第428話 新開市式歓迎
御厨綴とマティアス・ヴァン・ローンが新開市で本格的に仕事を始めてから、しばらくのあいだ数字は驚くほど素直に改善していた。御厨はOCM海外部門の情報網とヴェラ・クラウスの実働部隊を手に入れたことで、これまで時間不足から後回しにしていた企業履歴や海外法人の追跡へ一気に踏み込めるようになり、管理主体の曖昧な資産、過去に行政処分を受けながら別名義で復活した企業、ヴィラン向け装備の流通へ関与した疑いのある業者を次々と洗い出していた。一方のマティアスも、JX-01《REGALIA》を中心に天領機工や複数の日本国企業から提供された工兵・輸送ドローンを使い、晴翔事件と《大行列》で傷ついた道路、橋梁、物流回廊、電力設備の復旧を目に見える速度で進めていた。アライアンスへ提出される中間報告には、事故率低下、工期短縮、危険設備の減少、責任主体不明案件の整理件数増加と、誰が見ても「うまくいっている」としか言いようのない数字が並んでいた。
「ほら」
マティアスは復旧工程表を指先で叩いた。
「やればできる街じゃない」
御厨はその横で企業関係図を整理しながら、いつもの穏やかな顔で頷いた。
「皆さん、思っていたより協力的ですねえ」
同席していた新開市行政職員は、二人を見て何とも言えない顔をした。
「そうですね」
「何です、その顔」
マティアスが尋ねる。
「いえ」
「何よ」
「新開市ですので」
「答えになってないわ」
御厨が少し笑った。
「何か起きるという意味でしょうか」
「起きなければいいんですが」
それから二時間後、起きた。
*
始まり自体は、何もおかしくなかった。日本国企業の相次ぐ新開市再建事業への参入、OCM海外部門の武装した実働部隊の進出、さらにアライアンスが御厨とマティアスを招聘して都市の安全性と再建方針へ強い影響を与え始めたことに対して、一部の市民団体と地場企業、自治派組織が懸念を表明したのである。彼らの主張にはそれなりの筋が通っていた。新開市は日本国内に存在するが、日本国の都市ではない。アライアンスは中立インフラを守る組織ではあるが、新開市そのものを統治する主体ではない。復旧を急ぐあまり、都市規格や設備保守を国外・域外勢力へ握らせれば、十年後には「復旧だから」という言い訳では済まなくなる。そこで正式な手続きを踏み、合法的なデモ行進を行うことになった。
申請時の参加予定人数は、四百八十人。
当日朝には八百人になった。
開始一時間前には千五百人を越えた。
そして行進が始まった頃には、誰も数えるのをやめた。
「何で増えてるのよ!」
マティアスは工事現場の監視台から、通りを埋め始めた人波を見て叫んだ。
行政職員が答える。
「アライアンス介入反対派が合流しました」
「それは分かるわ」
「それからアリス派が」
「何で?」
「『アライアンスが女王陛下の権限を奪っている』と」
「本人、権限返してる最中でしょう!?」
「はい」
「じゃあ何なのよ!」
「アリス派ですから」
マティアスは額を押さえた。
行進の中では、すでにいくつもの主張が互いに矛盾しながら同じ道路を歩いていた。
「アライアンスは新開市への干渉をやめろ!」
「女王陛下の権限を奪うな!」
「新開市は誰のものでもないぞ!」
「日本企業ばっか入れるな!」
「OCMの軍隊を追い出せ!」
「工事止めるな! 復旧してくれてるだろ!」
「自由万歳!」
「女王万歳!」
マティアスは聞いていて頭が痛くなった。
「最後の二つ、一緒に成立するの?」
誰も答えなかった。
そこへ導線屋が混じった。
彼らは主張そのものにはほとんど興味がない。ただ、人の流れがどう動けば最も派手な映像になるか、どこを通れば巨大なREGALIAを背景に群衆を撮れるか、どの交差点ならアライアンスのQbs.Bm.とデモ隊を同一画面へ収められるかに夢中だった。非公式に経路変更を呼びかける者まで出て、正式な行進ルートから人波が横へ膨らみ始める。
「そっち行かないで!」
マティアスが拡声器で叫ぶ。
「そこ高架支えてる途中!」
群衆の中から誰かが返す。
「公共道路だぞ!」
「工事中よ!」
別の声。
「REGALIAの真下から配信すると映えるぞ!」
「死にたいの!?」
