第437話 ドローンの幽霊
《新開市女王祭》は、終わらなかった。正確には、最初からそんな正式名称の催事など存在しない。政治集会、立憲君主制をめぐる市民討論、商店街の応援企画、民間広告、パレード、配信者の公開収録、便乗した屋台、さらに「何となく面白そうだから来た」人間が勝手に混ざった結果、街全体がひとつの祭りのようになっているだけだった。それでも三日続けば名前がつき、四日続けば名物になり、五日目には「今年だけなのか、来年もやるのか」という話まで出始めた。アリスはその間、反対声明を出し、窓から怒鳴り、取材を断り、市民投票案にも正式に反対を表明した。するとそのたびに《権力に執着しない理想の君主》《自ら退こうとするからこそ残す価値がある》《反対する女王陛下を応援しよう》という理解不能な反応が返ってきた。さすがに五日目の朝になると、アリスは怒ることにも疲れていた。
「……もう嫌」
机に頬をつけたまま、アリスは低く言った。白いフードは頭に被らず背へ落ち、黒髪が半分顔を隠している。窓の外では今日も花びらを撒くドローンが飛んでいた。向かいのビルには昨日までとは違う肖像が出ている。今度のアリスは白い椅子へ座り、背後には薄いガラスのような王冠が浮かんでいた。誰が描いたのか知らないが、実物よりずっと機嫌が良さそうなのが腹立たしい。
トミーが窓際で葉物を食べながら言う。
「今日は静かだな」
「何が」
「お前が」
「声枯れた」
「それは気の毒に」
「お前、楽しんでる」
「少し」
アリスは顔だけを上げ、端末を見る。市民投票に必要な署名数は、もう笑えないところまで来ていた。賛成派の中心は熱狂的なアリス支持者だけではない。行政権を持たない象徴なら構わないという中立派、選挙で変わらない対外的な顔がいた方が便利だという企業側、NECRO兄弟姉妹を含めた新開市の多様性を象徴できるという人権団体、それに「面白いから一回やってみよう」と考える層まで混じっている。反対派もいる。君主制そのものへの反対、外国勢力の政治工作への反発、個人崇拝への警戒、アリス本人の意思を尊重すべきだという声。だが、少なくとも現時点では、投票になればアリスが勝ちそうだった。
「これ」
アリスは端末を指で押さえた。
「このまま投票したら」
「うん」
「私」
「うん」
「絶対」
「女王になるな」
「言うな!」
トミーは葉を噛んだ。
「聞かれたから」
「聞いてない!」
アリスは端末へ突っ伏した。しばらくそのまま動かなかった。王冠を返そうとすると王冠を渡される。反対すると支持が増える。黙ると「熟慮する女王」と書かれる。怒ると「民衆との距離が近い」と喜ばれる。逃げ道がない。
「違う話」
「何」
「何でもいいから」
アリスは現実逃避するようにウェブを開いた。
ニュース。
《女王制度、市民投票へ》
閉じる。
動画。
《女王陛下応援パレード五日目》
閉じる。
掲示板。
《アリス女王になったら祝日いる?》
閉じる。
「違う話ないの……」
検索結果を流していた指が止まった。
小さな地域掲示板の記事だった。
### 《ドローンの幽霊、新開市に現る!?》
アリスの赤い目が少し開いた。
トミーがそれを見る。
「食いついたな」
「うるさい」
クリックする。
記事自体は大したものではなかった。最近、旧工業区や地下物流路で「正体不明のドローン」を見たという噂が増えている。製造元不明、識別信号なし、外装もばらばら。だが妙なことに、目撃者の多くが「ヴィランか犯罪者が何か悪いことをしている時に現れる」と証言している。逃げても先回りされる。角を曲がるともういる。高所へ跳んでも着地点にいる。殴っても避け、逃げても追わず、いつの間にか先で待っている。殺したという話はない。むしろ相手を拘束し、治安機関が来る頃には消えている。
「……へえ」
