第422話 御輿を降ろす
《大行列》が始まってから十二分で、新開市は「巨大ドローンが複数出現している」という段階を越えた。街のあちこちから警報が上がり、昨日まで物流を支えていた荷役設備が固定具を引き千切り、仮復旧を終えたばかりの変電ユニットが送電網から自分を切り離し、通信塔が基部を回転させて歩き出したMIKOSHI=NYUDOへ接続しようとする。さらに厄介なのは、一度壊した部位がそのまま欠損にならないことだった。北部を進む防災型MIKOSHIの右腕を治安機関の制圧班が落とせば、同期アルゴリズムは即座に周辺設備を検索し、二百メートル先の民間物流倉庫にある大型荷役アームを代替候補として指定する。オールドユニオンのMAXIMILIANが脚部を拘束して歩行を止めれば、別の道路補強フレームが自律搬送を開始する。胸部電力を遮断すれば、今度は災害備蓄用蓄電設備が候補に上がる。晴翔の最後の命令で起動した《大行列》は、欠損するたびに街そのものへ手を伸ばしていた。
「北三、右腕停止!」
『停止しました!』
「代替は?」
『――出ました! 東側物流倉庫、荷役アーム二基が起動!』
「そっちも止めて!」
『了解!』
アリスが叫んだ直後、別の警報が鳴る。
『南一、脚部固定成功!』
「よし!」
『待って、代替支持構造を検索しています!』
「どこ!」
『道路補修設備――三か所!』
「全部止めて!」
三岐透子が横から言った。
「アリス、待ってください」
「何!」
「代替候補をすべて止めれば、その次の候補を探します」
「じゃあその次も!」
真鍋の声が通信へ割り込んだ。
『それやったら、その次の次まで探す! もう始まってる!』
大画面の地図に、新しい黄色の線が伸びた。一体のMIKOSHIへ向けて、周辺の設備から候補線が次々と繋がっていく。赤い線を一本切る。黄色が二本増える。二本切る。今度は四本出る。敵を殴るたびに、敵の身体へ新しい街が吸い込まれていくようだった。
祝部が画面を見て顔を引きつらせる。
「これ、壊すほど食うぞ」
「分かってる!」
「どうする!」
「考えてる!」
アリスの指は端末上を走った。互換規格。接続認証。都市設備制御。電力。物流。通信。自分なら、全市にある互換設備へ一斉に侵入して強制停止をかけることができるかもしれない。少なくとも、晴翔の同期要求を受けて勝手に動き出す設備の大半は止められる。ゴーストだった頃なら、もう始めていた。何千という鍵を奪い、一つの手の中へ集め、街全部を黙らせる。
指が止まった。
「……違う」
祝部が振り向く。
「何が?」
「私が」
アリスは画面いっぱいに広がる都市設備の一覧を見た。
「全部止めるんじゃない」
祝部は意味が分からず黙った。アリス自身にも、まだ答えはなかった。ただ、それをやれば晴翔と同じになることだけは分かった。晴翔は最後に一つの同期鍵を握り、街中のMIKOSHIへ一斉命令を下した。王様になった。なら、その命令へ対抗するために自分も街全部の鍵を奪えば、それは王を倒すために別の王になるだけだった。
*
病院では、津田義弘が《大行列》の映像を見ていた。戦える身体ではない。杖はベッドの横に立てかけたままで、膝にはまだ固定具がある。チャールズは手術中で、何かを相談できる状態ではない。榊圭吾は病室の窓際で、各地から流れてくる映像を無言で切り替えていた。トミーは義弘の横で耳を立て、MIKOSHIが民間設備を次々と取り込もうとする様子を見ていた。
「また腕生えた」
トミーが言った。
「ああ」
「今度は倉庫のクレーン」
「ああ」
「壊したら?」
「次が生える」
「晴翔みたい」
「そこまで似せなくてもいいのにな」
