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第423話 王冠の後始末

 大泉晴翔の側近が日本国へ帰国して最初に知ったのは、自分が大泉晴翔の政治的な遺産を継ぐ人間として、本人によって勝手に指名されかけているという事実だった。空港からそのまま議員関係者の待つ事務所へ向かった側近を迎えたのは、晴翔の政策スタッフ、長年付き合いのある研究者、支援者との連絡網、政策立案に使っていた民間シンクタンクとの窓口、晴翔個人が適法に処分できる資産や資料、そして今後の政治活動を継続するのであれば必要になるであろう引き継ぎ書類の山だった。新開市で「撤退します」と言った時の晴翔の穏やかな顔を思い出し、側近は一枚目の書類を読んだところで手を止めた。


「……何これ」


 向かいにいた古参スタッフが困ったように答えた。


「大泉先生からです」


「それは見れば分かります」


「万一、ご自身が長期間政治活動へ復帰できない場合、主要な連絡関係をあなたへ引き継げるように、と」


「聞いてませんけど」


「先生は、あなたなら断るかもしれないとも仰っていました」


「分かってるならやらないでくださいよ……」


 側近は両手で顔を覆った。そこでようやく、あの男が自分を先に日本へ帰した本当の理由まで理解した。晴翔は最初から自分だけが新開市へ残るつもりだったのだ。アライアンスに帰国経路を押さえられていることも、真鍋とアリスがKYO=KOTUの命令経路を掴みつつあることも、おそらく全部分かっていた。そのうえで、自分だけを危険な最後の悪あがきから遠ざけた。そして、万一自分が戻れなくなった場合に備え、政治家・大泉晴翔が持っていたものまでこちらへ寄越した。


「あの人……」


「受け取りますか」


 側近はしばらく書類を見ていた。政治家が長年積み上げた人脈というものは、金額で簡単に表せる資産ではない。誰へ電話すればどの専門家に届くか。誰が誰を信用し、どの研究者がどの官僚と話ができ、どの政策団体なら他党にも筋を通せるか。晴翔が危険な賭けを繰り返しながら、それでも国政の場で生き残ってきた理由の一部が、そこには詰まっていた。


「要りません」


「しかし」


「私は先生になりたいわけじゃないです」


 側近ははっきり言った。


「先生の席に座る気もありません。私にあれを継げって言ったなら、それは先生の勝手です」


 書類を閉じる。


「でも」


 別の一枚を引き寄せた。


「使わせてもらいます」


「何に」


「先生を助けるのに」


 その日から、日本では奇妙な動きが始まった。晴翔の個人として利用できる資産と、長年の活動で築いた合法的な支援人脈が、一斉に一つの方向へ向けられた。刑事弁護に強い弁護士。国際法。外交特権と国外公務員の扱い。AI制御ドローンに関する法制度。都市インフラ犯罪。サイバー犯罪。新開市独自法制とオールドユニオン、アライアンスとの管轄問題に詳しい研究者まで招かれた。誰か一人が晴翔の後継者になるのではない。晴翔がこれまで作った政治的な歯車を、本人を社会から消させないための防御へ組み替える。


 側近は集まった弁護士たちを前に言った。


「先生が裁かれるべきことをやったなら、裁かれてください」


 一人の弁護士が眉を上げる。


「無罪にしろ、ではない?」


「違います。ただ」


 側近は晴翔から届いていた最後の引き継ぎ文書を机へ置いた。


「あの人、一人で負けた気になって満足してるんですよ」


「……はい?」


「それが気に食わない」


 側近は少し笑った。


「裁判をするなら、一人で遊ばせません」


     *


 その頃、大泉晴翔は、新開市治安機関の拘置区画で予想以上に素直だった。少なくとも最初はそうだった。真鍋が正式な聴取を始めるために面会室へ入った時、晴翔は拘置生活へ文句を言うでもなく、いつもの穏やかな笑顔で椅子へ座っていた。


