あの錠前屋の言ったこと(ヴァイスラーside)
出入り帳の今年の欄には、十三の行がある。
十二の行には、私の署名と、出し入れした品の名と、立ち会った書記の名が並んでいる。十三行目には、赤い墨で「賊による侵入、品目別紙」とだけ書かれている。別紙の一覧は四枚、品は四十一点、見積もって金貨三百二十枚。私が書いた一覧だ。
王宮の宝物庫長の執務室で、私はその頁を開いたまま、右手の指輪を一つずつ回していた。考え事をするときの癖だ。妻には品がないと言われるが、三つの指輪の石は、どれも私が宝石商の盆から選び抜いたものだ。
四日前の裁きは、手際よく片付いた。
宮内卿エッカルト伯爵は、王が戻る前に事件を閉じたがっていた。私は伯爵に、閉じるための材料を揃えて差し出しただけだ。壊されていない錠。鍵束を持った若い男を見たという夜番。そして《合鍵》という、泥棒のために神が作ったようなスキルの持ち主。夜番には、家令のホルストが銀貨五枚を握らせた。安い買い物だった。
盗まれたことにした四十一点のうち、まだ売れていない二十三点は、グラウ迷宮牢の第二層の倉にある。看守長のバルツに金貨二十枚を払って預けた。迷宮牢には、看守しか出入りしない。宮内府の役人も財務院の監査官も、あの穴の中を検めたことは一度もない。王都でいちばん人目のない倉だ。来月の船で海向こうの商人が来れば、二十三点は金貨百八十枚ほどに変わる。
六年前に始めたことだった。子爵家の借金が、私の年の収入の十年分を超えたとき、宝物庫の奥の、誰も目録を確かめない棚に気づいた。夜に一人で扉を開け、一つ持ち出し、海向こうの商人に渡す。帳には書かない。それを六年続けて、子爵家は借金を返し、妻は新しい馬車を買い、娘は伯爵家に嫁いだ。
そこへ、王の帰還に合わせた財務院の監査が決まった。十年に一度の監査だ。宝物庫の現物と目録を一つずつ突き合わせれば、六年分の穴が出る。
ならば、穴を盗人のせいにすればいい。
計画は単純で、そして、うまくいった。錠前屋は終身の迷宮牢に落ち、宝物庫の穴は賊の仕業になった。百年、誰も戻らなかった穴の底で、あの錠前屋は泥棒として朽ちていく。
――そこまで考えて、私の指は、また二つ目の指輪のところで止まった。
「俺が開ける前の目盛りは、四十三でした」
あの錠前屋の声が、耳の奥に残っている。
裁きの場で、宮内卿の命じるまま宝物庫の錠を開けてみせた後、あの男は扉を閉め、こちらを向いてそう言った。刻み車とかいう歯車が、錠の底で今年に入ってからの回数を数えているのだと。帳面にない開け方が三十回ある、とも。
私は笑った。宮内卿も取り上げなかった。書記に書き留めさせもしなかった。
しかし、四十三という数は、どこから出てきたのか。
私が今年、帳に書かずに扉を開けた回数を、私は数えていない。数えないようにしてきた。十二の行と、十三行目の夜と、それ以外の夜。それ以外の夜の数を足すと、ちょうど四十三になるのかどうか、私には分からない。分からないということが、ひどく気に障った。
私は首から下げた鎖を、上着の上から指でなぞった。宝物庫の正規の鍵は、この十年、片時も体から離したことがない。
錠の底に歯車がある。本当にそんなものがあるのなら、私は十年、一度も聞かされずにその錠を預かってきたことになる。
執務室の脇の小扉から、家令のホルストが入ってきた。屋敷からの使いのふりをして、日に一度ここへ顔を出す。
「旦那様。グラウの看守長から言伝です。倉の品は変わりなく、と。それから、預かり賃をもう金貨五枚上げてほしいと」
「強欲な男だね」
私は笑った。看守長の口は、金貨で閉まる。閉まり具合が金貨の枚数で分かるのだから、むしろ扱いやすい。
「籠の日にでも、五枚持たせてやりなさい。ただし、品の目録の写しと引き換えにだ。あの男が一点でも抜いていないか、確かめておきたい」
「かしこまりました。次の籠の日は三日後でございます」
「それと、ホルスト。錠前ギルドに知り合いはいるかね」
ホルストは怪訝な顔をした。迷宮牢の倉の錠を、ギルドの錠前店で買ってきたのはこの男だ。
「錠の底で回数を数える歯車、というものが本当にあるのか。それとなく聞いてきてほしい。それとなく、だよ」
「……かしこまりました」
ホルストが下がったあと、私は出入り帳を閉じた。十三の行が、革の表紙の下に隠れる。それで少し気分がよくなった。
◇
扉が叩かれた。
「財務院の監査官、クラリッサ・エーベルと申します。宝物庫長閣下にお目通りを」
入ってきたのは、二十五、六の若い女だった。濃い灰色の上着に、財務卿の印のある書状を挟んだ帳面を抱えている。男爵家の次女だと、あとで調べて分かった。
「王陛下のご帰還の翌日、宝物庫の監査を行います。そのご挨拶と、ご準備のお願いに参りました」
「ご苦労だね。事件のことは聞いているだろう。盗まれた品の一覧なら、宮内府に出してある」
「拝見しました。四十一点、金貨三百二十枚」
女は帳面も見ずに数を言った。
「監査の日までに、今年の出入り帳の写しをいただけますか。それと、宝物庫の扉の錠を検める許しを、陛下に願い出るつもりです。賊がどう開けたのかを、監査の記録に残す必要がありますので」
「錠は、裁きの場で錠前屋が開けてみせたよ。それで十分だろう」
「その錠前師が開けてみせたのは、事件の三日後です。事件の夜の錠とは、別の話です」
私は指輪を回す手を止めた。
「出入り帳の写しは、書記に作らせよう。錠のほうは、陛下のお許しが出たら、ということになるね」
「はい。ありがとうございます」
女は一礼し、扉へ向かった。悪くない。若い監査官が一人、帳簿を見たがっている。それだけのことだ。出入り帳には、十三の行しかない。
扉の取っ手に手をかけたところで、女が振り返った。
「ところで、宝物庫長閣下」
声の調子は、さっきと少しも変わらなかった。
「あの錠前師が裁きの場で言っていた『四十三回』というのは、何の数でしょうね」