義弘は画面を拡大した。腕を落とされたMIKOSHIへ向けて、一基の荷役アームが移動している。そのアームは昨日まで倉庫でコンテナを積んでいた。人を襲ったことなどない。悪党の兵器でもない。晴翔が最初から秘密裏に用意していた軍用装備でもない。ただ規格が合った。それだけで、今は怪物の腕として呼ばれている。
別画面では、変電設備が道路を横切ろうとしていた。
「……これ」
義弘が呟く。
榊。
「何」
「倒すから駄目なんじゃねえか」
トミーが顔を上げる。
「倒さないの?」
「いや、最後は倒す」
「どっち」
「その前だ」
義弘は画面の荷役アームを指した。
「こいつ、敵じゃねえだろ」
榊の目が細くなる。
「クレーン?」
「クレーンだ」
「今、怪物の腕になろうとしてる」
「でも、元は?」
「港か倉庫の機械」
「そう」
義弘は別の画面を指す。
「変電所は?」
「変電所」
「防災壁は?」
「壁」
「通信塔は?」
「通信塔」
トミーの耳がゆっくり立った。
「……離席?」
義弘が止まった。
自分で言うより先に、ウサギに言われた。
「そうだ」
少し笑う。
「それだ」
榊。
「何をする気?」
義弘はアリスへの回線を開いた。
*
『アリス』
「義弘! 今忙しい!」
『壊すな』
「は!?」
中央調整室でアリスが振り向いた。
『MIKOSHI』
「街食ってるんだけど!」
『だから』
一拍。
『御輿から降ろせ』
アリスの動きが止まった。
「……何」
『変電所は怪物じゃねえ』
「……」
『変電所だ』
義弘は続けた。
『クレーンは腕じゃねえ。クレーンだ』
『防災壁は装甲じゃねえ。壁だ』
『通信塔は頭じゃねえ。通信塔だ』
アリスは大画面を見た。MIKOSHI=NYUDOを構成している設備のひとつひとつ。その大半には、もともとの管理者がいる。所有者がいる。使っていた人間がいる。本来の目的がある。
『晴翔が勝手に役を付けた』
義弘の声。
『だったら』
一拍。
『元の席に戻してやれ』
祝部が小さく言った。
「設備の《離席》……」
三岐の目が変わった。
「可能性はあります」
アリスが彼女を見る。
「どうやる」
「一括では無理です。設備ごとに異なります」
「それでいい」
「時間がかかります」
「やる」
真鍋。
『待って。誰が切るの』
アリスの指が止まる。
そこが重要だった。
「私じゃない」
真鍋。
『じゃあ』
「持ってる人」
*
そこで、誰にも知られていなかったアリスの家族が再び仕事を始めた。
《バンダースナッチ》。
KYO=KOTUの根を追った小さな群体機たちは、今度はMIKOSHIの身体へ吸い込まれようとしている設備一つひとつの来歴を辿った。資産番号。保守記録。契約者。管理会社。地域組合。所有権。施工者。行政部署。古い設備ほど情報は途切れ、違法増築区画では管理主体すら曖昧だったが、バンダースナッチは複数方向から情報を集める。トウィードルダムとトウィードルディーは現場で設備の物理接続を解析し、三岐はそれを制度としてまとめ、真鍋は治安機関が強制措置を取る範囲と所有者判断に任せる範囲を切り分けた。
三岐が全市向け緊急手順を公開する。
《MIKOSHI構成資産・緊急離脱手順》
それは一つの巨大な停止ボタンではなかった。変電設備なら、送電機能を保持したまま外部再構成用の認証鍵だけを更新する。物流設備なら、接続治具のロック位置と荷重上限を変更し、MIKOSHI側の設計アルゴリズムが想定する結合条件から外す。通信設備なら、通信そのものを止めずに再構成制御ポートだけを閉じる。防災壁なら、展開機能を残したまま可動角の終端を数度ずらす。道路支持設備なら、固定ボルトの位置を変更する。
街としての仕事はできる。
しかし。
晴翔とは。
噛み合わない。
『全部交換すんな』