配信者が本当にJX-01《REGALIA》の脚元へ近づこうとして、工事員に止められる。別の場所では屋台が出始めていた。カード交換台まである。
祝部マコトは配信画面越しにその様子を見ていた。
「何でデモに屋台が出てるんだよ」
コメント欄。
《新開市だから》
《歩くと腹減るだろ》
《MIKOSHI焼き買った》
《ヴィランの王カード交換希望》
「そういうところだぞ!」
*
御厨綴が異変を感じたのは、人の数ではなかった。行進参加者の中に、過去に武装事件へ関与した人物が複数混じっていたからである。合法デモに参加する権利は彼らにもある。過去にヴィランだったからといって、現在の合法行為まで禁止できるわけではない。御厨自身、その線引きを理解していた。しかし一人だけ、腰部装甲の下へ規制対象の高出力武装を装着している男がいた。
「まあ」
御厨は端末を見た。
「困りましたねえ」
同行職員が尋ねる。
「治安機関へ?」
「連絡してください」
「Qbs.Bm.は」
御厨は群衆の中にいる男を見た。まだ武器を抜いていない。誰かを脅してもいない。ただ持っている。
「危険物だけ預かりましょう」
二機のQbs.Bm.が静かに進んだ。
それがまずかった。
「アライアンスが来たぞ!」
誰かが叫ぶ。
群衆の空気が変わる。
Qbs.Bm.は男へ直進しない。人を傷つけず、必要な間隔を取りながら接近する。対象となったサムライ・ヴィランは、それに気づいて声を上げた。
「何だよ!」
御厨が人波の向こうから答える。
「武装を確認させてください」
「何もしてねえぞ!」
「はい」
「じゃあ何で!」
「所持している装備が、現在の行進許可条件を越えています」
「抜いてない!」
「そうですねえ」
「ならいいだろ!」
そこへ、別の市民が二人の間へ入った。
「こいつ今何もしてないぞ!」
「アライアンスが勝手に捕まえるな!」
「新開市の治安は真鍋の仕事だろ!」
御厨が少し困った顔をする。
「逮捕ではありません」
「同じだ!」
「違いますよ」
「ロボット寄越して囲んでるじゃねえか!」
一人がQbs.Bm.の前へ立つ。
次。
もう一人。
さらに三人。
Qbs.Bm.は止まった。
一般市民を押し退けて対象へ到達することは、現在の制圧規則では許可されていない。
御厨の目が少し鋭くなる。
対象。
見えてる。
危険。
分かる。
でも。
行けない。
「……こうなりますか」
同行職員。
「治安機関到着まで待ちます?」
「そうしましょう」
口ではそう言った。
ただ御厨は、その場面をよく覚えた。
*
その頃、行進の後方ではもっと意味の分からないものが合流していた。
全高五メートル。
低出力。
武装なし。
晴翔が公開した設計データを参考に、祭礼展示用として作られた小型《MIKOSHI=NYUDO》。
歩行速度は人間とほぼ同じ。
上部には横断幕。
《新開市を勝手に直すな》
御厨が遠くからそれを見つけた。
「……あれ」
真鍋は現場到着直後だった。
「MIKOSHI」
「止めなくていいんですか?」
「今のところ歩いてるだけ」
「MIKOSHIが?」
「そう」
「前に街を壊したものと同じ名前ですよね」
「同じ名前」
「……」
「慣れて」
「無理です」
真鍋は少し笑った。
「新開市だからね」
MIKOSHIの周囲には民間アリス系ドローンが数機付き、旗を掲げている。さらにサムライ・ヒーローが警備目的で行進沿いを歩き、その中へ何人かのサムライ・ヴィランまで混じっていた。誰が警備で、誰がデモ参加者で、誰がただ面白がっているだけなのか、見た目では分からなくなっている。
そこへ、御厨側の動きを見たヴェラ・クラウスがOCM海外部門の部隊を前進させた。
「TIGER、御厨の前を空けて」
『了解』
「PANTHERは側面」
『了解』
WEREWOLFも起動する。
真鍋が即座に通信を入れた。
「ヴェラ!」
『何』
「前出すな!」
『人波でQbs.Bm.が動けてない』
「だからって外国企業の武装部隊をデモ隊の前に出すな!」
『護衛契約内』
「空気読め!」
『それは得意よ』
「なら今読め!」
ヴェラがほんの一瞬だけ黙る。
しかし既に遅かった。
「OCMが出てきたぞ!」
「企業軍だ!」
「アライアンスと組んでデモ潰す気だ!」
民間アリス系ドローンが防御姿勢へ入る。
数名のサムライ・ヴィランが装甲を展開する。