「話しますよ」


 晴翔が言った。


「何を」


「聞かれたことを」


「弁護士は」


「まだ来ていません」


「待たなくていいの」


「ええ。私が行ったことについて、必要な範囲で説明するつもりです」


 真鍋は晴翔をじっと見た。


「急に殊勝だね」


「負けましたので」


「負けたら自白するルールでもあるの」


「ありません。ただ、負けた側が責任を引き受けることは、それほど不自然でもないでしょう」


「お前が言うと何か仕込んでる気がする」


「信用がありませんね」


「実績」


 晴翔は笑った。真鍋は笑わなかった。


 ところが、その聴取は始まらなかった。日本から緊急に派遣された大規模な弁護団が到着したからである。


 刑事弁護人だけではない。国際法務。外交関係。技術法務。AIシステムの責任分界。都市設備の所有・管理責任。新開市が特殊な自治・国際協調制度の上に成立していることもあり、一件の事件としては異様なほど専門領域が広かった。晴翔本人が多数の事件へ異なる立場で関わってきたことも、それに拍車をかけている。


 弁護団の代表は、晴翔の向かいへ座るなり言った。


「大泉先生」


「はい」


「今後、私どもの確認なしに捜査機関へ供述しないでください」


「私は自白するつもりですが」


「しないでください」


 晴翔は目を瞬かせた。


「なぜ」


「あなたが何を考えていたかを自分で説明し、それを事件の意味として確定させる必要はありません」


 晴翔の表情が少し変わった。


「ほう」


「裁判は、あなたの自己解説を聞く会ではありません。証拠があり、行為があり、結果があり、それに法を適用する場です」


「つまり」


 晴翔は身を乗り出した。


「私が何も話さなくても」


「はい」


「新開市側は私が何をしたか、証明しなければならない」


「当然です」


「私自身が協力せずとも」


「当然です」


 晴翔の笑みが深くなる。


 弁護士は嫌な予感がした。


「先生」


「はい」


「面白がらないでください」


「難しい注文ですね」


 そこへ、側近からの手紙が渡された。


 晴翔は封を切り、読み始めた。


『先生へ。政治資産は要りません。勝手に後継者にしないでください。あと、先生が負けたかどうかを先生が自分で決めるのも気に入りません。裁判所に決めてもらってください。弁護士を送ります。黙って言うことを聞いてください。どうせ黙るのは得意でしょう。』


 晴翔は最後まで読むと、珍しく声を出して笑った。


「これは」


「何か」


「怒られました」


「当然です」


「私としては、綺麗に負けたつもりだったのですが」


「人生はあなたの物語ではありません」


 弁護士が言う。


 晴翔の笑いが止まった。


 ほんの一瞬だけ。


 それから、また笑った。


「なるほど」


 その日以降、大泉晴翔は黙秘権を行使した。


 KYO=KOTUについて。


 MIKOSHI=NYUDOについて。


 《大行列》について。


 チャールズ襲撃について。


 晴翔自身が関係を認めていた過去の言動についてさえ、正式な聴取では必要以上の説明をしなくなった。


 真鍋は最初の聴取で黙り込んだ晴翔を見て眉間を押さえた。


「昨日まで話すって言ってたよね」


 晴翔は微笑む。


「……」


「黙秘は権利だからいい」


「……」


「その楽しそうな顔やめて」


「……」


「喋るなとは言ってない!」


「黙秘中ですので」


「今喋ったじゃない!」


     *


 そして新開市は、大泉晴翔の拘留から一週間も経たないうちに、別の意味で大泉晴翔に熱狂していた。


 それまで《テロリスト大泉晴翔》《女王の宿敵》《再生の怪物》などと呼んでいたネットワークの一部が、今度は晴翔を《ヴィランの王》と呼び始めたのである。KYO=KOTU。TEN=GU。MIKOSHI=NYUDO。三妖機との過去の繋がり。《大行列》。アリスと義弘を相手に長期間にわたって新開市全体を揺さぶり続け、それでも本人は最後まで笑っていた。社会的大泉晴翔は、拘留されたことによって消えるどころか、今度は一つのキャラクターとして恐ろしい速度で再構成されていた。