義弘。
三岐。
「はい」
『全部止めんな』
「はい」
『晴翔とだけ』
一拍。
『噛み合わなくしろ』
アリスの口元が僅かに緩んだ。
「義弘」
『何』
「今」
一拍。
「めちゃくちゃアジャストメント・ヒーロー」
『今さら?』
トミーの声が後ろから入る。
『病人だけど』
『お前ほんとうるせえな!』
「走るなよ」
『お前まで!』
ほんの数秒だけ、調整室の空気が緩んだ。
すぐに次の警報が入った。
*
「北部物流第三倉庫」
アリスはバンダースナッチが見つけた管理者へ直接回線を繋いだ。
『は、はい!』
「荷役アーム二基」
『うちのです! 今勝手に倉庫から出ようとしてます!』
「MIKOSHIに呼ばれてる」
『止めてください!』
「私が?」
『え?』
アリスは一瞬だけ目を閉じる。
「それ、お前の」
『はい』
「なら」
一拍。
「お前が決めて」
『どうすれば』
「データ送る」
三岐が切離手順を送信する。
「荷役機能、残せる」
『本当に?』
「うん」
「再構成ポートだけ切る」
『……やります』
「失敗したら治安機関と家族機いる」
『分かりました』
数十秒後。
《MIKOSHI CONNECTION REQUEST:DENIED》
《ALTERNATIVE MANIPULATOR SEARCH》
アリスの画面に表示された。
荷役アームは倉庫の入口で止まり、ゆっくりと元のレールへ戻っていく。
「一個」
祝部が言った。
「うん」
次。
南側民間変電所。
『うち止めたら一区画落ちます!』
「止めなくていい」
『でもMIKOSHIが』
「認証だけ変える」
『設備古くて対応してません!』
三岐。
「物理切離しが必要です」
アリス。
「何分」
「最短六分」
「治安機関!」
真鍋。
『作業員守る!』
「お願い!」
別。
地域防災組合。
『可動壁が勝手に動いてる!』
「終端角、変えられる?」
『手動なら!』
「やって」
アリスは言いかけて、止まる。
「……できる?」
『やります』
「うん」
一つ。
一つ。
晴翔の巨大な同期命令に対して、街は一つの巨大な命令で返さなかった。
何百という小さな判断で返した。
*
最初の三十分、効果は分かりにくかった。《大行列》は依然として進み続け、切り離された設備の代替候補を検索している。だが、検索結果が変わり始める。
《ALTERNATIVE POWER NODE SEARCH》
《CANDIDATE 01:INCOMPATIBLE》
《CANDIDATE 02:AUTHENTICATION MISMATCH》
《CANDIDATE 03:MECHANICAL INTERFACE ERROR》
《CANDIDATE 04:INCOMPATIBLE》
アリスが画面へ身を乗り出す。
「……来た」
祝部。
「何」
「効いてる」
北部MIKOSHIの片腕が落ちた。
いつもなら次の設備が動き始める。
動かない。
《ALTERNATIVE COMPONENT SEARCH》
《NO VALID COMPONENT》
巨大な機体が片腕を失ったまま歩き続ける。
別のMIKOSHIでは胸部電力を切られ、代替変電設備を探す。
《INCOMPATIBLE》
《INCOMPATIBLE》
《INCOMPATIBLE》
出力が低下する。
真鍋が笑った。
『やっと効いたね』
「うん」
三岐。
「現在の都市機能を維持したまま、再構成互換率が急速に低下しています」
「どれくらい」
「開始時六十二パーセント。現在四十一」
祝部。
「まだ高い」
「下げる」
アリスは次の設備へ回線を開いた。
*
《大行列》の同期アルゴリズムも、何もしなかったわけではない。互換設備が市内各地で切り離され始めると、システムはやがて新しい方針へ移った。
