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お母さんに捨てられた日。
わたしはこの世界に必要ない人間なんだと思った。
毎日そう言われたけれど、その日その言葉が真実だったことを知った。
だけどわたしは捨てられたその日に、小さな神さまに出逢うことができた。
キラキラと金色の髪が輝いて、わたしがそれまで見てきた中で、なによりも綺麗で。
その存在を、疑うことなく。ただ胸がいっぱいになったのを今でも覚えてる。
いつ居なくなってもいいと思っていたわたしに生きる意味を与えてくれたのは、シンちゃんだった。
それからお母さんがもう一度迎えに来てくれた時、わたしはシンちゃんが本当に神さまなんだと思ったの。
迎えにきてくれたお母さんは今まで見たことないくらいにこにこした顔で、わたしの手の平に飴玉をひとつ、乗せてくれた。
それはキラキラ日の光に輝いて、この世のものとは思えないくらい、素敵なものに思えた。
そして思った。だから、決めた。
お母さんと、それから。シンちゃんの為に生きてゆこうと。
わたしはあの場所で、宝物を見つけることができた。
生きていく理由を、見つけたの。
あの場所から、シンちゃんの側から離れるのはとても哀しかったけれど、きっとまた会える気がした。
お母さんはわたしの手をひきながら、嬉しそうに言う。
『あい、あなたのお父さんになる人がね、あなたのことを、気に入った、て。良かったわね、あい。お母さんも嬉しいわ。お義父さんの役に立てるのよ、あいも嬉しいでしょう?』
そのお義父さんのおかげでわたしは今ここにいるんだと理解した。
だから、わたしに差し出せるものがあるなら、すべて差し出そうと思った。
わたしがお母さんを幸せにすることはできなかったけれど、お母さんのこんな笑顔を見るのは初めてで、それがお義父さんのおかげだと分かったから。
そしてお母さんは、お母さんをいつも泣かせてばかりだったわたしを、愛してると言ってくれた。
その言葉だけでわたしは十分だった。
わたしにはそれが真実であるかは関係なかった。
わたしもお母さんを愛していて、そしてお母さんがわたしを必要としてくれた。それだけが確かであれば、わたしはそれで、しあわせだったから。
それにどんなに嫌なことがあっても、学校に行けばシンちゃんが居てくれた。
シンちゃんがわたしを、優しく抱き締めてくれた。
シンちゃんの存在は、まるで奇跡みたいだった。
夜は嫌いだった。だけどシンちゃんと眠る夜は好き。
シンちゃんとのその行為は、まるで儀式のよう。
触れたところが熱を帯びて、わたしという輪郭が浮かび上がる。
御伽噺で神様がアダムとイヴを作ったように、わたしはシンちゃんの手から生まれ変わることができる。
何度も、何度でも。
シンちゃんといる時だけ、わたしがわたしであることを感じることができた。
だけどわたしが帰る場所は、楽園じゃない。アダムとイヴは神様に見捨てられてしまうのだから。
いつかわたしも、シンちゃんに見捨てられてしまわないか…それがとても、不安だった。
わたしの分まで傷ついてしまう、優しいシンちゃん。
シンちゃんを傷つけているのは、ほかの誰でもない、わたしだった。
そして坂城くんが、わたし達の前に現れた。
わたしとは違う世界の人だと思った。
坂城くんの周りにはいつもたくさん人が溢れていて、光の中で笑う人。
坂城くんはなぜかわたし達に興味を持ったようで、頻繁に屋上に顔を出すようになった。
わたしやシンちゃんに声をかけるようになり、いつの間にか一緒に居るようになった。
不思議とわたしは、嫌じゃなかった。
シンちゃんが坂城くんをいつの間にか下の名前で呼ぶようになっていて、とても嬉しく感じた。
シンちゃんは最初は警戒していたようだけれど、ふたり一緒に怪我をした次から、ふたりの間に流れる空気が変わっていた。わたしはとても、嬉しかったんだ。
そして、あの日。
坂城くんに間違っているよと言われた日。
それは初めて言葉に、形になり。
わたしは静かに終わりを思った。
きっとシンちゃんは、決してそれを口にしないから。
だけどきっとわたし達には、それが、必要だったんだ。
その言葉が。