アリスの姿勢が起きる。
別の記事。
《悪いことをしていると“台帳の幽霊”が来る?》
子供向けの怪談動画まである。
《夜の地下道で悪いことをすると、顔のないドローンが先に待っている》
アリスは眉を寄せた。
「台帳?」
トミーが覗き込む。
「新しい都市伝説?」
「たぶん」
「興味ある?」
「ある」
「女王祭りは?」
「嫌」
「じゃあそっち行く?」
アリスは窓を見る。
カーテン。
少し。
開ける。
下。
人。
いる。
《女王陛下、本日もご尊顔を!》
誰か。
叫ぶ。
アリスはカーテンを閉めた。
「……無理」
トミーが言う。
「諦めろ」
「嫌」
アリスは数秒考えた。目が少しだけ鋭くなる。
「出る」
「どうやって」
「騙す」
「誰を」
「外」
「全員?」
「うん」
トミーは嫌な予感を覚えた。
*
十分後、窓際にはシュヴァロフが立っていた。黒い巨体へカーテンを半分かけ、外から輪郭だけ見れば「誰か大きなものが窓際にいる」程度には見える。その前に椅子を置き、その上へクッションを積み、さらにその上へトミーが座らされていた。
頭から。
白いフード。
被せられる。
「待て」
「動かないで」
「俺はウサギだぞ」
「遠くからなら分からない」
「分かるだろ」
「外の連中なら大丈夫」
「酷い評価だな」
アリスは少し離れて見る。椅子の高さを調整し、白いフードの裾を広げる。シュヴァロフの黒い腕が後ろにあるせいで、遠目には何となく「アリスと護衛」が窓辺にいるようにも見えなくはない。
「完璧」
「どこが」
外から歓声。
「女王陛下が窓辺にいる!」
「陛下ー!」
「今日もお元気そうだ!」
トミーがゆっくり顔を上げた。
「騙されたぞ」
アリス。
「新開市だから」
「納得したくねえ」
「じっとしてて」
「何分」
「帰るまで」
「ふざけんな!」
アリスはもう聞いていなかった。白いフードを脱ぎ、黒い髪を後ろでまとめ、普段持ち歩く最低限の端末と工具だけをバッグへ入れる。シュヴァロフは窓際から動かせない。グリンフォンはまだ修理中。コロボチェニィクを連れていけば一発でばれる。バンダースナッチも今は目立つ。
だから。
一人。
出る。
裏口。
開ける。
そこで。
アリス。
止まる。
オールドユニオン兵が二人いた。
「……何してる」
二人も止まる。
「周辺警戒です」
「私」
一拍。
「直衛」
一拍。
「いらないって」
「直衛ではありません」
「じゃあ何」
「周辺警戒です」
アリスはじっと見る。
兵士も目を逸らさない。
「違い」
「配置目的です」
「同じ場所にいる」
「偶然です」
「嘘」
「命令上は周辺警戒です」
アリスは口を開きかけたが、そこで兵士の制服を見る。さらに、その向こうの格納スペースに停められている一機へ目を向けた。
《MAXIMILIAN》。
オールドユニオンが新開市へ増強配備した少数精鋭用の大型支援機。アリスが王冠返還後も大規模外国軍を残すことに反対し続けた結果、常設戦力はかなり絞られたが、MAXIMILIANだけは電子戦・対大型機・護衛・都市戦の汎用性が評価されて残った。アリス自身も性能は知っている。
アリス。
考える。
「制服」
「はい?」
「貸して」
「……はい?」
「あと」
MAXIMILIAN。
指す。
「あれ」
「……陛下」
「陛下じゃない」
「使用目的を」
「散歩」
「MAXIMILIANで?」
「護衛」
「直衛は不要と」
「お前らが勝手にいる」
「周辺警戒です」
「じゃあ」
アリスは兵士を見る。
「直衛してないなら」
一拍。
「借りても問題ないよね」
兵士。
沈黙。
完全な屁理屈だった。
*
十五分後、オールドユニオンの制服を着た小柄な少女が、MAXIMILIANを伴って新開市の大通りを歩いていた。制服は少し大きく、袖口が余る。髪は帽子の中へ押し込み、赤い目も簡易バイザーで半分隠した。普段の白いフードがないだけで印象はかなり違う。何より、隣にMAXIMILIANがいるせいで、人々の視線は「オールドユニオン兵」にしか向かなかった。
