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リサと迷惑な妖精(?)たち  作者: 銀ねも
莉沙と裏側の王様
15/17

忘却の魔女

 真っ白な空間にぽっかりと浮かぶ、大きなシャボン玉。その内側に閉じ込められた莉沙は、膝を抱えていた。


 ニック=ショックからは解放された。危ないところだったけれど、とりあえず、ひと安心だ。これからどうすれば良いのか、落ちついて考えることが出来る。


しかし、莉沙は途方に暮れるばかり。騒がしいニック=ショックが行ってしまうと、今更になって、混乱と不安がどっと押し寄せてきた。


(どうしよう。どんでもないことになっちゃった。どうしよう。どうしよう……)


 堂々巡りの思考は、恐ろしい迷宮のように、莉沙を捉えて離さない。頭を抱えて、うんうんと唸っていると。


「なによ……なによ、なによ……なによ、なによ、なによ……」


 莉沙は飛び上がった。何処かで誰かが啜り泣いている。声の主は若い女性だろうか。


 きょろきょろとあたりを見回るけれど、真っ白な空間には莉沙の他には誰もいない。何処からともなく、嗚咽混じりの嘆きだけが聞こえてくる。


「よりによって、こんな小娘に、誑かされるなんて……。ただの人間の小娘じゃない……特別に美しくもなければ、特別な権能ちからもない。何の魅力も無い。つまらないブスよ。それなのに、嗚呼、どうしてなの……。あなたは……私を好きだと言ってくれたのに……忘れてはいない筈。覚えている筈。それなのに……ああ、それなのに……。あんまりよ。この仕打ちは、あんまりだわ!」


 ぶるん、とシャボン玉が震えて、莉沙は尻もちをついた。衝撃は一度では終わらない。続け様に、どん、どん、どん。衝撃に呼応するように、シャボン玉の表面が波打つ。真下を覗き込んで、莉沙は驚いた。


 莉沙を捕えるシャボン玉の真下に、黒衣の女性が蹲っている。身の丈程もある漆黒の杖で、シャボン玉を突き上げている。ぶかぶかの黒いローブを着て、大きなとんがり帽子を被った、小柄な女性だ。長い黒髪がとぐろをまく大蛇のように、ぺたりと座り込んだ彼女を取り囲んでいる。


 お伽噺に出てくる見習い魔女といった出で立ちである。フルフェイスのガスマスクとヘッドフォンを装着していなければ。


(なになに、誰なの? このひと、何者?)


 クラリッサの物語を暗記するまで読み込んだ莉沙には、断言できる。クラリッサの物語には、こんなへんてこな……他のみんなもへんてこだけれど……このような登場人物はいなかった。


 莉沙が戸惑っている間も、ガスマスクの魔女は、どすどすと、力一杯シャボン玉を突き上げてくる。ぐらぐらと揺られて、莉沙は堪らなくなり、悲鳴を上げた。


「ちょ、ちょっと、やめてください! そんなに、揺らさないで!」

「ひっ……!」


 ガスマスクの魔女が引き攣れた悲鳴を上げる。絶え間ない刺突の連続攻撃が止んだ。真下を覗き込むと、ガスマスクの魔女は頭を庇って蹲り、ぷるぷると震えている。


 莉沙は戸惑いながら、震え上がってしまった魔女に声をかけた。


「あ……あの……驚かせてすみません……もしもし……もしもーし?」

「ひぃっ……!」


 ガスマスクの魔女は飛び上がり、部屋の隅まで逃げて行く。物凄く怯えている様子だ。莉沙は困ってしまった。


(ええ……私、なにか悪いことしたかな?)


 心当たりがまるでない。そもそも、この状況で怯えるべきは、どちらかと言えば、莉沙の方だと思うのだけれど。


 じろじろと見つめていては、ガスマスクの魔女がびくびくしてしまって、気の毒だ。出会い頭に『つまらないブス』呼ばわりされて、正直なところ、ムッとしたけれど、だからと言って、意地悪をしてはいけないだろう。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、ガスマスクの魔女がぼそりと呟いた。


「いやらしい……」

「え? いま、何か?」

「ひゃっ……!」


 ガスマスクの魔女は部屋の隅に頭を突っ込んで隠れる。小さなお尻がぶるぶると震えている。頭隠して尻隠さず、である。莉沙は真っ白な天井を仰いだ。


 これは困った。会話が成り立たない。どうしたら、怖がらせないで済むのだろうか。


(どこの誰なのか知らないけど……ここから逃げ出すの、手伝ってくれないかな? あの杖の、尖った先端の方を思いっきり突き刺したら、このシャボン玉、割れるかも)