サムライ・ヒーローたちがその前へ割って入る。
「抜くな!」
「お前らも構えるな!」
日本国企業側の警備用アリス系ドローンがREGALIAと工事設備を保護するため隊形を変更し、Qbs.Bm.は群衆を傷つけないようその場に停止したまま、いつでも制圧へ入れる姿勢だけを取る。
五メートルMIKOSHIまで前へ出た。
マティアスが叫ぶ。
「何で御輿が戦列に出るのよ!」
群衆の中から答え。
「御輿だからだ!」
「説明になってないわよ!」
*
通り一本を隔てて、異様な対峙が成立した。
片側には、アライアンスのQbs.Bm.。日本国企業の工兵・警備ドローン。JX-01《REGALIA》。ヴェラ率いるOCM海外部門のTIGER、PANTHER、WEREWOLF。
反対側には、民間アリス系ドローン。サムライ・ヴィラン。間へ入ったサムライ・ヒーロー。五メートルのMIKOSHI。そして何より、人間。
大量。
いる。
真鍋は両者の間に立っていた。
「武器下げろ!」
サムライ・ヴィラン。
「向こうが先だ!」
ヴェラ。
『こっちはまだ撃ってない』
「そういう問題じゃない!」
御厨が珍しく少し険しい顔で周囲を見る。
「これ」
マティアスが隣で聞く。
「何」
「毎回こうなの?」
真鍋は一瞬だけ考えた。
「わりと」
「わりと!?」
何か一つ。
間違う。
だけ。
撃つ。
誰か。
転ぶ。
能力。
発動。
その瞬間。
終わる。
新開市では何度も見た空気だった。
真鍋は治安部隊へ増援を要請する。
それとほぼ同時に。
アリスへも連絡。
入る。
*
「真鍋に任せる」
最初、アリスはそう答えた。
王冠。
返してる。
治安。
真鍋。
仕事。
アリス。
出ない。
それ。
正しい。
でも。
『現場、民間アリス系十七。日本企業系九。OCM海外部門十二以上。Qbs.Bm.二。サムライ装備多数。通信帯域かなり混んでます』
「……」
アリス。
端末。
見る。
少し離れた場所で、新しく家族になったばかりのスルツォヴァー・クラーロヴナーが静かに待機している。
トミー。
「行く顔」
「違う」
「行く顔」
「新しい子」
「うん」
「実戦まだ」
「うん」
「通信ぐちゃぐちゃ」
「うん」
「心配」
「うん」
「行くじゃん」
アリスが立つ。
「……行く」
「結局」
「家族いる!」
「まだ現場行ってないだろ」
「連れてく!」
「理由逆だろ」
*
アリスが現場へ到着した時、最初に目へ入ったのは五メートルMIKOSHIだった。
「……何あれ」
トミー。
「MIKOSHI」
「見れば分かる!」
その横。
横断幕。
《アライアンスは女王への干渉を止めろ》
アリス。
「誰が書いた!」
誰も答えない。
シュヴァロフがアリスの側へ立ち、コロボチェニィクが後方で作業区域の防護につく。スルツォヴァー・クラーロヴナーは高所へ上がった。薄い可変翼が展開し、都市上空の混雑した通信を拾い始める。
アリスは端末を見る。
「ひど」
OCM。
民間アリス系。
日本企業系。
Qbs.Bm.。
サムライ装備。
配信ドローン。
全部。
近い。
誤認。
始まる。
一つの民間機がOCMのTIGERを敵性追尾。
TIGER側も警戒。
アリス。
「クラーロヴナー」
新しい家族機が上空で旋回する。
《THREADLINE》
味方通信だけではない。治安側の許可を受けた最低限の調整回線を、混雑から分離していく。
次。
《QUIET ROOM》
ただし。
狭い。
局地。
通信妨害の強い帯域だけ落とす。
配信。
全部。
止めない。
アリス。
「FALSE STEPはなし」
トミー。
「何で」
「今、騙す必要ない」
新しい電子戦機。
戦う。
ため。
だけ。
ではない。
ぶつからない。
ため。
使う。
それ。
アリス。
少し。
安心。
*
そして問題は、人間だった。
アリスが群衆の前へ出る。
一瞬。
声。
増える。
「女王だ!」
「アリス!」
「女王陛下!」
「歯車の女王!」
「本人だ!」
アリスの顔が険しくなる。
真鍋が横へ来る。
「頼める?」
「演説嫌」
「私も嫌」
「じゃあ」
「お前の方が聞く」
「それが嫌なんだよ!」
でも。
マイク。
渡される。
アリス。
取る。
嫌。
顔。
する。
「……デモ」
少し。
静か。
なる。
「続けていい」
