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第420話 絶頂の怪物

 大泉晴翔は、追い詰められていた。本人もそれを否定するつもりはなかった。新開市へ来て以来、これほど多くのものを同時に失ったことはない。KYO=KOTUの地下整備網はアリスと治安機関によって焼かれ、アライアンスが回収していた三妖機は証拠物として真鍋たちの手へ渡り、日本国代表団護衛装備というTEN=GUの便利な法的足場も失った。MIKOSHI=NYUDOは立ち上がるたびに解析され、都市規格そのものを少しずつ変更して再構成を妨げるという対抗策まで検討され始めている。そして何より、チャールズ・ブラウンが新開市の鏡へ映した《大泉晴翔》が、本人の意志を無視して社会の中を歩き始めていた。政治家として説明しても「テロリストの弁明」になり、協力を申し出れば「女王の宿敵による工作」と読まれ、被害者になってさえ「自作自演ではないか」と疑われる。脱皮しても、古い皮が新しい身体へ勝手に貼り直される。晴翔が人生を通じて磨いてきた再生能力に、初めて明確な障害が生まれていた。


 だから、側近には理解できなかった。


「先生」


「はい」


「帰りましょう」


 日本国代表宿舎の窓際で、晴翔はゆっくりコーヒーを飲んでいた。窓の外では、前日に停止させられたMIKOSHI=NYUDO第三個体の解体作業がまだ続いている。巨大な港湾クレーンだった腕は既に外され、本来の設備へ戻すために工事車両が取り囲んでいた。


「どこへです?」


「日本です」


「なるほど」


「なるほどじゃありません。今ならまだ、撤退と言わず『代表団日程の終了』で処理できます。日本側にも説明がつく。先生本人への追及も、国内に戻ってからならまだ整理できます」


「合理的ですね」


「なら」


「嫌です」


 側近は目を閉じた。


「子供ですか」


「違うと思います」


「じゃあ何です」


 晴翔は少し考えた。考える必要などないはずなのに、言葉にすること自体を楽しむように間を置いた。


「今、人生で一番楽しいので」


 側近は本気で嫌そうな顔をした。


「先生、追い詰められてるんですよ」


「ええ」


「日本で政治生命まで危なくなりかけてる」


「ええ」


「アライアンスからも警告されてる」


「非常に怖いですね」


「チャールズ・ブラウンには、社会的に役を固定されかけてる」


「見事です」


「アリスさんには根を焼かれてる」


「痛かった」


「じゃあ何で笑ってるんですか」


 晴翔はカップを置いた。指先には、本人にしか分からないほど小さな震えがあった。それは恐怖だった。新開市へ来る前から、危険な場面に立つとこうなることを晴翔は知っている。喉の奥が僅かに乾き、皮膚が粟立ち、心拍が速くなる。死ぬかもしれない。失うかもしれない。政治家として終わるかもしれない。築き上げてきたものが、この街ですべて潰れるかもしれない。その可能性を身体が理解するたびに、晴翔の奥深くから、どうしようもなく鮮烈な感覚が湧き上がってくる。


「こんな場所」


 晴翔は新開市を見た。


「もう二度と出会えないかもしれません」


「だから帰れって言ってるんです」


「逆です」


「……」


「一秒でも長く、いたい」


 側近は返事をしなかった。


「津田義弘」


 晴翔は指を一本立てる。


「アリス」


 二本目。


「チャールズ・ブラウン」


 三本目。


「真鍋さん。三岐さん。祝部さん。榊さん。ウサギまで」


「最後のは数えなくていいでしょう」


「なかなか侮れませんよ」


「前は侮ってましたよね」


「学習しました」


 晴翔は笑った。


「これだけ多くの人が、私を止めるために考えてくれている」


「言い方」


「これ以上の舞台がありますか?」


「普通の政治家なら、そんな舞台いらないんですよ」


「そうでしょうね」


 側近が深く息を吐いた。


「先生にとっては、もう勝ってる?」


 晴翔の笑みが少しだけ変わった。


「ある意味では」


「新開市を取ってない」


「欲しくありません」


「アリスさんも倒してない」


「倒したくありません」


「王冠も」


「むしろ外してほしい」


「じゃあ何に勝ったんです」


 晴翔は窓の外を見たまま答えた。


「欲しかったものを、もう頂いています」


「何を」


「強敵です」


 側近は、今度こそ何も言わなかった。


     *


 その日の午前十時十三分、新開市の複数の匿名共有サイト、工学系フォーラム、都市インフラ研究者向けサーバ、そして俗にヴィラン掲示板と呼ばれている非公式ネットワークへ、同じデータ群がほぼ同時に現れた。


