コンテストで「見る価値がない」と一次選考で落とされたものも入っている。

 それが商品になると言われても、にわかには信じられないが――。


「どうする? 乗ったほうがいいと思うぞ」

「……そうだな。頼む」


 ソフィアのおかげで多少は財布に余裕がある。印刷代くらい、元はとれなくてもなんとかなるだろう。

 それより、本当に自分の写真が求められるのか知りたかった。

 了承したレオにクレマンは太鼓腹を揺らして笑う。


「ははっ、そうこなくちゃ! よし、準備は任せておけ。で、広告用のは?」

「あ、ああ。こっちだ」


 急な話題変化に、慌てて昨日撮ったばかりの写真を渡す。


「どれ。さすが物撮りは手堅いな……ん?」


 モデルを使った写真は辛口ばかりだが、商品だけを撮った写真に文句が付けられたことはない。広告の入る場所やサイズを確認しながら見比べて、どの写真を採用するか決めようとするクレマンの手がぴたりと止まる。


(あ、やば)


 撮影の最後に、余ったフィルムで撤収作業中のソフィアを撮った。

 何の気なしにシャッターを切ったのだが、ついでに現像もしたその一枚を抜き忘れていたのだ。慌てて引っ込めようとするレオの手をするりと躱して、クレマンがソフィアの写真を高く掲げる。


「それは――」

「なんだよレオ。これ、いいじゃないか!」

「……は?」

「全面広告だから、レイアウトの半分にこれを載せて……いや、むしろ全部こっちにして、商品写真はクレジット代わりにするか。うん、いいな!」

「ちょっと待て、本気で言ってるのかよ」


 クレマンは上機嫌でポンポンと決めていくが、その写真はかなり――というか、だいぶピントも露出も怪しい。明るい場所でしっかりくっきり写るように撮った訳ではなく、片付けに行くソフィアを、なんとはなしに撮ったのだから。


 動いているままで撮ったのだが、かろうじて、鞄と帽子は分かる。けれどそのほかは良く言えば幻想的、つまりはぼやけている。

 普通の宣伝写真としては、ありえないだろう。そもそも宣材にするつもりで撮っていない。


「レオ、自分で魅力を分かってないのか? この写真を引き延ばしたとこを想像してみろよ。どうだ?」

「いや、どうだって言われても」


 眇めた目で、掲げられたソフィアの写真を睨む。

 ――暗闇に所々光が差し込む背景に、ほぼ後ろ向きの女が浮かび上がっている。

 着ている服も持った鞄も帽子も、形は分かるが一部が不鮮明だ。けれど、靡く髪と軽く翻るスカートの裾が流れる動きを感じさせて、別世界のような空気感がある、不思議な一枚だ。


「現像してなんとも思わなかったのか」

「いや……だって、頼まれたのは宣材だったし」

「ああ、たしかに普通のコマーシャルフォトではないな」


 そう。品物を知りたくて見る人の心を掴むためではなく、イメージフィルムのような、夢の中を切り取った印象派的な一枚だ。


(好きか嫌いかで訊かれたら、悪くないけど)


 むしろ、レオの好みに合っている。

 純粋に風景を撮るのが好きだった頃の自分が、心が動かされるままに撮った写真の空気に近い。

 だからこそ、他者から認められるはずがなかった。

 けれど、商品の詳細が分からないその写真を宣伝に使う、とクレマンは胸を張る。


「クライアントには俺から話を通しておく。なに、掲載料をちょっとまければ、実験的な広告も乗ってくるぜ」

「実験って分かってるじゃないか」

「ははっ、それはそうだ! けど、そうするだけの価値があるってことよ。それに、ラ・ガゼット(うち)の本分は『なんでもあり』だからな!」


 本格派の高級ファッション誌ではできないような冒険も三流ゴシップ誌ならできる、と自信満々に言い切られてしまった。

 こうなったクレマンは止められないし、レオとしてもここまで推されると嫌とは言えない。


(……まあ、ソフィアだと分からなければいい、と思うしかないか)


 どんなに見ても、写っている女性の顔ははっきりしない。白黒の写真だから髪色も判別しがたいし、ソフィアを秘密裏に探しているフォルジュ家の捜査網には引っかからないだろう。

 帰ったら言わなくては、と思ったが、それ以前に写真を撮ったこと自体をまだ伝えていなかった。


(……焼き増しして見せた方が早いな)


