第415話 正義になり過ぎた
改造を終えた《TEN=GU》が新開市へ戻ったのは、朝の光が高層建築の上端を白く染め始めた頃だった。以前より装甲は厚くなり、背部の飛行翼は大型化し、その間には複数目標へ対応するための小型迎撃刃と補助推進器が増設されている。腰部には折り畳まれた対群体制圧装備、背面には高出力補助電源、肩から伸びた細い装甲帯は必要に応じて展開して飛来物を逸らす重装甲外套として働く。それだけ積めば本来なら機体は鈍重になるはずだったが、強化された姿勢制御AIが朔の身体の動きを先読みし、補助推力を細かく配分することで、むしろ初期型より軽く見えた。TEN=GUは高層ビルの屋上へ着地すると、脚部からほとんど音を立てずに衝撃を逃がし、眼下の新開市を見下ろした。神代朔の視界には、道路、広場、高架、屋上、飛行ドローンの航路、その間を行き交う人々の動きが薄い情報層として重なっている。サムライ・ヴィランに関係する警報は、数日前までに比べれば驚くほど少なかった。
《潜在騒乱地点:三》
《武装サムライ反応:二》
《介入推奨:一》
「……一つだけか」
朔は小さく呟いた。
それは、良いことのはずだった。《TEN=GU》が現れてから、サムライ・ヴィランによる騒ぎは劇的に減った。公開決闘も、アリスの注意を引くためだけの暴走も、無意味な挑発配信も減った。新開市の治安機関は助かり、市民も喜び、アリスの仕事も減っているはずだった。なら、このまま続ければいい。もっと早く見つけ、もっと確実に止め、もっと誰も傷つかないようにする。朔はそう考えていた。アリスに助けられて以来、その思いはむしろ強くなっている。自分を助けるためにグリンフォンを出させた。政治的に面倒な「女王の騎士」という物語まで強めてしまった。それが嫌だった。アリスの負担を減らすために戦っているのに、逆にアリスの王冠を重くした。それなら次は、助けられなければいい。義弘がまだ完全に戻れないなら、自分が穴を埋めればいい。誰にも守られず、一人で全部終わらせれば、少なくとも「女王に守られた騎士」にはならない。
《目標更新》
《武装サムライ個体:過去72時間内騒乱参加歴三件》
《現在:公道上、武装状態》
《再攻撃可能性:高》
《先制武装解除推奨》
表示が一つ増えた。
以前のTEN=GUなら、《敵性行動確認まで待機》と出ていたはずだった。強化後のAIは、もっと先を見る。過去の行動、現在の装備、位置、周囲の人流、逃走経路、再犯可能性。それらを組み合わせ、「攻撃されてから止めるより、攻撃する前に武装だけ奪った方が人的損害が少ない」と判断する。
合理的だった。
朔は屋上を蹴った。
*
サムライ・ヴィランは二人いた。そのうち一人はTEN=GUの姿を見た瞬間、武器を収納した。
「今日はやってねえぞ!」
TEN=GUは上空から降りる。
「昨日もやってない!」
朔の視界には別の表示が出ている。
《48時間前:無許可武装対峙》
《71時間前:公共区域での騒乱》
《現在携行武器:有》
「なら何で刀持ってる」
「護身だよ!」
「昨日もそう言っただろ」
「だから今日は何もしてねえ!」
朔は黙った。アリスなら、「今やめてるなら帰れ」と言っただろう。以前の自分も、そうしたかもしれない。だが、昨日「やめた」男が明日また武器を抜いた時、その間に誰かが怪我をしたらどうする。何度でも離席できる。その考え方自体は分かる。けれど、離席が「今日は休み」という意味にまで軽くなったら、それは出口ではなく回転扉ではないのか。
《武装解除推奨》
《人的損傷予測:極低》
「そのスーツ」
朔が言う。
「今日は置いてけ」
「は?」
「武器も」
「何でだよ!」
「何もしないなら困らないだろ」
ヴィランの顔色が変わった。
「お前、警察かよ」
「違う」
「女王の騎士か?」
その言葉だけで、朔の中に何かが刺さった。
「違う」
「じゃあ何の権限で――」
相手が刀の柄へ手をかける。
朔の視界が瞬時に変わった。
《敵性動作予測》
《反撃権限成立》
《制圧点:右肩駆動部》
一閃。
刀は抜かせなかった。TEN=GUの刃が装甲だけを切り、右肩の駆動部を止める。ヴィランは呻きながら膝をつく。人間には傷一つない。
