イラ2
欲望の赴くままに色町に出入りしていたイラであったが、決して女遊びをしていたわけではない。
堅物な青年から頑固な中年になっていた男には、手管を使って女を口説くなどという真似は今さら出来なかった。なにより、イラが抱えていた欲望は、情欲に結び付いたものではなく、常人には理解し難い欲求だったのだ。
敢えて言葉を添えるならば――優位性の確立への渇望。
純粋に上下関係の確立を求める、徹底的な階級構造を重んじてきたイラの根底に潜むどす黒い何か。
そう、この男が出入りしていたのは、そういった客を専門に扱う特殊な店だったのである。
ある頃から、イラは己の中に潜む奇妙な衝動を感じるようになった。
『相手の生殺与奪を支配したい』
後に彼が行う虐殺のことを考えると、それは正しく悪魔の囁き以外の何ものでもないのだが、放蕩に耽るイラにそれを鑑みる良心は残っていなかった。
やがて、サービスの良い値の張る店に出入りするようになったこの男は、そこでサディスティックな本性に目覚める。
覚醒してから、一人目の犠牲者が出るまではそれほど時間はかからなかった。
ホテルの一室、絞殺体を前に途方に暮れていたイラの耳に、ドアが解錠される音、続いてドアがゆっくりと開く音が聞こえた。
「あら、あらあらあらあらあら、可哀そうにぃ~」
一人の女が、許可もなく勝手に部屋に入って来た。どうやって鍵を開けたのかや、なぜそこに現れたのかはわからない。
真っ黒なつば広の帽子を被り、真っ黒なドレスをを着た銀髪の女は、開口一番、楽し気に哀れみの言葉を放った。
異常事態の連続に頭が追い付いていなかったのか、不思議とその女を不振に思う気持ちは湧いてこず、イラはただ茫然と、その女から自分が殺めた死体へと視線を戻した。
「ねえ、ねえねえねえねえねえ、可哀そうって言ったのはその娘じゃなくてぇ――あなたによぉ~」
何を言っているのだこの女は、と普通なら思うだろうが、イラの反応は違った。
彼はその女の言葉に涙し、嗚咽を漏らしたのだ。
戦場を生きてきた男である。人を殺してしまったことを悔いたわけではないだろう――それは、行き着くところまで行ってしまい後戻りが出来なくなってしまう前の、過去の自分との決別の涙だったのかもしれない。
「良い子、良い子良い子良い子良い子良い子。存分にお泣きなさい。あなたは悪くないですものぉ~」
蹲まり子供のように泣きじゃくるイラを背中から抱きしめて、女は頭を撫でてくる。
自分の置かれた状況も忘れ、涙の量だけ心が軽くなる。
嗅いだ事もない優しい匂いに包まれて、いつしかイラは眠りについていた。
翌日、目を覚ましたイラの部屋に女はいなかった。そして、死体もその服や持ち物も何もかもが忽然と消えていた。
全ては夢だったのか……とイラが安堵するのと、ティ―テーブルの上のメモと名刺を見つけるのは同時だった。
名刺にはアセテート王国外の住所、電話番号と、
パームカンパニー人事部長 ロエ
と記載されており、メモには――、
『ここに連絡してください。あなたがあなたでいられる場所を用意して差し上げます』
と書かれていた。