ずっと長い間わたしはシンちゃんを縛りつけていた。
その優しさに甘えて、すがって…だけど、解放してあげられる日が、やっと来たんだ。
お母さんはあの日と同じように笑って、わたしを愛してると言ってくれたけれど。
わたしはあの頃よりは少しだけ大人になり、ほんとうの愛情を、想いを知っていた。
気付いてしまった。知ってしまった。
シンちゃんの温もりを、坂城くんの流した涙を。
お母さんの言葉に、目の前のお母さんに愛を感じることは、もうできなかった。
とても哀しかったけれど、お母さんはわたしが居なくても生きていくことができるし、お母さんが見ているのは、わたしじゃない。
わたしももう簡単に自分を投げ出すことをするのは、やめようと思えた。
それですべてを失っても、それがすべてではないことを、わたしはもう知っていたから。
シンちゃんはずっと傍にいてくれた。坂城くんは真実の為に涙を流してくれた。
終わりを迎える日が、とうとう来たんだ。
だけどわたしの帰る場所にシンちゃんは居てくれた。坂城くんも笑ってくれた。
夢ではなく現実で、歩き出す日が来たんだ。
今でも時々夢を見て、体中の痛みに飛び起きる夜がある。
押さえ付けられる恐怖の錯覚に息ができなくなり、目が覚める夜がある。
だけどそこはもうあの家ではなかった。
すぐ隣りの部屋のシンちゃんが、わたしの小さな気配にも敏感に反応し部屋のドアを開けて顔を見にきてくれる。汗ばんだ手を握り、わたしが眠るまで傍にいてくれる。
わたしはいつもシンちゃんのこの手に、たくさんのものを教えてもらってきた。
シンちゃんはやっぱり、わたしにとって神さまだった。
だけど神さまだとまだ遠くて、置いて行かれる恐怖に胸が震えるから。
できれば、隣りがいい。永遠よりずっと、近くがいい。
そしていつかその周りには、たくさんのひとが、笑顔が溢れていたなら。
その願いは、わたしひとりでは叶わないけれど。
ひとりではないことを、わたしは知っているから。
今度はそれを、糧にする。
***
久しぶりの学校は、何も変わらないはずなのに、何かが違う気がした。
それはやっぱり、気持ちひとつなのだろうけど。
「おー、来た来た、あい!」
お昼から学校に来ると伝えていたので、お昼休みいつもの屋上に坂城くんとシンちゃんはいた。
坂城くんとシンちゃんがふたりでいる光景もだいぶ馴染んできた気がする。それを見るとわたしは、嬉しくなる。
「ふたりともお昼は?」
「今から。あいと一緒に食べよ思てな」
坂城くん特有の人懐っこい笑顔に促されるまま、今やっと気付いた机に座らされ、首を傾げる。何も考えずに座ってしまったけれど。
「…この机と椅子は…?」
「空き教室からテキトーに拝借してきた」
悪びれなく笑った坂城くんの後ろからシンちゃんが現れ、その意外な組合せにただ驚いて言葉を失う。
ワンホール丸ごとひとつの、売物にしては若干大きさや形に違和感のあるそれは、おそらく手作りの。ショートケーキを持ったシンちゃんが、そこにいた。
シンちゃんは表情ひとつ変えずそれをわたしの目の前に置き
「15さい、おめでと。あい」
といつもの調子で言って触れるだけのキスをくれた。
いつものキスとは、どこか違う。どこがだろう。ううんそれよりも。
「っあーー! シン、お前何してんねん!」
「ボクはボクのしたいことしてるだけですが?」
「いや、だってお前ら家族になったんやし、いや問題はそこやなくて…!」
楽しそうにケンカをするふたりをよそに、わたしの手はフォークを取っていた。
それから目の前のケーキを一口すくい、口に運んでいた。
「って、コラあい! まだローソクが…っ」
止める坂城くんの言葉を無視して、わたしは二口、三口とケーキを口に運ぶ。
ケーキの味は、正直言ってよくわからなかった。
生クリームと、苺と、スポンジケーキ。甘いのかな、これは。
よく、わからないの。嫌いだったはずなのに。
「……あい…?」
そして涙が、落ちた。
シンちゃんと坂城くんが驚いた表情を浮かべ、それから仕方なさそうに笑ってる。
わたしは感想もお礼も言えず、泣き続けた。
なんだやっぱり少し、しょっぱいや。でも、甘い。甘く溶けてきっと涙腺まで溶けちゃって。
わたしは15さいになった。
ずっとこれが、欲しかった。




