第435話 王冠の置き場所
オールドユニオンが新開市へ正式な戦力を送り込んだのは、大泉晴翔と《MIKOSHI=NYUDO》をめぐる一連の騒動の最中だった。当時は編制の美しさなど気にしている余裕はなく、各地から動かせる部隊をかき集め、対大型機装備も電子戦機材も都市制圧用の非致死兵器も、とにかく新開市へ投げ込んだ。その指揮権を一時的にアリスへ預けたこと自体、通常の軍事常識から見れば相当に異例だったが、当時の新開市は通常ではなかった。問題は、その異常事態が終わったあとである。大泉晴翔は拘束され、《大行列》は停止し、《MIKOSHI》を構成していた市民資産もそれぞれの持ち主へ戻り始めた。それでも一度送り込んだ外国軍を、「終わったから全部帰ります」で片づけるほど国際政治は単純ではない。ましてオールドユニオン本国にとって、新開市はもはや単なる地方都市ではなかった。中立都市であり、アライアンスと企業群と日本国とOCMとNECRO技術の交差点であり、何よりアリツェ・ヴァーツラフコヴァーという、本人の意思とはまったく無関係に国際政治上の記号になってしまった少女がいる。
そのため、オールドユニオンの現地司令部では数日間にわたって、派遣軍をどう整理するかという会議が続いていた。最終日の会議にはアリスとアザドも呼ばれた。大型モニターには現有戦力、撤収候補、増強案、整備拠点候補地が並び、その中には《MAXIMILIAN》の増強配備計画も含まれている。
「多い」
席についたアリスは、資料を最初の数ページ読んだところで言った。
現地司令官が答える。
「現在よりは削減しています」
「削減してこれ?」
「緊急投入時の編制が過大だったのです」
「じゃあもっと帰せばいい」
「大規模脅威への即応能力を失います」
「何の大規模脅威」
「《MIKOSHI=NYUDO》級です」
「もういない」
「一度存在した以上、再発可能性をゼロとは見なしません」
アリスが嫌そうな顔をする。理屈としては分かる。だから腹が立つ。
「次に同じの出たら、新開市とアライアンスと一緒に考える」
「発生後に?」
「発生前から外国軍いっぱい置くよりマシ」
アザドも資料をめくりながら言った。
「俺もアリス側。王冠返すって言ってる奴の下に軍だけ増やしてどうする」
「王冠返還後の指揮権は別途整理します」
「だからその整理が面倒になるって言ってんだ」
オールドユニオン本国側の担当官が遠隔回線から口を挟んだ。
『しかし、各国代表の安全確保は必要です。新開市はすでに複数国家・企業・国際組織の利害が交差しています』
アリス。
「それは分かる」
『でしたら、少数精鋭の代表護衛戦力だけでは――』
「それでいい」
『陛下』
「その呼び方から直せ!」
アザドが横で笑う。
「そこは諦めろ」
「お前が諦めるな!」
会議はそこから一時間以上続いた。オールドユニオン側は、少なくとも一個大隊相当の都市即応戦力を残したがった。アリスとアザドは、各国代表を守る少数精鋭と必要最低限の緊急対応要員だけに絞れと主張した。双方とも譲らず、最終的には緊急時に集められた雑多な戦力を整理して大半を撤収させる一方、《MAXIMILIAN》の増強配備、整備・補給拠点の設置、代表護衛用の少数精鋭部隊を維持することで妥協した。新開市内部に大規模な常設戦闘部隊を置く案は見送られ、整備拠点も外縁寄りへ置かれることになった。
最後に現地司令官が別の資料を出す。
「なお、女王陛下個人の直衛について」
「いらない」
「まだ説明していません」
「いらない」
「シュヴァロフの旧世代化については、先日のアライアンス側評価でも――」
「クラーロヴナー買った」
「借金で」
アリスが固まる。
「……何で知ってる」
アザドが答える。
「有名だから」
「何が」
「借金女王」
「誰が広めた!」
「市民」
「全員敵!」
現地司令官は咳払いした。
「いずれにせよ、直衛戦力の追加は」
「却下」
「しかし」
「却下!」
アリスは資料へ大きく赤線を引いた。
「私の周りに外国軍増やすな。シュヴァロフいる。クラーロヴナーいる。必要なら自分で逃げる」
アザド。
「走るの医者に止められてるだろ」
「今それ関係ない!」
結局、アリス直衛増強案も潰れた。軍事面だけを見れば、オールドユニオンはかなり譲歩した形になった。
