40話 日常の風景を
「ただいまー」
「およ、お帰り。お兄ちゃん」
あのあとすぐさま帰宅し、玄関を開けると廊下に凪がいた。
制服の穴はレーヴェのおかげで直ったし、汚れもはたき落としたから別に問題はないはずだ。息も整っている。疑問に思われることはないと思う。大丈夫だ。
と、凪がまだ制服ってことは帰ってきたばかりか。そういや、今日は奏さん夜のシフトだったな。まだ夕方だし陽太郎さんもまだか。
「遅かったねー」
「んー、まあ、色々とな。図書室寄ったりと」
「ふむふむ。なんかそればっかだね」
「気にするな」
自覚はありますけど。別にそれだけじゃないんだよな。嘘は言ってないし、一応はホントのことだ。
ただまあ、ロードに関しては凪にも言うつもりはない。当たり前だが巻き込みたくない。
「そういう凪こそ。帰ったらすぐに着替えるくせに」
「私は買い物に行ってただけだからね。今日お母さん仕事だし足りないからこれ買ってって連絡きたの。帰ってきたばっかだよ」
「あ、そうだったんだ。お疲れ」
「おつありー」
ごめん、凪さんや、今何て言ったの? ……全然分からないけど、まあいいか。よくあるネットの言葉だろう。
うーん、にしてもホント俺ってばアナログな人間だよな。もうちょいやっぱ電子機器に慣れないといけないよな。というのは頭では理解しているけど、どうもやる気が起きないというか……。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん」
互いにリビングに移動する。
今は凪が買ってきた食材やらを冷蔵庫に片付けるのを手伝っている最中。凪はお茶を飲んでいる。
「ん?」
「晩ごはん作るの手伝って?」
「いいけど……俺そんなにできないぞ?」
「いいのいいの。ちゃーんと教えるからさっ」
綺麗な茶色の髪を揺らしながら、ニコニコと笑顔で振る舞いとても楽しそうだ。
「まあ、普通にありがたいけども。それはそうと急にどういう風の吹き回しだ? 前は凪がやった方が早いとか言ってたのに」
「そりゃあ、お兄ちゃんのスキルアップのためだよ。お兄ちゃんにも女の子の知り合いが増えたみたいだからね」
「……どういう意味だ?」
「だーかーらー、お兄ちゃんが彼女にいつか料理振る舞うかもしれないでしょ? そのための特訓だよ」
「……何だそれ」
「ちょっとー、何その呆れ顔」
「そりゃ呆れるだろ」
あらやだ、いきなりこの子どうしたの? そういう年頃? おせっかいかきたいの?
「お兄ちゃん、料理以外の家事はできるんだから料理もできれば完璧だよ!」
「はいはい。……っと、とりあえず片付けたから着替えてくるぞ」
「ありがとね。私先にシャワー浴びてくるから」
「おう」
「浴び終えたら呼ぶから」
「分かった。あ、別にゆっくりでいいからな」
部屋に戻り、制服を脱いで家着のスウェットに着替える。
「ふう……」
…………疲れた。そう思わずベッドに倒れ込む。
さっきまで凪と話していたが、そのちょっと前までは命のやり取りをしたわけだ。その反動が今来たのかドッと疲れが体に押し寄せてくる。何だろう、アドレナリンが切れたみたいな感じだ。
路地裏でレーヴェの話していたときは緊張は解けていたけど、ぶっちゃけ心臓がバクバク鳴っていた。多少なりと落ち着いていたが、それでもあと一歩で死ぬかもしれないとなっては早くなる鼓動が収まらないのも確かだろう。
そして、改めて思い返してみると。
――――怖かった。
襲われたときとは違う別の怖さ。漠然と感じる恐怖ではない。
戦うと決めたからこその恐怖。命が一方的に奪われそうになるのではなく、俺は命のやり取りを行った。生きるか死ぬか。
俺は自分の夢を求めるためなら悪にでもなる。そう決意したが、それでも自分の命が天秤に乗せられた感覚は実に怖かった。これは俺が慢心していたから起こった出来事。そこが疎かだった。……もう学んだ。俺は大丈夫だ。
「あぁー……」
それはそうと……あー、もうホント、マジで疲れた。何かもう一気に気が抜けてやる気が起きない。これから凪と晩飯作んなきゃいけないのにな。
「あ」
そうだ。シャツを洗濯機に入れたいけど、凪もう洗面所にいるよな。ここでゆっくりしすぎたかな。起き上がらないと。
つーか、あれだ、俺もシャワー浴びたいわ。冷や汗を流したい。でも、今浴びたら夜まで寝ちゃいそう。止めとこう。それに、凪にゆっくり入れと言った手前、俺も入りたいとは言いにくい。まあ、どうせ俺がシャワー使う時間なんて長くて5分だ。すぐ終わる。
で、シャツを洗濯機に入れるために洗面所に来たけど、ドア閉まってるな。もう凪いるか。大丈夫かな。シャワーの音はしないからまだ中にいるはず。着換え中だったら気まずいな。
――とりあえずノックするか。最悪凪に扉越しで渡せばいいかな。
「凪、いるか?」
「……およ? お兄ちゃん、どしたの?」
「あー、シャツ洗濯機に放り込んでくれるか?」
「オッケー、まだ脱いでないし入っちゃっていいよ」
「そうか。じゃ、入るぞー。失礼しまーす」
洗面所のドアを開けて入ったはいいけど……。
「――――ッ」
確かに凪は服を脱いでないけど、脱ぎかけてるじゃないか……!
