賑わう城下
年に一度の花祭りを直前に控えて賑わう街中を、今日もソフィアはレオに手を引かれて歩いていた。
「ソフィア、今日はこっちだ」
「あ、うん」
「よそ見してもいいけど、転ぶなよ」
「そ、そんなに子供じゃないもの!」
「どうだか」
きょろきょろしすぎている自覚はある。けれど、窘めるレオの口調は軽くて、叱っているのではなく揶揄っていることが分かる。
(だって、初めて見るんだもの……)
花祭りの記憶がないソフィアは、開催が近付くにつれて飾り付けが本格化してきた街並みが珍しくて仕方がない。
増え続ける道に沿って置かれたラベンダーの鉢からは爽やかな香りがするし、あちこちに吊されたドライフラワーのブーケはどれも目を引く可愛さだ。
中央広場では催事用のステージの設置も進んでいる。当日は出店だけでなく歌や踊りなど、いろいろ披露されるのだという。
準備をする人、行き交う人でごった返しており、歩き慣れないソフィアはこうしてレオと手を繋いでいないとあっという間に人波に流されてしまう。こんな賑わいを体験するのも初めてだ。
わくわくした表情であちこち楽しそうに見回すソフィアは、「地方から上京してきた従姉妹」という設定そのもので、顔見知りになったブティックの店員たちもまったく疑っていない。
「そうだ、ソフィア。そこの店でフィルムを買うから、少し待っていてくれ」
「わかったわ」
そう言うと、レオが手を離して店へ入っていく。この写真店は前にも一度立ち寄ったことがある。ソフィアを置いて一人で中に行ったのは、店内が狭いから……というのと、街の様子を見るのが楽しくて仕方ないソフィアに祭りの空気を少しでも多く満喫させてくれようという、レオの無言の気遣いだ。
(……っていうのが分かるようになっちゃった)
さっきまで握られていた手を、なんとはなしにじっと見る。
まだ知らない場所のほうが多い街だけれど、レオと一緒ならどこに行くにも不安がない。
(わたしを見つけたのが、レオでよかった)
口調は乱暴なことも多いし、何度言ってもベッドを一緒に使ってくれない頑固なところもある。けれど、レオに助けてもらったおかげでソフィアはこうして元気に街を歩いている。
医師のジャンヌに診てもらえたのも、マクシムがフォルジュ家の情報を持ってきてくれるのも、レオと繋がりがあるからだ。
(叔父様は、まだわたしを探しているみたいだけど)
相変わらず王都ではなく、ここから遠い下流の村を探しているらしい。行方不明の届けを出している警察も、祭りに合わせて増えるスリやもめ事の対応に忙しいから、ソフィアを探す人は今の王都にはいないだろう。
(それに、もしすれ違っても気づかれなさそう)
店のガラスに映る自分は、すっきりと顔を出し、流行の服を着て、まっすぐ背筋が伸びている。長い髪で顔を隠し、野暮ったいドレスで俯いてばかりいた少し前の自分とは大違いだ。
撮影の度にモデルたちが「報酬の足しに」と化粧品やアクセサリーを置いていくこともあって、自分でも変わりぶりに惚れ惚れするほどだ。
濃い色の口紅はまだ背伸びしているようで使えず、薄い桃色のリップを軽く乗せてみた。それだけで顔色がパッと明るく見えて、ますます別人になったよう。
(服も靴も、もらい物だけど……)
好意は嬉しくてありがたくて、いただいた物はみんな大事な宝物になっている。けれど、いつか自分でも買えたらいいと思う。
撮影指導の収入をレオは渡そうとしてくるけれど、住むところもなにもかも世話になっている自分が貰うのは違う気がして、ほとんど受け取っていない。
レオが困った顔で共有のお財布を用意してくれて、二人で稼いだ収入はそこに入れることになった。ひとまず、ソフィアが匿ってもらっている間の食事代は心配しなくていいくらいは入っているそうだ。
今日の撮影が終わったら、ジャンヌお勧めのパティスリーに寄ってケーキを買う予定だ。そういった店に入ることも初めてだから、とても楽しみにしている。
(……叔父様たちといたときは、なにかをしたい、なんて思えなかったな)
広い貴族の家で閉塞感にまみれていたのに、狭いアパートで逃亡中の今のほうが前向きなのが面白い。面白いと思えるようになった自分が嬉しい。
勝手に上がる頬を押さえていると、道を行く人と目が合った。自分より少し上、レオよりは下くらいの年齢の男性がにこにこと近寄ってくる。
「君、かわいいね!」
「えっ?」
「その服もよく似合ってる」
(服……服ね!)
急に話しかけられて戸惑ったが、服を褒められて納得した。
今日着ているのも、レオが撮影したブティック・アルマのワンピースだ。ひらりとしたブラウスもふわりと広がるスカートも、とても可愛い。おそろいの靴も履きやすい。マダムの服を褒められたのが嬉しくて、へにゃりと笑ったソフィアに、目の前の男性はたじろぐように顔を赤くした。
「ありがとうございます! あの、このお店の服で……」
(はっ! 宣伝するチャンス!)
いい機会だと、いそいそとマダムから託されたショップカードを差し出す。服を譲ってもらったときに、着て歩いて宣伝塔の役目をして、と言われていたのだ。
「素敵な服ばっかりあるんです。おすすめです」
「へえ……服もいいけど、中身の君も気になるな。ねえ、このまま遊びに――」
「おい」
伸びてきた手に腕を摑まれそうになったとき、レオに肩を抱かれてくるりと後ろ向きになる。いつ店から出てきたのか気づかなかったが、フィルムは買い終わったようだ。
「あ、レオ」
「……誰だ?」
「服を褒めてもらったから、お店を紹介してたの」
「ふうん。服、ねえ」
(……? 機嫌悪い?)