「ご苦労様ー!」
沿道。
誰か。
手。
振る。
アリス。
少し。
戸惑う。
別の市民。
「女王陛下の警備?」
アリス。
無言。
頷かない。
でも。
否定。
しない。
「大変だなあ!」
通り過ぎる。
アリスは小さく呟いた。
「いける」
イヤホンからトミーの声。
『そのまま帰ってくんな』
「ひどい」
『俺まだフード被ってる』
「頑張って」
『お前帰ってきたら噛むからな』
アリスは通信を切った。
久しぶりに。
ちょっと。
楽しい。
*
幽霊ドローンの目撃場所は、地上より地下に偏っていた。旧物流網、使われなくなった資材搬入口、地下保守路、再開発途中で封鎖された道路下空間。アリスは目撃投稿、短い動画、音声、匿名掲示板の書き込みを地図へ重ねた。時間帯と場所には一定の偏りがある。現れた後に治安機関へ通報が入っている例も多い。完全な怪談ではない。
「こっち」
MAXIMILIANがアリスの指示で地下搬入口へ入る。
照明。
少ない。
コンクリート。
湿ってる。
地上の花びらも歓声も、ここまでは来ない。
アリスは少しだけ息を吐いた。
「静か」
イヤホン。
トミー。
『そっち幽霊出るんだろ』
「うん」
『楽しそうだな』
「うん」
『女王祭りより』
「ずっと」
歩く。端末を開く。周辺通信。非登録機。微弱な制御信号。地下構造の保守ネットワーク。使われていない中継器。何かが定期的に通ったような痕跡はあるが、識別できない。
「上手い」
誰が使ってる。
どこ。
分からない。
でも。
完全。
消えてない。
アリスの目が少し楽しそうになる。
「ゴースト」
自分で。
言う。
その瞬間。
遠く。
金属音。
次。
誰か。
走る。
「来るな!」
男の声だった。
地下通路の奥から一人のサムライ・ヴィランが飛び出してくる。片肩の装甲が割れ、腕部の違法出力増幅器から火花が散っている。アリスを見る余裕もない。そのまま横の通路へ逃げようとした。
だが。
その先。
もう。
いる。
細い。
機体。
立つ。
アリスの目が細くなった。
顔らしい顔がない。人間より少し大きい。外装の一部は新しいが、完全な正規量産機には見えない。関節部の構造は高応答型。腕は長いが武器らしいものは付いていない。識別信号なし。メーカー表示もない。
ヴィランが止まった。
「また先かよ!」
右。
跳ぶ。
機体。
動く。
同時。
ではない。
少し。
前。
もう。
着地点。
取ってる。
ヴィランが空中で姿勢を変える。壁。蹴る。左。降りる。
機体。
左腕。
そこ。
出る。
着地。
瞬間。
肩。
押す。
腰。
反対。
方向。
引く。
ヴィラン。
崩れる。
腕を振り払おうとする。
機体。
掴まない。
一度。
離す。
相手が逃げる方向へ。
先。
回る。
アリス。
小さく。
「……気持ち悪」
かなり。
褒めてる。
*
ヴィランは最後に違法ブレードを抜いた。
その瞬間。
機体。
手。
もう。
柄。
近く。
ある。
抜き切る前に手首の角度を変えられ、ブレードが路面へ落ちる。次いで脚を払われるのではなく、踏み出す場所へ足を置かれ、身体ごと座り込むように倒された。
「くそっ!」
拘束帯。
出る。
両腕。
固定。
脚。
制圧。
される。
アリスはMAXIMILIANを前へ出した。
「止まれ」
正体不明機。
頭部。
向く。
顔。
ない。
でも。
見られてる。
分かる。
「そいつ」
アリスはヴィランを指す。
「捕まえるの」
一拍。
「真鍋」
機体。
動かない。
「治安機関」
一拍。
「呼ぶ」
返事。
ない。
「お前」
アリスの目が細くなる。
「誰」
*
