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シュガーレス  作者: 長月イチカ
箱庭の神さま
9/13

*1


神様に祈るより星に願う方が、よっぽど叶いそうな気がした。



『小さい頃のさ、甘いものって。愛情のように感じたことあらへん?』

 ランが視線を遠くに向け、呟くように言った。

『愛情…?』

 怪訝そうに眉根を寄せるボクに、ランが珍しく視線を落として続けた。

 ランでもこんな顔をするんだなと意外に思えた。ランはいつも、笑っていたから。

『ウチは母親が全然料理できひん上に、甘いものだとかお菓子だとか苦手でな。作ってもろたことも買ってもろたことも殆ど無いねん。だから余計、友達ん家行って出された作り立てのお菓子と、美味しそうに頬張る友達と、それを嬉しそうに見つめる母親の顔が、セットになってて…こう、シアワセな家庭の象徴のように見えてな。愛情に味を付けたら、きっととびきり甘いんやろな、てそう思ってた時期があったんや』

 まぁようは羨ましかったんやな、と、苦笑いを落とす。その横顔が印象的だった。

 それはボクには分からない感情だと思った。

 ボクは人と違う部分がある。

 周りにもそう言われ、自分が一番それを理解していた。

 それは例えば、ランには分からないことをボクは分かるように、ランに分かることをボクには理解できないということ。

 環境や境遇が、あまりにも違うんだ。決して覆すことのできない事実。

 だけどそれに不満を感じたことは無かった。そういうものとして生きてきたから。

 視線を落としたまま、ランは続けた。

『この前シンが、飴玉ひとつであいを攫ったって、言ってたやろ?』

『…ああ…』

『甘いものイコール愛情てのは流石に極端やと思うけど…あいはたぶんそれが、欲しかったんとちゃうかな…』

『…ボクには分からない…だけどあいは甘いものが苦手だし、欲しいと思ったこともないって言ってた』

 そう話した日を今でも覚えている。

 だけどあいはあの時から、自分に嘘をつくのがとても上手くて。

 心の奥底までは、ボクに見えない。

 なんでも分かるワケじゃない。すべてを知っているワケじゃない。

 だからこそ、不思議とランの言葉はボクの中にストンと落ちた。頭のどこかで理解することのできる推測だった。

 ボクには分からなかっただけで、気付けなかっただけで。

 ボクは親を自ら捨てて、あの場所にいた。

 だけどあいは違う。


 ボクとあいが出会ったのは幼い子供たちが親の迎えを待つ場所で、あいもボクもその中のひとりだった。

 親を捨てたボクと親に捨てられたあいは、新しい親を待っていた。

 あの日はじめて会ったあいは、母親に虐待されて傷だらけだった。

 すべてを拒絶していたボクがあいを拒まなかったのは、たぶん同情からだ。

 ボクの言葉にできない思いが、絶望が。目の前にいた気がしたんだ。

 だけどあいは、あの場所で笑い続けた。ボクの隣りで、最後の日まで。



 その“真実”を何度も何度も泥だらけの手で塗り固めて、やがて小さな容れ物ができた。

 あいとボクはその中にいた。

 あいが一生懸命に外堀を高く積み上げるのを、ボクは隣りでずっと見てきた。時には一緒に手を汚して。

 ずっと、見守ってきた。

 この箱の中から出たら、あいは生きてゆけないだろう。

 外はいつだって、どこだって、敵しかいなかった。

 あいはいつも、傷付けられてばかりだった。この世界の理不尽に。

 そしてきっと、これからも─―ずっと。


 だけどわかっていた。

 本当はボクも、わかっていたんだ。

 矛盾だらけのその庭に、花は咲かない。

 朝なんか永遠にこないことを。


***


 朝からずっと嫌な予感がしていた。

 昨日、テストを受け終え特別指導室から出ると、あいが廊下にいた。ランと屋上で待っていたはずなのに。

 なにかあったのかを聞くよりもはやく、あいの顔から感情が消えていることに、胸がざわつく。ボクの傍であいは、いつも笑ってくれていたのに。

『…あい?』

『…シンちゃん、この前言ってたよね』

 ぽつりと呟いて、顔を上げる。

 目が合って、久しぶりに見るあいのその表情に、とてつもない不安に襲われた。

 心が揺れる、ざわざわと。

 これはあいの、それともボクの?

