開ける錠と、閉めておく錠
ネリスの言ったとおり、鍵の間の扉の前の通路に、ガロたちが立っていた。
手下が十人あまり。手にはそれぞれ、溜まりの棒や、石を砕いて尖らせた刃を握っている。昨夜の大隔壁の前では見物人だった顔が、今は硬い。ガロだけが手ぶらで、一歩前に出ていた。
「錠前屋」
ガロが俺を呼んだ。新入り、ではなかった。
「門を開けろ」
通路の天井の魔石灯が、ガロの半分しかない右耳を白く照らしている。
「開けられるんだろ。三百年の扉を開けた奴が、上の門を開けられねえはずがねえ。看守所には看守が二十人もいねえ。こっちは百二十だ。全員で出る」
手下たちが、棒を握り直した。後ろのほうにミロがいた。誰かに連れてこられたのか、自分で来たのか、困ったような顔でガロと俺を見比べている。
ネリスが、俺の前に出た。
「主に刃物を向けるのですね」
「なんだ、この人形――」
手下の一人が言い終わる前に、ネリスはその男の前にいた。歩いたようには見えなかった。男の棒をつかんで、膝の上で折る。乾いた音が二つ、三つと続いて、気がつくと三人の手から棒がなくなっていた。
ガロが吠えて殴りかかった。元傭兵の、迷いのない拳だった。ネリスはそれを手のひらで受け、そのままガロの手首を握った。ガロの顔が歪み、膝が石の床に落ちる。
「ネリス、錆び付かせないで」
「心得ております、主。まだ、錆びておりません」
ネリスはガロの手首を握ったまま、表情を変えずに言った。ガロが歯を食いしばって、ネリスの顔を見上げる。人形の細い指は、大男の腕を少しも震えずに押さえていた。
「放してあげてください」
ネリスが手を離した。ガロは手首をさすりながら、膝をついたまま俺を見た。
俺は、ガロの前にしゃがんだ。
「門は、開けません」
「……なんでだ」
「祖父の言葉です。錠は、閉めておくべきものもある」
ガロの目が細くなった。俺は続けた。
「グラウには、本当に人を殺した人もいれば、俺みたいに濡れ衣の人もいるんでしょう。俺には、どっちがどっちか見分けられません。見分けられないまま全員を外へ出したら、それは錠前師の仕事じゃない。それに、俺は泥棒の名のまま外へ出るつもりはありません」
「じゃあ、ここで飢えて死ねってのか」
「いいえ」
俺は振り返って、鍵の間の壁を見た。百八の鍵穴。
「門じゃないものなら、開けられます」
◇
ネリスは、壁の鍵穴を一つずつ指で示していった。
「こちらが、上の三つの層への水門。地下の川から引いた水を、要塞の水路に流します。こちらが、上の三つの層の灯り。三百年前には、兵の詰所も、倉も、通路も、すべてこの鍵で明るくなりました」
水門の鍵穴は黒鉄で、灯りの鍵穴は真鍮だった。どちらも、大隔壁の錠に比べれば素直な作りだ。一晩眠って、手の冷たさはだいぶ戻っている。
黒鉄の鍵穴に指を入れて、三つ数える。鍵ができる。真鍮の鍵穴にも、三つ数える。
二本を差して、順に回した。
壁の奥で、水の流れる音がした。遠くで、何かの栓が抜けるような音。それきり、鍵の間の中では何も起きなかった。
「……何も起きねえぞ」
手下の一人が言った。ネリスが、ふっと天井を見上げた。
「上の層で、大勢が叫んでおります」
ガロの手下たちが顔を見合わせた。ネリスは首を傾け、もう少し耳を澄ましてから言い足した。
「……悲鳴ではございません。喜んでいる声です」
◇
溜まりに戻ると、広間が明るかった。
三百年、光苔の青しか知らなかった天井に、丸い魔石灯がいくつも灯っていた。白い光が、ぼろ布の寝床も、壁の染みも、囚人たちの痩せた顔も、全部はっきりと照らしている。眩しさに目を細めている者が何人もいた。
そして、広間の壁際から、水の音がしていた。
壁の下のほうに、石を組んだ古い溝がある。ずっと乾いて、ごみ捨て場になっていた溝だ。そこを、澄んだ水が流れていた。溝の端の石の口から、細い滝のように落ちてくる。冷たい、透明な水だった。
一人の囚人が、溝のそばに膝をついて、両手で水をすくっていた。じっと手の中の水を見て、それからゆっくり口へ運ぶ。飲んで、もう一度すくって、また飲んで、そのまま肩を震わせた。
濁った水桶の水で、毎日誰かが腹を下していたのだと、あとでミロが教えてくれた。年寄りから先に死んでいくのだと。
ガロの手下たちが、棒を手にしたまま溝の前で立ち尽くしていた。そのうちの一人が棒を放り出して、水に顔を突っこんだ。誰かが笑い、誰かが泣き、溜まりじゅうの囚人が溝のまわりに集まってきた。
ローデリヒが、杖をついて俺の隣に立った。
「二十二年じゃ」
老人は、溝のまわりの人だかりを見ていた。
「二十二年、ここで暮らして、この顔を一度も見たことがなかったわ」
ガロは、少し離れたところで、明るくなった天井を見上げていた。ネリスに握られた手首が、まだ赤い。やがてこちらへ歩いてきて、俺の前で止まった。
「錠前屋」
「はい」
「……門のことは、もう言わねえ」
それだけ言って、ガロは溝のほうへ歩いていった。途中で振り返って、手下たちに怒鳴る。
「桶を洗え! 濁った水は全部捨てろ! 年寄りから先に飲ませろ!」
人だかりの中から、ミロが小走りに出てきた。両手で、布にくるんだ何かを差し出す。
「これ、昨日の。錠前屋さんの分」
大隔壁の前で預かってもらっていた黒パンだった。丸一日たって石みたいに固くなっていたけれど、ミロはそれを一口もかじらずに持っていたらしい。開くほうに賭けたのはミロ一人で、賭けの黒パン半分は、ちゃんと取り立てたそうだ。
固いパンを溝の水にひたして食べた。グラウに来て初めて、ちゃんと腹に物が入った気がした。
夕方には、俺の寝床が溜まりの一番いい場所、ローデリヒの寝床の隣の、光苔と灯りの両方が当たる壁際に移されていた。ミロとガロの手下が運んでくれたらしい。ネリスがそのぼろ布の寝床を、軍隊式にきっちりと整え直していた。それを見たミロが、こっそり笑っていた。
夜、灯りの下で、ガロが俺の寝床の前に腰を下ろした。
「錠前屋。四日後は籠の日だ」
ガロは、明るい天井と、澄んだ水の流れる溝を顎で示した。
「看守どもがこの水と灯りを見たら、どうする」