《DISTRIBUTED REPLACEMENT EFFICIENCY:LOW》
《CENTRALIZED RESOURCE CONSOLIDATION》
三岐が表情を変えた。
「集約を始めます」
「何が」
「代替を探すのを諦めて」
大画面。
MIKOSHI。
進路。
変わる。
「残っている構成要素を中央へ寄せる」
十一あった構成群が、八。
六。
四。
互いへ近づく。
市民生活に必要な設備ほど管理者によって《離席》していった。電力設備が降りる。通信設備が降りる。物流設備が降りる。防災設備が降りる。
最後まで残ったのは、所有者不明の旧式設備、晴翔側で準備された専用接続部、違法改造された構造材、管理者が存在しない廃設備、そして既に社会から切り離されていたMIKOSHI専用部品だった。
榊は病院から送られてくる映像を見て呟いた。
『剥がれてきたな』
アリス。
「何が」
『舞台』
「……」
『街の設備を着込んでたから、どこまでが怪物か分からなかった』
画面の中で、最後の三体が互いへ接続する。
『でも』
榊。
『皆、降りてる』
一拍。
『残ったの』
『あいつ自身だ』
アリスはその言葉を聞いた。
最後の複合MIKOSHI。
巨大。
まだ。
強い。
でも。
もう。
民間変電所。
ない。
物流クレーン。
ない。
通信塔。
ない。
普通の防災設備。
ない。
晴翔の同期命令に応じて、最後まで悪党の身体であり続けたものだけが残っている。
「真鍋」
『うん』
「これ」
一拍。
「敵?」
真鍋は即答しなかった。
現在の行動。
進路。
攻撃。
構成。
確認。
する。
『今はね』
アリス。
頷く。
「じゃあ」
「止める」
*
その頃、神代朔は病院のベッドで同じ映像を見ていた。TEN=GUは完全に使用不能。KASANEもまだ修理中。朔自身も胸部と右肩を固定され、起き上がるだけで看護師に睨まれる。
画面。
最後の複合MIKOSHI。
動く。
朔の手。
ベッド。
掴む。
「……行かないと」
口に出た。
その瞬間。
アリスから着信。
『朔』
「……うん」
『寝てろ』
朔が少し笑った。
「まだ何も言ってない」
『顔で分かる』
「通信なのに?」
『声』
「……そっか」
朔は窓を見る。
今までなら。
行った。
身体。
壊れてても。
スーツ。
なくても。
何か。
探した。
自分。
必要。
だと。
証明。
する。
ため。
「アリス」
『何』
「俺、行かなくていい?」
『うん』
「本当に?」
『いる人でやる』
朔は目を閉じた。
少し。
痛い。
でも。
今度。
その痛み。
逃げない。
「……分かった」
『うん』
「寝てる」
『偉い』
「それ言うと腹立つ」
『じゃあ言わない』
「もう言った」
通信が切れる。
朔はベッドへ身体を沈めた。
戦わない。
それ。
逃げ。
ではない。
今。
自分。
戦えない。
なら。
席。
降りる。
できる。
それ。
ヒーロー。
必要。
こと。
かもしれない。
*
最後の複合MIKOSHIが向かった先には、新開市中央生活基盤へ接続する主要都市回廊があった。アライアンスの中立設備そのものではない。しかし、ここを突破されれば市内の電力、救急搬送、物流の複数系統へ同時に影響が出る。
その前に。
三機。
《SOFFest》。
既に。
いる。
重い巨体が道路へ脚を広げ、展開式アンカーを地面へ打ち込む。正面装甲が重なり、三機で巨大な壁を作る。
『SOFFest展開完了』
氷の母の回線。
『アライアンスは当該複合構造体を通しません』
アリス。
「お願い」
『これは貴女の指揮下ではありません』
「知ってる」
『ならばよいでしょう』
SOFFestの後方。