《MIKOSHI=NYUDO URBAN RECONFIGURATION PACKAGE》


 再構成アルゴリズム。互換インフラ検索。荷重計算。簡易接続規格変換。構成可能な機能ブロックの一覧。都市設備を身体として読み替えるためのデータ。元の完全版からは一部が欠落し、安全制限や認証機構についても断片的だったが、十分だった。工学を理解する者なら改変できる。理解しない者でも、誰かが作った簡易ツールを使えば動かせる。


 最初の反応は、冗談だった。


《これマジ?》


《御輿作れるじゃん》


《うちの区画の防災壁でいける?》


《脚足りねえ》


《三本にすればいい》


《なるわけないだろ》


 二時間後、なった。


 新開市外縁部の旧商業区画で、右腕だけが異様に長い、全高二十七メートルほどの不格好な構造体が立ち上がった。商業用蓄電設備を胴体に、配送倉庫の荷役機を腕に、道路補修用の可動架台を脚にしていたが、重心計算が甘く、立ち上がって十七秒で隣の建物へ倒れ込んだ。幸い避難が間に合い死者はなかった。


 三十分後、二体目。


 一時間後、さらに二体。


 その頃にはもう、番号を振る意味がなくなっていた。


     *


「何体!?」


 中央調整室でアリスが怒鳴った。


 真鍋の返答も怒鳴り声だった。


『私が聞きたい! 今確認できてるのが七!』


 祝部が別画面から言う。


「九!」


『どっちよ!』


「一体立った瞬間倒れたの数える?」


『数えろ!』


「じゃあ九!」


 アリスが頭を抱えた。


「増えるな!」


「増えるなってネットに言っても」


「分かってる!」


 三岐は公開されたデータを高速で確認していた。


「原型MIKOSHIの完全データではありません。一部の安全制御が欠落しています」


 アリスが顔を上げる。


「アライアンス除外は?」


「完全ではありません」


「は!?」


「元データに存在したアライアンス管理規格の排除設定が、改変版では削除されているものがあります」


 アリスの顔色が変わった。


「氷の母に言って」


「既にアライアンス側も検知しています」


 直後に優先回線が開いた。


『アリス』


「知ってる!」


『まだ何も申し上げていません』


「MIKOSHI!」


『ええ』


「晴翔!」


『現時点で公開元の確定には至っていません』


「晴翔!」


『その可能性が高いことは否定しません』


「言い方!」


『重要なのは、原型機に存在した制約が改変個体に維持される保証がないことです』


「分かってる」


『アライアンス管理資産へ接近する個体は、我々が処理します』


「うん」


『それ以外は』


「こっちでやる」


『確認しました』


 通信が切れる。


 アリスは新開市地図を睨んだ。赤い警告が、ひとつ、ふたつではない。しかも出来損ないほど危険だった。原型MIKOSHIは少なくとも自分が何を身体として使っているか理解していた。今立ち上がっている模造品は違う。右足へ必要以上の荷重をかけ、電力経路を誤接続し、歩くたびに街路灯を消し、通信塔を頭へ付けたせいで首を回した瞬間ケーブルを引き千切る。


「正規品より馬鹿だから危ない……」


 祝部。


「それメーカーが聞いたら褒めてると思われるぞ」


「誰が褒めるか!」


     *


 大泉晴翔は、自分が公開したデータから出来上がった最初の失敗作が十七秒で転倒する映像を見ていた。


 側近は横で青ざめていた。


「先生」


「はい」


「これ、いつものやり方じゃないですよね」


「ええ」


「自分でデータ出したんですよね」


「そうです」


「『私は命令してません』じゃないですよね」


「公開は私が行いました」


「……認めるんだ」


「事実ですので」


「何で」


 晴翔は、倒れた不格好なMIKOSHIを見ながら答える。


「追い詰められていますから」


 側近が黙る。


 あまりにも素直だった。


「先生」


「はい」


「焦ってる?」


「当然です」


「それでも楽しそう」


「当然です」


「どっちかにしてください」


「両立しますよ」


 晴翔は画面を切り替える。


「《MIKOSHI=NYUDO》は、私が所有している限り、大泉晴翔の兵器です」


「はい」


「なら」


 一拍。


「私の手から離しましょう」


「それで街中に生やす?」


「誰が使うかは、私にも分かりません」


「分かってて出したでしょう」


「使う人がいることは」


「同じです」


「そうですね」


 側近の目が細くなる。


「これ、責任逃れできませんよ」


「するつもりはありません」


 そこまで言った晴翔の声には、不思議な軽さがあった。責任を持つことすら、今の彼には刺激の一部になっているようだった。


     *


 同じ頃、新開市のネットワークでは別の波も起き始めていた。


《大泉晴翔をテロリスト扱いしていいのか》


《チャールズ・ブラウンのレポート、事実と推測混ざってる》


《女王の敵なら社会的に処刑していいの?》


《日本国議員への私刑誘導では》


《“社会的大泉晴翔”そのものが危険だろ》


 どれも完全な嘘ではなかった。チャールズ自身が、論文で危険性を明記している。社会的人格像を固定すれば、対象の《離席》を奪う可能性がある。チャールズはそれを問題として書いた。