だから本国は、別の場所で譲らなかった。
*
オールドユニオン本国では、アリスの《王冠返還》そのものについても分析が進んでいた。結論は単純だった。止められない。
アリス本人の意思が固い。三岐透子が法制度として返還工程を組み、新開市行政もそれを受け入れている。刀禰ミコトも、非常時に一人へ集められた権限を恒久化するつもりはない。アライアンスも、少なくとも表向きは返還を妨害しない。ならば、統治権をアリスの手に残すことは現実的ではなかった。
そこで、発想が変わった。
統治権は返していい。
行政権もいらない。
軍の恒常指揮権もいらない。
司法権も拒否権も必要ない。
ただし。
アリス本人まで、王座から立ち去る必要があるだろうか。
オールドユニオン本国から送られてきた新しい政治方針を読んだアザドは、しばらく黙っていた。
《新開市象徴君主制度・検討案》
「……絶対怒るぞ」
同席していた本国政治担当者が答える。
『反対ですか?』
「王権には反対」
『はい』
「アリスが勝手に人の上に立つのも反対」
『はい』
「でも、新開市が自分であいつを象徴にするってんなら」
アザドは資料をもう一度見る。
「別に」
『では、現地調整を』
「俺が?」
『アリスとの関係を考えれば最適です』
「本人説得じゃねえだろうな」
『まず各勢力への意向確認です』
「それならやる」
少し間を置く。
「本人にバレたら、お前らの名前先に出すからな」
『構いません』
「強いな」
*
アザドが最初に会った相手の一人が、オスカー・ラインハルトだった。場所はOCM側の会議室で、窓際には相変わらず小さなサボテンが置かれている。
「アリスを女王にする」
アザドは前置きなしに言った。
オスカーはサボテンへ水をやっていた手を止めた。
「本人に殺されたいのですか?」
「権力なし」
「何ですって?」
「統治権返す。軍も直接動かさない。行政にも口出さない。法律も作らない」
アザドが資料を投げる。
「象徴だけ」
オスカーは読み始めた。表情は変わらない。だが読み進める速度が途中から少し落ちた。
「立憲君主制」
「そういうの」
「かなり乱暴な説明ですね」
「通じればいい」
オスカーは資料を机へ置く。
「アリス本人が王権を受け入れる可能性は低い」
「知ってる」
「極めて低い」
「知ってる」
「ほぼ不可能です」
「だから王権ないって言ってる」
オスカーは指で資料を軽く叩く。象徴的代表。外交儀礼。市民統合。中立都市としての継続性。そして、NECRO技術を持つ兄弟姉妹を含む「新開市の住民」という概念の象徴。
「……悪くありませんね」
アザドが笑う。
「だろ」
「特に、NECRO兄弟姉妹にとって」
「そこ見ると思った」
「アリスが私人へ戻った後、彼女に紐づいていた政治的保護まで縮小する可能性があります。もちろん制度として別に保証すべきですが、現実には象徴があるかないかで扱いは変わる」
「じゃあ賛成?」
「制度としては」
オスカーは少し間を置いた。
「ただし、本人の同意なしに成立させるのは反対です」
「そこは俺も」
「そして」
「何」
「私が賛成したことは、アリスには言わないでください」
アザド。
「もう言うつもりだった」
「やめてください」
「面白そうだから」
「本気でやめてください」
*
オールドユニオンが水面下で始めた根回しは、思った以上に早く広がった。理由は単純だった。案そのものが、それぞれ異なる勢力にとって別々の利点を持っていたからである。
新開市へ進出している企業群にとっては、政権交代のたびに外交上の顔が変わらないことが大きい。刀禰ミコトが市長でなくなっても、市長選挙が荒れても、「新開市という街そのもの」を象徴する人物が残る。企業が市長個人へ接近していると見られる政治的リスクも減る。さらに、マルティネス・ディフェンス・システムズが一度味をしめたように、「アリスが使った」「女王が選んだ」という言葉には、とんでもない商業価値があった。アリス本人はそうした利用を契約で封じているが、制度上の象徴になれば、新開市と取引すること自体にブランドが乗る。
「つまり」
ある企業代表が会議で言った。
「市長は政治をする。女王は街を象徴する」
「権限分離としては合理的だ」
「企業側から見ても、政治的中立性が説明しやすい」