F.QRE.D.QVE。
左右。
展開。
VPVD。
通信。
切断。
する。
反対側にはOUのMAXIMILIAN。
三。
さらに。
治安機関。
工兵。
拘束。
部隊。
そして。
一つ。
アリスが見覚えのある機体。
「KAGEBŌSHI」
多腕の都市作業・戦闘機が、治安機関の管理コードで接続する。
祝部。
「使うんだ」
真鍋。
『使う』
「河島の」
『河島は捜査中』
一拍。
『KAGEBŌSHIは今、良い機械』
アリス。
少し。
笑う。
「うん」
真鍋。
『良い機械まで犯罪者に固定する気はない』
「それ」
「好き」
『今褒めるな』
*
複合MIKOSHIがSOFFestへ激突した。
巨大な衝撃が道路全体を揺らし、三機のSOFFestが一斉に後ろへ数十センチ滑る。だが倒れない。アンカー。脚。重心。全部。通さないためだけに作られた巨体。
『前面荷重上昇!』
『SOFFest二番、左アンカー補強!』
『三番、耐えろ!』
MIKOSHIは腕を振り上げる。F.QRE.D.QVEが側面から飛び込み、関節部へ拘束具を打ち込む。MAXIMILIANが反対側の肩へ体当たりし、進路を逸らす。
「コロボチェニィク!」
アリス。
三対。
巨大。
装甲腕。
伸びる。
複合MIKOSHIの背部から、まだ残っていた大型接続フレームを掴み、引く。
「剥がして!」
コロボチェニィクの駆動音。
上がる。
接続。
一つ。
外れる。
トウィードルダムとディーは倒壊しそうな設備を支え、工兵が通れる空間を作る。シュヴァロフは前線ではなく、作業員と治安機関の間を守っていた。何かが飛んでくれば巨大な腕で受け、危険な破片だけを斬り落とす。
そして。
後方。
大きな。
足音。
「ブージャム」
アリスが振り向く。
M-22。
かつて。
新開市。
怪物。
だった。
歩行戦闘車。
今。
そこ。
立つ。
「お願い」
それだけ。
ブージャムは複合MIKOSHIの背後へ回り込み、巨大な腕で腰部を拘束した。破壊しない。ただ、進ませない。
昔。
怪物。
だった。
もの。
今。
街の側。
いる。
それ。
誰も。
わざわざ。
説明。
しない。
*
「接続部三!」
『KAGEBŌSHI、入る!』
多腕機が複合MIKOSHIの懐へ潜り込む。河島が作った機体は、やはりこの仕事に異常なほど向いていた。切断するのではない。解く。回転角を変え、荷重を逃がし、接続ピンを順番に抜き、巨大な部品を一つずつ「怪物の身体」から「ただの設備」へ戻していく。
『右腰分離!』
『左肩補助フレーム解除!』
『胸部二次電力、露出!』
真鍋。
『撃つな! まだ民間資産一つ混じってる!』
アリス。
「どれ!」
バンダースナッチ。
一機。
送信。
来る。
《ASSET TRACE CONFIRMED》
複合MIKOSHIの胸部深くに残っていた大型電力ノード。その所有者。
新開市南東居住区。
地域防災組合。
「……まだ」
アリスが言う。
「一個」
祝部。
「何」
「降りてない」
三岐が連絡先を出す。
「接続します」
*
『はい!?』
通信の向こうは騒音だらけだった。
「新開市中央調整」
『アリス!?』
「うん」
『女王――』
「今それいい!」
『はい!』
「お前らの防災電力ノード」
『……あ』
相手も気づいたらしい。
「まだMIKOSHIの胸にいる」
『外せるんですか』
「外せる」
『じゃあ外してください!』
アリス。
止まる。
「私が?」
『え?』
ほんの一瞬。
王冠。
晴翔。
一つ。
鍵。
全部。
命令。
思い出す。
「それ」
一拍。
「お前らの」
『はい』
「切れる?」
『手動切離しなら。でも、切ったら南東区画の非常系が一時落ちます』
三岐。