 その問題だけが、切り抜かれた。


《チャールズ本人も危険と認める“晴翔固定化”》


《新開市は日本の政治家を悪党の席に永久拘束するのか》


《アリス式離席は晴翔にだけ適用されない?》


 そして反対側が噛みつく。


《じゃあMIKOSHI誰が作った》


《KYOは?》


《TEN=GUは?》


《こいつ何回新開市で騒動起こしてんだ》


 反晴翔と、反・反晴翔。


 二つの群れ。


 互い。


 煽る。


 その中の一部が、とうとう画面から出た。


     *


 日本国代表宿舎前へ最初に集まったのは百人ほどだった。


「大泉晴翔を出せ!」


「説明しろ!」


「テロリストを代表団に隠すな!」


 一時間後。


 三百。


 さらに増える。


 王党派もいる。


 反王政派もいる。


 サムライ・ヒーロー支持者。


 KYO=KOTUに襲われた者の家族。


 MIKOSHIで商売を止められた者。


 単に騒ぎへ参加したい者。


 そして、それらを撮る者。


 誰も同じ理由で来ていない。


 でも。


 口。


 同じ。


「大泉晴翔を出せ!」


 晴翔は窓からそれを見ていた。


 側近。


「先生」


「はい」


「これ」


「ええ」


「死ぬんじゃないですか」


 宿舎正面の仮設柵が揺れた。


「可能性はありますね」


「逃げましょうよ!」


 晴翔は群衆を見る。自分が一人ずつ命令したわけではない。自分の悪評を消そうともしていない。ただ、自分を社会的に固定することの危険性を強調する材料を、いくつかの経路へ流した。それだけで、反発と怒りと擁護が勝手に噛み合い、今こうして自分の宿舎を包囲している。


「素晴らしいですね」


「何が!」


「私が」


 晴翔は眼下を見つめる。


「何も言わなくても」


 一拍。


「私が、人を動かしている」


「それ、前より悪化してません?」


「ええ」


「喜ぶところじゃないですよ!」


 群衆の一部が柵を越えた。


 警備が押し戻す。


 叫び。


 カメラ。


 怒号。


 晴翔の肌に、また粟が立った。


     *


 チャールズ・ブラウンはその時、義弘の病室で《社会的大泉晴翔》をどう《離席》させるかについて話していた。


「効果が強すぎます」


 チャールズは言った。


 義弘は椅子へ座り、端末に流れる晴翔関連の情報を見ていた。


「効いてるのに?」


「効くことと、正しいことは別です」


 榊は窓際で腕を組んでいる。


「今さら言うとだいぶ導線屋っぽいぞ」


「自覚しています」


「嫌そうだな」


「非常に」


 トミーはベッド横の椅子に乗っていた。


「どうやって離席させんの」


 チャールズは答える前に少し考えた。


「社会的大泉晴翔へ、終期を設定する必要があります」


 義弘。


「王冠解体みたいに?」


「近いでしょう。大泉さん本人が役割を変更した時、何を満たせば社会側も以前の人物像から彼を切り離してよいのか。事実の記録は残す。しかし、人物像そのものを永久に固定しない」


