閉める鍵、開ける鍵
岩の窪みから最初に出てきたのは、看守の黒い外套を着た、四十がらみの男だった。
抜き身の剣を下げたまま、溜まりの真ん中まで歩いてくる。後ろに十九人が続いた。半分は看守の外套、半分は見覚えのない革鎧だ。湯を沸かしていた鍋がひっくり返り、囚人たちが壁際へ下がった。
「看守副長のディータじゃ」
ローデリヒが、俺の後ろで低く言った。
「看守の中で、荒事を任されとる男よ」
「錠前屋はどいつだ」
ディータの剣先が、手近にいた年寄りの喉に向いた。
「出てこなけりゃ、一人ずつ訊いていく」
「俺です」
前に出ると、ネリスが俺の前に出ようとした。俺はその腕に手を置いて止めた。ディータは俺を上から下まで眺め、それからネリスの陶器のような頬に目を留めた。
「看守長の言ってた人形か。人形はここに置いていけ。お前は倉まで来い。籠の錠を閉めたそうだな。倉で手間取ったら、お前に開けさせる」
倉の箱を上へ運ぶ。ディータが口にしたのはそこまでだった。箱を運ぶだけなら、二十人も剣を抜いて下りてはこない。
「五人、ここに残れ。妙な真似をする奴がいたら斬れ」
俺はネリスを振り返った。
「ネリス。溜まりを頼みます。誰も錆び付かせないで」
「……承知いたしました、主」
灰青色の目は、もう俺を見ていなかった。残った五人の剣を、一本ずつ数えていた。
◇
第二層の通路を、十四人の剣に囲まれて歩いた。背中には、ディータの剣先が当たっている。
灯りの点いた埃の上には、今朝の俺たちの靴の跡が増えていた。突き当たりの樫の扉の前で、ディータは懐から鍵を出した。看守長から預かってきたのだろう。祖父の錠に差して、回す。
回らなかった。
「……どういうことだ」
「組みを変えておきました。看守長の鍵では、もう開きません」
ディータの顔が赤黒くなった。剣先が、背中から首へ移った。
「開けろ」
俺は鉄の輪から、今朝作り直した鍵を外して差した。祖父の錠は、素直な音を立てて開いた。
「奥の長い箱は重いですよ。四人がかりです」
「十人、入って運び出せ。封蝋は割るなよ。割れたら値が下がる」
男たちが角灯を提げて倉に入っていく。ディータと四人が、扉の外に残った。鍵は、錠に差したままだった。
そのときだった。
上の溜まりのほうから、甲高い金物の音が通路を伝って下りてきた。一度、二度、立て続けに五度。男の悲鳴。それから、百二十人分の、地鳴りのような声。
ディータが、通路の奥へ顔を向けた。
俺は樫の扉に肩をぶつけた。三百年前の扉は重かったが、蝶番には新しい油がさしてあった。看守長が、何度もここへ通った跡だ。扉は軋みもせずに閉まり、俺は鍵を回した。
錠の落ちる音がした。
倉の中から、怒鳴り声と、扉を叩く音が上がった。
「てめえ……!」
ディータが俺の胸ぐらをつかみ、壁に押しつけた。
「開けろ。首を落とすぞ」
「開けません」
ディータは俺を突き飛ばし、剣を振りかぶって錠に打ち下ろした。刃は錠の手前の鉄の帯に食いこみ、高い音を立てて半ばから折れた。折れた先が、くるくる回って埃の上に落ちた。
「扉は三百年前の工匠の仕事で、錠はうちの爺ちゃんのです。剣じゃ無理ですよ」
ディータが、錠に差さった鍵へ手を伸ばした。その手が鍵をつかむ前に、俺は鍵に指先を触れて、消した。ディータの指が、何もない鍵穴の前で空を握った。
「その鍵は、俺が作った鍵です。俺が消そうと思えば消えます」
俺は壁にもたれたまま、息を整えた。
「俺がいなければ、この倉は誰にも開けられません。中の十人も、箱も」
扉の外の四人が、顔を見合わせた。剣を構えたまま、誰も動かない。
通路の奥から、足音が下りてきた。軽い、乱れのない足音。その後ろに、たくさんの重い足音。
角灯の光の中に、ネリスが現れた。紺の上着の裾ひとつ乱れていない。後ろに、棒を担いだガロと手下たち、角灯を掲げたミロが続いていた。
「主」
ネリスは、俺の首筋に目をやってから、静かに言った。
「錆び付かせてはおりません。剣を、折っただけでございます」
「五本とも、根元からぽっきりだ」
ガロが、歯を見せて笑った。
「お前らの仲間は、溜まりで縛り上げてある。斬られた奴は、一人もいねえ」
四人の男が、ネリスとガロたちを見比べた。最初に剣を捨てたのは、革鎧の傭兵だった。床に落ちる剣の音が四つ続き、ディータが、折れた剣の柄を握ったまま膝をついた。
◇
第二層の詰所の並びには、三百年前の独房がいくつも残っていた。鉄格子の扉に、錠はついたまま。鍵は三百年前に失われている。
俺は一つずつ錠に手を当てて、三つ数えた。六つ目あたりから指先が冷えはじめ、八つ目の錠では手が震えた。ネリスが黙って俺の肘を支えていた。倉の錠にもう一度手を当てて鍵を作り、扉を開けると、十人は角灯の下で青い顔をして、剣を自分から差し出した。外の四人と、溜まりの五人も合わせて、二人か三人ずつ独房に入れ、錠を閉めた。