 戻ってからのあれこれを弱りながら思案していると、クレマンがまた写真を振ってくる。


「ところでこの子、どこのモデルだ?」

「……モデルじゃない。たまたま撮影を手伝ってくれて、フィルムが一枚だけ余ったから使い切ろうと思っただけで」

「へえ。じゃあ、ポーズを取ったわけではないんだな。それにしちゃあ姿勢もいいし、後ろ姿に品がある。もったいないな、身元が分かれば直々にスカウトしたかったぞ」

「やめておけ。不審者で訴えられる」

「おい、紳士に向かって失礼だな」

「誰が紳士だ」


 どうにか思いとどまらせて息を吐く。面倒なことになったと思いながら、レオは事務所を後にした。





「これ、私の写真なの? 雑誌に? ……いいよ! っていうか、いいの?」

「いいのかよ」


 帰って急いで焼き増しした写真をソフィアに渡すと、無邪気にキラキラした顔で写真に見入られた。

 宣伝で雑誌に掲載されるようだ、と伝えれば、あっけなく了承の返事がきて拍子抜けする。


「だって、言われなかったら写っているのが自分だって分からないもの。それにこの写真、私も好きだから、他の人にも見てもらえたら嬉しい」

「ソフィアがいいなら……名前とかは、絶対に出さないから」

「ふふ、うん! ねえレオ、この写真ももらっていい?」

「いいけど」

「ありがとう! 大事にするね」

「……ああ」


 叔父のもとで散々な扱いをされていたらしいソフィアは、両親が亡くなって以来、自分の写真を撮られたことがなかったそうだ。

 この前撮った集合写真に次いで、これが二枚目だと大切そうに写真を胸に抱く。


(参ったな)


 適当に撮った写真一枚で、クレマンには褒められるしソフィアには存外に喜ばれる。

 なんとなく据わりの悪さを感じるが、どの写真もレオが撮ったものであることは事実だ。


「なあ、この写真、はっきり見えないだろ。こんな広告で、そこに写った鞄や帽子を買いたいと思うか?」

「えっと……上手く言えないけど、鞄とかがいい物だっていうのは分かるよ。それに顔が分からないから、持っているのが自分かもしれないって思えるんじゃないかな」

「……なるほど?」


 つまり、商品もよく見えて、顔が分かるモデルのファッションスタイルに憧れるのとは別の需要があるらしい。

 それなら物だけ撮れば、とも思うのだが、サイズ感や身に着けた時の具合などは、人と共に撮ったほうが分かりやすいのは当然だ。

 多少は納得できる理由にそれでも首を捻っていると、ソフィアは「あと」と、うっとりするようなまなざしで付け足した。


「この写真が素敵だから。こんなふうになれるなら、真似したいって思う」

「……そうか」

「本当に、私に見えない」

「どう見たってお前だろ」

「そうかなあ……あ、そうだ」


 押し問答をしていたソフィアは、おずおずとこちらを伺ってくる。


「写真が雑誌の広告に使われるっていうことは、この前の撮影はうまくいったっていうこと?」

「ああ」

「よかった!」


 肯定すると、ソフィアはぱっと表情を明るくする。その屈託の無さに、思わず目を見張った。


「嬉しい。私、レオの役に立てたのね」


 飛び跳ねる勢いで心底嬉しそうにして、また写真に目を落とす。まるで宝物のように眺める視線に、レオの心が満たされる。こんなに喜ばれたのは、いつ以来だろう。


(まったく、こいつは……)


 ヴァネッサの写真が没になった例の件は、初めて撮影に連れて行った時以来何度も話題に上がったからソフィアも知っている。

 撮影するだけでは収入に結びつかない場合があること、そもそも機材やフィルムなどに金が掛かるということを、今のソフィアは理解している。

 自分が予定外の居候で、金銭的に負担をかけていることも。

 けれど、川に落ちていたソフィアを見つけて診療所に運んだのは確かだが、決して親切心からではないし、利用しているのはお互い様という面もある。


(こっちは記事にする気で匿ってるってのに)


 ソフィア本人に話せることではないし、まっとうな大人だったらやましさを感じるはずだ。つくづく、自分がいる業界の後ろ暗さを実感する。

 仕方ないと一度は割り切ったはずなのに、虐げられても他人を信じ、新しいことに目を輝かせるソフィアを見ていると自己嫌悪に陥りそうになる。


(……マクシムをどうにかしなきゃな)


 力ずくで止めさせるか、無理なら全面的にソフィアのプラスになるように書かせるか。

 ただ、どうしたってゴシップ誌に載ることそのものが、貴族としての瑕疵になることは免れない。


(せめて新聞に……って、同じか)


 三流と一流の違いはあれど、口の端に上ることに違いない。未婚の令嬢にとってそれがどれだけのダメージになるかは、この業界にいるレオがよく知っている。八方塞がりで溜息しか出ない。


「あ、それでレオ。花祭りのカードはどうだった?」

「そっちも合格」


 一通り喜び終わったソフィアに話を振られて頷く。

 カードはほぼ全部採用になって、それ以外も自費で印刷することにしたと伝えれば、また分かりやすく喜びの声を上げられた。


「私、もっとお手伝いするね!」

「……今のままで十分だって」

「ふふふ!」

「聞いちゃいねえ」


 狭いアパートの中で踊り出しそうなソフィアに苦笑いをして、レオは壁に貼られた写真と……カレンダーに目を向ける。

 花祭りはもうすぐ。ソフィアの誕生日はあと半月後に迫っていた。

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