 榊。


「誰が決める」


「それを考えています」


「難しいな」


「はい」


 義弘が少し笑った。


「ヒーローは難しい」


 チャールズも小さく笑いかけた。


 その時。


 榊の表情が消えた。


「伏せろ!」


 壁が破裂した。


     *


 KYO=KOTU。


 六。


 完全な群れではない。摘発を逃れた残存個体だった。装甲には継ぎ接ぎがあり、二機は片側センサーが旧型へ交換されている。それでも目的だけは明確だった。


 チャールズ。


 一直線。


「教授!」


 義弘が立つ。


 膝。


 痛む。


 身体。


 まだ。


 戻ってない。


 榊は既に動いていた。ゴースト・ヒーロー用装備を展開し、最初の一機を壁へ叩きつける。


「義弘さん、動くな!」


「無理!」


「病人だろ!」


「教授狙ってんだぞ!」


 トミーが床を走る。


「俺は!?」


「逃げろ!」


「言われなくても!」


 KYOの一機が天井を走り、通信を切る。別の二機が榊を挟む。三機目が義弘の前へ出て進路を塞ぐ。


 そして。


 残り。


 チャールズ。


 チャールズは戦闘員ではない。


 避ける。


 遅い。


「っ――」


 一機目の体当たりが脇腹へ入った。


 身体。


 浮く。


 壁。


 叩きつけられる。


 息。


 消える。


 床。


 落ちる。


 そこへ二機目。


「やめろ!」


 義弘が叫ぶ。


 榊。


 一機。


 斬る。


 間に合わない。


 KYOの脚部がチャールズの肩から胸へ叩き込まれた。


 嫌な音。


 する。


 チャールズ。


 床。


 崩れる。


 榊がようやく二機目を蹴り飛ばし、壁へ押し付ける。


「この野郎!」


 短い刃。


 接続部。


 破壊。


 KYO。


 停止。


 残り。


 退こうとする。


「逃がすな!」


 義弘。


 叫ぶ。


 でも。


 自分。


 追えない。


 榊もチャールズ。


 見る。


 追わない。


 KYO。


 三機。


 窓外。


 消える。


「教授!」


 義弘は杖を投げ捨てるようにしてチャールズの横へ膝をついた。すぐに膝が悲鳴を上げたが構わなかった。


「チャールズ!」


 血。


 口元。


 出る。


 呼吸。


 浅い。


 チャールズが薄く目を開ける。


「……なるほど」


「喋るな!」


「反論が」


 一度。


 咳。


 血。


「来ましたね」


「論文の査読みたいに言うな!」


 榊が救急回線を繋ぐ。


「救急! 重傷一名! 胸部、腹部、頭部衝撃あり!」


 トミーはいつの間にか戻ってきていた。


「チャールズ」


「トミー……さん」


「喋んな」


「皆さん」


 一拍。


「同じことを」


「仰いますね」


「だから黙れ!」


 救急ドローンの音が近づいてきた。


     *


 報告を受けた時、大泉晴翔は初めてその日、笑うことをやめた。


「チャールズ・ブラウン」


 側近の声も硬かった。


「重傷です」


 晴翔は動かなかった。


「程度は」


「緊急搬送。今、手術準備に入ってます」


「……そうですか」


「先生」


「はい」


「予定通り?」


 晴翔は数秒、答えなかった。


「いいえ」


 側近が晴翔を見る。


「行動不能にするつもりだった」


「ええ」


「研究端末壊して、しばらく動けなくする」


「ええ」


「でも重傷」


「ええ」


「KYOが整備不良だった?」


「それもあるでしょう」


「じゃあ事故?」


 晴翔は首を横へ振った。


「私の攻撃です」


「でも」


「私が残存KYOを使いました」


「想定以上だっただけで」


「想定に失敗したのも」


 一拍。


「私の判断です」


 側近は黙った。


 晴翔は窓の外を見る。群衆。叫び。MIKOSHI模造個体。騒乱。自分が起こした津波。


 怖い。


 また。


 身体。


 震える。


 でも。


 今度。


 少し。


 違う。


 チャールズ。


 死ぬ。


 かもしれない。


 その可能性。


 晴翔。


 望んで。


 なかった。


 なのに。


 自分。


 手。


 動かした。


 結果。


 出た。


 逃げる。


 場所。


 ない。


 その怖さまで。


 晴翔。


 生きてる。


 感じる。


 側近が低い声で言う。


「先生」


「はい」


「今、かなり危ないですよ」


「承知しています」


「違う」


「何がでしょう」


「状況じゃなくて」


 一拍。


「先生自身が」


 晴翔は返事をしなかった。


     *


「誰」


 中央調整室で、アリスの声が低くなった。


 真鍋からの通信。


『チャールズ・ブラウン。KYO残存個体の襲撃。重傷』


「誰が」


『今、経路追ってる』


「晴翔?」


『可能性は高い』


 アリスは端末を握った。


 指。