《新開市史上最強のヴィラン》


《一人で都市を揺らした男》


《女王とアジャストメント・ヒーローが総力で止めた怪物》


《ヴィランの王 大泉晴翔》


 もちろん、被害を受けた人間が許したわけではない。チャールズの負傷を怒っている者もいる。営業を止められた店、壊れた設備の管理者、KYOに襲撃されたサムライ・ヒーローたちもいる。鳴海梓は早速、《悪党をキャラクターにした時、責任まで娯楽になるのか》という記事を出し、晴翔人気の危険性を指摘した。


 それでも。


 新開市。


 祭り。


 好き。


 だった。


 拘置施設には毎日のように手紙が届いた。


『弟子にしてください』


『会社経営で詰まっています。大泉先生ならどうしますか』


『どうすればヴィランとして有名になれますか』


『MIKOSHIの設計思想だけでも公開してください』


『女王アリスとは本当は仲良しなんですか』


『アリスに殴られた時痛かったですか』


『次の選挙には出ますか』


『好きです』


 真鍋は検査済みの手紙が積まれた箱を見た。


「何これ」


 職員が答える。


「今日分です」


「これで?」


「昨日より少ないです」


 晴翔が面会室の向こうで微笑んだ。


「人気者になってしまいました」


「お前に渡すかは一通ずつ確認するから」


「お願いします」


「弟子募集とか始めるなよ」


「考えていません」


「今の間なんだ」


「黙秘します」


「便利に使うな!」


     *


 大泉晴翔が《ヴィランの王》として祭り上げられている頃、アリスは病院で、自分がもっとひどい目に遭っていることを知った。


「アリス」


 祝部マコトが、妙に嬉しそうな顔で病室へ入ってきた。


「何」


「いいものある」


「嫌な予感」


「失礼だな」


「お前がその顔して持ってくるもの、だいたい嫌」


 病室には義弘とチャールズがいた。チャールズは手術こそ無事成功したものの、胸部と腹部の負傷が重く、しばらく安静を命じられている。義弘は引き続きリハビリ中。二人が別々の部屋にいるとそれぞれ勝手に動こうとするため、アリスの強い要望によって同室へ押し込まれていた。


 もっとも、結果は失敗だった。


 義弘は端末で市内復旧計画を読み、チャールズはベッドを起こして論文を書いている。


 トミーは二人の間の椅子へ座っていた。


「見張りになってねえぞ」


 アリスが言った。


「俺に言うな」


「お前らも!」


 義弘。


「俺は寝てるだろ」


「起きてる!」


 チャールズ。


「私は横になっています」


「論文書いてる!」


「安静姿勢です」


「そういう意味じゃない!」


 祝部が笑いを堪えながら、懐から一枚のカードを出した。


「で、これ」


 アリスが見る。


 固まる。


 白いフード。


 赤い瞳。


 背後に巨大な歯車。左右にシュヴァロフとグリンフォン。上方には、嫌になるほど立派な王冠。


 カード上部。


《LEGENDARY》


 名称。


《歯車の女王 アリツェ・ヴァーツラフコヴァー》



挿絵(By みてみん)