周囲から歓声が上がった。
「やっぱTEN=GUだ!」
「先に止めた!」
「あいつ絶対またやる奴だろ!」
「女王の騎士、容赦ねえ!」
朔は振り向かなかった。
ただ、最後の一言だけが耳に残った。
*
「……やりすぎだ」
病院のリハビリ区画で、その映像を見ていた津田義弘が低く言った。
義弘は既に短距離なら杖なしでも歩けるようになっていたが、担当医から許されているのはあくまでリハビリである。白いサムライ・スーツへ戻る予定など、まだ一切ない。だからこそ、TEN=GUが現場で何をしているかを見ている時間が増えた。
義弘は椅子から立とうとした。
病室の出口に。
黒いもの。
いる。
シュヴァロフ。
「……おい」
巨大な黒い家族機が、静かに立っている。
「どいてくれる?」
動かない。
「散歩」
動かない。
「医者から歩けって言われてんの」
シュヴァロフの背部巨大腕が、ゆっくり横へ伸びた。
出口。
完全。
塞ぐ。
横のトミーが言った。
「読まれてるな」
「アリスの奴」
「義弘が勝手に朔止めに行くと思ったんだろ」
「俺そんな信用ねえ?」
「あるから置いたんだろ」
「逆じゃない?」
義弘はしばらくシュヴァロフと睨み合ったが、勝てるわけがない。戦闘以前に、今の身体であの腕を押し退けようとした時点で担当医から病室へ逆戻りさせられる。
「……くそ」
座り直す。
シュヴァロフ。
動かない。
「お前も大変だな」
返事はない。
だが義弘には、どこか「分かってるなら座ってろ」と言われた気がした。
*
アリスも同じ映像を見ていた。
「朔」
通信。
応答なし。
「朔、出て」
応答。
なし。
祝部が横から言う。
「切ってる?」
「多分」
「嫌われた?」
「うるさい」
アリスはもう一度呼び出す。
「神代朔」
出ない。
「出ろ」
出ない。
アリスの眉間に皺が寄る。自分が直接行けば、また「女王アリスが騎士TEN=GUを呼び戻した」という絵になる。治安機関から停止を命じさせるには、現時点で朔の行為がどこまで違法なのか整理が必要だった。負傷者はいない。民間被害も少ない。相手は実際に武装しており、多くは過去に騒乱を起こしている。結果だけ見れば、治安改善に寄与している。
だから余計に面倒だった。
「グリンフォン」
窓外に機影が現れる。
「コロボチェニィクも」
三対の装甲腕を持つ家族機が奥から姿を見せた。
「朔止めに行って」
祝部が顔を上げる。
「捕まえる?」
「違う」
アリス。
「無茶するの止める」
「ヴィランは?」
「そっちも止める」
「どっちの味方」
「怪我しない方」
祝部は少し笑う。
「アリスっぽい」
「褒めてないで行かせて」
グリンフォンとコロボチェニィクが出ていく。
アリスはすぐに嫌な予感がした。
案の定、四十分後。
《TEN=GUに女王直轄二機が合流》
《グリンフォン、コロボチェニィクと謎の騎士が共同警戒》
《女王の新守護隊、実戦運用開始か》
「共闘じゃない!」
祝部が記事を見ながら答える。
「映像だけだと完全に共闘」
「邪魔しに行ってる!」
「政治的には増援」
「政治って嫌い!」
*
神代朔は、その映像を自分でも見ていた。
グリンフォン。
コロボチェニィク。
自分。
三機。
いや。
一人と二機。
同じ画面。
《女王アリスの新たな守護編成》
「違う」
朔は呟いた。
違う。
アリスに頼まれていない。
アリスのためにやっているだけだ。
それも正確には、アリスの命令ではない。自分が勝手にそうしたいと思っている。アリスが王冠を脱ぎたいなら、騒ぎを減らす。義弘がまだ動けないなら、ヒーローの穴を埋める。サムライ・ヴィランが何度でも戻ってくるなら、戻っても騒げないくらい徹底的に止める。それが一番早い。
早く。
全部。
終わらせる。
そうすれば。
アリスも。
楽。
なる。
《武装騒乱予兆》
《大型機反応》
朔の視線が変わった。
「何だ」
市街北部。
大型。
ドローン。
識別。
出る。
《LC-07 ARBALEST》
朔はすぐに飛んだ。
*
その頃、病院には最も来てほしくない客が来ていた。
「本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