 のんびりしていられない。こうしている間にも、ニック=ショックが戻ってきてしまうかもしれないのだ。


 莉沙は両手で顔を擦り、強張る表情筋をぐにぐにと解す。精一杯の笑顔を拵えて、ガスマスクの魔女の方に向ける。ガスマスクの魔女は、壁に背を預け、両手で顔を覆っている。指の隙間から、こちらを覗き見ている。大きな二枚の丸いレンズに、莉沙の不器用な笑顔がうつりこむ。レンズの奥で、緑色の炎がめらめらと燃え上がった。


「いやらしい……にやにや笑って……ぺちゃくちゃ喋って……なんていやらしい……! これね、これなのね……! この、会ったばかりなのに、まるで百の月夜を共にしたような馴れ馴れしい態度……! これで、ニック=ショックを誑かしたのね……! 寝室にまでずかずかと上がりこんで……恥知らず……! 待ちかまえているんだわ。蛇のように……その貧相な身体をくねくねさせて、ニック=ショックの帰りを! ニック=ショックの優しさに付け込んで、騙して、誘惑する……! 赦せないわ。その罪にふさわしい惨めさで、醜く爛れ堕ちろ、このクソアマ……!」


 ガスマスクのフィルターから、緑色の煙がもくもくと立ち昇る。それは大蛇に姿を変える。ずるずると床を這い、莉沙の真下でぐるりととぐろを巻く。鎌首を擡げ、真っ赤な口腔と毒液を滴らせる鋭い牙を剥き出しにして、莉沙を威嚇した。


 莉沙は慌てて、逃れようと足掻くけれど、シャボン玉は目には見えない何かでその場に固定されている。どれだけ暴れても、びくともしない。どうしようもなくて、莉沙は喚いた。


「誤解です! 私は、ニック=ショックさんを誘惑なんて、していません! 私は何もしていないんです! 私、ここに連れ込まれてからずっと、ニック=ショックさんに困らされているんだから! 帰りを待っているなんて、とんでもない! 出来ることなら、今すぐにでもここから出て行きたいんです! 私は帰りたいの!」


 喚いているうちに、気持ちが昂ってしまって、涙が込み上げてくる。莉沙は唇を強く噛んで俯いた。


 今の今まで、驚きの連続だったから、ただ只管に、興奮して、目を回すばかりだったけれど。考えてみれば、事態は深刻だ。裏側に連れて来られて、帰る方法は分からない。それどころか、今はニック=ショックに囚われて、身動きも儘ならない。おまけに、莉沙を容赦なくこきおろす、おかしな魔女に睨まれている。


 裏側の世界に触れられたことは、莉沙にとっては、喜ばしいことだった。クラリッサの物語は莉沙の憧れであり続けたから。しかし、行き先が夢の世界であっても、それが片道切符であると知っていたなら、莉沙は好奇心に蓋をして、回れ右をしただろう。莉沙はクラリッサの物語が好きだ。だけど、それ以上に、クラリッサが好きだ。クラリッサがいて、お父さんとお母さんがいて、おじい様とお婆さまがいて、お友達がいる、表側の世界が好きなのだ。夢を見るのは一時で良い。醒めない夢なんて、悪夢でしかない。


 うちひしがれる莉沙に、ガスマスクの魔女が語りかけてくる。


「『表側に帰りたい』それが、お前の願い事?」


 莉沙が顔を上げると、ガスマスクの魔女はゆらりと立ちあがった。ガスマスクの魔女が両腕を広げると、彼女の背後で緑色の炎が燃え上がった。


「お前の願いを叶えてあげましょう。ただし、お前の最愛のひとの心の中にある『お前と過ごした記憶』と引き換えよ。さぁ、願いなさい。そしてニック=ショックの記憶から、お前はきれいさっぱり、消え去っちゃいなさい。この尻軽のクソアマ!」


 莉沙はぽかんと口を開けた。たっぷりと時間をかけて呆けてから、莉沙は歓声を上げた。


「あなたは……もしかして……忘却の雪原の女王様!? すごぉい、本物なのね!」

「ひぇ……! ど、どうして……わた、わたくしのこと……!? わたくし、秘密主義者なのに……!」


 ガスマスクの魔女は、素直に、彼女が忘却の雪原の女王であることを認めると、たじろいで、そそくさと隅っこに戻る。床を這いずって、主人の許へ戻った大蛇の影に隠れた。ひょっこりと顔を覗かせて、ぎりぎりと、歯ぎしりをする。