同じ映像を、別の場所で御厨綴とヴェラ・クラウスが見ていた。
《LEDGER-01》。
前回で壊れた寄せ集め試験体の後継。まだ正式な専用機とは程遠いが、反応速度、脚部、拘束用多関節腕、センサー系を改善した第二段階試験ボディだった。外装に企業識別を付けず、部品流通も複数ルートへ分けている。
ヴェラが画面を見て眉を上げた。
「MAXIMILIAN?」
御厨も少し驚いていた。
「なぜここに」
「OUが嗅ぎつけた?」
「可能性は低いです」
「じゃあ偶然」
「それも低いですねえ」
画面上では、MAXIMILIANが明確にLEDGER-01と制圧対象の間へ入っている。
《武装大型機接近》
《制圧対象引渡し阻害可能性》
《敵対意図:不確定》
ヴェラが笑った。
「いい相手来たじゃない」
御厨が見る。
「撤退させるべきです」
「そうね」
一拍。
「でも?」
御厨。
黙る。
MAXIMILIAN。
強い。
データ。
欲しい。
現在。
敵対。
確定。
してない。
試験。
できる。
ほんの。
少し。
「非致死」
「当然」
「退路確保」
「はい」
「性能評価だけ」
ヴェラが笑う。
「あなた最近、その“だけ”好きね」
御厨は答えず、指示を出した。
《TEST ENGAGEMENT》
*
LEDGER-01が一歩前へ出た。
アリスは目を細める。
「停止」
もう一歩。
「止まれ」
MAXIMILIANが前へ出る。
その瞬間。
LEDGER-01。
消える。
ように。
見えた。
正確には。
速い。
だが。
単純な高速機動ではない。
MAXIMILIANの右腕が動く前に、その有効射程の内側へ入る。MAXIMILIANが拘束用アームを振る。LEDGER-01は振られてから避けない。肩が動いた時にはもう、攻撃線の外へいる。
「……」
アリス。
操作。
変える。
MAXIMILIANの左脚。
軸。
する。
右。
旋回。
LEDGER-01。
下がる。
そこへ。
腕。
振る。
当たる。
LEDGER-01。
壁。
飛ぶ。
ヴェラ。
『出力差あるわね』
御厨。
『当然です』
アリスは知らない声を聞いてはいない。こちらからは通信を開いていない。
LEDGER-01。
起きる。
次。
MAXIMILIAN。
同じ。
腕。
使わない。
アリス。
膝。
落とす。
下。
から。
押し上げる。
LEDGER-01。
もう。
横。
「……早」
アリス。
今度。
わざと。
無駄。
動作。
入れる。
右腕。
一度。
上げる。
でも。
攻撃。
しない。
脚。
出す。
LEDGER-01。
一瞬。
右腕。
反応。
しかける。
次。
修正。
する。
脚。
側。
回る。
「……それも直す」
MAXIMILIANの姿勢制御を切り替える。
地下通路。
狭い。
壁。
使う。
LEDGER-01。
壁。
蹴る。
上。
抜ける。
MAXIMILIAN。
振り向く。
LEDGER-01。
もう。
後ろ。
いる。
アリスの目が少しずつ真剣になる。
「こいつ」
一拍。
「私じゃなくて」
MAXIMILIANの脚部を見る。
「機体」
「見てる?」
*
御厨の画面には、MAXIMILIANの各関節角度、重心、出力変動、地形との位置関係が次々と入っていた。
《右腕攻撃可能性:31%》
《左脚旋回:27%》
《後退・間合い再構築:24%》
《その他:18%》
LEDGER-01は確率の高い行動だけに賭けない。複数候補の共通部分へ、自分の身体を置く。どの選択肢でも次の一手を狭められる場所。
MAXIMILIANが一歩。
前。
LEDGER-01。
横。
入る。
右脚。
拘束帯。
巻く。
MAXIMILIAN。
引く。
LEDGER-01。
自分。
引かない。
反対側。
アンカー。
固定。
する。
ヴェラが言う。
「取れる」
御厨も息を止める。
