三百年開かずの扉
三日目の朝、俺は下り通路の口の隔壁扉を、自分の鍵で上げた。
鍵を逆に回すと、扉の上の滑車が鎖を巻き取って、鉄の扉がゆっくり持ち上がる。昨夜の群れはもう下の層へ引き返したあとで、通路には石鼠の爪痕だけが白く残っていた。割れ目の魔物は夜にしか上がってこない。それも、大きな群れが出た後の幾晩かは、割れ目が静まりかえるのが常だと、ローデリヒは言った。
一人で行くつもりだったのに、気がつくと後ろに行列ができていた。
杖をついたローデリヒ。棒を担いだガロと手下たち。足首に布を巻いたミロ。そのほか溜まりの囚人が二十人ほど。顔役を閉じ込めて、三百年動かなかった扉を下ろした新入りが、今度は大隔壁に行くという。暇な監獄で、これより面白い見物はないらしい。
第二層を抜け、崩れかけた階段で第三層へ下りる。通路は奥へ行くほど冷たく、湿っていた。そして突き当たりに、それはあった。
壁だと思った。
通路の幅いっぱい、高さは三階建ての家ほどもある、鉄と石の巨大な扉。表面は黒く煤けて、ところどころに破砕の術の焦げ跡が星のように散っている。扉の合わせ目に沿って、胸の高さに錠が七つ、横一列に並んでいた。どれも王家の封印錠。宝物庫の扉のものより一回り大きく、銀の術式の線が錠から扉全体へ、木の根のように広がっている。
扉の周りの岩には、指が入るほどの割れ目が無数に走っていた。昨夜の群れは、ここから這い出してきたのだ。
「お前に開くなら、とっくに誰かが開けてる」
ガロが腕を組んで言った。
「王宮の解錠師が十人、十年かかって、一つも開けられなかった錠じゃ」
ローデリヒが杖で錠を指す。
「合わん道具を差し込むと、中の留め金が落ちる。落ちたら最後、その錠は二度と探れん。解錠師どもは、最初の一年で七つのうち三つの留め金を落としかけて、それきり道具を差しこむのをやめたそうじゃ。残りの九年は、錠を外から眺めて図を描いておっただけよ」
後ろの囚人たちが、ひそひそと賭けを始めた。開くほうに黒パン半分、開かないほうに黒パン一個。開くほうに賭けたのは、ミロ一人だった。
俺は一つ目の錠の前に立った。
「留め金が落ちるのは、合わない道具を入れたときだけですよね」
「そうじゃ」
「合う鍵なら、落ちません」
ローデリヒが何か言いかけて、口を閉じた。ガロは鼻を鳴らして、壁に背中を預けた。
錠に手のひらを当てる。
◇
三つ数える間には、何も見えなかった。
宝物庫の錠とは桁が違う。ピンが二十四本、レバーが七枚。その一枚ごとに封印の術式の筋が絡みついて、鍵の歯の形と、鍵に流す魔力の形が、両方合わないと動かない作りになっている。それでも、祖父が描いてくれた図と骨組みは同じだった。一本ずつ、筋をたどっていく。
一つ目の鍵ができるまで、一刻かかった。
手の中に、俺の手のひらより長い鉄色の鍵が生まれたとき、後ろの囚人たちはもう賭けの話をしていなかった。
二つ目は、一つ目より早かった。三つ目は、さらに早かった。仕組みが分かってくると、手が先に錠の中を知っている。四つ目の途中で、昼の黒パンが配られた。俺は受け取らずに錠に手を当て続け、ミロが俺の分を膝の上で預かっていた。
五つ目のあたりから、指先が冷たくなった。六つ目で、手が震えはじめた。鍵一本ごとに魔力を使う。錠が複雑なほど、たくさん使う。これほど大きな錠を続けて読んだことは、今まで一度もなかった。
七つ目の錠に手を当てたとき、鼻の奥が熱くなって、唇に生ぬるいものが垂れた。
