籠の日
籠の日までの三日間、俺はほとんど鍵の間にいた。
百八の鍵穴を、ネリスに一つずつ教わる。この鍵穴は第二層の落とし格子、こっちは第四層の武具庫の扉、その隣は罠の部屋の壁。手を当てれば鍵は作れるが、作るたびに魔力を使う。使い道の決まっていない鍵を片っ端から作って倒れるわけにはいかないので、今は読むだけにした。読むだけでも、錠前師には一日じゅう飽きない部屋だった。
ネリスの覚えている要塞の地図では、第二層の奥は兵の倉だった。看守長が囚人を近づけない場所だ。ガロに聞くと、看守長は籠の日にときどき自分で下りてきて、看守を連れてそこへ入っていくという。
「何があるかは知らねえ。覗こうとした奴が、籠を三度止められた」
ガロはそう言って、溝の水を椀ですくって飲んだ。この三日で、溜まりの誰も腹を下さなくなった。
夜になると、俺が下り通路の隔壁扉を下ろし、朝に上げる。それが、この三日で溜まりの決まりになった。割れ目の群れは、あの晩から一度も上がってきていない。
◇
八日目の朝、上の闇から、鎖の軋む音が下りてきた。
昇降籠だ。鉄の格子で編んだ大きな籠が、太い鎖に吊られて、溜まりの端の縦穴をゆっくり下りてくる。中に人影が四つと、麻袋がいくつか。
籠が床に着くと、看守の一人が内側から籠の扉の錠を開け、麻袋を外へ放り出して、抜いた鍵を籠の真ん中の柱の釘に掛けた。それから看守が三人と、赤ら顔の太った男が出てきた。看守長のバルツだ。一日目に、俺の鉄の輪を「墓標の代わりだ」と放ってよこした男。
バルツは籠を降りるなり、足を止めた。
明るい天井を見上げ、壁際の溝の水音に首を回し、それからもう一度天井を見た。
「……なんだ、こりゃ」
誰も答えなかった。溜まりの百二十人が、黙って看守長を見ている。
「誰がやった。おい、誰がやったと聞いてる」
やはり、誰も答えない。ガロは腕を組んで、天井の灯りを眺めていた。俺は溜まりの奥で、ネリスと並んで座っていた。ネリスには上着を頭からかぶってもらっている。囚人の一人に見える、とは言いにくいが、少なくとも人形には見えない。
バルツは舌打ちをして、看守の二人に顎をしゃくった。
「先に倉だ。お前はここで魔石を買っとけ」
バルツは懐から折りたたんだ紙を取り出し、看守二人に角灯を持たせて、溜まりの奥の通路へ消えていった。第二層の奥へ向かう道だ。
残った看守が、籠の前に木の台を置いた。囚人たちが一列に並ぶ。先頭のガロが、割れ目の夜に獲った魔石を十四個、台の上に並べた。
「一個、銅貨三十枚」
看守が言って、銅貨の袋を開けかけた。
そのとき、通路の奥からバルツが戻ってきた。早い。倉まで行って戻るには短すぎる。顔の赤みが少し引いて、角灯を持った看守たちも、しきりに後ろを振り返っている。
第二層の奥へ向かう途中には、第三層へ下りる階段の口がある。灯りのついた階段を下りれば、第三層の通路はまっすぐ大隔壁へ続いている。三百年閉じていた扉は、開いたままだ。その向こうの通路の白い光も、階段の口から見えるだろう。
バルツは何も言わずに台の前に立ち、魔石を一つつまみ上げた。
「三十枚だ。文句はねえな」
「外の相場は、銀貨一枚です」
俺は立ち上がって言った。列に並んでいた囚人たちが振り返る。
バルツが、目を細めて俺を見た。それから、口の端を吊り上げた。
「ああ、泥棒の錠前屋か。生きてたのか」
「おかげさまで。魔石の値段の話です。下町の魔石屋なら、この大きさで銀貨一枚を切ったことはありません」
「ここは下町じゃねえ」