スカートはまだギリギリ履いてるが、シャツのボタンは全部外してて……その、色々見える。白いのやらピンクのやら……。派手ではないけど、可愛らしくて女の子らしいモノが。
見ないように視線をチラッと動かしてもここは洗面所だ。鏡があるからどうしても見えてしまう。普段凪の色々とか見る機会ないし、せいぜい洗濯物を干したときか取り込んだとき程度。着ている姿を見てしまうと、凪だって立派な女の子だと自覚してしまう。
「お兄ちゃん?」
「……何でもない」
…………そうだ。妹だから気にしたことはあまりないが、凪は普通に可愛い部類だ。髪も地毛は黒髪の多い日本人にしては珍しい茶髪だし、肌も綺麗で顔も整っている。
ただ人見知りがかなりなマイナス要因だろう。実際、男友達はいないと言っている。それさえなければモテるかもしれないのにな。だがしかし、凪にもう彼氏ができるのは寂しいので、今は止めてほしい。
っと、それは意識の端に置いて、凪のことを意識しないように……すぐさま洗濯機にシャツを入れて退散する。
「すまん、邪魔した」
「別に気にしなーい! じゃあ、また後で。サボり厳禁だからねー!」
そして、凪はルンルンといった感じで風呂場へと入っていった。対する俺は――――
「…………」
無様にもソファーに寝転がっていた。
…………ああ、緊張した。
……凪はなんでそんなに元気なのかな。少しは恥じらい持ってよ。何が服着てるだよ、普通に脱いでるじゃんか。いくら妹とはいえ1人の女の子なんだからさ。
しかし、凪は妹。妹だ。意識するな。……大丈夫、大丈夫。
『全く、君って奴は……。すぐ前までロードと戦って危なかったくせに』
しばらく転がっていると、レーヴェの声がした。どことなく呆れている声が頭に響く。
だーかーらー、いきなり話しかけるんじゃありません! しかも周りに誰かいる状況で!
「……今大丈夫?」
小声で答える。
『凪ちゃんのこと? まだ洗面室にいるよ』
「そうかい。で、何か?」
『いやいや、分かってるだろう? 数十分前はロードと戦っていたのに、家に帰ったら妹にドギマギして……』
「ドギマギって……あんまりそんな言葉訊かねぇぞ」
『あれ、そうなのか。ふーむ、覚えたと言っても、日本語は難しいね。独特な言い回しとか』
「それは分かるけど」
実際、レーヴェの言う通り、日本語って難しいよね。
例えば、英語で一人称は『I』だが、日本語だと『私』『僕』『俺』『あたし』『うち』……などなど、様々な言い方がある。それだけでややこしいと思う。ふざければ『拙者』とかも一人称だ。それに平仮名片仮名漢字を使う国もなかなかないだろう。1つの国に文字の種類が3つ以上。
いや待て。多民族国家は1つの国にかなり多くの言語があると訊いた覚えがある。……それは大変だな。つまり、隣にいる家庭の言語が自分のと違うこともあるのか。そういう場合市場とかどうしてるんだろ。その国の公用語? それとも何となく通じそうな英語?