MAXIMILIANが腕を伸ばす。
LEDGER-01は腕を避け、そのまま肩部の可動域外へ入る。もう一本の拘束索が左腕へ。次いで腰。さらに脚。
アリス。
「……そう来る」
MAXIMILIAN。
止まる。
拘束。
完成。
《MOBILITY REDUCED》
ヴェラが小さく笑った。
「取った」
御厨の画面。
《MAXIMILIAN 制圧成立確率:91%》
アリスは。
笑わない。
むしろ。
少し。
面白そう。
なる。
「じゃあ」
一拍。
「こっち」
MAXIMILIANの内部制御へ直接入る。
*
通常、拘束された機体が脱出するなら、出力を上げる。索を切る。アンカーを壊す。だがアリスはそうしなかった。
右脚。
力。
抜く。
拘束索。
張力。
下がる。
LEDGER-01。
補正。
する。
その瞬間。
左腕。
微小。
逆。
出力。
入る。
同時に。
機体内部の姿勢制御信号を一度だけ偽装し、MAXIMILIAN自身へ「転倒回避補正」が必要だと思わせる。次の瞬間には補正を切り、別の関節へ出力を逃がす。
外から見れば。
一機。
なのに。
複数。
意思。
別々。
動いてる。
よう。
見える。
LEDGER-01。
一瞬。
止まる。
《TARGET MODEL MISMATCH》
御厨が画面を見る。
「……何」
ヴェラも身を乗り出す。
「何した?」
拘束索の一本が緩む。
MAXIMILIAN。
肩。
落とす。
腕。
抜く。
次。
腰。
回す。
脚。
自由。
なる。
LEDGER-01。
後退。
する。
アリス。
電子的。
周辺。
触る。
地下照明。
一瞬。
落ちる。
保守センサー。
別。
経路。
起きる。
MAXIMILIAN。
その。
隙。
前。
出る。
LEDGER-01の予測候補が急増する。
《行動候補:47》
《行動候補:63》
《行動候補:88》
御厨の目が見開かれた。
「一機では」
ヴェラ。
「は?」
「操作主体が」
一拍。
「機体の中だけにいません」
MAXIMILIANの物理挙動。
電子支援。
周辺設備。
通信。
姿勢制御。
それぞれ。
別。
役割。
持つ。
「電子支援が」
御厨。
「もう一つの行動主体として」
一拍。
「選択肢を増やしている」
ヴェラ。
「二対一?」
「それ以上です」
御厨の声から初めて少し興奮が混じった。
「だから」
一拍。
「アリス系は」
「単機性能だけで」
「測れない」
ヴェラが画面を見る。
「MAXIMILIANって、そこまでアリス系思想だった?」
「少なくとも」
御厨。
対象。
見る。
「使っている人間が」
一拍。
「その戦い方を知っています」
*
アリスはLEDGER-01の右側へMAXIMILIANを踏み込ませた。今度は本当に攻撃する。
LEDGER-01。
避ける。
でも。
一瞬。
遅い。
MAXIMILIANの指先が肩部外装を掠める。
「今」
アリス。
言う。
「遅れた」
LEDGER-01。
下がる。
アリス。
追う。
「逃げる?」
御厨。
決める。
「撤退」
ヴェラ。
「まだいける」
「データは十分です」
「でもMAXIMILIAN相手」
「予測分岐が増えすぎています」
「だから面白いんでしょう」
「今の身体では追えません」
御厨は即座に撤退経路を送った。
LEDGER-01。
壁際。
滑る。
地下保守扉。
入る。
アリス。
「逃げた!」
MAXIMILIAN。
追う。
*
そこからは、久しぶりにアリスが完全にゴーストへ戻った。
政治。
王冠。
女王祭。
全部。
忘れる。
「右」
偽信号。
「違う」
左。
保守路。
開く。
LEDGER-01。
一瞬。
影。
見える。
「そこ!」
MAXIMILIANを走らせる。自分は隣の補助ステップへ乗る。医者に「走るな」と言われているので、自分では走っていない。たぶん。
