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誰か私を

 組み敷いた少女を見下ろして、トゥパク・ユパンキは興奮に身を震わせていた。

 暗闇の底で少女は爛々と輝く目を見開き、声もなく喘ぐ。その細い首は男の太い指に強く絞められていた。もがく少女の爪が、男の肌を掻き毟り、その肉を削る。けれど首を絞める力は緩むことなく、むしろその痛みと流れる血に興奮を増すように、男の腕はより強い力を込めて少女の首を締め上げた。


「あの悪魔(スーパイ)の手先か」


 トゥパク・ユパンキは引きつるように歪んだ笑みを浮かべながら、苦悶の少女に問い掛ける。息のできない彼女の口からは当然に答えはない。けれどその眼は屈することなくトゥパク・ユパンキの顔を睨み付けていた。


「憎いか? 憎いか、この(カパック)たる私が? この太陽の御子(インティプチュリ)たる私が?」


 少女の眼に宿る黒い光は憎悪。そのまなざしを受ければ受けるほど、トゥパク・ユパンキは自身の興奮が昂っていくのを感じていた。


「そうか憎いか! あの悪魔(スーパイ)のような小娘をいたぶったこの私が! だから私に逆らうか!」


 叫ぶトゥパク・ユパンキの口から血が飛んだ。脇腹が熱い。そこには短刀が刺さっていた。この少女の手によって刺された短刀。ファラーレになりすまし、王の寝室に忍び込んだこの少女の手によって、自分の命を奪わんと刺された短刀。その反逆の意志が、彼の感情にかつてないほどの愉悦と興奮を与えていた。


「あの小娘は、ファラーレは言った! 炎の中で燃え尽きてでも、あの小僧(ムガマ・オ・トウリ)を求めると! 貴様はそのための捨て駒だ! 私という邪魔を焼き払うための捨て駒だ! 悪魔(スーパイ)の炎に(たぶら)かされた哀れな小娘!」


 叫ぶ度に口から飛び散る血が少女の顔を汚す。しかしもはや少女に、それを嫌悪する感情など残されてはいなかった。窒息に失われた血の色は青白く少女の顔を染め、あれほど憎悪に満ちていた瞳は力なく虚空を彷徨っている。抗う手も気付けば床にもたれ落ち、わずかに動くものとなれば、ゆっくりと頬を伝う口の端からこぼれた泡の流れだけだった。

 それと知ったトゥパク・ユパンキは、愕然とした面持ちで少女の首から手を離す。


「死んだ? 死んだのか? 私はまだここにいるというのに――」


 先ほどまでの興奮はどこに消えたのか、トゥパク・ユパンキは放心したようにぼんやりと呟くと、動かなくなった少女の顔を名残惜しむかのように撫でまわした。


「ああ――」


 そして嘆息し、憎悪の中で虚脱した少女の顔を愛でるように頬ずりをする。


「誰か……誰かいないのか? 私を……私を見てくれるものは――」


 夜の底で吐かれた弱々しい呟きは、誰の耳にも届かない。トゥパク・ユパンキはその静寂に諦めたようにゆっくりと立ち上がり、ふらふらとした足取りで部屋の外へと向かった。


「ああ、私の愛しい悪魔(スーパイ)よ……。お前だけが、お前だけが……」


 脇腹に刺さった短刀からぽたりぽたりと垂れる血が、月のない深闇(しんあん)の廊下に穴のような黒い点を残していく。その黒は、部屋に残された少女の虚ろな瞳のように、もの悲しく底のない深淵のような黒だった。

 夜空の頂点には不変の青き星(カチュラ)が瞬いている。


「お前だけが――」


 けれどその瞬きが、この深淵の奥へと差し込むことなどありえなかった。

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