「……何これ」


「新開市ヒーロー&ヴィラン・クロニクル」


「聞いてない」


「今日発売」


「何で!?」


「事件終わったから」


「だから何でカードになるんだよ!」


「新開市だから?」


「理由になってない!」


 祝部がもう一枚出した。


「対になるのがこちら」


 スーツ姿。穏やかな笑顔。その背後にはKYO=KOTUの群れと複数のMIKOSHI=NYUDO。上部には歯車を模した黒い王冠。


《LEGENDARY》


《ヴィランの王 大泉晴翔》


 アリスの顔が引きつる。


「燃やす」


 義弘がベッドから言った。


「やめろ。初版ならプレミアつくぞ」


 アリスが振り返った。


「何で知ってんの!?」


 トミー。


「俺が相場見た」


「何で!?」


「面白かったから」


 祝部。


「ちなみに二枚を同時に場へ出すと、《鏡の国》って特殊効果が発動する」


「誰が許可した!」


「権利処理は市内の広報素材規約と事件報道利用範囲で――」


「そういう話じゃない!」


 義弘が笑い始め、傷に響いたらしく途中で顔をしかめた。


「痛て」


「笑うから!」


「お前のもあるぞ、義弘」


 祝部が三枚目を出す。


 義弘が興味を示した。


「見せろ」


「《調整の白刃 津田義弘》」


「レア度は」


「SUPER RARE」


 義弘が黙る。


「アリスと晴翔より下?」


 アリス。


「そこ気にするな!」


 トミー。


「現役稼働率で減点じゃね」


「ウサギ、後で覚えてろ」


「病人が脅すな」


     *


 騒ぎが一段落しても、チャールズだけはカードをかなり真剣な顔で観察していた。


「非常に興味深いですね」


 アリスが睨む。


「お前、それ晴翔に言って襲われた直後だぞ」


「正確には、論文を書いた結果として襲われた可能性が高いので」


「もっと悪い!」


 チャールズは《ヴィランの王》のカードと、端末に表示した直近一週間の世論推移を見比べる。


「数日前まで、大泉さんは《テロリスト》という語と強く結びついていました」


 義弘。


「今は王様か」


「ええ」


「許された?」


「いいえ」


 チャールズは首を横へ振った。


「そこが面白い」


 アリス。


「だから面白がるなって」


「新開市は、大泉さんの行為を無かったことにはしていません。逮捕も支持している。裁判も必要だと考えている。しかし同時に、その脅威を物語へ変換し始めている」


 トミー。


「食った?」


 チャールズは少し考えた。


「社会学的な比喩としては、かなり近いかもしれません」


「晴翔が街を食おうとして」


 義弘。


「街に食われた?」


「少なくとも、社会的人格の一部はそうです」


 チャールズの端末には、既に新しい論文の題が打たれていた。


《敵役の祝祭化――新開市における社会的脅威の消費・記憶・再構成》


 アリスが覗き込む。


「もう書いてる」


「はい」


「寝ろ」


「横になっています」


「その返し禁止!」


 義弘が横から言う。


「俺もさっき言われた」


「お前は黙って寝ろ!」


 チャールズは少しだけ笑ってから、真面目な顔へ戻った。


「ただし」


 アリス。


「何」


「これは大泉さんを無害化したという意味ではありません。《ヴィランの王》という人物像が本人から独立して増殖すれば、再び別の問題を起こす可能性があります」


 アリスはカードを見る。


「……また社会的大泉晴翔」


「形を変えました」


「本当に再生しやがる」


「本人が何もしなくても」


 チャールズはそれを論文へ打ち込んだ。


「だから、裁判とは別に、この人物像にもいずれ《離席》が必要でしょう」


 義弘。


「カードから?」


「カードだけではありません。人々の頭から完全に消す必要はない。記憶は残していい。しかし、『これから何をしてもヴィランの王として読む』状態からは、いつか降ろさなければならない」


 アリス。


「晴翔本人が?」


「社会側が」


 アリスは少し嫌そうな顔をした。


「面倒」


 チャールズ。


「社会とは概して」


「長い」


「まだ説明していません」


「分かる」


     *


 午後、榊圭吾がお見舞いに来た。花も果物も持っていなかった。代わりに、市内で売られていた《歯車の女王》のカードを一枚持っていた。


 アリスはそれを見るなり言った。


「帰れ」


「まだ何も言ってねえ」


「それ持ってる」


「記念」


「要らない」


「初版だぞ」


「義弘と同じこと言うな!」


 榊は笑い、カードをポケットへ戻した。


「俺、戻るわ」


 アリスが少しだけ表情を変える。


「どこ」


「オスカーんとこ」


「そっか」


「貸し出されて長かったしな」


 榊は義弘を見る。


「爺さん、もう俺いなくても無茶すんなよ」


「誰が爺さんだ」


「杖ついてる」


「年齢は関係ねえだろ」


「そういう返しするから元気そうで安心した」


 義弘が舌打ちする。


 榊は今度はアリスを見た。


「あと」


「何」


「オスカーが気にしてた」


「サボテン?」


「それも」


「それもなんだ」


「NECROの兄弟姉妹」


 アリスの表情が静かになる。


「約束」


「そう。あの人、前に言ったこと宙ぶらりんにするの嫌いだから。今、新開市の政治状況めちゃくちゃ変わっただろ。お前が女王だの何だの言われて、NECROの扱いまで政治の話に吸われないか気にしてる」


