●六章-1.呪いと始まり
目標の100話達成。
つたない作品にお付き合いいただきありがとうございます。
世界紹介編となる第ゼロ部の終了と共にここから第一部の始まりです。
ぼちぼち続けていきますのでよろしくお願いします。
あと、後書きにちょっと頑張った物を掲載するなど。
-fate アキヒト-
ニュートラルロードから二つほど離れた通りにある雑居ビル街。その中の一つ、3階に事務所を構える貿易管理事務所から出た俺は受け取った書類をバッグに詰めつつ、次の配達先を確認する。
この辺りは店舗を必要としない業種、貿易を中心とした商社などの事務所が入っている。電話やファックス、Eメール等が使えないこの街でこれらの業種からの郵便需要は非常に大きく、最近ではほぼ必ず通る道になっていた。そればかりかこの通りの端には宅急便というか、日本であったバイク便のような超特急の速達を扱う会社が新たに立ち上がっている程だ。現状住み分けが為されているので特に対立云々は無い。
この界隈はあと三か所寄らなければならないようだ。次へ向かうべく二人並べば一杯一杯の階段へと足を掛けた時、
「こんにちは」
不意に向けられた声に足が止まった。
その発生源、階段の途中にある折り返しの狭い踊り場に女性が佇んでいる。当然各事務所には職員がいて、彼らと配達中に行き会う事は稀にある。応じるなり、会釈するなりしてすれ違うだけだ。しかし今回は明らかに何かが違った。
足が前に出ない。
まるで周囲の空気が凝固したかのように、俺の体は前に進むことを、彼女に近付くことを拒む。ここで恐怖心や威圧感を感じていたのならば、この街で割と鍛えられた胆力を発揮して通り抜けようと考えたかもしれない。しかし、理解の外で体だけが金縛りにあったかのように動かない。
かろうじて動く眼球が踊り場の支配者を理解しようと動く。
彼女は動かない。俺を待っていたかのように、或いは今しがたその薄明かりから滲み出てきたようにそこにあって、こちらを見上げている。
それは息を飲むほどに美しい女性だ。このクロスロードの美男美女率の高さに諦観にまで至った俺だが、息を飲むほどのというと流石に稀だ。そして彼女は───
視界が揺らぐ。慌てて壁に手を突き支える。
息を飲むほどの美貌というのは造形上の美しさだけが造る物でないとこの街で知った。魔力だかオーラだか、そういう説明ができない何かを纏った存在であることが多い。
自分の体を縫い留める理解不能な力もまた────
違う。そんな場合じゃない。異常事態なのに思考だけは冷静に、どうでも良いことを考え続けているのは何だ?
脳内でアラームが鳴り響く。いや、とうの昔から鳴り響いていたそれにようやく気付く。衰弱した本能が危険と喉を枯らして叫んでいた。
じわりと背に脂汗が浮く。誤った感覚を拭い去れば、その下に潜んだ汚泥のような恐怖が全身を包んでいる事に嫌でも気付く。ここに居てはいけない。彼女に見られてはいけない。気力を振り絞り上へ逃げるか、彼女の横を走り去りヴェルメ達に助けを求めるか。俺が俺に提示する選択肢は当然逃げの一手。しかし実現できるヴィジョンが湧かない。具体的ではない『悪い未来』が肺を縛り、息苦しさは冷や汗を絞り出す。
女性は動かない。女性か? 美しい女性。何が? 俺はどうしてここまで危機感を覚えている? 優しく儚げに微笑む彼女に敵意など全く見られないのに。
その───い目も、────い髪も、あれ?
彼女は、美しい。だが、どこが? 目の色は? 髪の色は? 顔の造形は? 肌の色は?