大泉晴翔。
病室。
義弘。
チャールズ。
榊圭吾。
トミー。
そして出口。
シュヴァロフ。
空気。
最悪。
「帰れ」
義弘が即答した。
晴翔は時計を見る。
「まだ一分も経っていません」
榊。
「長いな」
チャールズは深く息を吐いた。
「一応、お話は伺いましょう」
「ありがとうございます」
「教授!」
「殴って追い返すわけにはいきません」
トミー。
「前例あるしな」
「俺じゃねえ」
晴翔は少し笑った。
「今日の目的は単純です。日本国製新型サムライ・スーツ《TEN=GU》が、新開市の治安維持へどの程度寄与できているか、実証成果をご説明に」
義弘の目が細くなる。
「プロモーション?」
「はい」
「朔を使って?」
「神代さんはご自身で運用されています」
「その答え、もう聞いた」
「では説明を省けますね」
「晴翔」
「はい」
「お前、今日何見に来た」
晴翔は答えず、病室のテレビを点けた。
「ちょうど」
一拍。
「実機をご覧いただけます」
画面。
緊急中継。
巨大な影。
高架道路脇。
地面へ固定脚を食い込ませた大型砲戦ドローン。
《LC-07 ARBALEST》
細長い主砲身。大型の杭状投射体。両肩部には複数の射線を形成する補助砲。脚部から高出力ワイヤアンカーが伸び、建物壁面へ固定されている。近づいて格闘する兵器ではない。近づかせないための兵器だった。
その向こう。
空。
TEN=GU。
義弘が立ち上がりかける。
シュヴァロフ。
背部腕。
わずかに。
動く。
「分かってるよ!」
義弘は座った。
晴翔。
「便利ですね」
「お前まで褒めるな」
*
LC-07アーバレストは、LC-08スコルピウスと設計思想が正反対だった。スコルピウスが距離を詰め、格闘で相手を殺しきることを目的とするなら、アーバレストは遠距離から移動経路そのものを奪う。主砲から撃ち出される杭状弾は単純な破壊弾ではなく、地面や壁へ刺さった後に拘束ワイヤを展開し、サムライの飛行経路を狭める。補助砲はTEN=GUの回避方向を予測して射線をずらし、逃げ道へ先に弾を置く。
朔の視界へ大量の情報が流れた。
《主砲射線予測》
《回避経路:三》
《推奨:上方》
《補助射撃予測》
《上方経路危険》
《再計算》
《迎撃刃展開》
「速い……!」
主砲。
発射。
TEN=GUが身体を捻る。杭がすぐ横を抜け、高層建築の外壁へ突き刺さる。ワイヤが展開し、空中に巨大な線が引かれる。
二射。
三射。
朔は飛ぶ。
強化されたTEN=GUのAIは初期型とは比較にならないほど優秀だった。杭の軌道を読み、相手の砲口角度から次弾を予測し、朔の剣の届く範囲へ入った小型弾だけを迎撃する。背部から展開した分散目標追尾刃が四本、別方向から迫る補助弾を切り落とす。
市民。
配信。
歓声。
「天狗だ!」
「何で全部見えてる!」
「アーバレストの弾幕抜けてるぞ!」
本人だけが見ているわけではない。
朔と。
AI。
二つの眼。
合わせて。
見ている。
*
義弘はテレビの戦闘そのものより、その周囲を見ていた。アーバレストの射撃を補助する小型ドローン。さらに、離れた建物屋上にサムライ・ヴィランが三人。直接戦闘へ参加していない者までいる。
「共同だな」
榊が言う。
「何が」
「TEN=GU狩り」
義弘。
「ここまで来たか」
チャールズ。
「彼らは一対一では勝てない。集団でも前回の強化後は難しい。なら、より大きな手段へ」
「街が勝手に」
「はい」
晴翔は静かにテレビを見ている。
義弘が言った。
「やりすぎだ」
晴翔。
「何がでしょう」
義弘は画面から目を離さない。
「朔は」
一拍。
「正義の味方に」
さらに。
「“なり過ぎた”」
晴翔は笑った。
「それがプロのご意見ですか」
「そうだよ」
「ヒーローは難しい」
その言い方に、榊の目が細くなる。
「仕掛けた奴が」
乾いた声。
「プロの感想欲しくてここに来たのか」
「参考になります」
「いい趣味だな」
一拍。
「ここで殺した方がいいかもしれん」
晴翔は榊を見る。
「物騒ですね」
「俺は企業も組織も嫌いなんだ」
「存じませんでした」
「お前みたいに、人間に役与えて、そこへ踏み込ませる奴はもっと嫌いだ」