「……分かった」


「戻ったら伝える」


「何を」


「アリスが忘れてなかったって」


「忘れてない」


「知ってる」


 榊は病室の扉へ向かう。


 アリスが呼び止めた。


「榊」


「何」


「ありがと」


 榊は少しだけ振り返った。


「何が」


「朔のこと」


「俺は見てただけ」


「それ」


「それが仕事だから」


 榊は笑った。


「でもまあ」


 一拍。


「最後、映えたな」


「帰れ!」


「はいはい」


 扉が閉まった。


 トミーが言う。


「照れた?」


 アリス。


「黙れ」


     *


 夕方になると、病室は少し静かになった。祝部も榊も帰り、チャールズは薬の影響でようやく眠り、トミーも窓辺で丸くなっている。義弘とアリスだけが起きていた。


 病室は高い位置にあった。


 窓から、新開市がよく見える。


 まだ修理中の道路。MIKOSHIに持っていかれた設備の跡。仮設通信塔。工事車両。遠くではKAGEBŌSHIが復旧作業を手伝い、そのさらに向こうの大型モニターではGLASS VEILの広告が流れている。その下では、昨日まで避難所だった広場に屋台が戻っていた。


 義弘が窓の外を見ながら言った。


「なあ」


「何」


「辞める手もあるぞ」


 アリスが横を見る。


「何を」


「女王」


 アリスは黙った。


 義弘は続ける。


「今回、お前かなり使っただろ」


「何を」


「王冠」


 アリスの目が窓外へ戻る。


「OUに頼んだ。外交代表団の警備を調整した。アライアンスとも直接話した。市内の設備管理者へ連絡回した。皆、お前を中央に見た」


「うん」


「晴翔止めるには必要だった」


「うん」


「でも必要だったからって、重くなってないわけじゃねえ」


「知ってる」


「なら」


 義弘は窓の外を見る。


「今回の混乱の責任取って、ここで辞めるって手もある」


 アリスはすぐには答えなかった。


 以前なら、飛びついたかもしれない。


 女王。


 嫌。


 王冠。


 重い。


 自分。


 普通。


 戻りたい。


 今。


 辞める。


 言えば。


 できる。


 晴翔。


 逮捕。


 大行列。


 終わった。


 緊急事態。


 一段落。


 退位。


 する。


 きれい。


 だ。


「やだ」


 義弘が少し意外そうに見る。


「お」


「何」


「即答だったから」


「やだ」


「理由は」


 アリスは窓の向こうを指した。


「これ」


「街?」


「うん」


「めちゃくちゃ」


「晴翔がな」


「私も」


 義弘が何か言いかける。


 アリスは先に続けた。


「全部じゃない」


「うん」


「晴翔のやったこと」


「晴翔」


「私のやったこと」


 一拍。


「私」


 義弘は黙る。


「王冠使った」


「うん」


「便利だった」


「認めるんだ」


「便利だったから困ってる」


 アリスは少し唇を尖らせる。


「OUすぐ来る」


「そうだな」


「外国も聞く」


「そうだな」


「皆、私見る」


「そうだな」


「だから」


 一拍。


「今すぐ捨てたら」


「逃げるだけ」


 義弘は横目でアリスを見る。


