新入りは独房で一晩
石段を下りきった先は、天井の高い石の広間だった。
壁一面に青白い苔が貼りついていて、ぼんやりと光っている。光苔だ。その薄明かりの中に、ぼろ布を敷いた寝床がいくつも並び、人がうずくまっていた。ざっと見て百人は超えている。広間の隅には大きな水桶があって、底が見えないほど濁った水が溜まっていた。
「ここが溜まりだ。グラウで生きてる奴は、全員ここで寝る」
右耳の半分ない大男が、松明で広間を示した。ガロと名乗った。この溜まりの顔役で、新入りの面倒を見る役だそうだ。面倒を見る、の中身はすぐに分かった。
「入牢料だ。靴と上着を置いていけ」
「靴はどうぞ。上着は勘弁してもらえませんか。ここ、寒いので」
俺は靴を脱いで、ガロの足元に揃えて置いた。上の看守所で取り上げられなかった、まだ底のしっかりした革靴だ。ガロはそれを手下に拾わせてから、俺の上着の襟をつかんだ。
「新入りが値切るんじゃねえ」
「値切ってはいないです。靴は払いました」
周りで寝ていた囚人たちが、何人か顔を上げた。ガロの顔がみるみる赤くなる。
「……生意気な新入りは、独房で一晩だ。グラウの決まりだ」
手下二人に両腕を取られ、広間の奥の通路へ引きずられた。通路の両側に、鉄格子の扉のついた小部屋が並んでいる。三百年前にこの地下が要塞だったころの独房だと、手下の一人が得意げに教えてくれた。
一番奥の独房に放り込まれる。格子の扉には錠がついているが、開いたまま動かないらしい。ガロは格子に太い鎖を巻きつけ、首から下げていた鍵で南京錠を留めた。
「朝になったら出してやる。それまで頭を冷やせ」
松明の明かりが遠ざかり、通路は光苔の青だけになった。
俺は靴下のまま石の床に座って、しばらく待った。溜まりのざわめきが静まり、誰かのいびきが聞こえはじめる。それから格子の隙間に腕を通し、鎖を留めている南京錠を手のひらで包んだ。
ピンが四本。ばねが一本へたっている。
「安物だな」
三つ数えるまでもなかった。手の中にできた鍵で南京錠を外し、鎖を音がしないように格子から解く。
ついでに、格子の扉についている古い錠も覗いてみた。壊れて開かないと言われていた錠だ。手を当てると、中の仕組みがはっきり伝わってくる。レバーが五枚、留め金が二つ。壊れているんじゃない。留め金が錆で噛み込んで、開いた位置のまま固まっているだけだった。
(三百年前に、これを作った人がいたんだな)
錠の中の刻みは細かくて、無駄がない。一枚ごとのレバーの厚みまで揃えてある。作った人間の手つきが見えるような錠だった。祖父がよく言っていた。いい錠は、作った者の顔が見える。
俺は独房を出て、通路を溜まりのほうへ戻った。
◇
ガロの寝床は、溜まりの奥の小部屋だった。昔は兵の詰所だったらしい部屋で、木の扉に古い錠がついている。開けっ放しの扉の内側で、ガロが大いびきをかいていた。部屋の隅に、取り上げられた靴や上着が積んである。俺の靴もそこにあった。
扉の錠に手を当てる。独房の錠と同じ時代の作りで、こちらは錆が浅い。鍵穴に油代わりの苔の汁を少し塗りこんで、三つ数えた。
鍵ができた。
俺は扉をそっと閉め、鍵を回した。三百年ぶりに留め金が落ちる、いい音がした。
振り返ると、溜まりの寝床の一つで、痩せた少年が目を見開いてこちらを見ていた。十六、七くらいだろうか。俺が唇に指を当てると、少年はこくこくと何度もうなずいて、ぼろ布を頭までかぶった。
溜まりの隅に空いている場所を見つけて、上着にくるまって横になる。石の床は冷たく、腹が鳴った。昼に看守所で水を一杯もらったきりだ。
隣の寝床の男が、背中を向けたままぼそりと言った。
「籠の日まで六日ある。食い物は顔役が配る。顔役を怒らせた奴の分は、ねえ」
「籠の日、ですか」
「週に一度、看守が上から籠で黒パンを下ろす日だ。足りた試しはねえがな」
男はそれきり黙った。俺は目を閉じて、さっき閉めた錠の音を思い出しながら眠った。
◇
朝は、怒鳴り声で始まった。
「開けろ! 誰だ! 誰がやりやがった!」
ガロが内側から扉を叩いている。木の扉がたわむほどの拳だが、錠はびくともしない。三百年前の職人の仕事だ。
溜まりの囚人たちが、寝床から起き上がって奥の小部屋を見ていた。最初は誰も何も言わなかった。顔役が閉じ込められている。どうやって。誰が。そのうち、手下の一人が独房の通路から飛び出してきた。
「ガロさん、新入りがいねえ! 鎖も、南京錠も外れてる!」
広間の目が、溜まりの隅で上着をたたんでいる俺に集まった。夜中に俺を見ていた少年だけが、ぼろ布の陰で口を押さえている。
誰かが吹き出した。それが合図だったみたいに、あちこちで押し殺した笑いが漏れる。顔役が自分の部屋に閉じ込められて、扉を叩いて喚いているのだ。笑ってはいけないと分かっている顔で、みんな肩を震わせていた。
「小僧」
しわがれた声がした。白い髭を胸まで伸ばした老人が、杖をついて俺の前に立っていた。片目が白く濁っている。
「お前、何をした」
「錠前師です」
それだけ答えて、俺は小部屋の扉の前へ行った。ガロの拳が止まる。
「靴を返してもらえますか。そうしたら開けます」
扉の向こうで、長い沈黙があった。
「……返す」
鍵を回すと、ガロが転がるように出てきた。顔を真っ赤にして俺の胸ぐらをつかみかけ、それから扉の錠と俺の手を見比べて、手を下ろした。部屋の隅の靴を、自分で持ってきて俺の足元に置いた。
老人が、かかか、と乾いた声で笑った。ローデリヒというのだと、あとで聞いた。この溜まりに二十二年いる、元宮廷魔導師だそうだ。
ローデリヒは杖の先で小部屋の扉の錠を軽く叩き、それから濁っていないほうの目で俺をのぞきこんだ。
「錠前師か。なら、大隔壁の錠を見たことはあるかの」