晴翔は少しだけ興味深そうな顔をした。
「榊さんは」
「知ってる?」
「多少」
榊。
「じゃあ話早い」
「殺すのはお勧めしませんよ」
チャールズが静かに割って入った。
「社会学的理由ですか」
「法的理由です」
*
チャールズは晴翔へ向き直った。
「一つ確認させてください」
「どうぞ」
「先ほど、日本国製TEN=GUが新開市の治安へ貢献していると仰いました」
「はい」
「それは」
チャールズは言葉を慎重に選ぶ。
「日本国が、新開市域の治安維持へ直接介入していると理解してよろしいのでしょうか」
義弘も榊も晴翔を見る。
晴翔。
即答。
「いいえ」
「では」
「TEN=GUは」
一拍。
「日本国代表団護衛用の正式装備として、既に申請済みです」
病室。
静か。
なる。
チャールズ。
「……代表団護衛」
「はい」
「神代さんが新開市市街でサムライ・ヴィランへ介入しているのは」
「代表団警護機能を持つ装備の運用試験と、装着者自身の判断による地域安全への寄与です」
「日本政府から治安維持任務を与えているわけではない」
「ございません」
「では、日本国の治安介入ではない」
「その通りです」
晴翔は微笑む。
「代表団の安全確保を目的とする正式装備が」
一拍。
「その活動過程で」
「地域の安全にも」
「貢献している」
さらに。
「それだけです」
チャールズは何か言い返そうとして、口を閉じた。
筋。
通っている。
嫌になるほど。
通っている。
日本国代表団が新開市に滞在している以上、その護衛装備を申請すること自体は不自然ではない。TEN=GUの活動範囲と日本代表団の護衛必要性がどこまで一致するかは別途精査できる。しかし、「日本国が新開市の治安へ軍事介入した」と単純に切ることはできない。
その時。
トミーが小さく言った。
「……また生やしやがったな」
晴翔が振り向く。
「何をです?」
トミー。
「根っこだよ」
晴翔はほんの少しだけ笑った。
「面白い表現ですね」
「笑ってろ」
「そうさせていただきます」
それだけだった。
晴翔はトミーを馬鹿な動物だと思っているわけではない。人語を理解することも、義弘やアリスにとって重要な存在だということも知っている。ただ、晴翔の盤面においてトミーは、政治家でもヒーローでもヴィランでも企業人でも制度担当者でもない。何かの役割を与えて再生させる必要もなければ、正義と悪党の席を巡らせる対象でもない。
だから。
晴翔は。
その言葉を。
拾わなかった。
チャールズだけが。
黙って。
トミーを見た。
トミーも。
チャールズを見る。
「後」
それだけ。
チャールズは頷いた。
*
アーバレスト戦は、終盤へ入っていた。TEN=GUはワイヤで狭められた空域を抜け、ようやく大型機の懐へ近づく。アーバレストは主砲を下げきれない。代わりに脚部から近接防御ドローンが展開される。
《敵性小型機:八》
《対群体制圧ユニット展開推奨》
朔。
「使う」
腰部装甲が開く。
小型の刃。
散る。
八方向。
飛ぶ。
ドローンのセンサーと駆動部だけを切り、次々と地面へ落とす。
アーバレスト。
後退。
固定アンカー。
解除。
逃げようとする。
朔。
背部推進。
最大。
距離。
詰める。
主砲。
再装填。
《主砲発射まで1.8秒》
《推奨制圧点:砲身基部》
《人的搭乗者:なし》
一刀。
TEN=GUの刀が主砲基部へ入る。
アーバレストの砲身。
落ちる。
次。
脚部。
一閃。
主駆動。
停止。
巨体が膝をつくように道路へ沈んだ。
歓声。
サムライ・ヴィランたち。
逃げる。
以前なら。
朔。
見送った。
はず。
AI。
表示。
《逃走個体:過去騒乱参加歴確認》
《再攻撃可能性:高》
《追跡推奨》
朔の足が出る。
「待て!」
追う。
その前。
空。
グリンフォン。
降りる。
側方。
コロボチェニィク。
巨大な三対の腕。
広げる。
進路。
塞ぐ。
「どけ」
動かない。
「もう終わったと思ってんのか」
グリンフォン。
TEN=GU。
間。
立つ。
「まだいる!」
逃げるサムライ・ヴィラン。
遠く。
なる。
朔。
息。
荒い。
「また」
一拍。