別の代表が言う。
「本人が嫌がるでしょう」
「そこは」
全員。
少し。
黙る。
「説得を」
「誰が」
誰も手を上げなかった。
*
さらに厄介なのは、オールドユニオンの政策だと分かった途端、新開市側が素直に「協力」しなかったことである。
代わりに。
真似した。
「外国勢力が女王制度を決めるのは反対だ!」
自治派。
叫ぶ。
「だから新開市独自案を出す!」
アリス派。
「女王陛下を市民の象徴に!」
反企業派。
「企業にも行政にも属さない象徴なら牽制になる!」
元ヴィランの一部。
「法律に口出さねえなら別にいいだろ」
祭り関係者。
「戴冠式もう一回できる?」
別の市民。
「前のより派手にしようぜ」
こうして、オールドユニオンの原案から枝分かれした「新開市独自立憲君主制案」「市民象徴制度案」「非統治女王制案」「女王陛下を新開市の顔として残す会」などが勝手に生え始めた。
しかも、誰もオールドユニオンの言いなりになるつもりはない。
「OU案とは違う」
「どこが?」
「こっちは新開市が決める」
「内容ほぼ同じだけど」
「そこが大事なんだよ!」
新開市らしいといえば、あまりにも新開市らしかった。
*
三岐透子が最初にその市民発議案を見つけた時、しばらく何も言わなかった。
ちょうどその隣には、王冠返還事業の書類に追われているアリスがいた。
「アリス」
「何」
「問題が増えました」
「嫌」
「まだ説明していません」
「その言い方の時、絶対嫌なやつ」
三岐が端末を向ける。
アリス。
読む。
《新開市象徴制度に関する市民発議案》
第一条。
《新開市の主権は新開市市民に属する》
「うん」
第二条。
《象徴君主は行政権、立法権、司法権及び恒常的軍事指揮権を有しない》
「うん」
第三条。
《象徴君主は、新開市の統合、中立及び継続性の象徴としてこれを置く》
「……うん?」
第四条。
《初代象徴君主として、アリツェ・ヴァーツラフコヴァーを推戴する》
「私いる!?」
「います」
「消せ!」
「私に消す権限はありません」
「何で!」
「市民発議だからです」
アリスは端末をひったくるようにして続きを読む。象徴君主には法的命令権なし。政府への拒否権なし。予算編成権なし。軍事指揮権なし。儀礼的な対外代表。非常時における調停要請権。ただし強制力なし。任命も原則として市民同意を必要とする。
アリスの顔がどんどん嫌そうになる。
「これ」
「はい」
「法的に」
「はい」
「できる?」
三岐はしばらく黙った。
「最悪なことに」
一拍。
「成立可能です」
アリスが固まる。
「何で」
「あなたが今返しているのは、非常時に集約された統治・調停権限です」
「知ってる」
「それを返すことと」
三岐は別の資料を開く。
「返還後、新開市市民が新しい制度を制定して象徴的地位を新設することは、別の法的行為です」
「同じだろ!」
「法的には違います」
「法律嫌い!」
「私は好きです」
「知ってる!」
アリスは椅子へ沈み込む。
「返したら」
「また渡される?」
「統治権ではありません」
「王冠!」
「象徴的地位です」
「王冠じゃん!」
「法的には――」
「もう法的にはって言うな!」
*
アリスが本当に嫌がった理由は、条文を読んだからこそ余計にはっきりした。
「権力ないならいいじゃない」
祝部マコトが軽く言った時、アリスは即座に睨んだ。
「よくない」
「行政できないよ?」
「知ってる」
「軍隊も動かせない」
「知ってる」
「法律も作れない」
「知ってる!」
「じゃあ何が嫌」
アリスは少し黙った。
「みんな」
「私見るじゃん」
祝部の顔から笑みが少し消える。
「……まあ」
「私が」
アリスは机の上に置かれた市民発議案を指で叩く。
「こっち」
「って言ったら」
「人」
「動く」
「前のデモみたいに?」
「そう」
「でも命令じゃない」
「だから何」
アリスは苛立ったように言う。
「法律に」
「命令じゃない」
「って書いても」
「みんな聞いたら」
「動くでしょ」
三岐が黙ってアリスを見る。
「それ」
アリス。
「権力ないって」
一拍。
「言わない」
部屋が少し静かになった。