いつの間にか沈み、階段を見つめていた視界を上げ、彼女の姿を今一度捉えようと
「ひっ!?」
目の前に闇があった。
まるで闇を凝縮したような眼球が、俺の目を覗き込んでいる。
ミリも動けば鼻や額が付きそうなほどの距離。驚きと共に仰け反ったはずの体は僅かにも動いていない。指の先までピクリとも動かない。突然のホラー展開に喉が引き攣り、情けない声が漏れるだけだ。
目が、眼球が俺を捉えている。俺の目の中の隅々まで観察するように動く目が
「あなたが目ね」
目? 目は、目の前の、は? どういう意味だ?
女性から声と共に漏れた吐息が唇に触れる。甘い。甘味をそのまま空気に置換したような吐息が肺をジワリと侵食していく。目はアンタの物で、俺は目じゃない。何を言っている? いやどういう状況だ? 何故彼女の目がこんなに、顔が間近に? ほんの僅かでも前に押し出せば額が、唇が重なる距離にあるのか? 意識が飛んだ? いや、それよりも───
井戸の底の、蠢く暗闇を凝縮したような、どこまでも深く果てしない瞳に意識が飲まれそうになる。これは、そう、とても、まずい……!
「あら?」
三度声が発せられ、温かく甘い香りが唇を撫で、肺を侵食する。
三度目のそれは、しかし彼女の静謐さを損ねるような疑問を纏うものだったが、微動だにできない俺の状況は何も変わらない。
「相応に備えてはいる、ということかしら?
でも、不十分ね」
「ぎゃっ!?」
不意に響いた第三者の声。次から次に起きる認識の外からの情報に脳が沸騰しそうになる。そんな中で女性の斜め後ろで響いた悲鳴には聞き覚えがあった。
「ニーナ?」
「ぐぎゅぅぅぅ」
あのお気楽鳥が喉を掴まれた時の声だ。それが分かるのもどうかと思うが、どうして今、そんな声を絞り出す事になっている?
「ああ、この子が防いでいるのね……使徒……愛されているのね。妬ましいわ。
でも、まぁ、今回は、いいわ。面白いもの」
肺を襲う甘い匂い。揺らぐ視界。とん、と胸に当たる重さ。反射的に抱き止めたのは目を回した猛禽だった。
「その呪いを解く鍵をオアシスの……衛星都市?に置いておくわ。
明朝までに解くことをお勧めするわね」
「呪……い?」
問いは空しく壁に、廊下に、階段にぶつかり消えた。
女性はどこに? 薄暗く狭い階段に、踊り場にその姿は無い。
受け取った物へと改めて視線を落とせば、見慣れた鳥の姿。しかし首周りに縄目のような模様が赤黒く薄い輝きを放っている。
「なんだこれ……?」
『呪い』という言葉が彼女の声音で再生される。背筋に震えが走る。肺の中に残る吐き気を催すほどの甘さが意識をかき回すが、腕の中のニーナは変わらない。その首に纏う文字も。
不意にコツンと響く音。全身の怖気が走り、思わず後退った俺は、自身が階段の途中にあることすら失念していた。踵をぶつけて後ろに倒れ、したたかに尻を打つ。幸いだったのは尻が階段の途中でなくフロアだったことか。転げ落ちずに済んだ。
「アキヒト?」
「……シノ、か?」
早鐘のように打つ心臓。爆発するかもしれないと危機感を覚えるそれをとても聞きなれた静かな声音が宥めてくれる。またあの目があるのではないかという妄想を振り払い、恐る恐る顔を上げれば思った通りの姿がそこにあり、安堵の吐息が漏れた。
「はい。ニーナが急に飛び出したのですが、何があったのですか?」
暗闇で杖を突くような問いに、何も変わらないもう聞きなれた穏やかな声音が応じる。
コツコツと、小さな足音共にあの女性が居た踊り場を躊躇いなく踏み、へたり込んだ俺の姿を確認して目を丸くしていた。
「正直わからない。
ただ、呪いを掛けられた、らしい」
「呪い、ですか?」
半年前なら口にすることも無かったようなワードを告げ、ニーナを前に差し出す。薄暗い雑居ビルの中、首を纏う赤の文様の輝きは不気味を通り越しておぞましさすら醸し出していた。
「……多分、俺の代わりに呪いを受けたんだと思う」
「……誰か詳しい方に聞く方が良いかと思います」
こういう時、シノの冷静さは助かる。乱れた呼吸も暴れていた心臓も落ち着いてきた。壁に手を突き、立ち上がる。我ながらタフになったものだ。半年前ならもう三十分は足腰が立たなかったかもしれない。
深く深呼吸して思考を巡らせる。詳しい人、と言われて思いつくのは……館長かアルカさんかルティアさんか……?