一瞬。
群衆。
止まる。
「でも」
アリスは工事現場を指す。
「ここ」
「高架」
「REGALIAが支えてる」
「崩れたら」
「死ぬ」
誰か。
「でも公共道路だ!」
「死んだらデモ終わる」
返事。
ない。
「それ」
「嫌でしょ」
少し。
ざわつく。
次。
「サムライ」
何人か。
アリス。
見る。
「武器しまえ」
「何で!」
アリス。
「今」
一拍。
「誰も殴ってないから」
「向こうは武装してる!」
「向こうにも言う」
アリスは御厨とヴェラ側を見る。
「Qbs.Bm.」
「下げて」
御厨が少し眉を上げた。
「ですが、武装規則違反者が」
「真鍋が見る」
真鍋。
「私がやる」
御厨は数秒考えた。
それから。
「分かりました」
Qbs.Bm.。
後退。
する。
アリス。
ヴェラ。
見る。
「OCM」
『何』
「でかい」
『は?』
「怖い」
『理由それ?』
「十分」
ヴェラはしばらくアリスを見た。
それから笑う。
『下がる』
TIGER。
PANTHER。
WEREWOLF。
一歩。
後ろ。
下がる。
日本企業側。
マティアス。
見る。
「そっちも」
「何よ」
「警備機」
「工事守ってるのよ」
「構えるな」
「壊されたら?」
「シュヴァロフいる」
「余計怖いじゃない!」
「今は私の」
「だから余計よ!」
でも。
マティアス。
指示。
出す。
日本企業警備機。
武装姿勢。
解除。
*
空気が一段下がった。
サムライ・ヒーローたちが間を広げ、真鍋の治安部隊が本来の行進ルートをもう一度確保する。マティアスは工事現場の脇に仮設の通行帯を作るためREGALIAを少し動かし、アリスの家族機は高架と群衆の境界で安全確保へ回った。五メートルMIKOSHIは、そのまま歩いてよいという判断になった。
御厨がまだ納得しきれない顔で真鍋へ言う。
「本当に通すんですね」
「今のところ違法じゃない」
「MIKOSHIですよ」
「五メートル」
「大きさの問題ですか?」
「今は行動の問題」
御厨はアリスを見る。
アリス。
群衆。
誘導。
してる。
怒鳴らない。
命令。
でもない。
「そっち」
「詰まってる」
「二列」
「屋台止まるな」
「配信者、前入るな!」
「そのMIKOSHI、頭ぶつける!」
どんどん流れが変わる。
誰かが笑う。
誰かが文句を言う。
それでも。
従う。
そして行進は再開した。
「女王アリス、万歳!」
「それやめろ!」
「アライアンスは女王への干渉を止めろ!」
「勝手に私を使うな!」
「新開市は独立都市だ!」
「それは好きに言え!」
「自由万歳!」
「それも好きに言え!」
「女王陛下ー!」
「女王じゃない!」
行進。
進む。
アリスの誘導。
従う。
マティアスと御厨。
見る。
*
「……すごいわね」
マティアスが言った。
御厨は返事をしなかった。
目。
鋭い。
観察。
してる。
デモ隊の誰も、アリスへ完全服従しているわけではない。むしろアリスの意見と正反対の主張を叫びながら歩いている者すらいる。
それでも。
アリス。
「武器しまえ」
しまう。
「こっち通れ」
通る。
「それ危ない」
避ける。
ヴェラが御厨の横へ来た。
「権限?」
御厨は首を横へ振る。
「違いますねえ」
「じゃあ何」
「信用」
御厨は少し考えた。
「……いえ」
「何」
「それだけでもない」
ヴェラ。
アリス。
見る。
「あの子、この街の司令官?」
「本人は否定するでしょうねえ」
マティアスが聞く。
「でも」
一拍。
「あの子一人で、人の流れ変えたわよ」
都市研究者として。
それ。
かなり。
異常。
だった。
道路。
壁。
柵。
標識。
全部。
人の流れ。
変える。
ため。
ある。
でも。
アリス。
何も。
建てない。
数分。
で。
流れ。
変えた。
「だから女王なのね」
アリスが聞きつける。
「違う!」
マティアス。
「してたじゃない」
「してない!」
「人、動かした」
「事故防いだだけ!」
御厨。
「皆さん、アリスさんの言葉を聞いていましたねえ」
「真鍋もいた!」
真鍋。
「私は逮捕の話しかしてない」
「裏切るな!」
真鍋は肩をすくめた。
*
騒動が一段落し、行進が正式ルートへ戻った後、御厨とマティアスはアリスと少し話した。
御厨。
「さすがですね」
アリス。