バルツは魔石を台に放った。
「嫌なら籠を上げる。来週まで食い物はなしだ。屑どもが干からびようが、俺の知ったことか」
「そんなの、ずっとそうじゃないか!」
列の後ろから、ミロが叫んだ。
「毎週毎週、足りねえパンしか下ろさねえで、魔石は三十枚で――」
看守が台を回りこんで、ミロの腹を蹴った。ミロが床に転がって、体を丸める。ガロが一歩踏み出しかけて、止まった。ここで看守に手を出せば、籠が止まる。溜まりの全員が、それを知っている。
バルツは、蹴られたミロを見下ろして笑った。
「籠の日に口をきいていいのは、魔石だけだ」
俺は、籠のほうへ歩いた。
看守は四人とも、籠の外に出ている。籠の格子の扉は開いたままで、錠がついている。籠の鍵は、真ん中の柱の釘に掛かっていた。囚人に奪われないよう、看守は籠の鍵を体に持たずに下りてくるのが決まりなのだと、あとでガロが教えてくれた。上の看守所に合図を送るための鐘の紐も、籠の中に垂れている。
籠の扉の錠に、手を当てる。看守所の錠前師が十年は前に取り付けた、ありふれたレバー錠だった。三つ数えるまでもない。
扉を閉めて、鍵を回した。
かちゃり、という音が、静かな溜まりにやけによく響いた。
「……おい」
バルツが振り返った。看守たちも振り返った。俺は籠の前に立って、鉄色の鍵を見せた。
「籠の錠、閉めておきました」
バルツの顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。籠の扉を引く。開かない。籠の鍵も鐘の紐も、格子の向こうだ。看守の一人が格子の間から腕を突っこんだが、柱の釘には指先も届かなかった。看守所の連中は、合図がなければ籠を引き上げない。
「開けろ。今すぐ開けろ」
「開けます。今日の魔石を、外の相場で買ってもらえたら」
「ふざけるな、屑が! 看守に手を出したらどうなるか――」
「手は出してません。籠に鍵をかけただけです」
バルツが俺の胸ぐらに手を伸ばした。その手首を、後ろから白い指がつかんだ。
上着を頭からかぶったままのネリスが、バルツの背後に立っていた。いつ動いたのか、俺にも分からなかった。
「主に、触れないでください」
バルツは振りほどこうとして、腕が少しも動かないことに気づいた。ネリスの顔をのぞきこみ、陶器のような白い頬と、継ぎ目の見える首を見て、目を見開いた。
看守の三人が剣の柄に手をかけたが、抜かなかった。溜まりの百二十人が、黙って立ち上がっていたからだ。
◇
銀貨は、四人の財布を合わせても三枚しかなかった。
だから、証文を書いてもらった。来週の籠の日から、溜まり百二十人に足りるだけの黒パンと麦を下ろすこと。魔石は一個銀貨一枚で買うこと。払えない分は、黒パンで払うこと。看守長バルツの署名入りで。
ローデリヒが文面を読み上げて確かめ、ガロが証文をたたんで懐に入れた。バルツは最後まで、ネリスのほうを見ないようにしていた。
下ろされた麻袋は、溜まりに置いていかせた。俺は籠の錠を開けた。看守たちが転がるように籠へ乗りこみ、誰かが鐘の紐を三度引いた。鎖が軋み、籠が上がりはじめる。
蹴られたミロは、溜まりの若いのに支えられて座っていた。腹を押さえているが、骨は折れていないらしい。上がっていく籠を見上げて、ミロは小さく言った。
「……ざまあみろ」
籠が縦穴の闇に消えかけたところで、格子の間から、バルツの声が降ってきた。
「錠前屋」
さっきまでの怒鳴り声ではなかった。かすれた、低い声だった。
「お前……大隔壁に、何をした」