「戻ってくるだろ!」
その声は、TEN=GUの外部スピーカーから周囲へ響いた。
中継。
病室。
アリス。
市民。
皆。
聞いた。
「何度止めても」
朔。
「また武器持って」
「また出てくる!」
コロボチェニィク。
動かない。
「どけ!」
グリンフォンも。
動かない。
朔の刀。
握る。
手。
強く。
なる。
でも。
家族機へ。
振れない。
その数秒で、ヴィランたちは見えなくなった。
*
病室のテレビの前で、義弘は目を閉じた。
「……来たな」
チャールズ。
「何がです」
「アリスがずっと守ってきたもんへの」
義弘。
ゆっくり。
目を開く。
「反論」
榊も画面を見る。
「戻っていい」
「そう」
「朔は」
義弘。
「戻ってくるから困るって」
チャールズは黙った。
大泉晴翔は、テレビの画面を見ながら微笑んでいた。
「では」
立ち上がる。
義弘。
「何しに来た」
「プロモーションです」
榊。
「嘘つけ」
晴翔。
「十分」
一拍。
「性能は」
「ご覧いただけたかと」
義弘の目が鋭くなる。
「朔は商品じゃねえ」
晴翔は、そこだけは笑わなかった。
「もちろんです」
「じゃあ何だ」
「神代さんです」
それが。
一番。
腹。
立つ。
晴翔は一礼する。
「失礼します」
出口。
シュヴァロフ。
見る。
少し。
「通していただけますか」
シュヴァロフは義弘の脱走を止めるためにいるのであって、晴翔を閉じ込めるためではない。
腕。
退ける。
「ありがとうございます」
晴翔。
出ていく。
トミー。
「今こいつだけ通した」
義弘。
「俺も納得いかねえ」
*
晴翔が病院を離れた後、病室の空気はしばらく重かった。テレビではTEN=GUとアーバレストの戦闘映像が繰り返され、画面下には《女王の騎士、再び圧勝》《アリス直轄機がTEN=GUの暴走を制止?》《サムライ・ヴィランの“離席”は無制限でよいのか》と、既に次の物語が生まれ始めている。
チャールズはトミーを見る。
「先ほどの」
「根っこ?」
「はい」
トミーは義弘を見る。
「アリスから、まだ全部言うなって言われてる」
義弘の眉が動く。
「アリスが?」
「でも俺がヤバいと思ったら言っていいって」
榊。
「今は?」
「ヤバい」
トミーは自分のバッグから、小さな記録媒体を取り出した。
義弘。
「何だそれ」
「ゴーストの宿題」
「嫌な名前だな」
「俺が付けたんじゃない」
トミーは、まずアリスから聞いた言葉だけを伝えた。
「晴翔は」
一拍。
「街に根を張ってるんじゃない」
チャールズの視線が止まる。
「街を」
さらに。
「根っこにしてる」
病室が静かになった。
榊。
「……どういう意味だ」
「詳しいのはこれ」
記録媒体。
置く。
「KYO=KOTU」
「アリスが追ってる」
義弘の顔が変わった。
「いつから」
「結構前」
「一人で?」
「バンダースナッチと」
「何で言わねえんだあいつ」
「お前が言うな」
義弘は黙った。
「それは」
「そう」
*
アリスの調査記録を開いたチャールズは、しばらく一言も喋らなかった。新開市地下へ点在する小規模整備所。確認済み四十七。推定八十三。未解決支援信号百十九。どの整備所にもKYO=KOTUは一機か二機しかない。交換部品は一般市場から来る。充電は通常の都市設備。配送は普通の物流。空き保守区画は正式な利用権限によって借りられ、修理業者は自分が何の一部を直しているのか知らない。壊れたKYO=KOTUから外された部品は別の一機へ移り、同じ個体へ戻ることすら重要ではない。
チャールズは一つの映像を繰り返した。
壊れた脚。
外す。
使える部品。
別の機体。
入る。
「再生」
小さく言う。
義弘。
「何」
「私は」
チャールズは自分の過去のメモを開いた。
《役割を変えても、社会的責任が役割をまたいで追従する制度》
「大泉晴翔本人へ」
一拍。
「記憶を持たせようとしていました」
「責任の勘定書き?」
「はい」
「それじゃ足りねえって、前言ってたな」
「ええ」
晴翔は責任を受け入れられる。
責任を持ったまま社会へ戻れる。
役割を変えられる。
それでも。
再生。
する。
チャールズはKYO=KOTUの整備経路を見た。
人。
