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シュガーレス  作者: 長月イチカ
愛のことだま
7/13

*1


 体中を駆け巡る痛みと籠もる熱の苦しさで目を覚ました。

 このまま死ぬかもと、本気で思える熱さだった。


 悲鳴を上げる腕をなんとか動かして、ベットの脇に落ちていたカバンからペットボトルを取出す。震える手をなんとか抑えながら、水を口に含んだ。

 ケンカをしたのもこんなにダメージを受けたのもひどく久しぶりだ。

 マズいなぁと、ぼんやり思う。

 熱に浮かされた体は自分のものではないようで、どこまでも沈んでいきそうな気がするほど重かった。

 それからまたふらふらと、ベッドに体を沈める。

 傷だらけで帰ったものの家には誰もおらず、救急箱の所在は不明で手当てが全くできなかった。居たら居たで厄介なのは目に見えていたのである意味丁度よかったけれど。

 帰ってくるのがやっとで、着替えもせず制服のままベットに突っ伏すように眠っていたみたいだ。

 夢を見ていた気がするけれど、思い出せない。


 今が一体いつの何時なのか知りたくて、上着のポケットから携帯を取り出す。

 土曜日の午後三時を過ぎていた。半日以上、眠っていたらしい。長く息を吐き出しながら瞼を伏せる。

 シンの言葉を。あいの笑顔を思い出す。

 あのふたりが今までどんな気持ちで、どんな思いで生きてきたのか。きっと俺には一生分からないだろう。

 カーテンの隙間から漏れた光が、投げ出していた右手の平に一筋の光を通す。

 シンを殴った右手が、一番痛かった。

 その手の平を、握り締めて。

 ひいてたまるか、と思う。

 くいしばった奥歯が震えて力が上手く入らない。口の中に鉄の味が広がる。

 ひいてたまるか。

 まだ、あいに名前を呼んでもらってない。ふたりの携帯番号も、メールアドレスさえも教えてもらってない。確かな繋がりは何ひとつ。

 あいは未だ俺を見ない。

 シンは俺を受け容れようとはしない。

 知りたいことはまだたくさんある。だけど。

 真実が誰にとっても共通だとは、平等だとは、限らないんだ。


 シンがなぜ自分にそれを言ったのかはわからない。

 意味はないのかもしれない。

 意味を求める方が間違ってるのかもしれない。

 だけど俺は、何か意味を見い出したかった。自意識過剰でも勘違いでもおせっかいでも、なんでもいい。踏み込む理由が今は欲しかった。こじつけでも、例え自分勝手でも。

 重たい体を無理矢理起こし、カーテンを勢いよく開ける。その眩しさに目を細める。

 この痛みを忘れずにいようと思った。


***


 自分の意志を持たない子供だった。

 右でも左でも嘘でも本当でもどちらでも良かった。

 周りに流されて生きてきたんだ。

 だから他人に溶け込むのは簡単で、周りに合わせることに不満等なかった。

 本気で誰かと向き合ったことななんて、一度もなかった。

 誰かと向き合いたいと思ったことなど、なかったんだ。


「俺な、小1ん時に京都からこっちに引っ越してきたんやけど、この喋り方はじめ、周りに受け入れてもらえんくてな。必死で標準語の練習したやで」

「…ヘンな日本語。なに標準語の練習て」

「はは、な。まぁ、そうゆう子供やったってことや」

「…」

「…ある日な、ふと思ってん。何がきっかけやったんかは忘れてもうたけど…俺ってどんな性格で、どんなものが好きなんやったっけ、て」

 放課後、屋上にシンはいた。いつもと変わらない指定位置で、ドアを開けた自分と目が合って。だけど帰れとは言わなかった。

 あいはもう帰ったらしく、シンとふたりで話したかったので好都合だった。

 シンは帰らずに、屋上にいてくれたから。

 それだけで何かを許された気がしたから。


 流石に病院に行き手当てを受けた分、体はだいぶ楽になった。熱も痛みもだいぶ引いた。

 教室でちょっと騒がれたのは面倒だったけれど、得意の口でなんとか誤魔化した。

 笹井の申し訳無さそうな顔だけが、ちょっと可笑しかった。

 晴れた空の下、心地よい風が俺とシンの間を通り抜ける。

 シンは隣りで、俺の話を聞いてくれた。