 白く。


 なる。


 祝部が黙る。


 三岐も。


 誰も。


 今。


 余計。


 言わない。


「……殺す」


 小さかった。


 でも。


 はっきり。


 聞こえた。


 真鍋もすぐ返した。


『私が行く』


 アリスの目が動く。


『晴翔引きずり出す。日本代表宿舎ごと治安機関で――』


「駄目」


『は?』


「駄目」


『チャールズやられたんだぞ!』


「分かってる!」


 アリスが怒鳴った。


 部屋。


 静か。


 なる。


 アリスの呼吸。


 速い。


 目。


 赤い。


 拳。


 震えてる。


 晴翔。


 いる。


 場所。


 分かる。


 今。


 行ける。


 OU。


 いる。


 家族。


 いる。


 治安機関。


 いる。


 女王アリス。


 命令。


 一つ。


 出す。


 できる。


 晴翔。


 敵。


 として。


 宿舎。


 包囲。


 して。


 引きずり出す。


 その瞬間。


 アリス。


 分かる。


 晴翔。


 欲しい。


 それ。


 女王。


 敵。


 討つ。


 構図。


 そして。


 チャールズ。


 社会的大泉晴翔。


 固定。


 もっと。


 強く。


 なる。


 アリスは目を閉じた。


 チャールズ。


 言った。


 忍耐。


 待つ。


 義弘。


 言った。


 敵。


 固定。


 するな。


 自分。


 言った。


 今。


 何。


 してるか。


 見る。


 怒り。


 消えない。


 消す。


 必要。


 ない。


 ただ。


 乗らない。


「……乗らない」


 祝部。


「何に」


「晴翔の」


 一拍。


「導線」


 アリスは目を開いた。


 怒っている。


 まだ。


 ものすごく。


 怒っている。


 でも。


 声。


 戻す。


「真鍋」


『何』


「出来損ないMIKOSHI」


『今それどころ――』


「今だから!」


 真鍋が黙る。


「誰がデータ落とした」


「誰が変えた」


「どこの設備使った」


「何が壊れた」


「全部」


 一拍。


「取って」


『……』


「晴翔」


「津波にした」


「だから」


「一本ずつ」


「見る」


 真鍋の息が聞こえる。


 彼女も怒っている。


 それでも。


『分かった』


「KYOも」


『回収する』


「生きてるの」


『できる限り』


「命令経路」


『洗う』


「晴翔まで」


『繋げる』


「うん」


 真鍋が続けた。


『私の判断でやる』


 アリス。


 ほんの少し。


 頷く。


「お願い」


     *


 その時、日本代表宿舎前のデモが本格的に暴徒化した。


 柵。


 倒れる。


 警備員。


 押される。


 投石。


 窓。


 割れる。


 群衆の中には武装していない者が大半だったが、一部にサムライ・ヴィラン系の簡易装甲、改造ドローン、電撃棒が見える。


 日本側から緊急要請。


『新開市側へ警備支援を要請します!』


 調整室。


 全員。


 アリス。


 見る。


 晴翔。


 中。


 いる。


 祝部が小さく言う。


「……どうする」


 アリス。


 顔。


 歪む。


「守る」


 祝部。


「晴翔いるぞ」


「知ってる」


 三岐。


「日本国代表団全体の保護義務があります」


「知ってる!」


 アリスはOU回線を開いた。


「オールドユニオン」


『陛下』


「日本代表宿舎」


 一瞬。


 言葉。


 詰まる。


 チャールズ。


 血。


 思い出す。


 晴翔。


 笑顔。


 思い出す。


 それでも。


「守って」


 OU司令官。


『大泉晴翔も滞在しています』


「知ってる!」


 アリスは机を叩きそうになり、寸前で止めた。


「だから」


 一拍。


「守って」


『承知しました』


「MAXIMILIAN」


『四機を配置可能です』


「正面と側面」


「武器使わない」


「押さない」


「壁」


『了解』


「代表団も」


 一拍。


「晴翔も」


 喉。


 痛い。


「私刑」


「させない」


『承知しました、陛下』


 通信が切れる。


 祝部がアリスを見ていた。


「何」


「いや」


「言え」


「今」


 一拍。


「めちゃくちゃ女王だなって」


 アリスの目が険しくなる。


 でも。


 否定。


 しない。


「知ってる」


 祝部は黙った。


     *


 四機のMAXIMILIANが日本代表宿舎前へ並んだ。巨大な機体は火器を構えず、ただ身体を横へ向けて壁になった。進もうとするデモ隊を殴らない。押し返さない。ただ通さない。宿舎側の避難経路を確保し、投石は装甲で受け、飛んできた小型ドローンだけを非破壊拘束する。