企業。
資格。
設備。
配送。
部品。
役割。
全部。
別。
なのに。
結果。
同じ。
怪物。
戻る。
「……そうか」
義弘。
「何だ」
チャールズが顔を上げた。
「怪物に」
一拍。
「記憶させるのでは」
「足りない」
榊。
「じゃあ何に」
チャールズは画面上へ伸びる無数の線を指した。
「根に」
一拍。
「記憶させなければ」
義弘。
少し。
理解。
遅れる。
「社会的記憶を?」
「人だけでは」
「足りなかった」
チャールズの声が少し速くなる。学者がようやく新しい仮説へ触れた時の声だった。
「部品にも」
「役割にも」
「制度にも」
「経路にも」
「過去に何へ使われたかを、再利用時に持ち越させる」
榊。
「ブラックリスト?」
「違います」
チャールズは即座に否定した。
「使うな、ではない」
「では」
「使ってよい」
一拍。
「ただし」
「前に何を育てた根なのか」
「忘れない」
義弘の目が細くなる。
「つまり」
「帰ってきていい」
「はい」
「でも」
「前の自分」
「連れてこい」
チャールズ。
「人間だけではなく」
「街の仕組みにも」
トミー。
「面倒そう」
「非常に」
「晴翔喜びそう」
「それが一番嫌ですね」
*
同じ頃、アリスはバンダースナッチから新しい報告を受け取っていた。小さな保守機が持ち帰った映像には、今度はKYO=KOTU本体ではなく、単なる中古部品の配送箱しか映っていない。
アリスはその配送番号を追う。
一社。
別会社。
再販。
修理。
再認証。
どれも。
普通。
「また」
アリス。
小さく。
言う。
「生えてる」
そこへ。
トミー。
連絡。
『言った』
アリスの手が止まる。
「誰に」
『義弘とチャールズと榊』
「……」
『ヤバいと思った』
アリス。
少し。
黙る。
「うん」
『怒る?』
「怒んない」
『本当に?』
「私が」
一拍。
「決めていいって言った」
『ならいい』
「ありがと」
通信。
切れる。
アリスは少しだけ肩の力を抜いた。
昔のゴーストなら。
秘密。
漏れた。
怒った。
かもしれない。
今。
違う。
自分で。
出口。
作った。
そこ。
トミー。
使った。
だから。
それで。
いい。
*
TEN=GUは高層ビルの屋上へ戻っていた。アーバレストを止めた。ヴィランも逃げた。市民の被害も最小限。結果だけ見れば、大成功だった。
朔。
ヘルメット。
開く。
息。
整える。
視界。
隅。
まだ。
表示。
《逃走個体:再攻撃可能性 高》
消えない。
「また戻る」
朔。
呟く。
離席。
やめた。
戻る。
また。
やめる。
また。
戻る。
そのたび。
止める。
それ。
正義。
なのか。
なら。
何度でも。
やる。
アリス。
楽。
なるまで。
義弘。
戻らなくても。
いいくらい。
全部。
自分。
やる。
その時。
端末。
アリス。
着信。
朔は見た。
指。
伸びる。
止まる。
応答。
しない。
TEN=GUのAIが次の警報を表示する。
《武装騒乱予兆》
《介入推奨》
朔はヘルメットを閉じた。
飛ぶ。
その姿を。
遠くから。
グリンフォン。
見る。
さらに。
別の屋上。
コロボチェニィク。
見る。
朔。
それ。
知らない。
いや。
知りたく。
ない。
守られたく。
ない。
自分。
だけ。
立つ。
ため。
もっと。
正しく。
もっと。
早く。
もっと。
徹底的に。
悪。
止める。
正義の味方に。
なり過ぎた。
若いサムライは。
自分が。
何から。
遠ざかっているのか。
まだ。
気づいていなかった。
一方で、その下の街では、誰にも見えない小さな整備所がKYO=KOTUを直し、合法な書類の上ではTEN=GUが日本国代表団の護衛装備として根を張り、普通の企業と普通の配送と普通の制度が晴翔の再生経路を支えていた。
大泉晴翔という怪物に。
首は。
あった。
身体も。
あった。
責任も。
あった。
だが。
怪物を。
何度でも。
立たせる。
ものは。
その身体ではない。
地面。
だった。
そして。
ようやく。
アリス。
義弘。
チャールズ。
榊。
トミー。
それぞれ。
違う場所。
立っていた者たちが。
同じ。
根。
見る。
始めていた。




