ミュウは語る
敬虔な救世教徒であるミュウの両親は、十七年前にニームからこの街にやって来た。
理由は奇しくも俺たちがでっち上げたのと同じ——ニームでの宗教弾圧から逃れるためである。
この街で亡命申請をしたあと、自由都市国家連合ウールへと渡るというのが二人の計画だった。
当時、港を持たない内陸国のニームは、海洋国リネンに港の割譲を迫り、政治的圧力を強めていた。
中立国の立場を守るため絶対に首を縦に振らないリネン。武力行使をちらつかせ脅しをかけるニーム。
両国の溝が埋めることが出来ないところまで来たとき、コットン帝国と自由国家連合ウールが軍事介入を決定。既に戦端が開かれていたアセテートとシルクに加えて、ニームはコットンとウールとも戦争を始めた。
これをニームでは『国家危機回避戦争』というが、どうやら他の国では『世界大戦』と呼んでいるらしい(他にも、戦争に参加した国を俺たちは『悪の枢軸連合』と言っていたが、ミュウはそれを『世界同盟』と言った)。
「リネンは世界同盟には参加しなかったのですが、ニームとのすべての外交を止めました……私の両親がこの街に来てからまだ三日目のことです」
そして、ニーム人という理由でウールへの亡命を拒否されたミュウの両親は、両国の関係が回復するときをこの街で待つことになったのだそうだ。
「でも、いつまで待ってもそのときはやって来ませんでした」
ニームは世界同盟との戦争に国力を割くことを余儀なくされたため、侵略こそしなかったものの、外交を拒絶された処置として、リネンとの国境に、最初となる国境分断壁の建造を始めた。
これがミロクである。
「あの壁の建造が始まった頃にこの国での反ニーム感情が急激に高まったんです」
当時、ミュウの両親は、ニーム人というだけで物を売って貰えなかったり、道を歩いているだけで石を投げられたりしたそうだが、生きるのに困るほどではなかったという。
そんな日々の中、二人の間に子どもが生まれた。
「当時は両親と似たような状況で、この街にいたニーム人がたくさんいました。ニーム人同士で固まりお互いを支え合うことでなんとか暮らしていたそうです。そんな、ぎりぎりの生活の中で、両親は私を育ててくれました」
そして、ミュウの弟が生まれた十年前に、大戦で疲弊した世界同盟とニームの間で休戦協定が結ばれた。
長期に亘った戦争への反発から、リネン国内でも平和を求める声が大きくなり、ようやくニーム人への亡命許可が下り始める。
家族同然の同郷人が一人、また一人とこの街を去っていくなか、とうとうミュウたち家族への亡命許可が下りようとしていた、そんなときだった。
「私はまだ小さかったけど、あの夜の事だけは、はっきりと覚えています……突然、家に入って来た兵隊に連れていかれる父の姿を」