『坂城くんは、嘘は言わない、て。…坂城くんにね、間違ってるよ、て言われたの。

シンちゃん、わたし、間違ってるのかなぁ…』

 ボクは、何も答えられなかった。その手をただ強く、握ることしかできなかった。

 氷が背中を滑るような、内臓が溶けてなくなるような錯覚に、眩暈がするほどの激しい怒りが沸いた。

 ランを一発殴らないと気が済まない。

 あいにあんな顔をさせるなんて。あいにそんなことを言うなんて。

 それと同時に、あいがまたあの日のようにソレを確かめようとしないかが、不安でたまらなかった。

 もしまた、訊いてしまったら。

 それを確かめてしまったら。

 それを思うだけで、不安で吐き気がした。なにかが壊れてしまいそうな、嫌な予感で胸が押し潰されそうになった。

 だけどそれでも。ボクは何も、答えられなかったんだ。


 そして翌日の今日。その不安は現実のものへとなった。

 はじめて、あいが学校に来なかった。


***


 10さいの時ボクたちが再会したのは、病院でだった。

 ボクはこの体質のデータ収集の為、定期的にその病院に通っていて、あいは救急患者として運びこまれたところだった。

 集中治療室へ緊迫した空気と共に滑車が走り、看護師が必死に患者の名前を呼んでいた。

 それは偶然ボクのすぐ脇を通り、ボクは患者の顔を見ることができた。


 それが4年ぶりのあいとの再会だった。


***


 昼休みを告げるチャイムが鳴ってから数分後、ランが屋上のドアを勢いよく開けて入ってきた。

 放課後じゃない時間にここを訪れたのは、初めてだ。ランは、いつもの飄々とした雰囲気からは想像できないほど、切羽詰まったような、必死な顔をしていた。

 あいが学校に来てないことをボクに教えたのは、笹井だった。じゃなければボクはこの瞬間まで気付かなかっただろう。

 ここにならあいがいるのかと思ったのかもしれない。

 だけど屋上にひとりのボクを見て、ランが分かりやすく顔を歪めた。今にも泣き出しそうなくらい、くしゃりと。

 こんなり分かりやすく感情を表に出すランを見るのは意外で、その顔をまっすぐ見据えながら立ち上がる。

「…あい、は…」

「見れば分かるだろ。来てない」

 ゆっくりと歩み寄り、ランがボクの視線に耐えきれないように目を逸らした瞬間。

 力の限りにランを殴った。

 鈍い音が屋上に響く中、よろけたランをそのまま壁に押しつける。ランは予想していたかのように、無抵抗だった。それが余計にボクの神経を逆撫でる。

「ふざけるなよお前…!」

 身長が自分の方が低く、下から睨み付けるのが悔しい。

 そんなくだらないことが、今はいちいち癇に障った。

 ランの表情は陰っていて、だけど今度は決して目を逸らさなかった。

「お前はそんなに正しいのか…!」

「俺は!」

 わずかに上げた顔が、瞳が。日の光に反射する。

「俺は“正しいこと”をやりたかったわけやない! 俺は…! 俺は俺がやりたいことをやっただけや…!!」

 ランの目に後悔は微塵もなく。ボクはランのシャツを握ったまま、ただ力を込めることしかできなくて。噛み締めた唇の内側に鉄の味が広がる。

「シンはほんまにいいと思っとるんか!? あいが望んどるからとかそんなん詭弁やんか…! シンは…っ、お前はどうしたいねん…!!」

 ボクが、望むこと?そんなのひとつだけだ。

 ずっとずっと。ひとつだけだ。

『――シンちゃん』

 あい。今、どんな気持ちでいるの。どこで何をしているの。

「ボクの、望むことなんて…決まってる。ずっと、あの日から…」

 ボクはまたあいを、守れなかったの。


「嘘を…“真実”にすることだよ」



 小さな小さな箱庭に、いつからか雨が降り注いでいた。

 すべてを流す、雨だった。

 すべてを晒す、雨だった。



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