トミーの声。
『何してる』
「追ってる」
『何を』
「幽霊」
『楽しそうだな』
「今忙しい」
『女王祭りから逃げた奴の声じゃねえな』
通信。
切る。
アリス。
地下構造。
読む。
LEDGER-01。
痕跡。
薄い。
でも。
完全。
消えない。
「上」
階段。
ある。
古い。
物流出口。
繋がる。
MAXIMILIAN。
駆ける。
扉。
押す。
光。
入る。
外。
出る。
アリス。
止まる。
*
花びら。
降る。
旗。
揺れる。
人。
大量。
いる。
ちょうど《歯車の女王大行進》の本隊だった。
巨大なアリス肖像。白いフードを模した旗。シュヴァロフ風、グリンフォン風、クラーロヴナー風に飾られた民間ドローン。屋台。配信者。市民団体。立憲君主派。見物客。とにかく人。
その。
真ん中。
地下出口。
から。
OU制服。
少女。
MAXIMILIAN。
出る。
群衆。
一瞬。
静か。
なる。
誰か。
「OU?」
別。
「警備?」
アリス。
帽子。
戦闘。
追跡。
ずれてる。
黒髪。
見える。
一人。
目。
細く。
する。
「……あれ」
アリス。
嫌な予感。
する。
「女王陛下!?」
終わった。
「え?」
「どこ?」
「OUの制服!」
「陛下だ!」
「本物!」
「お忍び!?」
アリス。
「違う!」
歓声。
一気。
上がる。
「女王陛下がお忍びで市内視察!」
「MAXIMILIAN連れてる!」
「オールドユニオン軍を直率してる!」
「違う!!」
配信者。
カメラ。
向ける。
《速報 女王陛下、OU軍装でMAXIMILIANを率い市内視察》
「凱旋だ!」
「凱旋してない!!」
「陛下ー!」
「万歳ー!」
アリスはMAXIMILIANの後ろへ隠れた。
意味。
ない。
むしろ。
「女王陛下がMAXIMILIANの陰からお手振り!」
に。
なる。
「振ってない!」
誰か。
「照れてる!」
「照れてない!」
その瞬間、アリスは地下出口の向こうに、ほんの一瞬だけ細い機体の影を見た。
「……!」
追う。
でも。
人。
多い。
MAXIMILIAN。
進めない。
LEDGER-01。
消える。
本当に。
煙。
みたい。
アリス。
止まる。
周囲。
歓声。
まだ。
続く。
「最悪」
*
オールドユニオン現地施設にも、数分後には映像が届いた。
アザドは画面を見た。
OU制服。
アリス。
MAXIMILIAN。
花びら。
群衆。
《女王陛下、軍装で新開市視察》
アザド。
「何してんだあいつ」
現地司令官も画面を見る。
「直衛増強は拒否されたはずでは」
「本人が勝手に借りた」
「確認したのですか」
「してない」
「では」
「絶対そう」
別の職員。
「制服も貸与記録があります」
アザド。
「ほら」
「本当に借りたんですね」
「何でMAXIMILIANまで貸すんだよ」
現地司令官。
「直衛部隊ですので」
アザド。
「直衛じゃないって本人に言ってただろ」
「周辺警戒です」
「お前らも大概だな」
*
御厨とヴェラも、少し遅れて正体を知った。
市民配信。
拡大。
OU帽子。
ずれる。
少女。
顔。
出る。
アリツェ・ヴァーツラフコヴァー。
ヴェラ。
画面。
見る。
「……アリス?」
御厨。
止まる。
もう一度。
戦闘ログ。
見る。
MAXIMILIAN。
拘束。
成功。
その後。
予測。
崩れる。
電子支援。
増える。
周辺設備。
介入。
する。
全部。
繋がる。
「なるほど」
ヴェラ。
「何が」
御厨。
少し。
笑う。
「相手が」
一拍。
「悪すぎましたねえ」
「褒めてる?」
「かなり」
ヴェラも笑う。
「でも一回取ったわよ」
「はい」
「MAXIMILIAN」
「はい」
「これ、相当すごい」
「そうですねえ」
御厨は戦闘ログをさらに深く開く。
《通常MAXIMILIAN行動予測適合率:高》