「大泉晴翔を出せ!」


「女王はテロリストを守るのか!」


「アリスは晴翔の味方か!」


 その映像。


 世界。


 流れる。


《女王アリス、日本代表団を保護》


《女王、自らの宿敵にも私刑を許さず》


《新開市全域で“女王”による危機対応》


《アリス、OU派遣軍を直接運用》


 王冠。


 また。


 重い。


 アリスはニュースを見なかった。


 今。


 見る。


 もの。


 他。


 ある。


     *


 大泉晴翔も、MAXIMILIANが宿舎前へ並ぶ様子を窓から見ていた。


 側近。


「アリスさんが守ってます」


「代表団を、でしょう」


「先生も中にいる」


「ええ」


「チャールズさん襲わせた可能性高いのに」


「そうですね」


「殺したいと思ってるでしょうね」


「恐らく」


「それでも守る」


「ええ」


 晴翔の笑みは、さっきまでより小さかった。


「見事ですね」


「嬉しい?」


「悔しいですよ」


「珍しい」


「私は」


 一拍。


「怒っているアリスさんを」


「もう少し」


「動かせると思っていました」


 側近は晴翔を見る。


「失敗?」


「ええ」


 あっさり。


 認める。


 晴翔の目は。


 それでも。


 楽しそう。


 しかし。


 完全。


 ではない。


 何か。


 引っかかる。


 側近が端末を見ながら言った。


「先生」


「はい」


「これ」


「何でしょう」


「公開MIKOSHI」


「はい」


「先生が公開した記録、もう追われ始めてます」


「でしょうね」


「世論工作の経路も」


「はい」


「KYOの攻撃も」


「はい」


「チャールズさんのレポート」


 側近は画面を開いた。


《社会的大泉晴翔:本人の役割変更を妨げる追従的人物像》


「先生」


 一拍。


「これ」


「チャールズさんが作った大泉晴翔に」


「自分から」


「なってません?」


 晴翔。


 止まる。


 窓外。


 群衆。


 MAXIMILIAN。


 見る。


 端末。


 MIKOSHI。


 公開ログ。


 見る。


 KYO。


 攻撃。


 見る。


 チャールズ。


 重傷。


 見る。


 テロリスト。


 大泉晴翔。


 タグ。


 見る。


 社会。


 作った。


 怪物。


 誇張。


 だった。


 そこ。


 自分。


 追い詰められて。


 直接。


 手。


 出した。


 結果。


 一歩。


 一歩。


 近づく。


 側近。


「先生?」


 晴翔は、乾いた笑いを漏らした。


「……なるほど」


「まずい?」


「ええ」


 一拍。


「非常に」


「逃げます?」


 晴翔は群衆を見る。


 怖い。


 アライアンス。


 怖い。


 アリス。


 怖い。


 チャールズ。


 怖い。


 義弘。


 怖い。


 社会。


 自分。


 固定。


 怖い。


 全部。


 たまらない。


「いいえ」


 側近が顔を覆う。


「ですよね」


「今」


 晴翔は胸へ手を当てた。


「絶頂ですから」


     *


 チャールズが手術室へ運ばれたという連絡が来たのは、それから二十分ほど後だった。義弘のシャツには血がついていた。榊はKYOの残骸から回収した制御系を治安機関へ渡し、トミーは救急処置室の外で妙に静かだった。


 義弘はアリスへ連絡した。


『アリス』


「チャールズ」


『生きてる』


 アリスは目を閉じた。


「……うん」


『今はな』


「うん」


『医者は手術入った』


「うん」


 何度。


 うん。


 言う。


 分からない。


 義弘。


 一拍。


『行くなよ』


「どこ」


『晴翔』


 アリスの目が開く。


「行かない」


『……そうか』


「何」


『偉いな』


「褒めるな」


『悪い』


「殺したい」


『分かる』


「めちゃくちゃ」


『分かる』


「顔」


「見たら」


「殴る」


『前科あるからな』


「うるさい」


『だから行くな』


「行かない」


 一拍。


「絶対」


『うん』


 アリスは画面越しの義弘を見る。


「義弘」


『何』


「そっち」


「頼む」


『任せろ』


「走るな」


『この流れでそれ言う?』


「絶対走る」


『走らねえよ』


 後ろからトミー。


『信用ないな』


「あるから言ってる!」


 ほんの少し。


 声。


 戻る。


 それだけ。


 十分。


     *


 夜になっても、新開市の混乱は収まらなかった。出来損ないのMIKOSHI=NYUDOは合計十一体が確認され、そのうち三体は自壊、五体は治安機関とサムライ・ヒーロー、OU派遣軍によって停止され、二体は組み上がる前に設備を切り離され、残る一体が外縁部の旧物流地区でまだ歩いていた。アライアンス管理インフラへ接近した模造個体一体はF.QRE.D.QVEによって瞬時に脚部を破壊され、その場で拘束された。原型機ほど強い個体は一つもない。だが、弱くても十一体の巨大構造物が勝手に都市設備を引き抜けば、それだけで災害だった。


 中央調整室で、アリスは一度も席を立たなかった。


「南五」


『はい!』


「避難先変更」


『理由は』


「模造MIKOSHI、送電線引っ掛けてる」


『確認!』


「切れる前に移して」


『了解!』


「MAXIMILIAN」


『こちら日本代表宿舎』


「前出ないで」


『群衆圧が上昇しています』


「押すな」


『了解』


「壁だけ」


『了解』


「真鍋」


『聞いてる』


「KYO」


『残骸四、稼働一回収。二機逃走』


「命令経路」


『一つ日本側の中継経路まで来た』


 アリスの目が細くなる。


「晴翔?」


『まだ断定しない』


「うん」


『私が取る』


「お願い」


 真鍋。


 一拍。


『チャールズの件』


「今」


『うん』


「それ」


「言うな」


『分かった』


 通信が切れる。


 三岐が横でアリスの権限使用状況を記録している。祝部は市民向け避難情報を整理し、誤情報を打ち消している。OUからは何度も「陛下」と呼ばれ、各国代表団からは「女王アリスの統合指揮」と書かれた照会が届く。