アリスは前回の人波を思い出していた。Qbs.Bm.もOCMも、法的に自分の部下ではなかった。それでも「下がって」と言えば下がった。市民もルートを変えた。彼らが従ったのは、特別調停官権限だけが理由ではない。一緒に騒動を生き延び、助け、失敗し、謝り、それでも残った時間があるからだ。
それを。
制度。
する。
怖い。
「飾り」
アリスが小さく言った。
「飾りだから」
「取れなくなる」
三岐が眉を上げる。
「どういう意味です」
「今の王冠」
アリスは自分の頭上を指差した。
「危ないから」
「みんな」
「返せって言う」
「私も返す」
「でも」
「飾りなら」
一拍。
「誰も危ないと思わない」
だから。
残る。
ずっと。
*
アリスがこの話の最初の仕掛け人へ辿り着くまで、それほど時間はかからなかった。
「アザド!」
オールドユニオン現地施設の一室へ入るなり、アリスは怒鳴った。
アザドは振り向く。
「何」
「何してる!」
「仕事」
「女王!」
「ああ」
「ああじゃない!」
アリスが資料を叩く。
「これ!」
「立憲君主制」
「何で!」
「王権ないぞ」
「女王だろ!」
「お前、王権嫌いなんだろ」
「嫌い!」
「なくなる」
「王冠残る!」
アザドは少し考える。
「飾りだろ」
アリスの顔がさらに険しくなった。
「飾りだから取れなくなるんだよ!」
アザドが少し黙る。
「……なるほど」
「納得するな!」
「そこは考えてなかった」
「考えろ!」
「でも」
「何!」
「新開市が自分で決めるなら、それはお前が決めることでもない」
アリスが止まった。
アザドは続ける。
「俺は、お前が勝手に王様になるのは反対だ」
「なら」
「でも、市民が権力なしの象徴にお前を置きたいって言うなら」
「本人の私は!?」
「拒否すりゃいい」
「拒否してる!」
「じゃあ拒否しろ」
「そのために今怒ってる!」
アザドは少し笑う。
「元気だな」
「敵!」
「王権反対仲間だろ」
「今だけ敵!」
*
次に捕まったのはオスカーだった。
「賛成した?」
「何のことでしょう」
オスカーはサボテンの鉢を少し窓側へずらす。
「見るな」
「何を」
「サボテン!」
「サボテンは関係ありません」
「賛成した?」
オスカー。
沈黙。
「した?」
「制度としては」
「敵」
「短絡的です」
「敵!」
「アリス」
「何」
「あなたが私人に戻った後も、NECRO兄弟姉妹への社会的保護を継続する制度は必要です」
「それは別で作る!」
「同意します」
「じゃあ女王いらない!」
「しかし、象徴があることによる政治的安定は無視できません」
「本人が嫌ってる!」
「そこも理解しています」
「どっち!」
オスカーは少し困ったように眉を寄せた。
「制度案は支持します」
アリス。
睨む。
「ただし」
オスカーは続ける。
「あなたが拒否するなら、強制すべきではない」
アリスの勢いが少し止まる。
「……ずるい」
「何がです」
「完全に敵じゃない」
「敵ではありませんから」
「今それが一番面倒!」
*
市長である刀禰ミコトの立場も、アリスにとっては期待したほど単純ではなかった。
「ミコト」
「はい」
「反対して」
「何に?」
「女王」
「統治権を持つ女王制には反対です」
「じゃあ」
「象徴君主制については、まだ判断していません」
アリスが目を見開く。
「ミコト!?」
刀禰は静かなままだった。
「新開市の主権が市民にあり、行政権も軍事指揮権も持たず、本人同意を必要とする制度であれば、市長権限で議論そのものを止める理由はありません」
「私嫌」
「それも重要です」
「じゃあ止めて」
「あなたが拒否する自由は守ります」
「議論も止めて」
「市民が制度を議論する自由も守ります」
アリスは机へ額をつけた。
「味方いない」
「私はあなたの味方である前に、市長です」
「みんなそれ言う」
「正しいので」
「正しいの嫌い」
*
最後に、アリスは氷の母へまで連絡した。
『どうしました』
「止めて」
『何をですか』
「立憲君主制」
『アライアンスの計画ですか?』
「違う」
『オールドユニオン?』
「そこから始まったけど」
『では』
「街」
通信の向こうで短い沈黙があった。
『新開市の市民制度案を、アライアンスに停止させろと?』
「……うん」
『理由がありません』
アリスは天井を見る。
「民主的なら何でもいいの?」
『いいえ』
「じゃあ」