それは後で調べるとして。
「レーヴェさんや、あまりプライベートな部分見るの止めてもらえます?」
『おや、それはそれは随分と今さらだね』
「……だよな」
何せレーヴェは10年前からずっと俺の中にいる。体を休めていたのだから全部は知らないだろうが、退屈しのぎに俺が見ている風景をレーヴェも共有していたのだ。それはもう多くのことを知っているのだろう。俺の考えていることは分からないのが幸いだ。
『何ともまあ、前後の差が激しいと言うか……おっと――――』
「ん?」
レーヴェが不自然に言葉を切ったと思ったら。
「ちょっとお兄ちゃん、なに寝転がってるのー」
風呂上がりの凪がリビングにやってきた。
「……休憩中」
「はいっ、休憩終わり。キビキビ動く!」
凪に連れられ台所に立つ。
目の前にはまな板に野菜やお肉。
「今日何するの?」
「シチュー。あまり難しいことしないからね」
「……作り方分からん」
「大丈夫大丈夫。ルー使うから簡単だよ」
隣にいる凪は自分で使ってるエプロンを着てから。
「ちゃっちゃちゃらちゃ、ちゃっちゃちゃらちゃ、ちゃらららら〜♪」
ご機嫌そうになんか聞き覚えのあるメロディーを口ずさむ。凪が突然ボケるのはよくあること。敢えて突っ込みは避けよう。
「じゃあまず食材切っていこうか」
「おーす」
「先にお肉、それから人参。次にじゃがいもと玉ねぎを切って、鍋で炒める。あ、油挽いてね」
「あー、先に火が通りにくい肉や根菜からやるんだっけ?」
「そうそう。あ、皮むきはピーラーでいいよ。楽だし」
「切るって肉はともかく、人参はどう切ればいい? 俺輪切りしかできないけど」
「それでいいんじゃない? そういうところは適当でいいよ、適当で」
おぼつかない手つきで何とか肉を細かく切って、鍋に火を付けて炒め始める。肉ってかなり切りにくいな。頑張って包丁動かさないと上手いこと切れない。
「あ、野菜切る時間あるし、最初は弱火で炒めて」
「はーい」
肉を炒めつつ、人参や他の具材を切り進める。むむっ、じゃがいもって皮むき大変だな。形がデコボコしてるから、ピーラーでもむきにくい。
「だいたい炒め終わったら水入れて煮込む」
「ほい」
計量カップを何回か往復させ水を鍋に入れる。
野菜を切るのは大変だが、手順自体は凪が言ってたようにそこまで難しくない。
「とりあえず沸騰まで待つけど、沸騰してきたら灰汁が出るからそれ取ってね」
「灰汁って、白っぽい泡みたいなのだっけ?」
「まー、そんな認識でいいよ。間違ってはないしね」
沸騰しているのを待っている間、俺らは食器を洗ったり片付けをしている。
「……あ、お兄ちゃん」
「どうした?」
「そろそろ沸騰してきたよ」
「お、マジか」
「はい、早く灰汁を取る」
悪戦苦闘しながら灰汁を取り除き、ルーを入れて煮込むこと数分。……あれ? 意識してなかったけど、ギャグになってないか、さっきの文。いやもう、ホント、意識してないですよ。
「おお、できたねー」
「案外できるもんだな」
「じゃ、お母さんたち待とうか」
「だな。ご飯は炊いとくか」
「冷や飯あるから炊かないでいいよ。多分足りると思う」
「分かった」
――――シチューを何とか作り終えてから数時間。奏さんと陽太郎さんたちと晩ごはんを食べている。
「お、上手くできてるじゃないか」
「ホントホント。これなら葵に私が夜のシフトあるときも任せられるかしら」
陽太郎さんと奏さんからのお褒めのお言葉を預かる。
「なにせ私監修だからねっ!」
「いつも助かってるわ、凪。そうねぇ……この調子で他の家事も手伝ってくれていいのよ? 休日の洗濯物干しとか」
「そ、それは……ほら、お兄ちゃんがやるから」
「おーい、都合がいいな。凪も早く起きて手伝え。俺は早く起きてやってるぞ。お兄ちゃんを見習え」
「だってー、休日は休んでこその休日じゃん」
「あのなぁ。誰かが休むためには誰かが働かなくちゃいけないんだぞ、娘よ」
「お父さんまで……」
「あら、たまにはいいこと言うじゃない」
「たまには、は余計じゃないすか。奏さん」
「そうだそうだー。葵、もっと言ってやれー」
――――と、それは賑やかに夜の時間は過ぎていったのであった。
HF8月に公開が決まりましたね。もちろん楽しみですが、やはり春に観たかったという想いがとても強くてスゴい複雑な気持ちです
多分映画館は席数制限しているだろうし、無事予約できるかな……