「おい、血が」
ガロの声が遠い。
「大丈夫です。あと少しなので」
袖で鼻を拭って、最後の筋をたどる。レバーの七枚目。術式の最後の結び目。
七本目の鍵が、手の中で重くなった。
気がつくと、通路は松明の明かりだけになっていた。光苔の薄い第三層で、誰かが持ってきた松明が三本、壁に立てかけてある。もう夜だった。見物の囚人は、朝より増えていた。
◇
俺は七本の鍵を、一つ目の錠から順に差していった。
一本目を回す。錠の中で、留め金の外れる重い音。二本目。三本目。松明のはぜる音だけが、通路の壁に返ってくる。
六本目を回したとき、扉の銀の術式の線が、端から順に光を失いはじめた。
七本目を差して、回した。
扉の奥で、何かが動いた。
最初は、地の底から響くような低いうなりだった。それが歯車の噛み合う音に変わり、重い鎖が巻き取られる音が重なる。足元の石が震える。扉の合わせ目に、髪の毛ほどの黒い線が走った。
三百年閉じていた扉が、内側へ動いた。
冷たい風が吹き出してきて、松明の火が一斉に横に倒れた。乾いた、古い匂いがした。開いた扉の向こうに、まっすぐな通路が続いている。真っ暗な、と思った次の瞬間、通路の天井で、ぽつりと白い光がともった。
一つ。少し先にもう一つ。その先にまた一つ。
天井に埋め込まれた丸い魔石灯が、手前から奥へ、順に灯っていく。光は止まらずに通路の奥へ走り、遠い突き当たりまで、一本の白い線になって伸びた。
誰も、何も言わなかった。
ガロの手から、食べかけの黒パンが落ちて、石の床を転がった。ガロはそれを拾わなかった。
ローデリヒが、杖を握ったまま、ゆっくりと膝をついた。白い髭が震えている。若い頃に破砕の術を撃ち込んで、傷ひとつ付けられなかった扉だ。その扉が、自分の目の前で開いている。
「……今の、見たか」
開かないほうに黒パンを賭けていた男が、隣の男の腕をつかんで言った。腕をつかまれた男も、口を開けたまま、通路の奥の光を見ていた。
ミロだけが、預かっていた俺の黒パンを両手で握りしめて、泣きそうな顔で笑っていた。
俺は七本の鍵を錠から抜いて、鉄の輪に通した。輪の鍵は、これで十一本になった。輪がずしりと重い。足元がふらつく。
でも、まだ見たいものがあった。
「奥、見てきます」
「待て、小僧」
ローデリヒの声を背中に聞きながら、光の通路に踏み込んだ。少し遅れて、杖の音とガロの足音がついてくる。
通路は長かった。両側の壁には、ところどころに小さな鍵穴のついた鉄の扉がある。突き当たりに、ひときわ古い木と鉄の扉がひとつ。錠は小さいが、作りは大隔壁の錠と同じ人間の手だと、触れる前から分かった。
最後の力を振り絞って、手を当てた。三つ数える間に、鍵ができた。
扉を押し開ける。
広い、丸い部屋だった。壁一面に、鍵穴が並んでいる。大きいもの、小さいもの、真鍮のもの、黒鉄のもの。数え切れないほどの鍵穴が、天井近くまでびっしりと壁を埋めている。どの鍵穴にも、鍵は差さっていない。
その部屋の真ん中に、少女が一人、立っていた。
銀灰色の髪を肩で切りそろえ、色の褪せた紺の上着を着ている。目を閉じて、両手を体の脇に下ろしたまま、身じろぎもしない。息もしていない。白い肌は、陶器のように冷たい光を返していた。
ローデリヒが追いついてきて、部屋の入口で息を呑んだ。
俺は少女の後ろに回った。
上着の背中の、肩甲骨の間だけ、布が丸く切り抜かれていた。その下の白い背中そのものに、小さな穴が開いている。
鍵穴だった。