「ボンレス=ミャオ……あいつが喋ったのね! ……人間の女に骨抜きにされた、骨無し野郎め……まったく、ろくなことをしない! お前はなに? あの女とは別人だし、血の繋がりもない。そうでしょう? お前はあの女と違って、特別に美しくないもの。地味で目立たない、そこらへんに転がる石ころみたいな小娘だわ。宝石みたいにキラキラ輝く、あのいけすかない女とはまるで違う。それなのに、ボンレス=ミャオから裏側の事情を聞かされている……お前は何者なの?」


 また散々に貶されてしまった。クラリッサのことを「宝石みたいにキラキラ輝く」と表現したから、忘却の雪原の魔女の審美眼は確かなのだと思う。尚更、凹む。「地味で目立たない、そこらへんに転がる石ころみたいな」……特別に醜いと言われないだけ、よしとしよう。そんなことより。莉沙はシャボン玉に掌をぺたりとつけて、身を乗り出した。


「やっぱり、そうなんだ……あなたが、忘却の雪原の女王様……すごぉい! 描かれるより前に、本物を見ちゃった!」

「ひゃぁ……! ななな、なによ……なんなのよ……! わた、わたくしの許可なく……ぺらぺら喋るんじゃないわよ! じろじろ見るんじゃないわよ! 誰のゆるしがあって、このラクネ=ジョマ様を直視しているの!? 身の程を弁えなさい、この……無礼者!」

「へぇ、ラクネ=ジョマって名前なのね! ねぇねぇ、貴女はどうしたここにいるの? 『忘却の雪原の魔女』ラクネ=ジョマは、領地の外には出ないんでしょう? ここはニック=ショックのお部屋だよ? どうして? ねぇ、どうして?」


 莉沙は好奇心を抑えきれず、ラクネ=ジョマを質問攻めにする。ラクネ=ジョマは莉沙の好奇心に耐えきれず、隅っこで縮こまって、涙ぐんでしまった。


「ひぇぇぇ……呼び捨てにされちゃった……おまけに、タメ口利かれちゃった! 挙句のあてに、根掘り葉掘り、詮索されちゃってるぅ……! なによ、なんなのよ……! これだから、生きて、感じて、考えて、話して、行動する生き物って、嫌なのよ……! やだやだ、生き生きした声、耳が腐りそう! きらきらした眼差し、体が焼け落ちそう! いつまでと同じ空気を吸っていたら、能天気が伝染しちゃう!」


 大蛇はラクネ=ジョマを背に庇い、莉沙を威嚇するけれど、興奮する莉沙には通用しない。だんだんと小さくなってゆく蛇を抱き締めて、ラクネ=ジョマは涙声を張り上げた。


「無理! もう無理! もう嫌だ! お城に帰る! お前はさっさと願いなさい! 代償を受け取って、お前の願いを叶えたら、わたくしはお城に帰れるのよ! 愚図愚図しないで、さっさとおし! この愚図!」


 莉沙はきょとんと目を丸くした。


 ラクネ=ジョマは、莉沙の願い事を叶える為に……正確には、莉沙に願いを叶える代償を支払わせる為に……ここにいる、らしい。

 莉沙は小首を傾げた。どうやら、ラクネ=ジョマは勘違いをしている。それも、二つも。


(とりあえず……深呼吸。まずは、誤解を解かなきゃ)


 莉沙は落ち着いて言った。


「えっと……ラクネ=ジョマさん? 私は、あなたに願い事を叶えて貰うつもりはありません。それに、私の『最愛のひと』はニック=ショックじゃないので……ニック=ショックの記憶から私を消したいなら、こんな取引き、するだけ無駄です。……そもそも、ニック=ショックが私のこと、ちゃんと覚えられているとは、思えないですけど」


 ぼそっと付け足して、だけど、そんなことより、と莉沙は思考を切り替える。

 『最愛のひと』をひとり挙げることは、莉沙にはとても難しい。お父さんもお母さんも、お爺さんもお婆さんも、お友達の皆も、クラリッサも、大好きだ。

 だけど、確信している。ラクネ=ジョマと取引をしたら、莉沙はクラリッサに忘れ去られてしまう。


 それだけは嫌だった。クラリッサは莉沙の恩人だ。莉沙がこれまで、大好きなひとを大好きだと、彼らと一緒に過ごす日々が幸せだと、受け容れられたのは、クラリッサが莉沙を受け容れてくれたからだ。クラリッサに忘れられてしまったら、莉沙は自分自身の幸せすら、忘れてしまいそうだった。


 そして、莉沙の胸は痛む。ラクネ=ジョマと契約したボンレス=ミャオは、どんなに辛かっただろう。彼の場合は、そうするより他には無かった。クラリッサの命を救えるのなら、クラリッサに忘れられてしまっても良いと、決断した彼は、心の底から、クラリッサを愛しているのだ。