「何が」
「統治」
「してない」
即答。
マティアス。
「してたじゃない」
「してない!」
「じゃあ何」
アリスは少し考える。
「皆」
「私だから」
「言うこと聞いたんじゃない」
御厨。
「では」
「今まで」
一拍。
「一緒に」
「めちゃくちゃ」
「なったから」
二人。
少し。
黙る。
アリス。
続ける。
「私」
「間違えた」
「皆も」
「間違えた」
「助けた」
「助けられた」
「喧嘩した」
「謝った」
「また」
「一緒に」
「いた」
「だから」
「今」
「聞いてくれただけ」
御厨の目が少し変わる。
端末。
出す。
メモ。
取る。
アリス。
「記録すんな!」
「職業病です」
「やめろ!」
マティアスはアリスではなく、遠ざかっていく人波を見る。
「それでも」
「何」
「街が物理構造だけで動くんじゃないってのは分かったわ」
「当たり前」
「当たり前じゃないのよ」
マティアス。
少し。
笑う。
「面白いわね、この街」
アリス。
「今さら?」
「今からよ」
*
その日の夜、二人はそれぞれ報告書を書いた。
マティアスの報告。
《都市動線は、道路・建築・交通規制などの物理構造のみでは十分に制御できない》
正しい。
《巨大群衆イベント発生時、非公式導線形成が工事・救急・物流機能を容易に阻害する》
これも正しい。
《今後、重要工事区域および中立インフラ周辺では、群衆流入を事前に制御可能な都市設計・経路管理機構が必要》
そこで。
少し。
未来。
変わる。
御厨の報告。
《合法デモ参加者に、過去危険行動歴を持つ者が複数混入》
《規制武装所持者一名を早期識別》
《市民群衆によってQbs.Bm.の接近・危険除去が阻害》
《司法権限を持つ新開市治安機関との連携後、事態収束》
全部。
正しい。
最後。
《危険履歴情報を、現場接触より前段階で治安・警備主体へ適切に共有する仕組みを検討すべき》
こちらも。
今。
だけ。
見れば。
正しい。
二人。
学んだ。
新開市。
から。
「もっと早く」
「もっと前に」
「もっと安全に」
そう。
思った。
*
氷の母は二人の報告を読んだ。
今回の騒動による重大負傷者。
なし。
工事停止。
三時間四十七分。
都市機能への重大障害。
なし。
武装衝突。
なし。
治安上の逮捕・任意同行。
少数。
全体としては、巨大デモが少し混乱した程度とも言える。
氷の母はマティアスの提案を読み、次に御厨の提案を読む。
担当官が尋ねる。
「どうしますか」
氷の母は少し考えた。
「改善案を」
一拍。
「提出してください」
「双方とも?」
「はい」
担当官は頷いた。
氷の母は新開市の映像へ視線を戻した。
行進。
まだ。
続いてる。
アリス。
途中。
離れた。
でも。
人。
流れる。
新開市。
いつもの。
騒ぎ。
戻る。
今。
誰も。
怪我。
してない。
なら。
改善。
すれば。
次。
もっと。
安全。
なる。
そう。
考える。
それ。
間違い。
ではない。
*
御厨綴とマティアス・ヴァン・ローンは、その日初めて新開市から本格的な歓迎を受けた。
歓迎の花束はなかった。
代わりに人波があった。
騒音があった。
矛盾した政治主張があり、導線屋が勝手に人を曲げ、配信者が危険区域へ入り、サムライ・ヴィランが武器を持って歩き、民間ドローンが群れ、五メートルのMIKOSHIが横断幕を掲げて進んだ。
そして最後には。
アリス。
来た。
命令権。
ない。
統治権。
返してる。
逮捕権。
真鍋。
でも。
人。
聞く。
動く。
御厨はそこに、まだ記録では表現できない社会的信用の構造を見た。
マティアスはそこに、まだ道路図では表現できない都市の流れを見た。
二人とも。
興味。
持つ。
もっと。
知りたい。
もっと。
整えたい。
そう。
思う。
その夜、新開市では早くも今日のデモを記念した切り抜き動画が大量に出回り、五メートルMIKOSHIが「御輿だから」と前へ出た場面は短時間で数百万回再生されていた。
タイトル。
《新開市、通常運転》
アリスはそれを見て、端末を閉じた。
「……ほんと嫌」
トミー。
「好きなんだろ」
「今ちょっと嫌い」
窓の外。
スルツォヴァー・クラーロヴナー。
静か。
飛ぶ。
その下。
新開市。
今日も。
全然。
整って。
いなかった。




