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シュガーレス  作者: 長月イチカ
クラスメイト
3/13

*2


「──ラン!」

「あれ、コースケ。まだいたん?」

「人待ち。それよりカズから聞いたぜ、綾瀬心に会うんだって?」

「あー、まぁな」

 さも面白そうに駆け寄ってくるコースケに、視線を向ける。

 コースケとはクラスメイト三年目の仲だ。お調子者で騒がしいヤツだけど、なんだかんだで気が合うのでよく一緒に居る。

 行儀悪く机に腰掛けて、携帯電話を片手にコースケは続けた。

「綾瀬心て実はちょこちょこ目撃情報あってさ。ホラ、目立つらしいじゃん? 俺会ったことも見たこともないけど。でも教室には来なくても学校には毎日来てるって噂だぜ」

「へぇ? まぁ有名人やし、来てたら目につきそうやけどな」

「目撃されてるのってだいたいケンカしてる時らしいから、せいぜい気を付けろよ」

 にやりと楽しそうにアドバイスを残し、机から飛び降りて「じゃーなー」と教室を後にする。

 その背中を見送りながら苦笑いを漏らした。所詮みんな、他人事なのだ。

 それからため息をひとつこぼし、のろのろと動き出す。

 タイミングを計りかねて教室で時間を潰していたけれど、これ以上は時間の無駄だと気付いていた。

 今更ながら厄介なことに巻き込まれたんだなと思いながら、屋上に足を向けた。


 屋上へと続く階段の踊り場はひやりとしている。春先の空気はまだどこか涼しい。

 今更だけど、屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ? まぁ教師である笹井自身が黙認しているみたいだから、いいか。

 さすがにほんの少しドアを開けるのに躊躇し、だけど次の瞬間にはドアノブに手をかけ力を込めた。

 少し錆びた重たいドアを、勢いに任せて押し開ける。

 チリリン、と小さな鈴の音に驚き意識と視線が奪われた。

 ドアの外側に小さな鈴のストラップが引っ掛けてあって、それを確認した瞬間、綾瀬がいつもここにいるという確信と、噂を思い起こさせた。


「─―…だれ?」

 耳に届いた女の子の声に視線を向ける。その先に目当ての人物がいた。

 黒い長い髪が、風に遊ばれるようになびいていた。その隙間から見え隠れする瞳が、まっすぐ自分を射る。

 ドアノブを持つ手の感覚が、ゆっくりと消えていくのを感じた。

 噂の人物はそれを聞く者にとって、どこか一線向こう側の存在だった。だからこそ皆、興味をひかれ口にするのだ。少なくとも俺は教室で、そう感じていた。

 教室の中で背中しか見えない〝神崎あい〟は、噂をまとったただの虚像のようだった。

 噂が形を持っただけで、まるでそこには存在していないように感じていた。

 ──だから。

 俺はその時はじめて、神崎あいという噂ではなく人物に、会った。

 教室では決して交わることの無かったその関係が、急速に現実味を帯びこの瞬間を特別にした。

 言葉を発する様子を見せない俺に、神崎も無言で埃を払いながら立ち上がる。


 力の抜けた手の平からドアノブが離れ、重いドアが鈍い音をたてて閉まった時。神崎の向こう側からもうひとりの噂の人物が現れた。

 綾瀬心だ。

 噂の金色の髪が、風の中に光の道を作るように翻っている。噂にひけをとらない端整な顔立ちで、思っていたよりもずっと童顔なのに少なからず驚いた。暴力が似合わない顔立ちだった。