「そうとも限らねえぞ」


「私には」


 アリスは胸元を指した。


「そう」


 しばらく沈黙。


 窓の下。


 復旧工事。


 続く。


 アリスが言った。


「それに」


「何」


「せっかく」


 一拍。


「王冠あるんだから」


 義弘の眉が上がる。


「……おい」


「直す時くらい使う」


「そういうこと言うと本物の王様になるぞ」


「ならない」


「信用ねえな」


「晴翔よりマシ」


「最低ラインそこ?」


 アリスは少し笑った。


「壊れた街、直す」


「うん」


「OUに頼ってる分、戻す」


「うん」


「治安機関の仕事、真鍋に返す」


「最初から真鍋の仕事だ」


「分かってる」


「そこ大事」


「行政はミコト」


「うん」


「外交」


 アリスは少し考える。


「ちゃんと窓口作る」


「お前個人じゃなく」


「うん」


「家族機」


「私」


 義弘が笑う。


「そこは返さねえんだ」


「家族だから」


「そりゃそうか」


 アリスは外を見る。


「一個ずつ」


「返す」


「最後」


 一拍。


「誰も」


「私に聞かなくても」


「困らなくなったら」


「王冠」


「なくなる」


 義弘が少し考える。


「誰も女王って呼ばなくなったら?」


「それも」


「時間かかるぞ」


「知ってる」


「カードまで出てるし」


 アリスの顔が一気に不機嫌になる。


「それ言うな」


 義弘は笑った。


「期限は」


「いる?」


「いる」


「……三岐と決める」


「自分で延長するなよ」


「しない」


「戻せる権限から戻す」


「うん」


「お前しかできねえ仕事を増やすな」


「うん」


「お前がいなくても直せるところは、他にやらせる」


「うん」


 義弘は頷いた。


「なら」


 一拍。


「それでいい」


 アリスも頷いた。


     *


 窓の下では、既に新開市らしい光景が始まっていた。


 復旧工事のすぐ横。


 屋台。


 出てる。


 看板。


《MIKOSHI焼き》


 アリスが二度見する。


「何あれ」


 義弘。


「焼き物じゃね」


「形」


「御輿」


「昨日壊したばっか!」


「商売早いな」


 別の露店ではトレーディングカードの交換会が始まっている。


「ヴィランの王出た!」


「歯車の女王と交換して!」


「やだ! 女王の方が相場高い!」


「初版晴翔二枚つける!」


 アリスの頬が引きつる。


「……あいつら」


 義弘。


「元気でいいじゃねえか」


「よくない」


「この前まで避難してた連中だぞ」


「だから何でカード交換してるの」


「戻ってきたんだろ」


 アリスは言葉に詰まる。


 道路の向こうでは、KAGEBŌSHIが壊れた支柱を持ち上げている。河島本人がどう裁かれるかとは別に、機械は今日も役に立っている。少し先ではサムライ・ヒーローが交通誘導をし、その横をCRADLE IDOL GUARDの広報車が通り過ぎる。遠くのモニターではGLASS VEILのMIRAが復旧支援イベントの告知を読み、別の画面では鳴海梓の《ヴィランの王を愛玩して責任を忘れるな》という記事が引用され、その下のコメント欄で市民が喧嘩している。


