鍵を壊さずに開けられる者が、王都に何人いると思う
「鍵を壊さずに宝物庫を開けられる者が、この王都に何人いると思う。――一人だ」
宝物庫長のヴァイスラー子爵は、指輪を三つはめた手で俺を指した。
王宮の地下、王立宝物庫の前室。石の床に引き据えられた俺の正面には、王の名代として裁きをする宮内卿エッカルト伯爵が座り、その横に子爵が立っている。壁際には衛兵が六人。俺の両手には縄。
三日前の夜、この宝物庫の扉が開けられ、金貨三百二十枚分の品が消えた。錠には傷ひとつなく、こじ開けた跡もない。そして下町の夜番が、事件の夜に鍵束を持った若い男を見たと証言している。
鍵を壊さずに開ける。若い男。鍵束。
王都で錠前店をやっていて、スキル《合鍵》を持っている二十歳の男は、たしかに俺しかいない。
……と、そこまでは分かっている。分かっているんだが、俺の目はさっきから、子爵の後ろにある宝物庫の扉の錠から離れなかった。
(あれが王家の封印錠か。爺ちゃんの話でしか聞いたことがなかったやつだ)
黒鉄の錠前に、銀の線で封印の術式が彫り込んである。鍵穴の縁の摩耗が、上より下のほうが少しだけ深い。差し込む角度に癖のある人間が、何度も開けている錠だ。
「錠前屋。聞いているのかね」
「あ、はい。聞いています」
子爵が鼻で笑った。宮内卿が白い眉を寄せる。
「ヨナス・ハーケン。そなたは、宝物庫の錠に触れたことはないと申すのだな」
「ありません。錠前ギルドの決まりで、《合鍵》の持ち主は、頼まれていない錠には触れないと誓っています。俺は十歳で登録してから、一度も破っていません」
「下町で盗みがあるたびに、衛兵がそなたの店を訪ねたと記録にあるが」
「来ました。そのたびに茶を出しました」
衛兵の一人が咳払いでごまかした。たぶん、茶を飲んだうちの一人だ。
宮内卿は長い息を吐いた。王は北の国境の砦へ行幸中で、戻るのは三十日後。その前にこの件を片付けておきたい、という顔をしている。
「では、確かめよう。錠前屋、その錠を開けてみせよ。《合鍵》でこの錠が開かぬのなら、そなたの言い分も聞く余地がある」
前室がざわついた。子爵だけが、満足そうに指輪を回している。
開けられなかったら疑いが晴れる。開けられたら、疑いが決まる。
手を抜いて「できません」と言えば済む話だった。でも、俺は錠前師で、目の前にあるのは一生に一度触れるかどうかの王家の封印錠だ。それに、嘘をついて助かったら、祖父の看板に別の泥が付く気がした。
衛兵に縄を解かれ、扉の前に立つ。錠に手のひらを当てて、三つ数えた。
ピンが十一本。その奥にレバーが三枚。封印の術式の筋が二本、鍵の歯と同じ形に走っている。祖父が昔、紙に描いて教えてくれたとおりの仕組みだった。
祖父のオットーは若い頃、錠前ギルドの総親方の工房で、王家の封印錠を作る職人の一人だった。下町に店を出してからも、夜になると俺を作業台の前に座らせて、王家の錠の図を描いた。外では言うなよ、と毎回念を押しながら。《合鍵》で鍵の形を決めるには、錠の中の仕組みが分かっていなければならない。祖父はそれを知っていて、十二年かけて俺の手に錠の中身を覚えさせた。
そして、錠の底に歯車がひとつ。刻み車だ。祖父の図のとおり、歯車の目盛りがいくつ進んでいるかが、指先に伝わってくる。四十三。
手のひらの上に、鉄色の重みが生まれる。鍵穴に差し込んで回すと、封印の銀の線がふっと光を失い、重い扉が内側へ動いた。
衛兵の一人が、思わず一歩下がった。
「……開けおった」
宮内卿がかすれた声で言い、衛兵たちが一斉に剣の柄に手をかける。子爵は笑いをこらえるように口元を手で隠した。
俺は扉を閉め、鍵をもう一度回して錠を落とした。それから鍵を握りこんで、手の中で消した。衛兵が取り上げようと手を伸ばしたときには、俺の手のひらには何も残っていなかった。王家の宝物庫の鍵を、この世に一本でも余計に残しておくわけにはいかない。