心なしか声が冷たい。冷気の先はソフィアではなく話しかけてきた男性に向いているようだが、後ろ向きにされたままなので確認はできない。
と、背後で男性が去って行く気配がした。
「なーんだ、相手いるんじゃん。じゃ、またねー」
「あっ、お店に行ってみてくださいね!」
ぴゅーっと駆けていく後ろ姿があっという間に小さくなった。混んでいる道なのに誰にもぶつからずにあんな速度で歩けるなんて、と尊敬してしまう。
と、頭上からレオの溜め息が降ってきた。
「……ソフィア。あそこは女物の店だから、男には宣伝しなくていい」
「え? ……あっ! わたし……ようやく役に立てるかと思って、嬉しくて」
そうだった。男の人が買いに行っても、合う服がないだろう。失敗したとしょんぼりしていたら、レオの手がくしゃりと頭を撫でた。
「あー、そんなに落ち込むな。待たせて悪かった」
「ううん……次、また頑張るね」
「適当でいいって」
「だってオーナーさんと約束したもの」
「……まあ、ほどほどにな。行くぞ」
そのまま、手を繋いで歩き出す。次に女性から話しかけられたら今度こそしっかり宣伝しようと意気込むが、残念ながら目的地に到着するまで誰からも声を掛けられることはなかった。
今日は、ソフィアが活躍するモデル撮影の前に、レオが請け負っている広告用の撮影が一件入っている。鞄と帽子をメインに売る店で宣伝写真を撮るのだ。
「こっちは物撮りだから、気にしなくていい。店の中の品物でも見せてもらって待ってろ」
「うん。でも、手伝えることがあったら言ってね」
「ああ」
撮影現場に一緒に赴くようになって、ソフィアもある程度は流れも分かってきたし、レオが使う道具についての知識も少しずつ増えてきた。
ライトやレフ板を言われた通りに動かして被写体に当てたりして、手伝ったこともある。
(けれど今日は役に立てないかな……)
物撮りとは、人ではなく「物」を撮る撮影のことだ。
被写体は動かないし、撮影の環境もある程度コントロールしやすいから、助手の出番はなさそうだ。
(……もっとなにかできるといいんだけど)
知りたいと頼めばレオはなんでも教えてくれるが、多分、表面の浅いところだけだ。
いつまでも一緒にいられるわけじゃないソフィアには、その程度がせいぜいなのだろう。
(ずっとは手伝えないもの。臨時のお手伝いさん扱いなのは、当たり前よね)
中途半端に手を出されても、いなくなったときに困るだろう。それでもこうして、撮影にも連れて来てもらえるのは嬉しい。
レオは店の品でも見せてもらって待ってろと言うが、ソフィアは撮影をするレオを見て待っているつもりだ。
だから、店の隅でちんまりと大人しく、邪魔にならないように過ごすはずだった――のだが。
「えっと、これでいい?」
「あー、大丈夫。そのまま……いや、もうちょっと左」
「こう?」
「そっちは右だ」
「えっ」
店内の照明が故障したせいで、予定した場所での撮影が難しくなってしまったのだ。
場所を窓辺に移したものの、思うように構図が決まらず、急遽ソフィアが撮る鞄を持ち上げたり動かしたりしていろいろ試している。
(む、むずかしい!)
モデルにいろいろ指図をするようになったソフィアだが、自分が撮られる側になるのはほぼ初めてだ。
指示された「左」が自分の左なのか、レオから見た左なのか分からなくてアワアワしてしまう。
シャッターを切るタイミングに合わせるのも難しく「いい」と言われる前に動かしてしまったりもして、撮り終わる頃にはぐったりしてしまった。
(わたし自身が写るわけじゃないのに……)
ファインダーに入るのは、鞄や手袋などの商品だけだ。
それを外から支えたり押さえたりしているだけなのに、レンズの向こうにレオの真剣な眼差しがあると思うとやけに心臓が跳ねて手も動く。それで何度失敗させてしまっただろう。
撮る側の手伝いはできても、撮られる側の才能はないらしい。
「うう、ごめんねレオ……」
「いいって。フィルムはたっぷりあるから気にするな」
本当にそう思っているのだろう。レオは軽く言って、撮影が終わった帽子をぽすりとソフィアの頭に被せる。
「レオ?」
「ははっ、似合ってる」
「……本当?」
「ああ」
帽子はつばがとても広く、リボンに大きなコサージュも付いている上品なものだ。
とても綺麗だが、今日ソフィアが着ているようなワンピースではなく、ドレスのほうが似合いそうな雰囲気である。
戸惑っていると、クラッチバッグも渡された。
「これ……?」
「撤収だ」
着飾らせたかったのではなく、片付けてこいということだったようだ。
「レオ! 揶揄ったのね!」
(もう! ……でも)
撮影助手として満足に動けなくて、自己嫌悪に浸りそうなソフィアの気を紛らわせてくれたのだ。
そうと分かるから、むしろ嬉しくなる。
いそいそと奥へ片付けに行こうとしたとき、後ろから声が掛かる。
「ソフィア」
振り向くと、カメラを持ったままのレオがこちらを見ていた。
「助かった」
「……! う、うん!」
撮影のときはあれほど真剣だった目元をふっと和らげた、そのひと言がソフィアにまっすぐ届く。詰まったのは息なのか胸なのか分からなくて、顔が熱くてくるりと前を向く。
そのまま慌ててバックヤードに戻ったソフィアの耳には、シャッターが切られた音は聞こえなかった。




