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エクトルの思惑

 ソフィアのもとへモデルたちが依頼をするようになる少し前のこと。

 ある日の夕刻、貴族街にあるフォルジュ邸には、ソフィアの叔父エクトルの苛立たしげな声が今日も響いていた。


「まだ見つからないのか!」


 ドン、と机を叩きながら怒鳴られて、その前に立って報告をしていたローブ姿の男――夜会の晩に、一人で先に退出するソフィアの馬車を操っていた――が、フードの下で無言で眉を寄せる。

 部屋には今、エクトルとこの男、そしてソフィアの元婚約者であるクロード・ベルトラン伯爵令息の三人だけがいた。


(まったく忌々しい! ようやく家長の座が目前だというのに)


 ――ソフィアの両親である前フォルジュ伯爵夫妻が亡くなったのは、純粋な事故だった。

 しかし、自分より能力が劣る兄が家を継ぐのは間違いだ、と常々訴えていたエクトルにとっては、兄夫妻の死は自己の主張の正当性を裏付けるものだった。


 兄が当主を継いだのは、父に気に入られていたからでしかない。伯爵の器もないくせにいけしゃあしゃあと分不相応な地位に収まった兄と、媚びを売るしか能のない長男を盲愛する父が早くに命を落としたのは、間違った行いをしたからだと確信した。


 フォルジュ伯爵の座にふさわしいのはやはり自分しかいないのだ、と。


 あいにく後継には遺児であるソフィアが指名されていたため、エクトルは後見の立場しか認められなかった。

 業腹だが仕方ない。しかし、本来の当主は自分(エクトル)であり、自身の娘であるコリンヌこそが伯爵令嬢。だとすればソフィアはただの分家の娘だ。このままソフィアが当主になるなど間違っている。


(その役立たずの姪に、足を引っ張られるとは)


 ソフィアに同情する使用人を排除し、味方など誰もいないと徹底的に教え込んだ。兄夫婦から与えられた物は取り上げ、行動を制限し、反抗をする気力も持てないよう躾けた。

 令嬢としての教育も中断させたソフィアは若いだけの娘だ。成人したとして、伯爵の任などできるわけがない。

 だから、運悪く物盗りに遭って殺されるか、傷物になって世をはかなむかすればいいだけだった。


(大人しく襲われていればいいのものを……!)


 逃げ場をなくすために襲撃源場は寂れた橋の上にした。しかしソフィアは馬車を飛び出して川に落ち、死体も見つからない。想定外の事態である。

 警察に下手に探られるのを防ぐため、精神的に不安定なソフィアが自ら失踪したと届け、大っぴらに探して刺激を与えないように、と申し入れている。

 秘密裏に捜索を続けているが、王都から離れた下流で靴が片方見つかったのみ。依然としてソフィア本人は不明である。


「靴が見つかったあたりの村も探しましたが、それらしい令嬢なんて誰も見てないそうで」


 フードの男の肩を竦めながらの言い訳に、エクトルが忌々しそうに溜め息を返す。


「これだけ探しても見つからないってことは、海まで流されたか、どこかの深みに沈んでいるんじゃないでしょうかね」

「証拠は」

「ないですけど」

「っ、貴様! なんだその口の利き方は! そもそも貴様らがソフィアを取り逃がすから――」

「まあ落ち着いてくださいよ、フォルジュ伯爵」


 男の淡々とした物言いに激昂して立ち上がったエクトルを、それまで黙って聞いていたクロードが宥めに入る。


「ソフィアの行方が知れなくて困るのは、伯爵だけじゃありませんから」

「……そうだな。失礼した」


 ギシリと音を立てて椅子に戻ったエクトルの代わりに、クロードがフードの男に向けて手を払う。


「下がれ。下流に範囲を広げて捜索を続けろ」


 無言で頭を下げた男が出ていくと、クロードもドサリとソファーへ腰を落とした。先程までの貴公子風な雰囲気は消え、余裕のない表情を引きつらせる。


「伯爵、大丈夫なんだろうな?」

「クロード君、当たり前だろう」

「……絶対にどうにかしろよ!」


 自分に言い聞かせるようにエクトルは請け合うが、焦燥感は隠せない。そんなエクトルに舌打ちをして、乱暴にドアを開けてクロードも部屋を出て行った。


(……失敗するわけにはいかない)


 エクトルは、ソフィアから伯爵令嬢の立場だけではなく婚約者のクロードも取り上げた。

 クロードは名家であるベルトラン伯爵家の令息だ。フォルジュより格上で、次男のクロードは、フォルジュ家の次期当主となるために婿入りするよう取り持たれた縁だった。

 ならば将来的に消えるソフィアではなく、本当の伯爵令嬢である自身の娘コリンヌがクロードと結婚すべきだ、とエクトルは考えた。


 ソフィアとクロードは当時まだ顔会わせが済んだ程度で、お互いに特別な感情は芽生えていなかった。

 交す手紙を握りつぶし、クロ-ドの来訪時はソフィアを部屋に閉じ込めて「会いたくないと言っている」と言って代わりにコリンヌと会わせた。

 挨拶もせず手紙に返事もしなくなったソフィアに対し、プライドの高いクロードが反感を抱くのはあっという間だった。


 ベルトラン家の当主夫妻は、エクトルの兄夫婦と違って話の分かる人物だった。有能なエクトルが最初から当主になるべきだったと言ってくれ、利発なコリンヌを気に入り、婚約者のすげ替えを了承済した。

 あとはソフィアの廃嫡と同時に王宮へ申し出をするだけだったというのに。


(ソフィアが死んでいるなら、死体が見つからなくてもどうにでもできる。だが、生きていたときが問題だ)


 夜会から早々に退出させるため、コリンヌとクロードにも動いてもらい、ソフィアには体調を悪くさせる薬を飲ませた。

 当初の予定では、夜会の警備兵にでもソフィアの亡骸を確認させて同一人物と認定させ、爵位の継承を滞りなく済ませるはずだった。


(ソフィアは泳げない……下流で見つかった靴を理由に「川に転落したようだ」と自死を演出することは簡単だ。しかし、万が一生きていたら面倒なことになる)


 暴漢の顔は見ていなくても、馬車が停まって襲われたのだから馭者も仲間だと分かっただろう。クロードとコリンヌから渡された飲み物も疑っているはずだ。

 そこを繋ぎ合わされたら、まずいことになる。

 フォルジュ伯爵は自分が継ぐべきだという意志は変わらない。ソフィアは無能な兄が遺した厄介なお荷物だ。


 しかし、もしソフィアに不利な証言をひとつでもされたら――。

 背を預けた椅子がまた低く鳴る。暗くなりかけた窓には、険しい顔で睨むエクトルが映っていた。





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