 アリスは訂正しなかった。


 今。


 必要。


 ない。


「次」


 短く言う。


 新しい報告。


 来る。


「北東の模造MIKOSHI、右脚崩壊!」


「周り!」


「避難済み!」


「じゃあ倒していい!」


「了解!」


 次。


「日本代表宿舎、群衆の一部が東側へ回り込み!」


「グリンフォン使えない」


「コロボチェニィクは?」


「現場から十二分!」


「MAXIMILIAN一機回して!」


「了解!」


 次。


「アライアンスから模造規格データ共有!」


「三岐!」


「受領しています!」


「次」


 次。


 次。


 アリス。


 全部。


 見る。


 声。


 冷たい。


 ほど。


 落ち着く。


 手。


 机。


 下。


 震える。


 チャールズ。


 手術。


 表示。


 画面。


 隅。


 ある。


 見ない。


 見たら。


 晴翔。


 顔。


 浮かぶ。


 怒る。


 怒る。


 でも。


 動かない。


 忍耐。


 チャールズ。


 教えた。


 本人。


 今。


 手術。


 受けてる。


 だから。


 なおさら。


 使う。


 怒り。


 消さない。


 でも。


 晴翔。


 渡さない。


 それ。


 自分。


 持つ。


 アリスは次の指示を出した。


「西七」


「投降者」


「いる?」


『二名!』


「武器」


『置いてます!』


「じゃあ敵じゃない」


『了解!』


「治安機関に渡して」


『了解!』


 《離席》。


 まだ。


 守る。


 晴翔。


 チャールズ。


 襲った。


 可能性。


 高い。


 でも。


 そのせい。


 街。


 全部。


 敵。


 固定。


 しない。


 晴翔。


 いる。


 宿舎。


 守る。


 それ。


 嫌。


 吐きそう。


 でも。


 守る。


 法。


 ある。


 代表団。


 いる。


 私刑。


 させない。


 それが。


 アリス。


 選んだ。


 正義。


 だから。


     *


 午前零時前、中央調整室の大画面には、十一体目の模造MIKOSHIがようやく停止したとの表示が出た。


「全確認個体、停止」


 祝部が言った。


 部屋の何人かが息を吐く。


 アリスは吐かなかった。


「データ」


 三岐。


「公開済みです。複製も多数」


「消せない?」


「不可能です」


「じゃあ」


 一拍。


「次来る」


「はい」


「調査」


「継続します」


「うん」


 アリスは別画面を見る。


《CHARLES BROWN:SURGERY IN PROGRESS》


 まだ。


 終わらない。


 祝部。


「アリス」


「何」


「休む?」


「やだ」


「五分」


「やだ」


「トミーに言うぞ」


 アリスが顔をしかめた。


「卑怯」


「効くから」


 それでも。


 立たない。


 アリスは背もたれへ身体を預け、五秒だけ目を閉じた。


 その姿を見た祝部は、何も言わなかった。


 外から見れば、その日一日のアリスは、これまでで最も「女王」だった。


 新開市全域の危機対応を調整し、治安機関へ調査を依頼し、オールドユニオン派遣軍へ配置を求め、各国代表団を守り、自分の宿敵がいる日本代表宿舎さえ暴徒から保護した。怒りを押し殺し、個人的感情より街の秩序を優先し、誰を敵と認定するかまで慎重に選んだ。


