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青き星を背にして

 南天に光る青き星(カチュラ)を背にして、二騎の毛長馬(リャルパ)が並木の続く街道を北へと駆けていく。

 冷凛(れいりん)とした夜気を切り、馬蹄を鳴らして走る毛長馬(リャルパ)の背にはファラとラパラの姿があった。


大丈夫よ(シャンペイ)しっかり(チェカク)掴まっていて(・ハピィ)

は、はい(ア、アリ)


 手綱を取るファラの前に乗るラパラは、振り落とされないように必死に毛長馬(リャルパ)の首に取り縋っている。ファラはそんなラパラを抱き包んで唇を耳に寄せ、優しい声で彼を励ます。その様子を見て、前を走る毛長馬(リャルパ)にチェスカとともに乗るサタハがからかい混じりの声を上げる。


「大丈夫――とは頼もしい姫様だ。まあ、いきなりでそこまで乗れるなら頼もしくもなるか」


 毛長馬(リャルパ)太陽の地(インティ・パチャ)に生息する馬に似た動物である。ロバよりひと回り大きく、馬とは異なる三つ割れの太い蹄と、全身を覆う羊毛よりも長く縮れの少ない糸すだれのような体毛が特徴の、太陽の地(インティ・パチャ)に暮らす人々には騎乗や運搬、採毛などに広く利用されている家畜であった。

 サタハは逃走用に、この毛長馬(リャルパ)を二頭用意した。ファラが自分には乗馬の手習いがあると言うので、移動の自由度を高めるために荷馬車ではなく毛長馬(リャルパ)だけを用意したのだが、これが感心するほど見事な手綱捌きをする。


「馬とたいして変わらないわ」


 サタハの軽口にファラはにべもなく答える。彼女はペトロ・コステロに歌舞だけでなく種々様々な曲芸も仕込まれていたが、その中には馬の曲乗りも含まれていた。毛長馬(リャルパ)に乗るのは初めてとはいえ、手綱から伝わる馬銜(はみ)の感触は馬と大きく変わらない。街道は整備の行き届いた平坦な道とはいえ、星明かりだけの夜闇の中で毛長馬(リャルパ)をこれだけ走らせることができるのは、ファラの乗馬の技量によるところであろう。

 ファラは早くも慣れた手つきで手綱を操り、サタハの毛長馬(リャルパ)と並走させる。


「それよりも、この先のチャ……なんといったかしら?」

駅家(チャ・ラキャ)な」

「そう。それを抜ける準備はできているのかしら?」


 今、彼らが走る街道は王の道(カパク・ナーン)と呼ばれる道である。王の命令を速やかに伝達し、さらに王の軍隊を地方まで素早く行軍させるために、歴代の(カパック)の手によって太陽の地(インティ・パチャ)全土に張り巡らされた幹線道路網であり、王の統治を支える重要な政治施設のひとつであった。

 そのため王の道(カパク・ナーン)は一年を通じて通行ができるように、雨季にも備えた造成がされていた。雨でぬかるみにならないよう路面には石畳が敷かれ、洪水や大雨での冠水を避けるために平野部の道は小高く盛土(もりど)をされた。さらにこの盛土(もりど)が崩れるのを防ぐために道の左右に植樹をして根を張らせ、雨水の浸透を減らすための排水溝を設けるなど、普通の道にはない特別な整備が施された。


「とまあ、王の道(カパク・ナーン)なんていう大層な名前だけに、立派な道である訳だ」


 逃亡計画を立てる際に、サタハは逃走経路となる王の道(カパク・ナーン)についてファラにこう説明をしていた。


「でだ。だからこそ普通の道にはない余計なものが付いてくる」


 この王の道(カパク・ナーン)には一定の距離ごとに、命令や情報を携えて中央と地方を行き来するチャスキと呼ばれる伝令官へ、食事や宿泊、替えの毛長馬(リャルパ)などを提供する施設が設置されていた。それが駅家(チャ・ラキャ)である。


「これが、俺たちにとっては関所になる」


 王の道(カパク・ナーン)の利用は一般の旅行者にも開放され、駅家(チャ・ラキャ)伝令官(チャスキ)以外の人々にも食事や寝床を提供していたが、同時に兵士も常駐し、王の道(カパク・ナーン)を利用する人々の通行を管理して治安維持を果たす、関所としての役割も担っていた。

 そう説明され、ファラは自分がコステロ一座とともに荘厳宮(ハトゥ・ル・スラ)へと着くまでの道中を思い返す。広く整然とした歩きやすい街道を旅し、夜盗などに襲われることもなかった。日暮れが近くなると道中にある宿所に泊まり、露天で眠った記憶もない。自分の意志を持たず、ただ連れられるままにこの土地まで来ただけの当時のファラは、そうした道々の様子を深く観察などしていなかったが、それでも故郷のある北の国々を旅するよりも、快適な旅路であったという印象は残っている。


「当たり前だが、伝令官(チャスキ)でもなければ夜間の通行は禁止だ。良い統治って奴は、俺たちみたいな犯罪者の大敵だな」

「罪人には罪人の生き方があるわ」


 サタハの皮肉にファラは澱みない声でそう答えた。そしてサタハの反応を待つことなく話を戻す。


「夜明けまで待つ時間があるとは思えないけれど」


 計画では、トゥパク・ユパンキが自身の寝所に入る頃に荘厳宮(ハトゥ・ル・スラ)を出立する予定になっていた。ファラの計画通りにルントゥが王の殺害に成功していたとしても、稼げる時間は王の寝所に侍従が立ち入る夜明けまでだった。殺害に失敗していれば逃走時点ですでに追手が放たれている可能性も高い。