「代替供給まで推定四分二十秒」
アリス。
「人」
「危ない?」
「医療系は別系統です。避難所の照明と生活電源が一時停止します」
通信の向こうで、複数人が相談する声。
『アリス』
「うん」
『切ります』
「いいの」
『あれに持ってかれたままの方が困る』
「うん」
『四分なら』
一拍。
『こっちで耐えます』
アリスの目が少し細くなる。
「分かった」
『何すれば』
三岐が手順を送る。
「送った」
『やります』
アリス。
小さく。
「お願い」
*
南東居住区の防災設備室で、三人の地域管理者が物理切離しレバーを操作した。
複合MIKOSHI。
胸部。
表示。
《PRIMARY CIVIL POWER NODE》
《AUTHORIZATION LOST》
《DISCONNECTION REQUEST:ACCEPTED》
巨大な身体。
一瞬。
止まる。
電力。
落ちる。
胸部。
光。
消える。
《ALTERNATIVE POWER SEARCH》
一。
《INCOMPATIBLE》
二。
《INCOMPATIBLE》
三。
《INCOMPATIBLE》
最後。
《NO VALID COMPONENT》
アリス。
画面。
見る。
「……降りた」
真鍋。
『今!』
KAGEBŌSHIの六本の腕が一斉に伸び、胸部接続フレームを解体する。F.QRE.D.QVEが脚部を固定し、MAXIMILIANが左側から巨体を押す。ブージャムが背後から腰を引き、コロボチェニィクが上部構造を支える。
SOFFest。
三機。
正面。
待つ。
複合MIKOSHI。
倒れる。
巨大。
影。
前。
崩れる。
『受ける!』
三機のSOFFestがアンカーへ全荷重をかける。
激突。
道路。
揺れる。
装甲。
軋む。
でも。
通らない。
倒れたMIKOSHIの巨体はSOFFestの壁に受け止められ、そこから先へ一メートルも進まなかった。
『荷重安定!』
『主要接続部、切断!』
『制御通信消失!』
『再構成要求――なし!』
調整室。
静か。
なる。
三岐。
画面。
確認。
「《大行列》」
一拍。
「停止しました」
誰もすぐには声を上げなかった。
アリスは地図を見る。
赤い巨大反応。
ゼロ。
再構成要求。
ゼロ。
互換設備。
動作。
なし。
でも。
街。
電気。
生きてる。
通信。
戻り始める。
物流。
再開。
できる。
「……終わった?」
祝部が聞いた。
アリスは少し考えた。
「今日のは」
一拍。
「終わった」
*
新開市治安機関の拘置区画で、大泉晴翔は椅子へ座っていた。端末はない。窓も小さい。外の状況はほとんど分からない。自分が押した《大行列》の起動鍵が、どこまで進んだのか。最終形が完成したのか。アライアンスと衝突したのか。アリスがどうしたのか。
しばらくして、扉が開いた。
真鍋。
入る。
晴翔が顔を上げる。
「終わりましたか」
「終わった」
「《大行列》は」
「停止」
晴翔の口元が僅かに緩む。
「アリスさんが?」
「違う」
晴翔の動きが止まった。
「では」
「皆」
一拍。
「誰が、とは言えない」
真鍋は淡々と答えた。
「設備持ってる奴が切った」
「治安機関が守った」
「OUが押さえた」
「アライアンスが止めた」
「ヒーローが剥がした」
「企業の機械も使った」
「アリスの家族も」
「市民も」
「皆」
晴翔は黙った。
「勝者の顔」
真鍋。
「見たかったんだって?」
晴翔。
僅かに笑う。
「ええ」
「残念だったね」
「どうして」
「一個ないから」
晴翔の目が細くなる。
その言葉。
思った。
以上。
効く。
一人の英雄。
いない。
一人の王。
いない。
一人の勝者。
いない。
だから。
晴翔。
次。
役。
与える。