俺は宮内卿のほうを向いた。
「一つ、言わせてください。この錠の底には刻み車という歯車が入っていて、開けた回数を数えています。新年にギルドの総親方が目盛りを戻すので、今年に入ってからの回数です。俺が開ける前の目盛りは、四十三でした」
「何の話だね」
子爵が笑ったまま首を傾げる。
「出入り帳によれば、今年この扉を開けたのは十二回。三日前の夜の十三回目が盗人だ。四十三などという数は、どこから出てきたのかね」
「錠の中からです。帳面にない開け方が、三十回あります」
「泥棒の言い逃れだね。宮内卿、お聞きになったでしょう。この男は、王家の錠の中まで知っていると自分で言っている」
宮内卿は、俺の言ったことを書記に書き留めさせもしなかった。
「ヨナス・ハーケン。王家の財を盗んだ罪により、グラウ迷宮牢への終身の収監を命じる」
それで終わりだった。
王家の財を盗んだ者は、死罪ではなく迷宮牢に落とす。王家の財を汚した者の血で王都を汚さない、という初代王の言葉が元だと、子供でも知っている。そして、迷宮牢から戻った者はいないことも。
俺が一番堪えたのは、終身という言葉より、下町の角にある「ハーケン錠前店」の看板のことだった。祖父のオットーが四十年掲げて、一年前に俺が継いだ看板。明日にはあの下に、泥棒の店だと書かれるのだろう。
◇
午後、王都の北の外れ、グラウの丘の看守所に着いた。
看守長のバルツは赤ら顔の太った男で、取り上げた俺の持ち物を机の上でひっくり返した。錠前の道具袋と、鉄の輪がひとつ。
「なんだこりゃ。鍵が一本もついてねえ鍵束か」
「作った鍵を通す輪です」
「ははっ、泥棒の道具だな。安心しろ、もう使い道はねえ。グラウから戻った奴は、百年で一人もいねえんだ」
鉄の輪だけは「持っていけ、墓標の代わりだ」と放って返された。道具袋は戻ってこなかった。
看守所の奥に、迷宮牢の門がある。王家の封印錠のついた鉄の門で、向こう側は地の底へ下りる長い石段だ。看守に背中を押されて門をくぐると、背後で扉が閉まり、錠の落ちる重い音が石段に響いた。
松明が一本だけ渡された。下から、湿った冷たい風が吹き上がってくる。
俺は石段を三段下りて、足を止めた。振り返る。門の錠の裏側が、松明の明かりに浮かんでいる。宝物庫の錠と同じ型だ。こっちのほうが古くて、鍵穴の縁に錆が浮いている。
頼まれていない錠には触れない。十歳から守ってきた誓いだ。けれど、それは王都の錠前師としての誓いで、今の俺は終身の囚人だった。ギルドの名簿からも、明日には名前が消える。それでも、手を伸ばすまでに少し時間がかかった。
錠の裏にそっと手のひらを当てて、三つ数えた。
手の中に、鉄色の鍵ができていた。
鍵穴に差して、音を立てないように半分だけ回し、すぐに戻す。かちり、と中の留め金が持ち上がって、また落ちる感触が指に返ってきた。
……開く。開けようと思えば、いつでも開く。
俺は鍵を鉄の輪に通した。輪に鍵が一本だけ、ぶら下がる。
でも、ここで門を開けて逃げたら、俺は宝物庫の泥棒だと自分で認めることになる。王国じゅうで追われて、祖父の看板には本物の泥棒の名が残る。
出るなら、表からだ。泥棒じゃなかったと分かる形で、あの門の前に立っている看守の前を、堂々と歩いて出る。それがいつになるのかは、見当もつかないけれど。
石段の下の暗がりに、ちらちらと火が揺れた。松明を持った男たちが、こちらへ上がってくる。先頭の大男は右の耳が半分なかった。
「新入りか」
大男は松明で俺の顔を照らし、それから足元を見た。
「靴を脱げ」
お読みいただきありがとうございます。泥棒の汚名を着せられた錠前師が、終身の監獄で、三百年閉じたままの扉に手を伸ばします。続きが気になったら、ブックマークと、下の☆での評価で応援してもらえると嬉しいです。