 こうした懸念を冷徹に計算するファラの脳裏に、ルントゥを手駒として使い捨てることへの罪悪感は微塵もなかった。罪を罪と意識するのは(あがな)いの心である。許しを得たいと望む心が罪の意識を生む。けれど彼女が望むものはただひとつだけであった。

 彼女の胸の底に、熾火(おきび)のように赤く静かに燃える熱がある。

 この熱がある限り、彼女が彼女を罪する理由など、どこにもありはしなかった。


「迂回はできないの?」


 ファラの質問にサタハは地図を出し、王の道(カパク・ナーン)の両側を指で示す。


「残念ながらお姫様、ここいらは溜め池(ポンコ)のただ中だ」


 初代の王アヤル・カチが太陽の神(インティ・ル・アプ)から授けられた知恵で、雨季の雨を乾季の農作に利用するために国中に造ったという溜め池(ポンコ)である。それが道の両側一面に広がっていた。


荘厳宮(ハトゥ・ル・スラ)を守るために四方を走る王の道(カパク・ナーン)は、敵が進軍しにくいよう溜め池(ポンコ)の間を通してあるのさ。そんでその出入りを駅家(チャ・ラキャ)で押さえている。この駅家(チャ・ラキャ)を抜けるまでは横道なんざないんだよ」


 地図をどう見ても、確かに横に逸れるような道は見当たらない。戻る選択のない道がまっすぐに伸びているだけだった。


「……そうなると」


 そこでファラの視線が地図の上の駅家(チャ・ラキャ)を見て据わった。その様子にサタハは唇を歪めて笑い、ファラの呟きを継ぐようにして言った。


「罪を重ねるしかないってこった。なあ、お姫様?」


 彼の態度にファラがすかさず訊ねる。


「――方法があるようね」

「お前が考えているよりも少しは穏当な方法だがな。しかし、ちっとばかし必要なものが出てくる」


 そこでサタハはファラの白く細い手の指に視線を移して言った。


「それにはお前の手が必要だ。罪人の姫様よ――」



   *****



 北の言葉で交わされる二人の会話を耳に流しながら、ラパラは走る毛長馬(リャルパ)の背の上で流れる景色を、飽くことのないまなざしで見つめていた。


(広い――)


 無窮の夜空には星々の煌めきが満ちていた。その煌めきは星の河となって黒い山の稜線の影の中へと流れ落ち、そしてその下をくぐり抜けて溢れるように夜の底に横たわる一面の溜め池(ポンコ)の水面へと広がって、ラパラの視野を星の瞬きで埋め尽くした。

 世界は広漠としていた。もの心がついたときにはムガマ・オ・トウリとして、外界から隔てられた荘厳宮(ハトゥ・ル・スラ)の、いくつもの部屋や建物で細かく仕切られた狭い空間の中で暮らしていた彼にとって、視界の隅に至るまで遮るものなく広がる景色など、初めて触れるものだった。


(広いのだな――)


 風が頬を切る。走る毛長馬(リャルパ)の躍動が、ラパラの身体を激しく揺さぶる。これらもまた、初めて触れるものだった。


(私はなにも知らない――)


 未知なるものが衝撃とともにラパラの身体を襲い、馴染むように彼の肌へと沁み入ってくる。そしてそれらが自分の中にあるものを押し広げていく。ムガマ・オ・トウリという役割を捨て、ラパラとして見る世界のすべてが新鮮であった。その感覚は心地よくもあり、しかし同時に恐ろしいと感じるものでもあった。


(私は小さい――)


 世界が広がれば広がるほど、自身の小さい身体の寄るべなさが、漠とした不安となって浮き上がってくる。けれど――、


「ラパラ」


 声に振り向くと、気遣わしげにこちらを見る少女の白く美しい顔が、息の届く距離にある。


大丈夫(ジア・ラ)?」


 その熱が、感触が、自分の身体を包んでいる。


うん(アリ)大丈夫(シャンペイ)――」


 たとえそれが、どれほど罪深い鎖の繋がりであったとしても、どこまでも続く未知の世界の中で確かなものは、この身体を包む温もりだけだった。

 ファラの左手がラパラの腰を抱き寄せ、互いの背中と胸が密に触れ合う。毛長馬(リャルパ)が切る夜の風は冷たく二人に吹きつけたが、その風が肌を冷やせば冷やすほどに、触れ合う熱の確かさは、強く、はっきりと二人を結び付ける。

 二人の目が合う。ファラは微笑み、そしてうなずくと、まっすぐに前を向いた。ラパラは自分の腰を抱く彼女の手を握る。


(だから、大丈夫――)


 そう願うラパラの想いは熱く、一心で――それ故に、その手が一瞬、スッとした冷たさに触れたことには気づかなかった。


(大丈夫――)


 馬蹄が夜を裂く。その勢いは増すことも緩むこともなく、ただ淡々と、躊躇いなく、前へ前へと進んでいく――。

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