『本人同意、市民主権、権限制限、中立性。それらを満たすなら、新開市の制度選択です』
「私嫌って言ってる」
『なら反対してください』
「してる!」
『それでよいでしょう』
アリス。
「味方いない」
氷の母の声はいつも通りだった。
『私は、貴女の味方になるために新開市へ関わっているわけではありません』
「知ってるけど!」
『では』
「でも今くらい味方して!」
『制度論としてはできません』
「嫌い!」
『それは残念です』
「絶対残念じゃない!」
*
問題は、議論がすでに制度研究の段階を越え始めていたことだった。
署名活動。
始まる。
《新開市象徴制度に関する市民発議》
必要署名数へ。
近づく。
市民討論会。
予定。
入る。
オールドユニオン案。
自治派案。
市民派案。
企業協議案。
細部。
違う。
でも。
全部。
アリス。
いる。
祝部が最新資料を持ってきた。
「アリス」
「嫌」
「まだ言ってない」
「顔」
「市民投票ライン、見えてきた」
「嫌!」
「署名このままなら」
「何で!」
「人気?」
「そういう話じゃない!」
アリスは各案を並べて見る。ある案では「女王」。別の案では「象徴調停者」。別の案では「新開市代表象徴」。さらに別の案では「第一市民」。名前だけ違う。
「何で」
アリス。
画面。
指。
差す。
「全部」
「私」
「なの」
祝部。
「支持率高いから」
「だからそれが嫌!」
三岐も疲れた顔で資料を見る。
「一つ、政治的に厄介な点があります」
「まだあるの?」
「あなたの王冠返還活動そのものです」
「何」
「あなたが実権へ執着していないことを、すでにかなりの市民が確認しています」
「それが何」
三岐は言いにくそうに続けた。
「つまり」
一拍。
「権力を手放そうとしているからこそ」
「象徴として残すことへの警戒が下がっています」
アリス。
しばらく。
動かない。
「王冠」
「返してるから」
「王冠」
「渡される?」
三岐。
「政治的には」
一拍。
「そう見えます」
アリスは椅子へ沈み込んだ。
「最悪」
*
夜。
アリスの机には、二種類の書類が積まれていた。一つは、自分が現在持っている非常時権限を新開市へ返すための工程表。三岐と何度も揉めながら作ってきたものだ。期限。移管先。再延長禁止。不可逆決定の単独禁止。外交権限。災害調整。都市設備管理。少しずつ、王冠をばらしている。
その横。
別。
《新開市象徴君主制導入に関する市民投票準備請求》
まだ正式な投票ではない。
でも。
近い。
アリスは端末を見ている。
シュヴァロフは壁際。
スルツォヴァー・クラーロヴナーは静かに浮いている。
トミーは葉物を齧っていた。
「女王なのに辞められないな」
「女王じゃない」
「投票で決まったら?」
アリスが顔を上げる。
「反対票」
「本人が?」
「入れる」
「候補本人が自分に反対?」
「絶対」
一拍。
「私に入れない!」
トミーが葉を噛みながら言う。
「珍しい選挙だな」
「選挙じゃない!」
「女王決める投票」
「決めるな!」
*
翌朝。
アリスが最初に見たニュース記事。
《歯車の女王、象徴君主制案への反対を正式表明》
それだけならよかった。
次。
《「権力に執着しない姿勢こそ象徴にふさわしい」支持派が歓迎》
アリス。
止まる。
もう一つ。
《女王本人が反対票表明 立憲君主派「だからこそ安心して任せられる」》
もう一つ。
《新開市市民、「王になりたくない王こそ信用できる」》
アリス。
端末。
見る。
長く。
見る。
「……何で」
トミー。
「何が」
「反対すると」
一拍。
「支持」
「上がるの」
トミーは少し考えた。
「女王向いてるからじゃない?」
「うるさい!!」
アリスの怒鳴り声が部屋に響いた。
王冠を持っていた時、彼女はそれを返せと言われた。
返そうとした。
実際。
返している。
そして今。
返しているからこそ。
残ってほしい。
言われ始めた。
これまでアリスが悩んできたのは、王冠をどう外すかだった。
統治権をどこへ返すか。
非常時権限をどう分解するか。
一人に集まった力を、どう街へ戻すか。
だが。
新開市が次に突きつけてきた問題は。
もっと。
面倒。
だった。
アリスが。
王冠を。
返せる。
か。
ではない。
新開市が。
アリスを。
王座から。
降ろせる。
のか。
だった。




