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「──ラン!」
「あれ、コースケ。まだいたん?」
「人待ち。それよりカズから聞いたぜ、綾瀬心に会うんだって?」
「あー、まぁな」
さも面白そうに駆け寄ってくるコースケに、視線を向ける。
コースケとはクラスメイト三年目の仲だ。お調子者で騒がしいヤツだけど、なんだかんだで気が合うのでよく一緒に居る。
行儀悪く机に腰掛けて、携帯電話を片手にコースケは続けた。
「綾瀬心て実はちょこちょこ目撃情報あってさ。ホラ、目立つらしいじゃん? 俺会ったことも見たこともないけど。でも教室には来なくても学校には毎日来てるって噂だぜ」
「へぇ? まぁ有名人やし、来てたら目につきそうやけどな」
「目撃されてるのってだいたいケンカしてる時らしいから、せいぜい気を付けろよ」
にやりと楽しそうにアドバイスを残し、机から飛び降りて「じゃーなー」と教室を後にする。
その背中を見送りながら苦笑いを漏らした。所詮みんな、他人事なのだ。
それからため息をひとつこぼし、のろのろと動き出す。
タイミングを計りかねて教室で時間を潰していたけれど、これ以上は時間の無駄だと気付いていた。
今更ながら厄介なことに巻き込まれたんだなと思いながら、屋上に足を向けた。
屋上へと続く階段の踊り場はひやりとしている。春先の空気はまだどこか涼しい。
今更だけど、屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ? まぁ教師である笹井自身が黙認しているみたいだから、いいか。
さすがにほんの少しドアを開けるのに躊躇し、だけど次の瞬間にはドアノブに手をかけ力を込めた。
少し錆びた重たいドアを、勢いに任せて押し開ける。
チリリン、と小さな鈴の音に驚き意識と視線が奪われた。
ドアの外側に小さな鈴のストラップが引っ掛けてあって、それを確認した瞬間、綾瀬がいつもここにいるという確信と、噂を思い起こさせた。
「─―…だれ?」
耳に届いた女の子の声に視線を向ける。その先に目当ての人物がいた。
黒い長い髪が、風に遊ばれるようになびいていた。その隙間から見え隠れする瞳が、まっすぐ自分を射る。
ドアノブを持つ手の感覚が、ゆっくりと消えていくのを感じた。
噂の人物はそれを聞く者にとって、どこか一線向こう側の存在だった。だからこそ皆、興味をひかれ口にするのだ。少なくとも俺は教室で、そう感じていた。
教室の中で背中しか見えない〝神崎あい〟は、噂をまとったただの虚像のようだった。
噂が形を持っただけで、まるでそこには存在していないように感じていた。
──だから。
俺はその時はじめて、神崎あいという噂ではなく人物に、会った。
教室では決して交わることの無かったその関係が、急速に現実味を帯びこの瞬間を特別にした。
言葉を発する様子を見せない俺に、神崎も無言で埃を払いながら立ち上がる。
力の抜けた手の平からドアノブが離れ、重いドアが鈍い音をたてて閉まった時。神崎の向こう側からもうひとりの噂の人物が現れた。
綾瀬心だ。
噂の金色の髪が、風の中に光の道を作るように翻っている。噂にひけをとらない端整な顔立ちで、思っていたよりもずっと童顔なのに少なからず驚いた。暴力が似合わない顔立ちだった。
「…あいの客?」
「まさか。シンちゃんにじゃない?」
「それこそないでしょ。ケンカ売りにきたようには見えないし」
そんな会話をした後、ふたりに同時に視線を向けられる。その視線を受けた俺はたじろぎながら、ようやく口を開いた。
「…あー、俺は、坂城嵐。おまえらのクラスメイトなんやけど」
「サカキラン…て、シンちゃんあれだ、噂の学年トップ」
「噂なんか興味ないから知らない」
「関西弁と眼鏡がチャームポイントなんだよ。標準語も使い分け可能なんだって」
「なにソレ、バイリンガル?」
「あ、あは。たしかに」
自分の話を自分には理解できない観点で話すふたりを見て、キツネにつままれたような気持ちになる。
ほらみたことかと思った。
毎日同じ教室で同じ授業を受けていても、神崎にとって周りはみんなどうでもいいのだ。噂は耳にしても、興味がなかったらそこで終わり。噂なんて、そんなものなんだ。
神崎あいが笑っていた。普通の女の子だった。
綾瀬心はやっぱり生身の人間だったし、噂の2割も凶暴には見えなかった。
こうして見ると、自分とクラスメイト達と何が違うのかわからなかった。
「で、その学年トップが何の用?」
「あー、コレ、綾瀬に渡すよう、頼まれたん」
言って、ペラリと紙キレを一枚差し出す。綾瀬はそれを一瞥し、受け取った直後に破り捨てた。
意外と細かく破られた進路調査票が目の前で空に舞い上がる。白い残像を空に刻む。
それを無意識に目で追い、綺麗だ、と思った。
「シンちゃん、後でちゃんと拾いなね」
すかさず隣りからつっこまれて、綾瀬が無表情のまま舌打ちする音が聞こえた。
噂の神崎あいと綾瀬心が一緒にいるところを、この目で見てみたかった。
強引に作られた機会とほんの少しの好奇心に動かされて。
学校内には退屈で不変的な毎日を、どうにか面白く過ごそうとする生徒たちによって作られた、心ない噂が満ちている。
俺の噂も、その中に入っていた。
学年トップで、運動もそこそこ出来て、自分で言うのもナンだが女の子には好かれる顔立ちで。それから上手く世渡りする処世術も心得ていた。
たくさんの他人と噂が坂城嵐という人間を確立させ、自らそれに応じてきた。それで今まで、上手くやってきていたし、別に不満はなかったはずだった。
そこになんのためらいもなく、そうして今まで、過ごしてきたのだ。
そうか、と思う。未だ視線は空に釘付けられたまま。
羨ましかったのかもしれない。本当は。
…会いたかったんだ、本当は。噂じゃなくて…噂なんかじゃなくて。ただの、クラスメイトに。
関わりを持った。意図的であってもなくても顔を知り、いまここにいるということを、認識した。俺の中に、確実に。
例え一時でもこの瞬間を共有している。
俺の内でこの出会いが、意味を持とうとしている。
「坂城はまだなにか?」
「…ランでええよ、みんなそう呼ぶ」
「ヤだよそんな親しそうな呼び方。呼び方ぐらい自分で決める。それにどうせもう会わないだろ。今後、こーゆー提出物はあいに渡してくれればいい」
それ以上の関わりを許さない冷めた瞳と物言いで言われ、隣りの神崎に視線を向ける。
神崎は俺の視線を受け、わずかに笑って頷いた。
「坂城くん、先生に無理強いされたんでしょ? 今後はわたしの机に置いといてくれていいよ」
こちらにも直接的な関わりを拒否され、俺はそうはいくかと笑った。
「──あい、シン」
得意の笑みに、宣戦布告を忍ばせて。
揃って目を丸くするふたりに、少し可笑しそうに笑って。
「また来るよ。おまえらに会いに、また来る」
興味が湧いた。ただそれだけだ。
少しずつ赤くなる、夕暮れの空が綺麗だった。
だから少しだけ胸が熱くなったんだ。
綾瀬心は噂に違わぬ美少年だったし、神崎あいは笑った顔がかわいかった。
そしてそれは、決してあの教室で見られないものならば。
周りを隔絶し、関わりを断ち、そうして過ごしてきたふたりに。
名前を呼ばせてやると、そう思った。
出会いを経て関わりを望んだ俺は。
この先のことなど、想像もできずに。