ディータだけは、第一層へ連れて上がった。通路の一番奥、俺が最初の晩に入れられた独房だ。扉の錠は錆で開いたまま固まっているので、ガロが格子に鎖を巻き、自分の南京錠で留めた。
「新入りは、独房で一晩だ」
ガロは鍵を首に掛け直し、満足そうに鼻を鳴らした。
◇
十日目の朝、ディータは格子越しに口を開いた。
「命じたのは、看守長だ」
一晩、冷たい石の上で過ごした声だった。
「金は、子爵家の家令が出した。ホルストとかいう爺だ。倉の箱は、来月の船で海向こうへ渡す段取りだった。それまでに上へ上げて、お前と、倉を見た奴を片付けろと」
「倉を見た奴、っていうのは」
ディータは答えなかった。代わりにローデリヒが、杖の先で床を叩いた。
「溜まりの全員、という意味じゃよ、小僧」
その夜、俺はネリスを巻いた。
ネリスは俺の寝床の前に座り、銀灰色の髪を片手で持ち上げて背中を向けた。上着の丸い切り抜きの下に、白い背中と、鍵穴がある。巻き鍵を差して回すと、ぜんまいの締まる手応えが一回転ごとに重くなり、七回転目で止まった。
巻き終えた俺の手を、ネリスが振り返って両手で包んだ。
「主の手が、震えております」
「鍵を作りすぎただけです」
「わたくしの手は冷たいので、温めては差し上げられません」
ネリスは手を離さなかった。
「……それでも、震えは止まるかと」
陶器の手は、本当に冷たかった。それでも、しばらくそうしているうちに、震えは止まった。ネリスはその夜も、俺の寝床の前に座ったまま朝まで動かなかった。
◇
十一日目の朝、ネリスが顔を上げた。
「主。門の向こうで、女の方が看守と言い争っております」
俺は、一日目に下りてきた長い石段を上った。上るにつれて、声がはっきりしてきた。
「財務卿の委任状です。看守所の帳簿と、迷宮牢の中を検めます。門を開けなさい」
「ですから、門の鍵は看守長が持って出ておりまして」
「では、看守長はどこに」
「それは、その……」
「一昨日の夕刻、革鎧の男たちが十人以上、看守所に入っていくのを見ました。二日たって、一人も出てきていません。どこへ行ったのですか」
「……とにかく、門は開けられません。鍵がないんです。この門は、誰にも開けられません」
俺は、門の錠の裏に鍵を差して、回した。
王家の封印錠が、重い音を立てて開いた。鉄の門を内側から押すと、朝の光が石段に差しこんだ。目の前にいた若い看守が、悲鳴を上げて尻もちをついた。
「お、お前……どうやって……」
門の外に、灰色の外套の女が立っていた。二十代の半ばくらいで、胸に帳面を抱えている。後ろに、財務院の印を付けた兵が二人。女は尻もちをついた看守には目もくれず、俺の顔と、俺の腰の鉄の輪を見た。
「錠前師の、ヨナス・ハーケンさんですね。財務院の監査官、クラリッサ・エーベルです」
それから、帳面を開いて言った。
「四十三回、でしたね」
俺は、しばらく何も言えなかった。裁きの場では、誰も書き留めなかった数だった。
「……覚えてくれていた人が、いたんですね」
「数は、忘れません」
俺は内側の段に立ったまま、門の外へは出なかった。監査官もそれを見て、小さくうなずいた。
「そこから一歩でも出れば、あなたは脱獄囚です。判決を覆せるのは、王だけです。王は三十日目に戻られます」
「出ません。出るなら、表からです」
俺は、倉の箱のことを話した。宝物庫の封蝋と、箱ごとの品書きと、「ヴァイスラー家預け品。家令、ホルスト」の署名。籠の日に看守長に書かせた証文。剣を持って下りてきた二十人と、ディータの白状。監査官は一度も口を挟まず、俺の言った数を全部、帳面に書いた。
それから兵を一人連れて石段を下り、倉の封蝋と品書きを自分の目で確かめ、独房の男たちの名を一人ずつ書き取った。門まで戻ってきたのは、昼の鐘が鳴るころだった。
監査官は、門の前に看守たちを呼び集めた。
「財務院の名で命じます。次の籠の日から、百二十人に足りる食料を下ろしなさい。魔石は、外の相場で買い取りなさい。看守長が中で書いた証文があるそうですね。それも守らせます。看守長が戻るまでの間のことは、私から宮内卿に申し入れておきます」
看守たちは、何度もうなずいた。魔石を買い叩いてきた帳簿を検められて困るのは、自分たちだ。最初に尻もちをついた若い看守は、最後まで俺と目を合わせなかった。監査官は兵の二人に、門の前に残るよう言いつけた。
そして、帳面を閉じて、俺を見た。
「三十日目の翌日、王の御前で監査を行います。宝物庫の前室で、あの錠をもう一度読んでいただきます」
声の調子は変わらなかった。
「――昨日、宝物庫長が宮内卿に申し立てました。迷宮牢の錠前屋は、中で偽の証拠をこしらえ、看守を襲っている、と」