(私だって、もし、クラリッサの命が懸かっていたら、契約するしかないけど。でも、いまここで、表側に帰る為に契約したら、絶対に後悔する。だって、私はまだ何もしていない。ぎりぎりまで粘らなきゃ。最後の最後まで、諦めない。代償なんて支払わなくたって、帰れるかもしれないじゃない)


 莉沙は目を瞑って、よくよく、考えてみた。モック=フランは莉沙を裏側へ連れ去った。クラリッサを裏側へ連れ去ったのはボンレス=ミャオだった。裏側の住人は……皆が皆ではないだろうけれど……裏と表を自由自在に行き気出来るらしい。


 そこで、莉沙は閃いた。


「そうだ! ボンレス=ミャオにお願いしよう! ううん、そもそも、ボンレス=ミャオは私を助けに来てくれたんだ! クラリッサの為に、私と連れ戻そうとして! そうだよ、そうに決まってる! だからボンレス=ミャオはモック=フランと闘ってくれているんだ! だって、言っていたじゃない。『娘を返して貰おう』って。あれは、モック=フランやニック=ショックみたいに、人違いをして言っていたんじゃなくて、そのままの意味だったんだ。そう。ボンレス=ミャオに合えば、私はきっと、表側の世界に帰れる!」


 閃いたついでに、大声を出していた。ハッと気がついて、決まりが悪くなる。照れ笑いをしながら、ラクネ=ジョマの様子を窺い……莉沙は凍りつく。


 ラクネ=ジョマは燃えていた。緑色の炎が彼女の華奢な身体を包み込み、轟々と燃えている。


「ちょっと、お待ち。お前、やっぱり、ボンレス=ミャオと通じているのね。さては……さては、ニック=ショックを誑し込んで、仲間に引き入れて、モック=フランをやっつけるって魂胆ね」

「え? いえ、まさか。違います。そういうんじゃ……」

「お黙り!」


 ラクネ=ジョマは憤慨した。彼女が怒鳴ると同時に、緑色の炎が荒れ狂う氷の礫に変わる。荒れ狂う氷と風が、真っ白な空間を形成するピースをばらばらと剥がしてゆく。淡く蛍光する雪と氷の欠片は、シャボン玉にもぶつかって、ぱちぱちと弾ける。鋭く尖った結晶がいくつも、シャボン玉の表面に突き刺さる。ラクネ=ジョマは杖の先端を床に叩きつけ、打ち鳴らす。衝撃波は吹雪を伴い、シャボン玉を強襲する。シャボン玉は、荒波に揉まれて転覆寸前の船のようだ。縋りつく場所を見つけられず、莉沙はシャボン玉の中でころころと転がった。ラクネ=ジョマが、轟々と唸りを上げる吹雪にも負けずに叫ぶ。


「わたくしは、すべてお見通しよ! 浅いわ。考えが浅い! そののっぺりとした顔の彫りと同等にね! お前達の目論見通りにはならない。ニック=ショックはモック=フランを裏切らないわ。お前は知らないでしょうね。いいわ、教えてあげる。最強の権能ちからを願い、けれど、その権能に耐えきれず、消滅しそうになっていたモック=フランを救ったのは、他の誰でもない、ニック=ショックなのよ! あの恩知らずのクソジジイが全てを忘れても、彼はずっと、奴の味方をしていた。優しいひとなの。わたくしは知っているわ。彼は裏切らない。あの薄情なクソジジイが、養い子のことを綺麗さっぱり忘れてしまってもね。彼はずっと、モック=フランの味方でいる。だから、わたくしは……モック=フランを……ニック=ショックの願いを……守らなきゃいけない! これが、お前の死ぬ理由よ!」


 ラクネ=ジョマの恐ろしい言葉が、莉沙には聞こえていたけれど、内容を理解することは出来なかった。脱水機に放り込まれたぬいぐるみのように、シャボン玉の中をぐるぐると回って、莉沙はすっかり目を回していた。


 だから、莉沙は知らない。莉沙を捕え、そして、守っていたシャボン玉に亀裂が奔り、それが前面に及んでいることを。


 ラクネ=ジョマが杖の先端で床を叩く。杖を打ち鳴らす音が大きく木霊する。凍える炎は燃え上がる。


「凍りつけ。そして砕け散れ、忘却の彼方に! さようなら、クソアマ! 寂しくないのよ。ボンレス=ミャオも奴の情婦も、すぐに後を追わせてあげるから!」


 ラクネ=ジョマは高らかに哄笑し、莉沙の死を告げた。






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