 隣りに居ることを拒まれなかったことが、ただ純粋にうれしかった。

「…まぁ。その後、これから好きに生きようと思ったん。自分が望む生き方をしよう、て」

 だってそれまで俺は、意味もなくただ、生きていただけだった。

 俺がいなくても世界は変わらないだろうと思っていた。

 ヘンに聞き分けて、諦めて。

 誰かとの繋がりに意味を見出だせなかったんだ。だけど。

 俺の世界はもう、色を変えた。

 隣りのシンの顔を見て、できるだけ気持ちを伝えようとまっすぐ見つめる。

「俺は、シンの言葉を信じる。そして、俺が見てきたあいを、信じる。疑うのは簡単で、誰にでもできるから…俺は俺にしかできひんことを、やろうと思う」

 シンが何かを計るような目で見据えている。たぶん俺の心の内。

「…何をしようと、勝手にすればいい。…ただ…あいを傷つけるのだけは、許さない」

 あの鋭い目で睨まれて、真っ直ぐそれを受けとめる。目を逸らさずに続けた。

「これが俺のエゴだとしても俺はあいと…それからシンと。三人で、あの教室や…校庭や、もっといろんな場所で…もっといろんな話をしたいんや」

 俺たちはまだ14さいの中学生で、できることなんかたかがしれている。

 それはもうきっと分かっていた。

 だけど。俺は、俺たちは。

 このままじゃいけないことも、きっと分かっていた。


***


 あいはいつも教室で、ひとりで過ごしている。いつも決まって、カバーのかかった文庫本を読んで。

 関わってほしくないのがわかっていたから、教室内であいに話し掛けることはなかった。

 だけど本当は、教室であいと話したい。他愛のない話をして、笑い合えたらと思っていた。


 窓際の席に座るあいの背中に寂しさだとか孤独だとか、そんなものは一切見当たらないので、俺は余計に切なくなる。勝手だとは分かっていたけれど。

 教室のあちこちで賑やかに会話が交わされる中、あいはひとり、静寂の中にいる。

 だけど時々教室内で目が合う俺に、あいはほとんど表情を変えず小さく笑ってくれる。

 あいが屋上であんな風に笑えるのは、シンが隣りにいるからなんだ。

 シンはなぜ、教室に来ないんだろう。

 ここにはあいがいるのに。


「シンちゃんはね、人の中にいると時々わからなくなるんだって」

「…わからなくなる…?」

 首を傾げる俺に隣りであいが柔らかく笑う。

 いつもの屋上には珍しくあいがひとりだったので、シンの特等席を勝手に拝借したのだ。

 シンはトイレに行ったらしいけれど、なんとなく嘘だなと思った。

「坂城くん、シンちゃんに聞いたんだってね」

「…シンの体質のことか?」

 間を置いて答えた俺に、あいが頷いて続けた。

「相手が…なにを言ってるのか…何を答えればいいのか、わかんなくなっちゃうんだって。相手の思っていることと言葉にしたことが違いすぎて。シンちゃんの周りには小さい頃から嘘が多くて…だけど言葉が溢れているから」

 静かに話すあいの横顔を見ながら、それはどんな世界だろうと思う。想像することしか、できないけれど。

「あいは、シンとはいつから一緒なん?」

「…初めて会ったのは、まだ6さいの時。その後わたしが一時期ここを離れて…10さいの時に再会して、それからずっと、一緒」

 懐かしむように目を細めて話すあいに、気になっていることを聞こうか躊躇し、やめた。

 あいとシンの、噂のこと。

 気にはなったけれど、聞いた後でどんな答えでも言葉に詰まることが容易に想像できたからだ。

 それに俺自身、どんな答えを望んでいるのかも、わからなかった。

「…あいは、シンが好きなんやなぁ」

 ぼそりと呟いた俺にあいは笑った。

 本当にそう感じたから、だからこそ。あいが男に貢いでるなんて余計に信じられなかった。

 その相手がシンじゃないことだけは、確かだからだ。


 その相手はあいにとって、シンよりも大事な存在なんだろうか。

 だけどそれは俺が勝手に秤にかけていいことではないんだ。

 例えば俺にはあるだろうか。自分の体や気持ちに代わるもの。

 こんなことを考えてる時点で俺には、あいの気持ちに口出す権利さえない気がした。



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