 完璧な。


 女王。


 みたい。


 だった。


 でも。


 机の下。


 拳。


 爪。


 掌。


 食い込む。


 ほど。


 握ってる。


 チャールズ。


 死んだら。


 晴翔。


 許せない。


 今でも。


 殺したい。


 それ。


 抱えた。


 まま。


 座ってる。


 完璧。


 だから。


 ではない。


 怒って。


 間違える。


 こと。


 できる。


 自分。


 知ってる。


 から。


 止まる。


 できる。


 それが。


 今の。


 アリス。


 だった。


     *


 同じ夜、大泉晴翔は代表宿舎の窓辺で、まだ消えないデモ隊の灯りを眺めていた。MAXIMILIANの巨大な背中が、自分と群衆の間にある。アリスが置いた壁だった。


 側近が言う。


「先生」


「はい」


「今日、何個失敗しました?」


「数えるのですか?」


「帰国勧告無視」


「はい」


「MIKOSHI公開してアライアンス激怒」


「はい」


「チャールズさん重傷」


「……はい」


「アリスさん煽ったのに、宿舎守られた」


「はい」


「社会的大泉晴翔から逃げようとして、自分で近づいた」


 晴翔が笑う。


「多いですね」


「まだ楽しい?」


 晴翔は少し考えた。


 朝なら。


 即答。


 した。


 今。


 考える。


 それでも。


「ええ」


「本当に?」


「本当に」


 側近が呆れる。


「何で」


「恐らく」


 晴翔は胸元へ手を当てる。


「私は今」


 一拍。


「人生で」


「一番」


「生きています」


「そのまま死なないでくださいよ」


「努力します」


「絶対しない返事」


「失礼ですね」


 晴翔は笑った。


 だが。


 その笑い。


 朝。


 違う。


 チャールズ。


 重傷。


 自分。


 直接。


 攻撃。


 した。


 社会的大泉晴翔。


 悪党。


 像。


 そこ。


 自分。


 近づく。


 アリス。


 怒り。


 耐えた。


 自分。


 期待。


 した。


 反応。


 しなかった。


 追い詰められている。


 本当に。


 今まで。


 ない。


 ほど。


 それでも。


 逃げたく。


 ない。


 側近は窓外を見た。


「先生」


「はい」


「ある意味、もう勝ったって言ってましたよね」


「ええ」


「じゃあ、負けてもいい?」


 晴翔は少し黙った。


「それは」


 一拍。


 笑う。


「まだ」


「嫌ですね」


 側近。


「良かった」


「何がです」


「勝ちたい気持ち残ってる」


「もちろんです」


「じゃないと本当にただの危ない人だから」


「既にそう見られているようですよ」


「自分で証拠増やしましたからね」


「痛いところを」


 晴翔はまた窓外へ目を戻した。


 追い詰められた怪物は、最も強く暴れた。


 同時に、その暴れ方によって、自分の逃げ道へ火を放った。


 再生するために脱皮を繰り返してきた男が、初めて古い皮から逃げられなくなりつつある。


 それでも。


 晴翔。


 笑う。


 怖い。


 楽しい。


 悔しい。


 嬉しい。


 全部。


 波。


 なる。


 身体。


 流れる。


 日本。


 戻る。


 静かな。


 議員宿舎。


 座る。


 だけ。


 なら。


 これ。


 ない。


 アリス。


 義弘。


 チャールズ。


 真鍋。


 榊。


 祝部。


 トミー。


 新開市。


 全部。


 敵。


 なって。


 自分。


 噛む。


 こんな。


 幸福。


 ある。


 か。


 晴翔は窓ガラスへ映った自分を見た。


 その背後には、ネットワークの中で勝手に増殖した、もう一人の大泉晴翔がいる。


 テロリスト。


 女王の宿敵。


 再生の怪物。


 新開市最大の悪党。


 本人。


 否定。


 したい。


 でも。


 今日。


 少し。


 自分。


 近づいた。


「……これは」


 晴翔は小さく呟いた。


「本当に」


 一拍。


「難しいですね」


     *


 そして中央調整室で、アリスは再び目を開いた。


 新しい報告が来ていた。


 KYO=KOTUの残存一機から、攻撃指示経路の一部が回収された。


 日本側。


 複数。


 中継。


 匿名化。


 でも。


 その先。


 まだ。


 ある。


 真鍋から通信。


『アリス』


「うん」


『一本』


 一拍。


『掴んだ』


 アリスの目が変わる。


「晴翔?」


『まだ言わない』


 真鍋。


 怒ってる。


 でも。


 冷静。


『証拠にする』


 アリスは頷いた。


「うん」


『今度は』


 一拍。


『社会が作った悪党じゃなく』


『本人の』


『やったこと』


「うん」


 アリスは静かに答えた。


「それで」


「倒す」


 チャールズ。


 作った。


 怪物。


 ではなく。


 大泉晴翔。


 本人。


 選んだ。


 行動。


 その。


 責任。


 追う。


 怒り。


 ある。


 王冠。


 ある。


 軍。


 ある。


 力。


 ある。


 でも。


 それ。


 使って。


 敵。


 消さない。


 証拠。


 取る。


 待つ。


 忍ぶ。


 その夜、新開市の中央で誰より大きな権限を動かしていた少女は、誰より強く誰かを憎みながら、それでもその憎しみを処罰の根拠にはしなかった。


 だからこそ。


 外から見れば。


 その姿は。


 皮肉なほど。


 女王。


 だった。


 そして大泉晴翔は、人生で最も大きな力を得て、人生で最も深く追い詰められ、その両方を心の底から楽しみながら、自分でも気づかぬうちに、初めて本当の敗北へ続く道を自分の足で踏み始めていた。


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