相手。
ない。
敵。
決める。
顔。
ない。
晴翔は少し考えた後、心底困ったように笑った。
「それは」
一拍。
「困りましたね」
真鍋。
「困ってろ」
扉を閉めた。
*
中央調整室へ、病院から連絡が入った。
『アリス』
義弘。
「何」
一瞬。
怖い。
チャールズ。
まだ。
手術。
「チャールズ?」
『手術終わった』
アリス。
固まる。
「……生きてる?」
『生きてる』
肩。
落ちる。
その日。
初めて。
本当に。
力。
抜ける。
「……よかった」
『まだしばらく集中管理だって』
「うん」
『でも生きてる』
「うん」
アリスは椅子へ座り直した。
祝部が何も言わず、少し離れたところへ水を置く。
義弘。
『アリス』
「何」
『勝ったな』
アリスは少し考えた。
「皆で?」
『そう』
「じゃあ」
一拍。
「うん」
「今日のは」
「勝った」
義弘。
笑う。
『そりゃ良かった』
トミーの声。
『だから寝ろ』
「お前も言うな!」
*
朝が近づく頃、新開市では復旧作業が始まった。MIKOSHIの腕だった荷役アームは倉庫へ戻り、再認証を受けた後、また荷物を運び始めた。胸部に使われていた変電設備は本来の電力網へ接続され、停電していた区画へ光が戻った。通信塔は仮固定を終え、断続的だった回線を一つずつ復旧させた。防災壁は、今度は怪物の装甲ではなく、いつものように人間を災害から守るための位置へ戻された。晴翔の設計アルゴリズムと噛み合わないよう、接続規格は少しだけ変えられていた。見た目には、ほとんど何も変わらない。
それでよかった。
街。
全部。
変える。
必要。
ない。
仕事。
同じ。
できる。
でも。
晴翔。
怪物。
なる。
時。
だけ。
噛み合わない。
少し。
ずらす。
それだけ。
アリスは中央調整室の窓から、まだ暗い街を見ていた。
昨夜まで。
あれ。
全部。
怪物。
身体。
だった。
今。
違う。
電気。
送る。
荷物。
運ぶ。
通信。
繋ぐ。
人。
守る。
元。
仕事。
戻る。
誰かが晴翔の命令を上書きするために、もっと強い命令を出したわけではない。
一人の王が、もう一人の王を倒したわけでもない。
御輿を壊したのではなかった。
担ぐのをやめた。
それぞれが、自分の仕事へ戻った。
晴翔は最後に、一つの鍵で街を一つの身体にしようとした。
新開市は、それへ千の鍵で答えた。
電気屋は電気屋として。
物流屋は物流屋として。
地域の防災組合は防災組合として。
治安機関は治安機関として。
オールドユニオンはオールドユニオンとして。
アライアンスはアライアンスとして。
サムライ・ヒーローはヒーローとして。
アリスの家族は家族として。
誰も、一つにはならなかった。
だから。
晴翔の御輿。
担がなかった。
アリスは朝の光が少しずつ高層建築の端へ落ちてくるのを見ながら、長く息を吐いた。
晴翔。
捕まえた。
大行列。
止めた。
チャールズ。
生きてる。
でも。
社会的大泉晴翔。
残ってる。
公開MIKOSHI。
データ。
残ってる。
王冠。
まだ。
重い。
朔。
話。
ある。
晴翔。
裁判。
責任。
これから。
だから。
全部。
終わった。
わけ。
ではない。
それでも。
今日。
一つ。
終わった。
アリスは窓の向こうで動き始めた街を見た。
「……おかえり」
誰へ言ったのか、自分でもよく分からなかった。
変電所かもしれない。
クレーンかもしれない。
防災壁かもしれない。
新開市そのものかもしれない。
あるいは、長いあいだ誰かの巨大な物語へ担ぎ上げられ続けてきた、自分自身へだったのかもしれなかった。
誰も返事はしなかった。
ただ街は、怪物だった昨日の部品を使って、また普通の朝を始めていた。