ニーナの事だからダティアマーカさんの方が良いかもしれない。
いや、
「一回事務所に戻ろう。トミナカさんに相談した方が良いと思う」
「……そうですね」
あの人も顔が広い。相談に乗ってくれるだろうし、俺たちが知らない適任者を紹介してもらえる可能性もある。それに、あの美しいという印象だけ残し、何一つ特徴を思い出せない女性が語った言葉を気に掛けないわけにはいかないだろう。
俺は肺に、全身に、記憶に残る無理解による恐怖と不快感を振り払う。
「呪いを解く鍵を南のオアシスに置くって言っていた。明朝までに解いた方が良いとも」
階段を一歩一歩降りる。踊り場に踏み込むのに一瞬躊躇したが、ここに閉じ込められたままではいられない。ぐったりと動かないニーナの文様をもう一度見て、シノの前に立つ。
「掛けた呪いの解き方を教えて行ったのですか?」
シノの言葉に不可解さを認識する。俺に呪いを掛けようとした理由は元より、わざわざ解法を用意する意味も分からない。
「ああ。本当かどうは分からないけど」
「……知っている人、というわけではないのですか?」
「知らない人、というかどんな人かも思い出せない。女性だったって事くらいしか。
ただ、俺の事を『目』と言っていた」
踊り場を何事も無く抜け、更に階下へ。シノが少し遅れて続く。
『目』と言うならどちらかと言えばシノの方だ。今の俺はシノと繋がっているから間違えられたのだろうか?
もしかして俺じゃなくてシノの知り合いか?
それとも神話喰らいの従者を『目』と呼ぶのだろうか。いや、もし神話喰らいに関するワードならばこの感情をあまり表に出さない少女は動揺しているはずだ。そんな様子は無い。
「……急いでオアシスに行かなければならないなら、トミナカさんに相談が必要ということですね」
「自分でも何を言っているかと思うけどな。
そういえばニーナはどうしてこっちに?」
「干渉を受けたと言ってそちらに向かいました」
どうやってニーナがこの異常を察知したのかは不明だが、俺に掛けられる流れだった呪いを受けた事を踏まえるとダティアマーカさんが何か仕掛けを施していたのかもしれないと思った。目が覚めたら聞くとして……目、覚めるんだろうか?
「とにかく、急ごう。
……ゴメン、シノ。不注意だった」
「謝られても困ります」
少しだけ眉尻を下げたシノ。確かに反対の立場でも困るだろう。最大限の警戒をしていたとして、あんな理解不能な状況に何ができたというのか。
恐怖を思い出し笑う膝に喝を入れ、迷路の出口に向かう気持ちで出口へと向かう。
雑居ビルの、その薄闇から陽光の下に出た瞬間、思わず安堵のため息が漏れた。振り返ればホラーのラストシーンのように、あの女がこちらを見ているという妄想が全身をこわばらせる。俺は決して振り返ることなく、どこか縋るようにヴェルメに触れた。
「悪い、すぐに事務所に戻りたい」
「何があったんだい? ニーナも」
「道すがら説明する」
「……はいよ」
聞き分けが良い姉御で助かる。
速度が乗るまでの数秒。俺は余りにも不可解で夢に出そうなくらいなのに、ふとしたきっかけで同じく忘れてしまいそうな記憶を不快感に抗いながらかき集め、説明のための言葉を形づくる。
説明のためにそれを音にする決意を抱きつつ、思う。
俺は一体、何に巻き込まれたのだろうか。