《電子介入後適合率:急低下》
《外部系統関与増加》
その横。
義弘。
参照。
データ。
《REFERENCE SUBJECT:YOSHIHIRO TSUDA》
《行動予測誤差:高》
御厨は二つを並べた。
アリス。
自分。
機体。
電子空間。
周囲。
使う。
義弘。
自分。
人。
道。
役割。
会話。
使う。
違う。
でも。
似てる。
閉じてない。
一つ。
ではない。
《共通項抽出》
《予測対象外部への役割分散》
御厨の目が僅かに鋭くなる。
「人も」
ヴェラ。
「何」
「機械も」
一拍。
「一つではない」
ヴェラは少し考える。
「当たり前じゃない?」
「そうですねえ」
御厨は画面を見た。
「でも」
「《LEDGER》は」
「まだ」
「一つとして」
「見ています」
ヴェラ。
「直す?」
「直します」
「また強くなるわね」
「そのための試験です」
御厨は新しい項目を開いた。
《RELATIONAL ACTOR MODEL》
《EXTERNAL ROLE DISTRIBUTION》
《MULTI-AGENT PREDICTION》
ヴェラがその文字列を見る。
「名前長い」
「仮です」
「あなた名前下手」
「そうですか?」
「うん」
御厨は気にしなかった。
*
その頃、アリスはまだパレードから逃げられていなかった。
帽子。
もう。
ない。
OU制服。
ばれた。
MAXIMILIAN。
横。
いる。
花。
降る。
人。
叫ぶ。
「女王陛下万歳!」
「万歳!」
「陛下、お忍び視察お疲れ様です!」
「だから違う!」
アリスは声を張った。
「幽霊ドローン追ってただけ!」
一瞬。
静か。
なる。
アリス。
失敗。
気づく。
誰か。
「女王陛下、怪異調査!」
「ゴーストがゴーストを追ってる!」
「新イベントだ!」
「どこ!?」
「地下!」
「探しに行こう!」
アリス。
「行くな!!」
歓声。
また。
上がる。
トミーから通信。
『何してんだ』
「助けて」
『何があった』
「ばれた」
『知ってる。配信出てる』
「消して」
『無理』
「帰りたい」
『女王陛下がお帰りだぞ』
「言うな!」
『で、幽霊は』
アリス。
少し。
黙る。
地下。
消えた。
細い機体。
思い出す。
先回り。
予測。
変な動き。
MAXIMILIAN。
一度。
完全。
取られた。
あれ。
誰。
作った。
「……逃げた」
『強かった?』
「うん」
『お前がそう言うなら面倒だな』
「気持ち悪かった」
『褒めてるな』
「うん」
トミー。
少し。
間。
『また探す?』
アリス。
周囲。
見る。
花。
群衆。
女王旗。
MAXIMILIAN。
自分。
OU制服。
今。
新しい。
配信。
タイトル。
《女王陛下、幽霊ドローン討伐へ》
アリス。
「……絶対」
一拍。
「探す」
トミー。
『女王祭りより?』
「当たり前」
アリスは群衆の向こう、地下へ続く道路を睨んだ。
新開市には。
また。
一つ。
妙。
もの。
生まれてる。
誰か。
人。
見てる。
次。
読む。
先。
立つ。
機械。
アリスはまだ、その名前を知らない。
御厨綴が《LEDGER》と呼んでいることも。
その《LEDGER》が。
今。
アリスとの戦闘から。
新しい。
もの。
学び始めたことも。
知らない。
ただ。
ゴースト。
として。
分かる。
あれ。
放っておく。
もの。
じゃない。
「次」
アリス。
小さく。
言う。
「捕まえる」
その言葉を聞いた周囲の誰かが、また勝手に意味を膨らませた。
「女王陛下が幽霊退治を宣言したぞ!」
「違う!!」
歓声が爆発した。
そして新開市のウェブには、その日のうちに新しい話題が追加された。
### 《歯車の女王VSドローンの幽霊》
アリスはそれを見た瞬間、声も出なかった。