「…あいの客?」

「まさか。シンちゃんにじゃない?」

「それこそないでしょ。ケンカ売りにきたようには見えないし」

 そんな会話をした後、ふたりに同時に視線を向けられる。その視線を受けた俺はたじろぎながら、ようやく口を開いた。

「…あー、俺は、坂城嵐。おまえらのクラスメイトなんやけど」

「サカキラン…て、シンちゃんあれだ、噂の学年トップ」

「噂なんか興味ないから知らない」

「関西弁と眼鏡がチャームポイントなんだよ。標準語も使い分け可能なんだって」

「なにソレ、バイリンガル?」

「あ、あは。たしかに」

 自分の話を自分には理解できない観点で話すふたりを見て、キツネにつままれたような気持ちになる。

 ほらみたことかと思った。

 毎日同じ教室で同じ授業を受けていても、神崎にとって周りはみんなどうでもいいのだ。噂は耳にしても、興味がなかったらそこで終わり。噂なんて、そんなものなんだ。


 神崎あいが笑っていた。普通の女の子だった。

 綾瀬心はやっぱり生身の人間だったし、噂の2割も凶暴には見えなかった。

 こうして見ると、自分とクラスメイト達と何が違うのかわからなかった。

「で、その学年トップが何の用?」

「あー、コレ、綾瀬に渡すよう、頼まれたん」

 言って、ペラリと紙キレを一枚差し出す。綾瀬はそれを一瞥し、受け取った直後に破り捨てた。

 意外と細かく破られた進路調査票が目の前で空に舞い上がる。白い残像を空に刻む。

 それを無意識に目で追い、綺麗だ、と思った。

「シンちゃん、後でちゃんと拾いなね」

 すかさず隣りからつっこまれて、綾瀬が無表情のまま舌打ちする音が聞こえた。


 噂の神崎あいと綾瀬心が一緒にいるところを、この目で見てみたかった。

 強引に作られた機会とほんの少しの好奇心に動かされて。

 学校内には退屈で不変的な毎日を、どうにか面白く過ごそうとする生徒たちによって作られた、心ない噂が満ちている。

 俺の噂も、その中に入っていた。

 学年トップで、運動もそこそこ出来て、自分で言うのもナンだが女の子には好かれる顔立ちで。それから上手く世渡りする処世術も心得ていた。

 たくさんの他人と噂が坂城嵐という人間を確立させ、自らそれに応じてきた。それで今まで、上手くやってきていたし、別に不満はなかったはずだった。

 そこになんのためらいもなく、そうして今まで、過ごしてきたのだ。


 そうか、と思う。未だ視線は空に釘付けられたまま。

 羨ましかったのかもしれない。本当は。

 …会いたかったんだ、本当は。噂じゃなくて…噂なんかじゃなくて。ただの、クラスメイトに。

 関わりを持った。意図的であってもなくても顔を知り、いまここにいるということを、認識した。俺の中に、確実に。

 例え一時でもこの瞬間を共有している。

 俺の(なか)でこの出会いが、意味を持とうとしている。

「坂城はまだなにか?」

「…ランでええよ、みんなそう呼ぶ」

「ヤだよそんな親しそうな呼び方。呼び方ぐらい自分で決める。それにどうせもう会わないだろ。今後、こーゆー提出物はあいに渡してくれればいい」

 それ以上の関わりを許さない冷めた瞳と物言いで言われ、隣りの神崎に視線を向ける。

 神崎は俺の視線を受け、わずかに笑って頷いた。

「坂城くん、先生に無理強いされたんでしょ? 今後はわたしの机に置いといてくれていいよ」

 こちらにも直接的な関わりを拒否され、俺はそうはいくかと笑った。

「──あい、シン」

 得意の笑みに、宣戦布告を忍ばせて。

 揃って目を丸くするふたりに、少し可笑しそうに笑って。

「また来るよ。おまえらに会いに、また来る」

 興味が湧いた。ただそれだけだ。

 少しずつ赤くなる、夕暮れの空が綺麗だった。

 だから少しだけ胸が熱くなったんだ。

 綾瀬心は噂に違わぬ美少年だったし、神崎あいは笑った顔がかわいかった。

 そしてそれは、決してあの教室で見られないものならば。

 周りを隔絶し、関わりを断ち、そうして過ごしてきたふたりに。

 名前を呼ばせてやると、そう思った。


 出会いを経て関わりを望んだ俺は。

 この先のことなど、想像もできずに。



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