 混沌。


 節操。


 ない。


 でも。


 止まらない。


 義弘が呟いた。


「ひでえ街だな」


「うん」


「すぐ祭りにする」


「うん」


「昨日の怪物、今日カードにする」


「ほんと最悪」


「権力者も悪党もヒーローも、全部ネタにする」


「うん」


「市長やってた頃から変わんねえ」


 アリスが横を見る。


「嫌い?」


 義弘は少し考えた。


「嫌いになれたら」


 一拍。


「楽だったろうな」


 窓の下。


 工事員。


 笑う。


 屋台。


 煙。


 上がる。


 子供。


 カード。


 掲げる。


 誰か。


 怒る。


 誰か。


 踊る。


 誰か。


 仕事。


 する。


 義弘は笑った。


「嫌いになれねえ」


 アリスも街を見る。


 チェコから来た。


 ゴースト。


 だった。


 足。


 動かなかった。


 危険。


 避けた。


 人。


 嫌った。


 街。


 ハック。


 した。


 家族。


 増えた。


 王冠。


 被った。


 嫌。


 だった。


 でも。


 ここ。


 いる。


「私も」


 義弘。


「何」


「好き」


 短い。


 でも。


 迷わない。


 義弘も頷く。


「俺も」


 二人はしばらく、何も言わずに新開市を眺めた。


 嫌いになる理由なら、いくらでもあった。


 騒がしい。危ない。政治は面倒で、企業は勝手で、外国は口を出し、ヒーローは怪我をし、ヴィランは戻ってきて、怪物を倒した翌日にはその怪物の名前で菓子が売られる。


 それでも。


 人。


 戻る。


 仕事。


 戻る。


 笑う。


 喧嘩。


 する。


 また。


 作る。


 昨日。


 壊れた。


 場所。


 今日。


 店。


 開く。


 そういう街だった。


     *


 その時、病院の下から妙に大きな声が聞こえた。


「女王陛下ー!」


 アリスの眉が動く。


 義弘が窓へ寄る。


 子供が数人、こちらへ向かってカードを振っている。


《歯車の女王》。


「女王陛下ー!」


 アリスは窓を少し開けた。


「女王じゃない!」


 下。


 一瞬。


 静か。


 なる。


 次。


「女王が喋った!」


「本物だ!」


「歯車の女王ー!」


「だから違う!」


 別の人。


「陛下ー!」


「やめろ!」


 義弘が後ろで笑い始める。


「笑うな!」


「だってお前」


「何!」


「人気者」


「いらない!」


「晴翔も人気者だぞ」


「一緒にするな!」


「最高レア同士」


「そのカード窓から捨てるぞ!」


「病院から物投げんな」


 アリスは勢いよく窓を閉めた。


「……やっぱ嫌い」


 義弘。


「さっき好きって言っただろ」


「今ちょっと嫌い」


「忙しいな」


 ベッドの方から、いつの間にか目を覚ましたチャールズの声がした。


「非常に興味深いですね」


 アリスが振り返る。


「寝ろ!」


「寝ていました」


「そのまま寝てろ!」


 トミーも目を開ける。


「朝からうるせえな」


「夕方!」


「じゃあ夕方からうるせえ」


 病室に笑い声が広がった。


 窓の向こうでは、新開市が今日も勝手に動いていた。


     *


 大泉晴翔の裁判は、まだ始まってすらいない。KYO=KOTUとMIKOSHI=NYUDOの公開データは残り、《ヴィランの王》という社会的大泉晴翔も新しい形で増殖を続けている。アリスの王冠はまだ重く、彼女が使った緊急的な影響力をどこまで、いつ、誰へ戻すのかも、これから一つずつ決めなければならない。朔はTEN=GUを失った後の自分と向き合わなければならず、チャールズは自分が社会へ流した人物像に責任を持たなければならない。オスカーとの約束も、NECROの兄弟姉妹たちの将来も、河島とKAGEBŌSHIの扱いも、終わってはいなかった。


 勝ったから、全部が綺麗になるわけではない。


 むしろ勝った後の方が、やることは多かった。


 それでも義弘とアリスは、眼下の街を見ていた。


 かつて市長だった男と、成り行きで女王になってしまった少女。どちらもこの街に何度も振り回され、傷を負い、間違え、それでも何度も戻ってきた。


 新開市は、王を必要とするほど弱くはなかった。


 同時に、王冠など二度と生まれないほど賢くもなかった。


 だから、誰かが調整し続ける。


 一つの歯車が全部を回すのではなく、噛み合いすぎれば少し外し、離れすぎれば少し寄せる。壊れたものを戻し、戻ってきた者へ以前とは違う席を用意し、ときには役を降ろし、ときにはまた立たせる。


 アリスはまだ王冠を捨てなかった。


 王冠が好きになったからではない。


 使ったものを、使いっぱなしにしないためだった。


 自分が集めてしまった力を、持ち主へ一つずつ返す。その最後に、自分の頭からも外れるなら、それでいい。


 義弘も、それを急かさなかった。


 二人は、まだ工事灯の多い新開市を見ていた。


 混沌と。


 熱狂と。


 情熱と。


 どうしようもない商魂と。


 懲りない人間たちに満ちた街。


 完璧には程遠い。


 正義も多すぎる。


 悪党まで人気者になる。


 それでも。


 二人のヒーローは、この都市を心の底から愛していた。


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